たんぽぽ日和

吠えます。
噛みます。
そんな遠吠え日記。

ふるさと

2007年10月14日 23時44分11秒 | 奇想天外な家族のなかで
「人は年を取るとふるさとに帰りたくなるものだ」とどこかで聞いたことがある。私はきっとまだそれほど年はとってないんだな。

私のふるさとは今住んでる所ではない。どちらかというとここはただ「実家」があるというだけでアウェイだった。実際ここに住んでたのは数年ですぐ長野から離れ10年間帰ってこなかったから今の家に帰って来てしばらくはナビがないと家にも帰れなかった。

私が生まれ育ったのは今住んでいる地域から1時間半くらいのところで、私が幼い頃は冬になると-15ドになる極寒の地だ。(今は温暖化?でそんなにならない)
長野県で一番寒い軽井沢に近く、1年の間ほとんどさむい。

私はそんなところで-15度が当たり前の生活をしてた。
小学校のころは全校生徒で1時間目にスケートをした。
意味が分からん・・・なぜスケート。
今でもスケートだけは得意だ。なんの役もたっちゃいないが・・・
だって長野県民なのにスノボもスキーもできないという・・
ちなみに「長野スキー・スノボ出来ない同盟」に加盟している(脳裏の中で)

ま~とにかくそんなところで高校になるまで育った。

うちのおじいちゃんはずっと、そこにいた。
60年以上そこで過ごした。

でも、わたし達が今すんでるところに家を建てるとき共働きの両親の変わりにと、おじいちゃん・おばあちゃんは住みなれたところを離れ、一緒についてきてくれた。

妹が小学校から帰って来て「おかえり」を言う人がいるように。
私が高校から我が家に帰るためおじいちゃんが駅まで迎えに来れるように。

でも、二人にしたら全くこんなとこアウェイだ。
陽気なおばあちゃんとちがって、おじいちゃんはどちらかというと親しい人としかそんなに仲良くなれない。こんな縁もゆかりもない地域に70過ぎてから来て「さ~お友だちを」なんてわけにはいかない。
そんな中、うちらのことだけのために頑張ってくれた。
毎日、今の家から前の家に通い、田畑の世話をした。
毎日1時間半かけて行き、また1時間半かけて帰ってきた。
妹の帰宅に間に合うように。
私の電車の時間に間に合うように。

おじいちゃんの車の走行距離はすぐに15万キロになった。
「これが最後の車だわい」と言ってた車に乗れなくなって
1年半たった。

車は処分され、おじいちゃんの免許は破棄された。

毎日乗ってたおじいちゃんの車。乗ることが当たり前に思ってた車。
それがどれだけ幸せな毎日だったのかということを、全く気がつかない
身の程知らずでバカな自分を悔やむ。




先日、おじいちゃんを連れて、久々に前の家を訪れた。
すると、「帰りたい」「産まれた家が見えるところにいきたい」「自分の田んぼが見えるところに行きたい」「浅間山と八ヶ岳を見て朝起きたい。」

とおじいちゃんが切望しだした。

なぜ、ここまでおじいちゃんが言うかと言うと、前の家の目と鼻の先に、新しい老人ホームが出来ていて、そこを見たからだ。

「ここで浅間を見てすごしたい」「自分の家を見ながら生きたい」と何度も何度も言う。

こんなことは初めてだった。
自分のことは二の次で、本当の気持ちをいつも言わないおじいちゃんが
ものすごくものすごくふるさとへ帰りたいということを訴えた。

しかし、そのホームも申し込みが殺到してるので入れるか分からないとのことで
今、どうなるかわからない。

私たち家族が毎日会いに行けなくても、そばにいなくても

そんなことよりふるさとに帰りたいと願うおじいちゃんの思いはきっと何よりも大きいんだと思う。

私は、毎日病院に行くことが楽しみで(仕事で行けないこともあったけど)、おじいちゃんに会えることがうれしくて、おじいちゃんの笑顔が癒しで、私のつたないピアノを喜んでくれたり、一緒にお月見したり・・そんな日々はすごく幸せだったから、1時間半もかかるような場所に行ってしまうのはすごくすごくさみしくてしかたがない。


でも、おじいちゃんがあの場所を望んでる。
それが全てだ。

「年取るとな。産まれたところにかえりたいだよ」とおじいちゃんはいう。

審査は10日後。もしかしたらそのホームに入れないかもしれない。
でも、おじいちゃんの願いを叶えてあげたい。

おじいちゃんのすべてだったあの場所に。





コメント (2)
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