- 不浄観とは、「清らかでない、汚いものを観る」ということです。
- その対象は、「貪」なのです。「心の三毒(貪・瞋・癡)」の貪です。要するに、貪りの心が多い人が修する修法、あるいは心に貪りが満ちているときに修すべき修法なのです。
- その貪りのなかでも、不浄観がよく使われる場面というのは、いわゆる性欲、情欲です。
- 今、自分の心は燃え盛り、煩悩でいっぱいになっているけれども、自分を燃え盛らせる煩悩の対象となっている、その若くて美しい女性、あるいは女性からみれば素敵な男性も、やがては腐乱死体のように腐り、そして白骨になっていくのだ―。どくろになった姿を心に描くことを「白骨観(はっこつかん)」ともいいますが、このように死んでいく姿、さらに死体の姿を思い浮かべる観法が不浄観です。
- この不浄観を行うと、燃え盛ている炎が、たちまちにして鎮まってきます。
- 執着を断つための方法として、白骨観だけではなくて、「その皮膚を一枚めくったあとの姿を想像してみろ。『女性は美しい』と言うけれども、これは皮膚の皮一枚のことではないか。この皮一枚を取った姿を想像してみれば、とてもではないけれども、美しいとは言えないだろう」ということで、そうした姿を想像するのです。
- こうした方法で、死体の姿、白骨の姿を思い浮かべる、あるいは皮膚や皮を取った姿を想像する、あるいは内臓の中を想像するわけです。これを「不浄観」といいます。
『沈黙の仏陀』 第4章 五停心観