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我が家の近くにあった、幻の亀井城?

ちょっと久々にお城の話題を。

我が家の近くにある、現多摩川の近くに位置する生田緑地の場所に昔あった『枡形山城』の話は以前ブログで取り上げたが、生田緑地と並んで、愛犬きなこを散歩に良く連れて行く場所に“王禅寺ふるさと公園”という公園がある。こちらも生田緑地よりも更に家に近く、車で10分以内で行ける至近距離だ。

しかし、どうもこの公園が城のように石垣なども有り、公園の中心がなんとなくこんもりと盛り上がっていて、広場もまるで本丸跡のような雰囲気もあって気になっていた。公園の入り口にもなんと『裏門坂』という名前の交差点もあって、もしかしてここは昔お城があったのではないかと睨み、色々と地元の歴史資料を調べてみた。すると、この王禅寺ふるさと公園自体は城跡では無いらしいことがわかったのだが、すぐ近くの丘に『亀井城』という城があったと言われていることが分かった。




亀井城があったとされるエリアは川崎市麻生区。たまプラーザと小田急線の新百合ヶ丘の間くらいにあるエリアで、近くには鶴見川も流れている丘陵地域だ。亀井城は、源義経四天王の一人であった亀井六郎の居城と伝えられている。しかし、あまり文献は残っていないらしく、城の存在に関しては謎に包まれているらしいのだ。




城跡とされる場所には、『月読神社』という神社があるというので、週末きなこを連れて行ってみた。上麻生道路近くの駐車場に車を停めて、鶴見川の支流を少し歩いて行くと月読神社の鳥居が見えてくる。





鳥居からの参道はかなり長く、その先には100段くらいの階段があり、登り切ると再び鳥居が待ち構えていた。そしてその先に、そんなに大きくは無いが、月読神社本殿があった。高台の頂上となるこの場所こそが亀井城が建っていた場所だというのだ。境内の裏にも出入り口が有り、周りには住宅や団地などが広がっている。残念ながら、月読神社の周り自体は城跡を思わせる遺構はあまり見られないが、鶴見川を望むこの丘全体が、昔城が建っていてもおかしくない雰囲気をなんとなく漂わせている。





その後、月読神社から籠口ノ池という貯水池があるらしいので、行ってみた。籠口ノ池とは形が籠状であることからこの名が付いたらしい。古くから下麻生の田畑を潤した灌漑用の溜池だったとのこと。





この池には奇妙な白蛇伝説が伝えられている。二代将軍徳川秀忠公の夫人であるあの有名な江姫が亡くなると、夜な夜な巨大な白蛇に変身して籠口ノ池に水を飲みに現れたというのだ。この伝説は江戸時代に王禅寺村は鷹狩を通じて秀忠公と縁があり、 江姫の化粧料を賄う幕府の直轄地だったことから生まれたものと思われる。




化粧料と言えば、近くには江姫にまつわる化粧面谷公園という公園も残っており、公園には歴史が説明された看板が立っていた。木々に囲まれた公園の中央は少し広くなっており、もしかすると城の二の丸、三の丸みたいな場所であったのかもしれない。近くの林を見ると空堀かと思わせるような雰囲気もあり、城跡に思いを馳せることも可能だ。





更に散歩を進めて行くと籠口ノ池から化粧面谷公園の間にも、昔この一帯が城跡であったと思わせる腰曲輪らしい平場が散見され、松の木がたくさん生えるエリアにも空堀や土塁のような跡が点在している。これは城跡としては有力な遺構とも言えそうである。





その後、住宅街を抜けてまた王禅寺ふるさと公園に戻ってきたが、やはり最初に感じた通り、ここも亀井城の一部であったのかもしれないと思えてくる雰囲気が漂う。裏門坂という名前が残っていることからも、裏の門がこの辺りにあり、櫓台や武家屋敷などもあったのかもしれない。鶴見川に面している月読神社エリアが本殿・本丸だったとすれば、こちらはちょうど裏側となるのだ。




しかし、僕の城好きもついに城跡、しかもあまり遺構などが明確に残っていない場所まで興味を持ち出す次元になってきてしまった。家の近くにこのような伝説の場所があるということも興味を持った大きな要因だが、何もないただの田舎だと思っていた多摩川と鶴見川の間に挟まれたこの地域にも、地形を活かした城があったことは充分想定される。そして江戸を目の前にした守りの要として色々と所縁のある地域だったのかもしれないと思うととても面白いのだ。
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