2018年8月6日。
フレンチの巨匠 ジョエル・ロブション 氏が天に旅立たれた。
いつだったか「癌を患われている」とチラと聞いていたけれど
やはり癌であったらしく スイスのジュネーブでお亡くなりに
なったとニュースがと伝えていた。
私には神々しく雲の上の上の方。
コルドンで学び、アシスタントを経て 恵比寿ガーデンプレイスに
新しくオープンする 彼のお城で働けることになった時の
夢のような出来事に足元がフワフワしている気がしたのを思い出す。
世界的に有名で 有能なフランス料理の巨匠。
恵比寿のお城は上階ではドレスコードもあって 素晴らしい空間、
下界はカジュアルなタイプのレストランになっていた。
コックだけで50名を越す大所帯。
日本で初めての彼のお城のオープンということもあって
オープンから2〜3ヶ月、本当に忙しく 毎日、始発電車で
出勤したら 終電で帰宅するのが当たり前になるような感じだった。
普段は日本人のシェフが総料理長として 全てを統括していて
私が配属されたカジュアルなレストラン部門には若き2番シェフが
居て 彼が統括していた。
2番シェフはチョット(いゃ かなり)意地悪な人で
要領の悪いタイプや 大人しい性格の人間は気に入らないらしく
何かと意地悪な仕打ちをする人だった。
私も色々、仕打ちを受けた。
コルドンで学び、アシスタントから ロクな修行をせずに
修行を大幅カットして入ってきた女子で おまけに製菓部の
シェフパティシエは コルドンで共に働いていたシェフだった為に
お隣のシェフとは 仲良しなのが気に入らなかったらしい。
嫌がらせは 仏語上級者ではない私には聞き取れない程の
早口で 仏語の指示を捲し立てるように言われるとか
かなり下働のような仕事を申し付けられたり
サボ(職場で履く 木製底のつっかけ)でギュゥゥと足を
踏まれるとかetc・・・
そんな毎日を送っていて でも私の周りの彼以外の人は
結構 みんな親切で何とか乗り越えていた日々。
その時、ご一緒したコックの中には後に札幌のJRタワーホテル
ミクニのシェフになった彼もいて 今思うと 凄い人達に
助けられていたんだなぁ、、、と懐かしくなる。
そんな ある日。本国からいよいよ、ロブション氏が
お城にやって来た。
最初は上階のレストランで 皆の仕事を見て
その後、私のいるカジュアルレストランの厨房にやって来た。
ちょうど、何かのことで2番シェフに チョットした意地悪を
された後で 厨房内の雰囲気も硬くなっていた時。
Bigシェフは敏感だった。
私の仕事は50名以上のコックの中では ごくごく小さく
幾らでも替えの効くような歯車だったけれど それでも
そんな小さな歯車さえ 動きが悪ければ全体の動きが
悪くなるのはロブション氏の本意ではなかったのであろう。
各部門を確認して 各所のコックに直に指示を出して
いよいよ私のいるサラダやアミューズを仕上げる部門にも来て
私たち3人のコックにも アレコレと指示を出してくださった。
もう、その指示を頂くだけでも 有難くて神々しかったけれど
仕上げた皿を「très bien❗️(トレビアン)」とOKの
言葉をかけて頂けたのは 毎日、仕事よりも2番シェフの
仕打ちが辛くなっていて逃げ出したくなっていた私には
神の救いの手のようだった。
私がロブション氏に接触できたのは この時が最初で最後。
勿論、私は他のシェフにも コック達にもロブション氏より
遥かに沢山、お世話になり、助けられ困難な道を歩めたので
感謝の気持ちは その方々の方が強いけれど。
でも やっぱりロブション氏は私の恩師の一人。
短い、僅かな期間であっても彼の名の下で働けたことは
私の宝物の時間でした。
シェフ❗️本当にありがとうございました❗️
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