3月の最終日曜日の29日に風は強かったですが、晴れ渡ったポカポカ陽気に誘われて大阪城公園に行ってきました。(日中は暖かかったのですが、夕方の冷え込みと強い風には震え上がりました)
目的は桃園の桃です(ハナモモ)。24日にソメイヨシノの開花宣言があって以来、寒の戻りか、はたまた花冷えか、気温の低い日が続くので桜は最初からあきらめていた通り、1分~3分咲きで、満開は4月に入ってからの模様。
【画像は全て3枚組です。マウスオンで2枚目が、ワンクリックで3枚目が出ます】
↑桃園風景
(1)花桃-「照手白(てるてしろ)」
(2)花桃-染め分けの「源平枝垂れ」
(3)花桃-「寒緋(かんひ)」
(1)満開だった枝垂れ桜(大手門入ってすぐ)
(2)四分咲きほどのソメイヨシノ(桃園の北側、第2寝屋川沿い)
(3)おまけのハナニラ(西の丸庭園近くで)
枝垂れ桜はソメイヨシノの後と思っていたのですが・・・
ン十年前、GWの始め頃に京都の円山公園で見た枝垂れ桜は夢か幻か。
それとも種類が違うのか・・・。
※枝垂れにも早咲きや遅咲きといったいろんな種類があるようですね。
私は桜の中の一つの種類として枝垂れ桜があるんだと、そう思っていました。
お恥ずかしい・・・穴があったら入りたい。
(1)大阪城天守閣(天守閣前広場から)
秀吉が築城した大阪城は大阪夏の陣で焼失。その後徳川幕府によって再建されたが1665年に落雷で天守閣を焼失。以降天守閣の無い大阪城となった。
現代の天守閣は昭和6年(1931)に市民の寄付によって再建されたもので鉄筋コンクリート製。戦火をくぐって今に至る。
戦時中、米軍は陸軍の大阪の拠点となっていた大阪城内を爆撃し破壊しつくしたが天守閣だけは避けた。京都市内の神社仏閣を爆撃しなかった理由と同じかもしれない。
(2)旧陸軍第四師団司令部跡
大阪城天守閣のすぐ斜め横(南東)に隣接していたために爆撃できなかったものと思える。
明治以降、大阪城内は旧陸軍に占領され市民は立ち入ることさえできない遠い存在となっていた。ここに当時日本最大の軍需工場といわれた大阪砲兵工廠(おおさか ほうへいこうしょう)があった。今の大阪城ホールのある辺りらしい。天守閣の北東辺りに位置する。
昭和20年8月14日、終戦の前日に米軍の大空襲によってこの砲兵工廠の施設のほとんどが破壊された。この時、大阪城そばの京橋駅から片町周辺も爆撃され多くの犠牲者が出た。戦後、砲兵工廠があった辺りは不発弾が多く埋もれている危険地域として20数年もの間更地のままだった。(以上の内容はWikipediaを参照して自分なりに書いたもの)
ちなみに現在の京橋から片町周辺は高層ビル群が建ち並ぶ大阪ビジネスパーク(OBP)に変貌した。桃園のバックに映っている高層ビル群がそのビジネスパーク。
大阪城すぐ横に建つこの「第四師団司令部」跡の建物を見あげる時いつも思う。天守閣のお陰で安全を保証された建物の中で陸軍関係者は悲惨な空襲の光景をどのような思いで見ていたのだろうと。
戦後、この建物は大阪府警(大阪市警視庁を経て)から大阪市博物館となり、その博物館は「大阪歴史博物館」となり大阪NHKの隣に移る。現在は何にも利用されていない。一般人は中に立ち入ることさえできない。外から覗ける地下1階の窓の一部にはガラスが割れガムテープらしきもので補修した窓もいくつかあった。
(3)大阪城の表玄関口ともいうべき「大手門」
この大手門の前は公園になっていて、公園から道路(上町筋)を挟んで、大阪府警、大阪府庁が並び、斜め前には、大阪歴史博物館があります。
大阪城公園の花桃鑑賞から随分と重い内容で終わってしまいご容赦ください。
大阪城天守閣脇にある旧陸軍第四師団司令部跡の古い建物は、悲惨な戦争があったことを忘れさせない貴重な建物だと行くたびに私はそう思うのです。
目的は桃園の桃です(ハナモモ)。24日にソメイヨシノの開花宣言があって以来、寒の戻りか、はたまた花冷えか、気温の低い日が続くので桜は最初からあきらめていた通り、1分~3分咲きで、満開は4月に入ってからの模様。
【画像は全て3枚組です。マウスオンで2枚目が、ワンクリックで3枚目が出ます】
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(2)花桃-染め分けの「源平枝垂れ」
(3)花桃-「寒緋(かんひ)」
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(2)四分咲きほどのソメイヨシノ(桃園の北側、第2寝屋川沿い)
(3)おまけのハナニラ(西の丸庭園近くで)
枝垂れ桜はソメイヨシノの後と思っていたのですが・・・
ン十年前、GWの始め頃に京都の円山公園で見た枝垂れ桜は夢か幻か。
それとも種類が違うのか・・・。
※枝垂れにも早咲きや遅咲きといったいろんな種類があるようですね。
私は桜の中の一つの種類として枝垂れ桜があるんだと、そう思っていました。
お恥ずかしい・・・穴があったら入りたい。
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秀吉が築城した大阪城は大阪夏の陣で焼失。その後徳川幕府によって再建されたが1665年に落雷で天守閣を焼失。以降天守閣の無い大阪城となった。
現代の天守閣は昭和6年(1931)に市民の寄付によって再建されたもので鉄筋コンクリート製。戦火をくぐって今に至る。
戦時中、米軍は陸軍の大阪の拠点となっていた大阪城内を爆撃し破壊しつくしたが天守閣だけは避けた。京都市内の神社仏閣を爆撃しなかった理由と同じかもしれない。
(2)旧陸軍第四師団司令部跡
大阪城天守閣のすぐ斜め横(南東)に隣接していたために爆撃できなかったものと思える。
明治以降、大阪城内は旧陸軍に占領され市民は立ち入ることさえできない遠い存在となっていた。ここに当時日本最大の軍需工場といわれた大阪砲兵工廠(おおさか ほうへいこうしょう)があった。今の大阪城ホールのある辺りらしい。天守閣の北東辺りに位置する。
昭和20年8月14日、終戦の前日に米軍の大空襲によってこの砲兵工廠の施設のほとんどが破壊された。この時、大阪城そばの京橋駅から片町周辺も爆撃され多くの犠牲者が出た。戦後、砲兵工廠があった辺りは不発弾が多く埋もれている危険地域として20数年もの間更地のままだった。(以上の内容はWikipediaを参照して自分なりに書いたもの)
ちなみに現在の京橋から片町周辺は高層ビル群が建ち並ぶ大阪ビジネスパーク(OBP)に変貌した。桃園のバックに映っている高層ビル群がそのビジネスパーク。
大阪城すぐ横に建つこの「第四師団司令部」跡の建物を見あげる時いつも思う。天守閣のお陰で安全を保証された建物の中で陸軍関係者は悲惨な空襲の光景をどのような思いで見ていたのだろうと。
戦後、この建物は大阪府警(大阪市警視庁を経て)から大阪市博物館となり、その博物館は「大阪歴史博物館」となり大阪NHKの隣に移る。現在は何にも利用されていない。一般人は中に立ち入ることさえできない。外から覗ける地下1階の窓の一部にはガラスが割れガムテープらしきもので補修した窓もいくつかあった。
(3)大阪城の表玄関口ともいうべき「大手門」
この大手門の前は公園になっていて、公園から道路(上町筋)を挟んで、大阪府警、大阪府庁が並び、斜め前には、大阪歴史博物館があります。
大阪城公園の花桃鑑賞から随分と重い内容で終わってしまいご容赦ください。
大阪城天守閣脇にある旧陸軍第四師団司令部跡の古い建物は、悲惨な戦争があったことを忘れさせない貴重な建物だと行くたびに私はそう思うのです。
昨日は京都の八坂さんから円山公園の花見に出かけました。
京都もどこからこれだけ寄ってくるのかと思うほどの人出で参りました。
大阪城公園の桜は七分咲きでしたか。
京都はもう満開で花びらがチラチラと舞っていましたよ。
旧陸軍第四師団司令部が爆撃されずに残ったのは当時米軍にもピンポイント爆撃ができなかったからということを以前に教えて戴いたことを覚えています。
紀州御殿の話は知りませんでした。失火で全焼とは残念なことですね。
本丸広場(というんですね)の西端というと、カワセミがやってくると聞いた池のある庭園でしょうか。ここはじっくりと見学したことがありません。今度行った折に確かめてみます。
いつもいろいろと詳しいお話をありがとうございます。ほんと勉強になりますので厚かましいですがこれからもよろしくお願いします。
私は桃園側からお城へ入ります。昨日、桜は七分咲きぐらいでしたが、まるでウメチカを歩いているような人込みでした。
大空襲で京橋口門、伏見櫓などは無くなりましたが、天守と旧師団司令部庁舎は幸運でしたね。また、和歌山城から移築されて先代の旧師団司令部として使われた木造の“紀州御殿”も奇跡的に焼け落ちずに終戦となったそうです。
国宝であった和歌山城天守は大空襲で無くなっただけに本当に良かったのですが、戦後にお城を接収した進駐軍の失火により全焼したのが誠に残念です~!
“紀州御殿”の跡地は本丸広場となりその西端に御殿の庭園のみが残っていますが、私には少し寂しく見えてなりません。
六無斎さんちあたりのソメイヨシノはまだ二分咲きぐらいですか。
大阪は夜は相変わらず冷え込みますが、日中の暖かさでかなり咲いてきました。明日明後日の土日が見頃になりそうです。
わお、写真を誉めてくださってありがとうございます。
光の調節はデジカメにまかせてできるだけ青空をバックにして撮るようにしました。こんなにいいお天気の日は珍しかったからです。
大阪城天守閣の北方面は長い間ほったらかしにされていたようですね。砲兵工廠やその周辺の大爆撃で不発弾が埋まっていたためらしいですが、今の大阪城ホールや太陽の広場ができたのが1983年で、それまでは大阪城公園の中心は天守閣の南西側の森ノ宮方面でした。この森ノ宮公園時代は六無斎さんもよくご存知だと思います。
天守閣そばにある旧陸軍第四師団司令部の建物の正面には「大阪市博物館」の文字が刻まれており、司令部跡として少し離れた場所に記念碑があるのみです。気づきにくい場所ですね。
桃園の背景の高層ビル群は、大阪ビジネスパーク(OBP)のビル群です。京橋から片町にかけてあります。ハナモモの背景で一番目立っている青い高層ビルは「クリスタルタワー」です。ウィキペディアにも載っていますが、
http://www4.ocn.ne.jp/~crystalt/map.html
↑このサイトの地図がわかりやすいと思います。
1986年にツイン21(ツインビル)が出来てから読売テレビもここへ引越し、次々にいろんな高層ビルができました。緑濃い大阪城公園の北側にいまや高層ビルがニョキニョキと建っているのですよ。六無斎さんのおられた頃から随分と変貌したと思います。梅田辺りもかなり変わりましたし、まだこれからも変貌していくと思います。
いつの間にか新潟へ出かけてはったんですね。びっくりです~。
山野草のウォッチングですか、記事になるのが楽しみ~。
大阪城が市民の寄付で再建されたのは昭和6年ですよ。花ぐるまさんのご両親は生まれてはったとしてもまだ子供だったんじゃないですか。お祖父さん、お祖母さんなら寄付された可能性もありますけどね~。
大阪城公園のハナモモは咲き始めてからの急な冷え込みでちょっと長持ちしているようです。ハナモモが満開との情報を得て行ったのでした。まだ蕾もいっぱいあったし、ソメイヨシノとの饗宴が見られそうですね。
京都の近くに居る私より花ぐるまさんご夫妻のほうがよほどか京都にお詳しい。私にとっては京都の花見といえば嵐山です。電車ですぐに行けるので(笑)
今年はお天気さえ良ければ八坂神社の後ろの円山公園の枝垂れを見てきます。
いつもならハナモモはもう終わりの時期なのに今年は長持ちしているみたい。
花が咲いてから急に冷え込んだせいだね。
白と赤の咲き分けをする源平枝垂れは近所でも見かけるけど、一つの花がこんなに綺麗に染め分けする源平枝垂れを見たのは初めてのような気がする。きれいだよね。
ソメイヨシノはそろそろ満開に近くなってきたので明日明後日の土日は花見にもってこいだと思うけど、お天気はどうなんだろ。
Kちゃんが紹介してくれたサイトはまるで実況中継さながらやね。
この中でもやっぱり醍醐の枝垂れは見事やなぁ。
行きたいなぁ、でもここはちょっと遠い。
烏丸に用事があってその帰りの寄り道なので、鴨川沿いの桜と八坂さん、円山公園の枝垂れ桜を見に行くことにします。(高瀬川の桜もいいかな)
紹介してもらったサイトはお気に入りに入れときます。ありがとう。
こちらは昨晩の春雷が嘘のように、今日は11時頃から快晴になりました。しかし、寒さが続いたせいか、我が家の近辺の桜は二分咲きでしょうか。今度の土日が見ごろになりそうです。
あまもりさんの大阪城の花桃を始めたとした花々の素晴らしい写真に花ぐるまと一緒に感嘆の声をあげています。青空を背景にした素敵な構図は、カメラの性能もさることながら、撮影者の構図の決め方、光の調節が見事ですね。
こんな大阪城公園なら、すぐにでも出かけて散策しながら、花や風景をじっくりと撮影したいですね。
花ぐるまと昔の大阪城公園について語り合ったのですが、昔はこんなにきれいではなかったですね。大阪市も公園の整備にかなりの投資をしたのではないでしょうか。
3種の「照手白(てるてしろ)」、染め分けの「源平枝垂れ、「寒緋(かんひ)」は本当に、うっとりするほど綺麗です。花よりも撮影者の技量を讃えるべきでしょうね。
満開の枝垂れ桜も美しい!!
旧陸軍第四師団司令部跡は実はわたくしは知りませんでした。大阪城には何回も行っているのに。
ところで質問ですが、花桃の背景に大きなビルデングは、何という名の建物ですか?
素晴らしい画像をオオキニ!!
4月6日京都に花見に行きます。時間が許せば大阪城にも行きたいな!!
訪問が遅くなりました~
どの写真を見てもあまりの美しさに見とれました~
大阪城の天守閣は市民の寄付によって再建されたとか、
家の両親はまさか寄付してないとは思うものの…
花桃がみんなベッピンシャン!!
家のはもう散ってありましぇん。
あまもりさんのあまりにも美しい桃の花を見て
またまたお花見ができました。おおきに~
枝垂れ桜はいろいろ種類があって、京都の枝垂れはもう少し
色が濃く、4月10日前後でしょうね。平安神宮の枝垂れは
有名ですが~人が多くて大変、昨年行った原谷苑は
平安神宮に収めていた庭師が枝垂れ桜をその山で育てて
いた人で桜の時期だけその庭を開放しています。
今年も桜の時期にはちょっと教徒へ行きたいと思っていますが何処に行こうかと今、計画中。
東京の六義園の枝垂れ桜はもう満開が過ぎたようなので多分種類は全然違うものだと思います。
桜にもいろいろ種類があって覚えきれません。
京都の平野神社だったかな?色々な桜の花を植えてありましたよ。
桃の花も今が見頃で少し遅れたのかな。
桜よりも花色が濃い桃の花。
可愛らしいよね♪
源平枝垂れって不思議な咲き方するな~。
そういえばうちの近くにも源平枝垂れ桃が咲いてるところがあったはず。
大阪でも枝垂れ桜は満開ですね。
枝垂れ桜にもいろんな種類があって花は難しい。
あまもりさん京都へ行かれるんですかー?
京都の桜もみたいなぁ。楽しみにしてます♪
私が京都の桜を見に行く時に参考にするホームページです。
http://yuri.my.coocan.jp/kyoto/2009hana/hana2009_1.htm
スイポテさんは第四師団司令部跡の建物の中に入ってるんですか。
この建物には「大阪市博物館」の文字がいまだにあります。
この文字が歴史を感じさせるような古さなので、戦前から博物館だったような感じをさせますね。はい、割れた硝子はガムテープで補修してあるだけでした。それも1枚だけでなく数枚ありました。
ピース大阪は行ったことありませんが前はよく通ります。
このピース大阪をこの司令部跡に入れればいいのにとも思っています。
砲兵工廠との関わり、びっくりです。
旦那様のお父様、終戦までここに居なくて良かったと思いました。
砲兵工廠大破壊でかなりの方が亡くなったそうです。終戦を目前にして・・・。
酔歩若も書いていましたが、戦争のない平和な時代に生まれ育ったことに感謝しなければいけないなと。
これを教えてくださったのはあまもりさんと共通の知人、bobcatさんでした。
梅園には行ってもまだ桃園には行った事がないんです。
華やかに咲き乱れる桃園と、大阪大空襲の歴史的重さ。
旧陸軍第四師団司令部跡 ここに博物館があった当時、中に入っています。
今は何にも使われず、割れたガラスもそのままとは・・・
つらい思い出もちゃんと風化させないよう保存してほしいですね。
大阪城の近くには平和を願うピース大阪という施設もあるんですから。
砲兵工廠、夫の父親はそこで働いていました。
その後、戦火を逃れて島根に家族で疎開。終戦後に郷里宇和島へ戻ったということです。
戦争は人の人生を変えてしまいます。
華やかな桃の花と、暗い過去の事実。
印象深いブログになりましたね。
重苦しくなったなとちょっと後悔してたのでヤマトさんの言葉に感謝です。
今ある平和に感謝する気持ちが大事だとも思いました。
その意味でもこの旧陸軍第四師団司令部跡は大事に残しておいてほしいです。
そう、ヤマトさんの居る甲斐の国は桃の生産日本一。
果実の桃の花は桜のあとだと思っていましたがもう咲いたのもあるんですか。
あ、なるほど梅や桜にも早咲きがあるように実桃にも早生種があるんですね。
お、はるくん一家が来られているんですか。
ヤマトさんにまた嬉しい忙しさが始まったわけですね。
天気予報では甲府の明日は良いお天気のようですね。
楽しい花見を楽しんでくださいね。
枝を横に広げるもの、まっすぐ天に向かうもの、
このバラエティも多さも華やかさに貢献しているのかもしれないですね。
おみやさんのお気に入りは源平枝垂れですか。
そういえばこの桃が一番多かったように思います。
見た目で一番華やかに見えるからでしょうか。
綺麗な桃の花、その後ろの高層ビル群、澄んだ青空、白い雲。
今ある幸せに感謝しなければと、深くそう思いました。
今週末はお天気が悪いんですか?
フム、日曜日はどないやろ。京都の円山公園に出かけようかなと思ってますが。
戦後の大阪砲兵工廠跡のことを小説にしたものがあること教えてもらってました。
ヤン・ソギル作の「夜を賭けて」ですね。読みたいといいながらまだ読んでまへん。小松左京の「日本アパッチ族」も同じことを取り上げた小説なんやろか。多分そうやろね。
本屋さんで探すのが大変だったらネットで注文してみよかな。
ネット購入は送料がかかって返って高つくからなぁ。只今考え中・・・。
明治以降の大阪城は一般市民に公開されず陸軍が独占していたこと。市民の寄付で再建された天守閣にも陸軍関係の資料を持ち込んでいたので市民をシャットアウトしていたこと。今回初めてこういったことを知り、軍部は天守閣も第四師団司令部も爆撃の対象にならないことを知っていたのだと思いました。空襲下の街の阿鼻叫喚地獄を高みの見物かい!
そう、いまこうして大阪城公園を闊歩できる幸せ。梅や桃、桜を愛でられる幸せ。ほんと平和な時代に生まれて良かったと感謝しなければいけないと私もそう思います。
太平洋戦争の終盤に街を焼き尽くす焼夷弾に作戦変更し、広島・長崎の原爆投下にも関わったある米空軍高官は後にベトナム戦争の北爆作戦にも深く関わっていますね。北ベトナムを石器時代に戻してやると豪語していたという逸話も残るその軍人は当時の日本を徹底的に破壊してやろうと思っていたに違いありません。
この米軍の容赦ない空襲は確かに惨いものですが、その米軍相手に戦争を起こし、一般国民の多大な犠牲を目の当たりにしてもなおかつ戦争をやめようとせず、国民の命より国体にこだわった当時の政府、軍部に強い怒りを感じてます。
終戦日前日に砲兵工廠とその周辺の街が破壊された時、天守閣の後ろに上がる巨大な黒煙はまるで現代版大阪夏の陣のようだと、当時の毎日新聞社の社屋から見ていた人は言ったらしいです。天守閣横にあるこの第四師団司令部からもそう見えたに違いありません。国民を守れない軍隊なんて国軍とは言えない、そうも思うのです。
poloさんの仰るように、戦争資料館として残してほしいと思っています。
poloさんにみなが知るべき事実だと仰っていただいて嬉しいです。
ありがとうございました。
大阪城の歴史は本当に戦火の歴史ですね。
これを知らなかったら、桃園で楽しく過ごせることがどの位大切なんだと言う事は分からないと思います。
こちらは桃の日本一の生産地です。
早生桃の花は満開になりつつあります。
桃畑の近くのソメイヨシノは、すっかり桃の花に負けて仕舞い余り映えません。
明日は孫達と桜の公園でお花見をします。
桃の咲き揃った花が青空に映えてとても綺麗ですね
純白の照手白、染め分けの源平枝垂れ、寒緋皆良いですね中でも源平しだれがいちばんきにいりました。
戦火から免れた大坂城、そのまわりで悲惨なことが繰り返されていたことを思うと戦争のむごたらしさを感じます。そんな時代を超えて今の幸せがあるのですよね。
寒の戻りがあったせいでしょうか!?
いや気温と桜の開花の関係はあまもりさんが詳しく調べてくれた事でしたね。
でも近畿の開花宣言で大阪よりも京都の方が早かったのは不思議な気がします。
どうも気分的に納得ができないのですが、数日の違いは自然界ではどおって事ないのでしょうね。
花見は今週末だと考えておりますが、どうも天気がいまいちのようで・・・。
宴会できるかな!?
今の大阪城周辺(ビジネスパーク)は戦時中は東洋一の軍需工場がありました。
そう、あまもりさんが紹介されている大阪砲兵工廠です。
戦争末期に大空襲にあいボロボロにされてしまいました。
終戦後はしばらく手つかずの状態で放置されていて、その跡地に生活の為にクズ鉄を掘り起こす人々が出入りしていました。
これは以前にも紹介したことのある小説、ヤン・ソギルの「夜を掛けて」に当時の様子が描かれています。
今は綺麗に整備された大阪城公園も過去にはそんな悲しい出来事があった土地だという事を忘れないでいてほしいものです。
私もブログで重い話をするのは好きではありませんが、平和な時代に生まれて感謝の気持は忘れないでおきたいものです。
桜の花を愛でながらパ~っと楽しく宴会をしたいですねぇ。
大阪は1945年3月以降終戦に至るまで10回近く空襲に遭っております。街は焦土と化し一万人以上の死者が出ております。東京は10万ですから、まだましですが。敵さん、難いね、日本家屋はほとんど木と紙で出来ておりますから、日本向け専用の焼夷弾を開発して、いつまでも燃え続けるし消え難いグリセリンを詰めた爆弾をばら撒いたのでした。ですから、死者のほとんどは焼死です。むごたらしいことをしたものだ。
大阪城を焼かなかったのは当然文化的価値が高いからですね。京都を焼かなかったのと同じ考えからでしょう。大阪城にへばりつくように建てられていた旧陸軍の司令部が焼け残ったのですね。耐震補強をして大阪大空襲の悲劇を後世に伝える施設として活用するべきですね。
戦争体験者が段々と日を追って少なくなります。「戦争だけは止めよう」と後世に伝える資料館を各地に建てるべきだと思います。貴女のブログは決して重くありません。みなが知るべき事実を書いたのでした。
桃園に着いたのは午後の1時頃で、その頃はまだ暖かく寒さは感じませんでした。青空をバックに桃の花の写真を撮っている時です。
その後、あちこちと歩いていて大手門前の公園にさしかかったのは5時過ぎ。もうその頃になると冷え込んできて寒くて。強い風のだめ押しもありました。
白と緋色の真ん中で源平が染め分けですか。
これは考えていませんでした。
ikomanokazeさんの発想は面白~い。おおきにです。
西の丸庭園の横にあった満開の枝垂れはきれいでしたが、枝垂れかたが今ひとつなのでまだ若い木なのでしょうか。
ソメイヨシノは、来週初めあたりなら間違いなく満開だと思います。
来週一週間は充分に楽しめるのではないでしょうか。
こうやって華やかな花と青空の画像を拝見していると とても震えるほどの寒さとは感じられませんね。
桃園の誓いではありませんが、三つの花桃の色が素敵ですね。 最初の照手白の白と 蜂のいる寒緋の赤が混じって染め分けの源平しだれになったのか?・・・なんて勝手な想像しながら楽しみました。
ここでもしだれ桜は満開ですね。
今年は大阪城でお花見する予定です。
あまもりさんの報告から 来週初めあたりがいいかな?
・・・と思っているのですが、
ほんと私の記事はいつもごった煮になってしまいます。
もうソロソロ花桃も終わりだと言われたのですが、行ってみてまだまだ持ちそうだ、とそう思いました。次の日曜日は花桃とソメイヨシノの饗宴が見られそうです。
「寒緋」という花桃は、枝を横に広げずに枝に沿ってびっしり咲いていました。トップの写真の3枚目の一番手前にある赤い花の木がそうです。
源平枝垂れを街路樹にするとはまた豪華ですね。
ゴミ溜めになっているような所にある桃ですね。
間違いなくMyBlogです。
あの桃の木、今年はもう花も咲かせられないほどに短く切り詰められています。このままだと枯れてしまうかもしれません。
去年紹介したあと、しばらくしてからちょっとした工事が始まり、桃の木がある場所に丸太で枠組みがされました。
この桃の木が生えている場所が廃工場となった土地のものか、市または国交省の管轄になるのかはっきりと分からなかったのですが、どうも廃工場を管理する会社のもののようです。
短く切り詰められた桃の木に今まで撮った写真の一枚をぶら下げて切らないで欲しいと訴えようかとも思いましたがそれも思いとどまりました。この場所を何かに利用しようとしているのかもしれないからです。
その哀れな桃の木の姿を毎日見て通っていますが余りにも可哀想で写真にも撮れないでいます。
一番最後の大阪城の3枚組は記事として別にしたほうが良かったのですが、大阪城内を市民が自由に闊歩できない時代もあったことを知りあえて一緒にしました。
ポージィさんが表現された桃源郷、この桃源郷の下には悲惨な戦争の傷跡があったことを自分自身が再確認したかったのです。
大阪城天守閣前のそう広くもない広場の端っこに佇む旧陸軍の司令部跡の建物。天守閣と並んでいるこの建物にはかなりの違和感を感じます。見事な建造物で荘厳なだけに尚更。固く閉ざされた扉にも不気味さを感じます。壊さずに保存し平和を記念する建物に変わって欲しいと願っています。
寒緋の桃でお食事中の虫はハチかアブかは分かりませんが長い食事でしたよ。美味しかったんでしょうね。
この寒緋、実は最初の桃園の風景の中にもあるんですよ。ワンクリックで出てくる3枚目の風景の写真で一番手前の真っ赤な木がそうです。花のアップより少し離れて全体を見るほうがまさに「緋」だと思いませんか。
ハナモモには八重が多いので華やかになるのかなぁなんて思っています。
歴史をずっと見てきたのですものね。
ハナモモ 満開ですね。
サクラやウメと違ってモモはとっても華やかな感じがしますね。
枝に沿って花がビッシリと咲く姿もすごいと思います。
ゲンペイシダレ 最近はやっていますね。
街路樹にこれを植栽している通りがあります。
寒緋と言う真っ赤なハナモモ 虫さんがご訪問中ですね。
モモといえば あのモモはどうしましたか?
ゴミ捨て場のようなところに生えていたモモ!
あれ? 違ったかな? 他のブログだったかしら??
最近 忘れっぽいので・・・
間違っていたらすみません。
浮かんでいたのですが、読み進むにつれ、今現在は平和に
花を楽しめるこの地にも、戦争の痕跡がしっかり残されている
のだと知りました。モモの背景のビル群にも…
米軍は歴史的な建造物は爆撃するのを避けたのですねぇ。
そのおかげで日本陸軍の施設がそのまま残り、今は空っぽの
建物なのですね。この中で無謀とも思える命令が下されたことも
数多くあったことでしょう。戦後他の目的で利用されながらも、
色濃く残るのは戦時中の陸軍関係の人々の様々な思いの
ような気がしてしまいました。今後もあまもりさんが仰るように
戦争を忘れさせないためのものとして保存されていくのでしょうか。
おっと、ハナモモのことに触れていませんでした。
寒緋桜へのコメントに書いてくださったハナモモの寒緋、拝見
しましたよ~ まさしく緋色ですね。ハチさん(アブさん?)が
寛いでいますね~(^^) ハナモモはやっぱり花観賞が目的
だけあってどれも華やかですね。清楚な白ですら華やかです。