家康の小袖が萩博物館で展示されているそうです。
家康の小袖が萩に?って不思議に思ったのですが、今日の朝日新聞の天声人語にその理由が載っていました。
文禄の役の時、親を失った女の子が保護され、小西行長夫妻が引き取り育てたそうです。
小西行長の元で洗礼を受けジュリアおたあと呼ばれていまし
関ヶ原の戦いの後に小西行長が刑死し、ジュリアは家康が侍女として引き取られ大奥の食事係に。
ジュリアには生き別れになった弟が日本にいて、萩藩の村田家に引取られていたことを知ります。
それで、弟と駿府城で会い、その時に徳川家康から小袖を贈られたようです。
その後、ジュリアは家康に改宗を強要されるのですが、それを拒み伊豆大島に流刑されてしまう。
そして、島を出た後は長崎と大阪に移り住んだようですが、どのような生活を送っていて、どのような最期だったのかは不明だそうです。
大河ドラマにジュリアが登場するかどうかは分かりませんが、遠い昔に異国に連れてこられた人がいたんですね。
戦争がなければ穏やかに人生が送れたのかもと思うと胸が痛みます。