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【追悼】 中山美穂、ミポリンよ永遠に・・

12月6日、中山美穂が亡くなったと、突然の訃報がニュースで流れた。一瞬フェイクニュースかと思うくらい、あまりにも唐突で、にわかに信じがたいニュースだった。

中山美穂、54歳。ちょうど僕と同じ学年にあたるが、森高千里と並んで勝手に“同期”だと思える存在として応援していた。80年代のアイドルの中では、やはり個人的には80年デビューの松田聖子、花の82年組からは中森明菜、小泉今日子を一番良く聴いていたが、1985年デビュー組である中山美穂、浅香唯、本田美奈子、南野陽子、斉藤由貴の中では中山美穂が一番好きで、80年後半からは良く聴いていたのが懐かしい。この年の同期としては、本田美奈子に続く訃報となってしまったのは本当に残念でならないし、あまりにも早過ぎる旅立ちである。

アイドルが熾烈なチャート争いをしていた80年代にあって、中山美穂は他のアイドルとは一線を画した魅力を放っていた。元々は女優としてドラマなどに出演し、そのドラマ主題歌なども歌う形で役者と歌手の二刀流になっていったが、この二刀流が見事な相乗効果を発揮し、彼女の大きな武器となっていった。そんな80年代、90年代を駆け抜けた中山美穂を、歌手、そして女優の観点で追悼の想いを込めて、自分なりに少し振り返ってみたい。

1) 歌手、中山美穂

歌手としての中山美穂の活躍は実に華々しかった。80年代中盤は“アイドル中山美穂”が開花した時期だったと言える。デビュー曲の『C』でいきなり作詞: 松本隆、作曲: 筒美京平というゴールデンコンビに曲の提供を受けたが、彼女の売り出しに相当気合が入っていたことが伺える。『C』はドラマ『夏・体験物語』の主題歌となった。そして、3シングル目もゴールデンコンビによる『BE-BOP-HIGHSCHOOL』へと続き、映画主題歌として大ヒット。更に4曲目となった竹内まりや作詞・作曲の『色・ホワイトブレンド』も個人的には印象深い曲だ。

その後特に華々しかったのが、1986年から1987年にかけてリリースした4枚のヒットシングル、『ツイてるね、ノッってるね』、『WAKU WAKUさせて』、『派手!!!』、『50/50』。この4連発は今でも深く印象に残っているが、まさに中山美穂絶好調の時期で、アイドル期として最初の頂点だったように思う。今年は大谷翔平が”50/50”を達成したことにより、中山美穂の『50/50』を連想する人が多い年となったが、まさかこんな悲しい年になろうとは夢にも思わなかった。ちなみに、この曲は小室哲哉の作曲であった。

その後は角松敏生が何曲かシングルの作詞・作曲を手掛け、特に1988年の『You’re My Only Shining Star』が今までのノリノリ路線からいきなりのバラードとなり、大ヒット。この曲により、アイドル中山美穂から、“歌手中山美穂”への大きな転換期となった。

そして1990年代にも大きな中山美穂の波がやってきたが、今度はアイドルではなく、“歌手、中山美穂”に華麗なる変貌を遂げた第二の絶頂期を迎えた時期でもあった。ドラマや映画主演と絡めて主題歌を歌うことが多くなり、特に好きだったのは、ドラマ『逢いたい時にあなたはいない』の主題歌で、クリスマスソングとしても定番となった『遠い街のどこかで』、ドラマ『すてきな片思い』の主題歌、『愛してるっていわない!』もかなり印象深い。そして1992年にはWANDSとコラボした『世界中の誰よりきっと』が183万枚を売り上げ、中山美穂最大のヒット曲となった。今でもカラオケの定番曲だ。1994年には主演ドラマ『もしも願いが叶うなら』の主題歌『ただ泣きたくなるの』もヒットしたが、この曲も切ないバラードとして個人的には忘れがたい曲だ。

2) 女優、中山美穂

女優、中山美穂も実に華々しかった。やはり印象深いのは1985年のデビュー作『毎度おさわがせします』、そして1987年に後藤久美子と共演して大ヒットした『ママはアイドル』、大鶴義丹、菊池桃子と共演した『君の瞳に恋してる』、織田裕二と共演した『卒業』、柳葉敏郎と共演した『すてきな片思い』、大鶴義丹、藤井フミヤ、風間トオルと共演した『逢いたい時にあなたはいない』、根津甚八、鶴田真由、的場浩司と共演した『誰かが彼女を愛してる』、浜田雅功と共演した『もしも願いが叶うなら』等々、次々にヒットドラマに主演して1990年代はまさに“視聴率女王”、中山美穂の全盛期だったと思う。その後も、唐沢寿明、草彅剛、飯島直子と共演した『おいしい関係』、金城武と共演した『二千年の恋』、豊川悦司と共演した『Love Story』など、2002年頃まではコンスタントにヒットドラマに主演していた。そして、キムタクと共演して大ヒットした『眠れる森』はその中でも特に好きなドラマだった。竹内まりやが歌う『カムフラージュ』が主題歌で、U2の『With or Without You』が挿入歌に使われたのが今でも強く印象に残っている。

一方映画に目を向けてみると、やっぱり1991年のホイチョイ三部作の第三作目、『波の数だけ抱きしめて』に主演していた“ガングロ”な中山美穂が印象深い。また1995年の岩井俊二監督の名作『Love Letter』が強く印象に残っており、今でも僕の好きな映画のベスト20に入る名作として、彼女の演技、特に最後の『お元気ですか~!私は元気で~す!』と叫ぶラストシーンは強く心に刻まれ、今でも時々DVDを引っ張り出して観賞している名作である。

2002年に彼女は小説家の辻仁成と結婚し、フランス・パリに移住する形で、日本の芸能界から距離を置きながらも幸せな日々を当時送っていた。15年前の僕の下記ブログで中山美穂のパリでの生活を綴ったエッセイに関して取り上げていたことも懐かしく思い出された。

中山美穂、パリでの幸せと安らぎ - blue deco design lab

しかし、その後2014年に辻仁成と離婚し、次第にまた芸能活動を再開させるが、以前のような華々しい活躍までとはいかなかった。それでも音楽番組やCMで見かけることも増え、最近ではライブツアーなども精力的にこなしていた。亡くなった昨日もBillboard Osakaでのライブを予定していた。

中山美穂は、まさに僕が青春を過ごした時代に、典型的な“美人”の代表として存在していた。男性は誰もがミポリンみたいな彼女が欲しいと思い、女性はみんなミポリンみたいな顔になりたいと憧れたいたのではないかと思う。なかなか今の時代、中山美穂のように素材そのものが美女と言えるレベルはあまりお目にかかれないのではないだろうか。そのくらい今見ても若い頃の中山美穂は非の打ちどころの無い美女だった。デビュー当初はどこかクールでカッコいい雰囲気が強かったが、中盤は“理想的な彼女“としてのステレオタイプだったように思うし、ドラマを通して、そんな彼女の魅力に拍車がかかった。

こうして中山美穂の活躍を振り返ってみると、個人的にはやっぱりドラマでの彼女、そしてドラマの主題歌でヒットを飛ばす彼女の残像が強く残っているし、忘れがたいドラマも多い。そしてやっぱり映画『Love Letter』は忘れられない。またマニアックかもしれないが、個人的に彼女のアルバムを一番良く聴いていたのは1990年代で、シングルでは『Sea Paradise~OLの反乱』が結構好きだった。アルバム『Mind Game』のジャケットを飾った、水着姿のミポリンのイラストには当時興奮したものだった。

中山美穂を失ってしまった芸能界には大きな驚きと喪失感が広がっているが、本当に早過ぎる死である。2020年に発売された彼女のベストアルバム『All Time Best』を聴きながら、ドラマ・映画などをまた観賞して、中山美穂との青春の思い出に浸りたいと思う。

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