史実と正史、
または正史と神話。
5世紀後半の頃からは歴史について
随分とわかるようになっているが、
日本書紀や古事記について
そして神代の時代については
正史とされながらも理解できないものもある。
聖徳太子にしても実在したのかということもよく取り上げられる。
ただそうした話しも歴史に興味を抱く入り口としては面白いと思う。
なんせ1000年以上も前の話である。
少ない情報から手がかりを得るしかない。
石ころ一つで変わってしまうのが歴史観だったりもする。
学者でもないしあまり気にしないが、
ただ古代に対するロマンと言う面では
いろんな話があってもいいと思う。
秩父へは仕事でよく行くが、
帰りに三峰まで足を伸ばしたのは始めてである。
何十回と足を運ぶ中で歴史と深い場所だなと思うようになった。
和銅遺跡を見に行ったことがきっかけになった部分もある。
地図を見ると古い史跡があちこちにある。
時間があれば少し足を伸ばして立ち寄りたいが、
そうそう行ける機会を持てるわけではない。
駐車場に付いたのは、18時前のことでした。
感想は思ったより遠いと・・・。
駐車場も店も閉まってしまった。
静かで空気も美味しい。
人気はなかったが寂しいとも思わなかった。
正史が史実だとしたら、
ここの開山はとても古い。
倭の奴国の王が後漢に使者を派遣したのが57年
当時は30余りの小国の集まり。
景行天皇(紀元前13年生まれ、71年~130年、143歳)
卑弥呼(170年頃~240)が魏に使者を派遣したのが239年。
この頃より古墳時代に突入する。
稲荷山古墳が5世紀後半
役小角が634年、
和同開珎708年、
古事記が712年、
日本書紀が720年
ざっと時間軸で並べてみたが、
神武天皇(前711年~前585年)
正史として編集されたのが1200年も経っての事となる。
歴史の研究が進むと色々と細かく分かるのであろう。
そうそう解決しないであると思うが、ミステリアスな部分はあって欲しい。
色々と書いたが、
すべてを否定するつもりはないです。
古くから信仰の場所として祀られてもいるし、
九州から畿内、そして関東へと
おおよそ日本が国としてまとまり始めた頃の話しである。
また何処の国にも神話は存在する。
上は妙法ヶ岳の方角と思われる。
霧に隠れてはっきりと見えないが、
山の輪郭は少しだけ見えている。
学生の頃は苦手だった歴史の勉強でした。
今でも覚えることは苦手だが、
古い歴史のある場所を訪れると
肌で感じるものもある。
今のように道路も整っていない。
遠い昔に史実に出てくる人たちが
どうやってここまでたどり着いたのかと思う。
わからないことばかりです。
山を隠す霧のように・・・。
ただこんな山奥ですが、
古い時代から人に敬い愛された場所なのでしょうね。