今日は第55回目の安田記念でした。
安田記念は、日本ダービー創設に力を尽くされた日本中央競馬会初代理事長の安田伊左衛門氏の名前からつけられたG1競走です。
このレースで一番の思い出のある馬といえば「ヤマニンゼファー」しかいません。ヤマニンゼファーが安田記念を制したのはもう13年も前になりますが、いまだに安田記念といえばヤマニンゼファーなんです。
4歳(現3歳)のデビュー当初から足元が弱くずーっとダートばかりを走っていたのです。成績もたいしたことはありませんでした。
その馬が安田記念の前走戦ともいうべき京王杯SC(スプリングカップ)に出走しました。初めての芝で3着でした。4着にダイタクヘリオス、5着にダイイチルビー。何と当時の名マイラーと呼ばれたこの2頭を押さえての3着だったのです。
だのに本番の安田記念では18頭中11番人気。芝での実績がなかったからほとんどのファンから見向きもされなかったのです。
結果はゼファーが並み居るマイラーを押さえて1着。単勝は3,520円もつきました。2着に春の天皇賞3200mでも2着したカミノクレッセが入り、馬連は1万6,210円の万馬券。
わたし?会社の連中と名前を挙げてワイワイ言ってたのにゼファーを外した馬券を買っていたのでした
このゼファーの走りに感動し、追っかけ始めました。ゼファーは裏切ることはありませんでした。
翌年の安田記念も連覇し、無理だといわれた秋の天皇賞2000mも制した時の感動はいまだに忘れられません。
安田記念で前走戦の京王杯SCの活躍馬をピックアップするクセはこのゼファーに教えてもらったのです。
カテゴリに「競馬」を入れながら記事をひとつも書いていなかったのでこれを入れてみました。
安田記念は、日本ダービー創設に力を尽くされた日本中央競馬会初代理事長の安田伊左衛門氏の名前からつけられたG1競走です。
このレースで一番の思い出のある馬といえば「ヤマニンゼファー」しかいません。ヤマニンゼファーが安田記念を制したのはもう13年も前になりますが、いまだに安田記念といえばヤマニンゼファーなんです。
4歳(現3歳)のデビュー当初から足元が弱くずーっとダートばかりを走っていたのです。成績もたいしたことはありませんでした。
その馬が安田記念の前走戦ともいうべき京王杯SC(スプリングカップ)に出走しました。初めての芝で3着でした。4着にダイタクヘリオス、5着にダイイチルビー。何と当時の名マイラーと呼ばれたこの2頭を押さえての3着だったのです。
だのに本番の安田記念では18頭中11番人気。芝での実績がなかったからほとんどのファンから見向きもされなかったのです。
結果はゼファーが並み居るマイラーを押さえて1着。単勝は3,520円もつきました。2着に春の天皇賞3200mでも2着したカミノクレッセが入り、馬連は1万6,210円の万馬券。
わたし?会社の連中と名前を挙げてワイワイ言ってたのにゼファーを外した馬券を買っていたのでした
このゼファーの走りに感動し、追っかけ始めました。ゼファーは裏切ることはありませんでした。
翌年の安田記念も連覇し、無理だといわれた秋の天皇賞2000mも制した時の感動はいまだに忘れられません。
安田記念で前走戦の京王杯SCの活躍馬をピックアップするクセはこのゼファーに教えてもらったのです。
カテゴリに「競馬」を入れながら記事をひとつも書いていなかったのでこれを入れてみました。
私も競馬の記事、なかなか書けないんですよ。
競馬場にも時々行ってるし
テレビも見てるんですけど。
ヤマニンゼファー懐かしいですね。
彼の産駒、きっと活躍するだろうと思って
期待して待ってたんですけど
なかなか活躍馬が出てきませんね。
1児の母親である人に「ちゃん」もないだろうけど、
どうもクセで「さん」とは言えない。ごめんね。
綾小路ちゃんは、もうブログを始めて4、5年になる?
あの時は「What`s blog?」っていう感じで戸惑ったけどいまや猫も杓子もブログブログですね。
で、私も杓子になりましたまたいろいろと教えてくださいね。
競馬場へはもう6、7年足を運んでません。フリーになって返って自分の時間がとれなくなって。
そうですよね、ゼファーの産駒、頑張ってほしい。
でもSS旋風が吹き荒れて以来、SSの血が流れていない内国産種牡馬の立場は厳しいっ。