都内散歩 散歩と写真 

散歩で訪れた公園の花、社寺、史跡の写真と記録。
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『反・自由貿易論』 1 中野剛志著

2014-02-02 16:49:28 | 抜粋
中野剛志著 『反・自由貿易論』 抜粋:第一章から第二章 新潮新書526  2013-6-20:発行

序章 これが「自由貿易協定」の正体だ---オーストラリアの悲劇
小見出し:自由貿易協定の変容p.13
米豪FTAの例は、次のような重要な教訓を示しています。
米豪FTAが締結されたのは2004年2月4月、発効は2005年1月ですが、その結果は、オーストラリアにとって散々なものでした。p.11
・・・・オーストラリアにとって相当不利な結末を迎えたのです。
・・・・その一端を見てみましょう。
まず、アメリカの要求どおり、オーストラリアが輸入品にかけてきた関税や障壁は、ほとんど撤廃されました。
一方で、オーストラリアも、アメリカにかけられる輸入制限の解除を望んでいましたが、特に期待の高かった砂糖の輸入制限は変わらず、牛肉や乳製品の輸入制限についても僅かな見直しが段階的に行われただけでした。
結果として、米豪FTA発効後、オーストラリアの対米貿易赤字は毎年拡大しています。米豪FTAによって,オーストラリよりアメリカの方が輸出を伸ばしたのです。p.11

この米豪FTAの例は、次のような重要な教訓を示しています。
ひとつは、今日のいわゆる『自由貿易協定」なるものは、「工業製品や農業製品の関税を引き下げる」などという古典的な自由貿易のイメージとはかなり異質なものになっているということです。
そして、もう一つの教訓は、自由貿易協定は国同士の合意に基づくものであるにもかかわらず、「一方の国が圧倒的に有利になる」ということです
「戦後の世界経済、とりわけ日本経済は、この自由貿易の恩恵によって成長した」・・・・・というのが常識になっていました。
ところが、現代の自由貿易協定はその質を変えつつあります。各国の国民生活のあり方を大きく左右しかねない国内制度についても、大きな変更を迫るものとなっているのです。
FTAの交渉の対象となるのは、牛肉や自動車のような物品だけでなく、医療や知的財産権のような「サービス」であり、単に関税の引き下げだけでなく「国内独自の制度や慣行(非関税障壁)}にまで介入し、改革を求めるものなのです。
さらに問題なのは、米豪FTAにおけるアメリカのように、強い力を持つ国がほぼ一方的に有利な方向で変更を行うということです。p.13-14

第一章  自由貿易は好ましい」は本当か---主流派経済学の狂信p.21
小見出し:経済効果の算定という詐術p.30
貿易自由化の利益を推定するうえで最もよく用いられる分析が「応用一般均衡モデル」というものです。
しかし、この経済モデルは、主に「完全競争」の状態を前提としているため、現実の経済とは著しく乖離したモデルであり、数多くの限界や欠陥が指摘されている。
中でも最大の欠陥は、・・・・「生産要素は国内の産業間を自由にかつ調整費用なく移動できる」と想定されていることです。p.30
経済効果のまやかしp.31
・・応用一般均衡モデルは、失業者の発生や産業構造の変化によるコストを認めていません。そのため農業への打撃によって失業した農家がいても、すぐに別の産業に転職するという非現実的な想定を置いています。村の荒廃による地域社会の衰退や環境破壊といった社会的費用も考慮されていません

たとえば、日本の林業は、1964年の木材の貿易自由化によって、25%の関税が全廃され、90%あった木材の自給率は20%以下となりました。林業は衰退し、産業を失った山村では過疎化が進みました。それだけでなく日本の国土の約7割を占める山林は荒廃が深刻化し、土砂崩れや花粉症など全国的な被害を引き起こしました。
たしかに関税撤廃により、安価な木材の輸入による経済効果はあったでしょう。しかし林業の雇用喪失、共同体の崩壊、環境破壊あるいは健康被害といったコストを差し引くいたら、本当に割の合うものだったのか、よく検証すべきでしょう。自由貿易の経済効果を推計する経済モデルはこうした社会的費用を含む多面的な効果を勘定に入れていないからです。p.32

   
小見出し:市場はなかなか均衡しないp.33
応用一般均衡モデルによる試算のもう一つの大きな欠陥は、市場メカニズムの働きによって「需要と供給は常に一致する」と想定していることです。p.33
たとえば、近年、小麦、トウモトコシ、大豆といった穀物の価格が高騰しています。しかし、需要が急増し、価格が高騰しても、農家はそれに合わせてすぐに作付面積を拡大し、穀物を増産することはできません。p.33・・・・・
このため穀物需要が拡大し、価格が上昇すると、そのまま価格が下がらず「高止まり」が続きがちです。p.33-34
需要と供給が一致しないのは農林業だけではありません。・・・東日本大震災からの復興事業により、セメントや鉄鋼・・・・の需要が急増し建材の価格や人件費が高騰しています。しかし、現実として、セメント会社や鉄鋼会社は、増えた需要に合わせた増産はできていません。増産のためには巨額の設備投資が必要になりますが、・・・・決断できなし将来、復興がひと段落したら、増強した設備は過剰になってしまう・・・・からです。p.34

小見出し:戦後の経済成長を促したものp.35

一般的に、「戦後の世界経済は、自由貿易体制によって成長を遂げた」と考えられています。・・・・
しかし、だからと言って、自由貿易による貿易の拡大が経済成長を促したとは限りません。というのも経済成長の方が貿易の拡大を促した可能性もあるからです。つまり、経済成長と貿易の拡大の、どちらが原因でどちらが結果なのかをはっきりさせなければならないのです。p.35-36

歴史的に見ても、十九世紀の欧米は保護主義でありながら経済発展を遂げ、特に最も保護主義的であった時期に貿易が拡大しています。p.37

「金融グローバル化」が引き起こす危機p.39
海外取引の規制を撤廃し、国際的な金融取引を推し進めようとする「金融市場のグローバル化」・・・・。これも自由貿易以上にその意義が疑われています。むしろ金融危機を引き起こす原因であり、経済や社会を不安定化させるものであることが強く懸念されています。p.39

小見出し:アメリカ経済学の変節p.41
・・・グローバル化に対する懐疑が広まっています。この流れは、2008年のリーマンショックによって、さらに決定的となりました。p41
これまでグローバル化のロジックを支えてきたのは、アメリカの経済学でした。・・・ところが、今では、そのアメリカの経済学者たちの間でグロ‐バル化の信念が大きく揺らいでいるのです。それにもかかわらず、アメリカ政府は、現在もなお、グローバル化を進めようとしています。TPPはその典型と言えるでしょう。p.41
「国際的な資本移動の自由化の行き過ぎが、リーマンショックをもたらしたのであり、今後は世界各国が協力してグローバル化を適切に制御することが必要である」(ジョセフ・スティグリッツ)p.42

「自由貿易というのは、非関税分野に関する利益集団の利己的な要望に突き動かさされて、地域ブロック化を進めるものに過ぎない。(ジャグディシュ・バグワティ)p42
TPPなど近年の貿易協定に関して「ビジネス界の要求が社会のより広範囲な利益と一致するとは必ずしも限らない」(サイモン・レスター)p.42

第二章 「自由貿易英国主義」が世界を分断した---近代経済学の虚実p.45

経済学が自由貿易を信奉し、強固な理論でこれを推進してきたのは、「自由貿易によって今日の経済発展がある」という歴史の裏打ちがあるからだと考えられます。・・・この「歴史」は。果たして真実なのでしょうか。p.43

小見出し:帝国主義的な争奪戦の過ちp.46
不況に陥った現在・・・・自国の不況から脱出するために、経済圏を拡大し、世界市場の争奪戦に乗り出しています。しかもそれが「自由貿易」の名のもとに行われているのです。p.48

小見出し:イギリスが蹴り外したはしごp.51
「イギリスは自国の産業を保護・育成し、経済大国の地位を確保した上で、後進のドイツに自由貿易のイデオロギーを吹き込んで、その経済発展を妨げようとしている」(フリードリッヒ・リスト)p.53
「第一に、イギリスは自国が工業化を成しとげてから貿易の自由化を進めた。第二に、イギリスは国内産業に対して自由放任ではなく国家による介入を行っていた。そして最後に、貿易の自由化は時間をかけてゆっくりと進められた」(ハジュン・チャン)p.53
イギリスは自由放任や自由貿易によって繁栄したのではなく、保護貿易と産業政策というはしごを上がって経済大国の地位に上り詰めたのでした。p.54

小見出し:「自由貿易の守護神」アメリカの幻想p55
アメリカは伝統的に「自由貿易の国」であるというイメージが日本人につきまとっています。p.54
ところが実際には、1776年の建国から1945年の第二次世界大戦終結まで、基本的には、「世界で最も保護主義的な国」だったのです。p55
アメリカは、アレキサンダー・ハミルトンや彼の後継者たちの提唱した保護主義(建国されたばかりのアメリカでは、政府の支援なしには工業化することは不可能である)に従って、工業化と経済発展を進めていきました。p.55

小見出し:関税の是非を南北戦争で争うp.56
保護主義は、当時のアメリカの総意ではありませんでした。北部は工業が発展しつつあったため、高関税による保護を歓迎しましたが、綿花やたばこのの輸出で潤っていた農業地帯の南部は自由貿易を志向していました。このため
,アメリカは、保護主義の是非を巡って、南北で対立したのです。p.56
南北戦争で北軍が勝利すると、関税率は一挙に引き上げられました。p.57

アメリカは、世界恐慌時に突然保護主義に傾斜したのではなく、建国以来、基本的に「最も保護主義的な国」だったのです。p.57
そのそも、保護主義こそが、アメリカの建国以来の基本精神なのです。アメリカが「自由貿易の国」などというのは神話に過ぎません。p.57

小見出し:ヨーロッパは保護主義で発展したp.61
前述のとおり、イギリスは19世紀の半ばまで保護主義的であり、その間に産業革命を成し遂げ、経済大国の地位を勝ち得てから、自由貿易体制に移行しました。アメリカにいたっては、建国以来一貫して最も保護主義的な国です。その他の大陸ヨーロッパの諸国も多かれ少なかれ保護主義的で、国家の介入によって産業の育成や社会の保護を実施しており、他方、自由貿易・自由放任路線を歩んだフランスは、経済発展が遅れました。p.61

中野剛志著 『反・自由貿易論』 抜粋:第一章から第三章 新潮新書526  2013-6-20:発行
序章、第一章、第21章、p.9-68 の抜粋
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