たんぽぽ日和

吠えます。
噛みます。
そんな遠吠え日記。

20年目のお守り

2008年06月03日 23時28分32秒 | 奇想天外な家族のなかで
《長い文章です》【妹からどんな金具か分からないという指摘を受け写真アップ↑】
私は小さい頃から父が苦手でした。苦手というか嫌いというか・・
とにかく大学に行くとき何がうれしかったかというと父から離れられるのがうれしかったぐらい「父親」という存在は私にとって非常に難しいものでした。

昨日の日記にも書いたけどとにかく父は嫌味な人だしあまのじゃくだしバリバリの団塊の世代で亭主関白だし、むちゃくちゃ厳しかったし・・・とにかく「こわい」という気持ちのほうが強いまま大きくなり10年も離れて、長い休みにしか会えなくなってたある日、父が倒れました。
父倒れたとき

そのとき、初めて自分にとって父親がどれだけ大きな存在か分かったんだけど、父が自分にとって大切だとはなかなか表現できずにはいました。
きっと、父もそうだったかもしれない。
相変らず暴言は吐くし、夜中に意味もなく買い物を頼むし、家にいるのに携帯で呼ばれるけど、一緒には住んでいる中で少しお互いに気を使いながら生活してました。(どこが?ですよね?でも気を使ってるんです)

そして、来週四日市に行くんだけど、私は研修があってその研修の場所から直接電車で向かわないといけない。その時に、駅で駐車場があるかということやどうやって駅まで?とかそんなこんなが心配だったので、今日、父のふるさとでもあるその駅に下見に行くついでに、父方のお墓参りに行こうと思いました。

それで、このガソリン高騰のさなか、まるでこの時代を予測してたかのようにプリうす(関係ないけどほんとプリうすはネ甲!リッター30とか下り坂ではりったー40を記録。長野~横浜間往復ガソリン代2000円という驚愕の数字をだした。まさにこの時代のための車。トヨタすばらし。しかもむかつくことに自動車ゼイも『えこかー』ってことでわれわれよりかなり安い。)に乗る父をアッシー(死語)にして負担軽くしようというもくろみで父に「一緒にお墓参りいかない?」と聞いてみると、まさかの「お~いくか」という返事。

今まで何度も何度もお墓参り行くたびに誘ってみたけど一度も「行く」とは言わなかったし、「危篤だったのに助かったんだからお礼に行くべきだ」と主張する私どもに「心で毎日お礼してる」とか「オレのかってだろ」などというお返事だったので、今回の即答にかなりびっくりして「雨かい??」と思ったりしていた。

そして、今日は父、母、私とでの何年かぶりに一緒に行くお墓参りになった。
お墓につく直前、父は「おい、酒を買ってくるから待ってろ」と行ってお酒を買いにいった。

お墓に着くと父がおもむろにどこかへ行き、「お~あったあった」と何かを持ってきました。

ビンのふたを開けたときに出る、金具でした。

私が「なにソレ?」というと

父「20年前オレがお墓参りに来た時に、隠しといたんだ」と・・


???意味が分からずにいると
どうも、20年前にお墓参りに来たとき、お墓の横にある小屋みたいなところの柱のところにその、ビンのふたを開けたときにでる金具を隠したというものでした。

私「20年前??」
お墓参りにきたときにそんなの隠して子供かい??なにやっとるのうちの父は??と言う感じで完全に笑ってしまった。

父が「お墓参りに来るたびに、隠した場所探してたんだけど見つからなくて、今日20年ぶりに見つけた」というので

私は「そら大事にしときな!20年待ってたんだから」と父と笑いました。
そして、父は今日買ってきてご先祖にお供えしたお酒からでた新しいその金具を

「よし、今度はこいつの番だ」とまた同じところに隠しました。
私は「20年後またヨボヨボになって変えにこなきゃね」といいました。
母は何も言わずに黙ってました。



そして、お墓参りにいって掃除をしながら改めてここにいるご先祖様の大切な命を引き継いでいる身なのだとなんだかうれしくもなりました。

ご先祖様一人ひとりに「お礼が遅くなってすみませんね。助かった本人を連れてきましたよ」なんていいながらお線香を立てました。そんなことするとは思えなかった父が誰より一生懸命掃除をして草を抜いてお墓の上におまんじゅうを置こうとする私に「おい!頭にまんじゅうおくな失礼だろ」と怒ったり・・よかった。。今日父を連れてこれてよかった・・と心から思いました。

帰りの車でいろんな話をしました。父が小さいときの話、父のおばあちゃんである私のひいおばあちゃんの話、父方のおじいちゃんおばあちゃんの話・・・
いろんな知らない時代の父に会えた気がしました。そして少し尊敬しました。

帰ってきて私はテレビ見てると父がやってきて言いました。
「おい。これはお前がもっとけ」

見ると、今日20年ぶりに対面したビンを開けるときの金具でした。

そして続けて

「これは20年前、どうしようか悩んでた時に一人でオヤジ(お墓)に会いにいったときに置いてきたんだ。もし、いい方向にいってこれを取りにこれるようになったらという願いも込めて置いてきた。今はお前が必要なときだ。お前が持ってろ」

というのです。

私は「ハッ」と思いました。20年前。


昨年退職した父だけど40年近い教師生活の中で最も辛く苦しい時がありました。20年前です。当時は今とはまたちがういろんな問題が山済みの時代で、特に20年前の父は幼い私ですら鮮明に記憶に残っているくらいほんとに大変そうでした。
今の私なんかとは比べものにならないくらい苦しかったと思う。

「今はお前だ。お守りにしとけ」


と。



最近私が、泣いたり吐いたりしながらなんとか仕事に行っているのを父は知っていました。朝になると少し遅くまで部屋から起きてこない私に「オイ!生きてるか?」と叫んでくれたり、「明日のお弁当に持っていけ」といろんな食材を夜渡してくれたり、昨日みたいに嫌味を言って元気づけたりしてくれていたのを思い出しました。


そして今日の父の行動を全て思い出してると、お酒を買いに行ったのも、「今日偶然見つかった」と言ってたのも・・そもそも、お墓参りに行くと言ったのも

このお守りを私に托そうとしたんだと分かりました。

プライドが高く、自分の弱みを見せたくない父がものすごい苦しんだ20年前どんな気持ちでお墓に行き、この金具をどんな気持ちで置いてきたのかと・・


その話を母にすると「20年前って聞いてピンときたよ。」と「相当辛くて辞めようとまでしたてたからね」と言ってました。




これ以上ない「頑張れ」のお守り。

きちんと父にお礼がいえたか分からないけど、何も知らずに一人で大きくなったような、一人で生きているような気さえしてた自分が恥ずかしく、また、父の気持ちがうれしくてお風呂でずっと泣きました。


私は今日の日を大切にしたい。
父が助かり「死ぬまでのひまつぶしさ」と言ってた父の生きている時間の中で
この日を与えてくれたご先祖様に感謝したいです。

そして、私の子どもに・・孫に・・この話を絶対しようと思う。
「あなた達のおじいちゃんわね」って。しようと思う。

今まで、「父からの愛」というのを分かってはいたつもりだけど、こんな風に見えないパワーで包み込んでもらったのは初めてな気がします。
もしかしたら、ずっと、生まれたときからこのパワーに包まれていたのに、気がつかなかったり、気がつかないふりをしてたりしていたのかもしれない。

私はあのご先祖様たちの命を引き継いでいる、父の子なんだ。
頑張ろう。


お父さんありがとう。
あなたの子どもで幸せに思ってます。

ここでは言えるのに・・ほんとに言えるようにしないとな。

明日。お守りを持っていき、仕事を精一杯頑張ろう。
大きなパワーに守られてるんだから。



コメント
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