『新潮45』 (2013年第9月号)中野剛志著「日本人の「組織能力」を取り戻せ」 p.41-44より引用
官僚パッシングの時代は、「失われた二十年」、すなわち日本の政治や経済の長期低迷と軌を一にしている。・・その原因とは、何か。それは日本人の「組織能力」の衰退である・・・。
このでいう組織能力とは、複数の人間が協力して集団行動を行う社会的な能力のことを指す。
例えば、「チーム・ワーク」と呼ばれるものは、組織能力の典型例である。・・・・・チームにおける指導力や結束力が、選手個々人の能力の単なる総計以上の力を生み出すのである。これが組織能力である。
この組織能力が、日本の社会から失われつつある。そう思わざるを得ないのが、官僚パッシングという現象である。
・・・・・組織のトップと部下との信頼関係は、組織能力の核である。
組織内部の改革に執着するようになるというのは、組織能力が衰弱しつつある兆候である。
おそらく、この二十年間の日本では、行政機能のみならず、企業、政党、組合、学校などありとあらゆる組織が内部体制の変革をいたずらにくりかえしてきたのではないだろうか。
・・・・・
「政官スクラム型リーダーシップ」
官主導であったのは敗戦後から復興期にかけての一時期だけであり、いわゆる55年体制が成立して以降は、自民党が官僚に対して有利であった。
・・・・・
各省の法案や予算案は、閣議決定をする前に、すべて自民党の政務調査会と総務会の承認(「与党審査」)を得なければならない。政策の最終的な決定権は、自民党にあるのである。与党審査が慣例化した1960年以降、官僚は自民党との密接な提携関係が形成された。村松岐夫は、これを「政官スクラム型リーダーシップ」と呼んでいる。・・・・・官僚は、行政を政治の一部と考え、政治のただ中に入り、さまざまな利害調整の過程を経て、公益を実現しようと活発に活動した。
・・・・・
官僚は「政官スクラム型リーダーシップ」の下で、政治的な利害調整の経験を積み重ねていったが、このことは行政の組織能力にとって極めて重要な意味を持つ。
・・・・偏差値秀才に過ぎない若い官僚たちが、利害調整の経験を通じて、政治的な能力に長けた「調整型官僚」へと成長していくのである。こうして官僚機構は、その組織能力を獲得していく。政官スクラム型リーダーシップは、行政の組織能力を育んできたのである。
・・・・・
「調整型官僚」は、政治の調整過程の中に積極的に乗り出し、行政独自の立場や利益を主張することもあった。これに対して、(80年代半ばから現れた)「管理型官僚」は、官僚の役割は政治によって与えられた政策の忠実な遂行であると信じ、自ら調整には乗り出さず、政治が方向性を指示するのを待っている・・・。
つまり上司から言われたことしかやらない官僚が増えてきたというのだ。そのような官吏型官僚には、人と人との間の関係を調整したり、集団で協力して未知の課題を克服したりする能力などは期待できない。官吏型官僚が増えれば、行政機関の組織能力は低下することは避けられない。
・・・・・
・・・日本中で組織能力の低い官吏型が増えていったのではないだろうか。官吏型の蔓延とともに、行政のみならず、政党も企業も学校もおかしくなっていったのだ。
元来、組織能力は、日本人の長所とされていたはずであった。その組織能力が衰退していけば、日本の政治・経済・社会が低迷し、閉塞するのも当然であろう。それが失われた二十年の根本原因である。
官僚パッシングの時代は、「失われた二十年」、すなわち日本の政治や経済の長期低迷と軌を一にしている。・・その原因とは、何か。それは日本人の「組織能力」の衰退である・・・。
このでいう組織能力とは、複数の人間が協力して集団行動を行う社会的な能力のことを指す。
例えば、「チーム・ワーク」と呼ばれるものは、組織能力の典型例である。・・・・・チームにおける指導力や結束力が、選手個々人の能力の単なる総計以上の力を生み出すのである。これが組織能力である。
この組織能力が、日本の社会から失われつつある。そう思わざるを得ないのが、官僚パッシングという現象である。
・・・・・組織のトップと部下との信頼関係は、組織能力の核である。
組織内部の改革に執着するようになるというのは、組織能力が衰弱しつつある兆候である。
おそらく、この二十年間の日本では、行政機能のみならず、企業、政党、組合、学校などありとあらゆる組織が内部体制の変革をいたずらにくりかえしてきたのではないだろうか。
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「政官スクラム型リーダーシップ」
官主導であったのは敗戦後から復興期にかけての一時期だけであり、いわゆる55年体制が成立して以降は、自民党が官僚に対して有利であった。
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各省の法案や予算案は、閣議決定をする前に、すべて自民党の政務調査会と総務会の承認(「与党審査」)を得なければならない。政策の最終的な決定権は、自民党にあるのである。与党審査が慣例化した1960年以降、官僚は自民党との密接な提携関係が形成された。村松岐夫は、これを「政官スクラム型リーダーシップ」と呼んでいる。・・・・・官僚は、行政を政治の一部と考え、政治のただ中に入り、さまざまな利害調整の過程を経て、公益を実現しようと活発に活動した。
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官僚は「政官スクラム型リーダーシップ」の下で、政治的な利害調整の経験を積み重ねていったが、このことは行政の組織能力にとって極めて重要な意味を持つ。
・・・・偏差値秀才に過ぎない若い官僚たちが、利害調整の経験を通じて、政治的な能力に長けた「調整型官僚」へと成長していくのである。こうして官僚機構は、その組織能力を獲得していく。政官スクラム型リーダーシップは、行政の組織能力を育んできたのである。
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「調整型官僚」は、政治の調整過程の中に積極的に乗り出し、行政独自の立場や利益を主張することもあった。これに対して、(80年代半ばから現れた)「管理型官僚」は、官僚の役割は政治によって与えられた政策の忠実な遂行であると信じ、自ら調整には乗り出さず、政治が方向性を指示するのを待っている・・・。
つまり上司から言われたことしかやらない官僚が増えてきたというのだ。そのような官吏型官僚には、人と人との間の関係を調整したり、集団で協力して未知の課題を克服したりする能力などは期待できない。官吏型官僚が増えれば、行政機関の組織能力は低下することは避けられない。
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・・・日本中で組織能力の低い官吏型が増えていったのではないだろうか。官吏型の蔓延とともに、行政のみならず、政党も企業も学校もおかしくなっていったのだ。
元来、組織能力は、日本人の長所とされていたはずであった。その組織能力が衰退していけば、日本の政治・経済・社会が低迷し、閉塞するのも当然であろう。それが失われた二十年の根本原因である。
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