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川上未映子の最新作『あこがれ』

先月、村上春樹のエッセイ『職業としての小説家』を読んで以来、久々にまた読書熱が盛り上がってきており、その後読み始めた湊かなえの『リバース』も一気に読んでしまった。そして、また何か新刊を読みたいとこの前本屋でウロウロしていたところ、川上未映子4年ぶりの長編小説『あこがれ』が出版されていたので、衝動買いをして、早速読んでみた。ピンク色の可愛い表紙も書店で目を惹くデザインだ。



実は、川上未映子の作品を読むのは今回初めてである。芥川賞を受賞した『乳と卵』や話題となった『ヘブン』の時も、それなりに気にはなっていたが、実際に手に取って読んでみたいというところまでは行かなかった。しかし、川上未映子という作家には前からなんとなく興味を持っていた。芥川賞を受賞した時も、“若くて魅力的な女性作家が芥川賞を受賞する時代になったんだなあ”と、かなりジジ臭い独り言を言っていたのを今でも良く覚えている(笑)。こう言っては、他の女性作家には大変失礼だが(ごめんなさい)、僕の独断と偏見では、大抵の女性作家は必ずしも美人とは言い難いし、別にモデルでも女優でも無いので美人である必要も全く無いのだが、川上未映子を最初に見た時、椎名林檎にも通ずる危険な香りと怪しい目ヂカラを持っているそのルックスにもかなり惹かれ、小説家らしからぬオーラを感じた。大阪出身の彼女は、昔新地の飲み屋でホステスをやっていた異色の経歴を堂々と公表しているが、その意味では若くして良い社会勉強もしており、持って産まれた文才とも融合して作家としての個性が発揮されているのではないかと感じる。やはり作家独特の灰汁みたいなもの(まあ、これがその作家の強烈な個性になるわけだが)が、大なり小なりみんな持っており、一癖も二癖もあるものだが、川上未映子も確かな灰汁を持っている小説家である。

しかし、そんな川上未映子も、同じ芥川賞受賞作家である阿部和重と2011年に結婚し、出産という大仕事も経験して、昨年は子育てのエッセイ『きみは赤ちゃん』を出版していた。そして今回4年ぶりの長編小説となる『あこがれ』では、小学6年生の男の子の麦彦と、女の子のヘガティーが主人公。同じく小学6年生の娘を持つ自分としては、麦彦とヘガティーという思春期直前の二人が、イノセンスを抱えて大人の世界を全力で走りぬける物語設定に惹かれてしまった。恐らく、ちょうど自分の旬な興味が、この本との出会いのタイミングにぴったりとハマってしまい、無意識に本を手に取ったのかもしれない。



物語は2部構成となっており、第1部は麦彦の一人称で語られるストーリー。いつもお店のサンドイッチ売り場で見かける、目の大きい奇妙な女性、”ミスアイスサンドイッチ(と麦彦が命名)“に対して、ほのかなあこがれとも恋心とも取れる感情を抱き、そして思い切って気持ちを打ち明ける為にヘガティーと一緒に会いに行くまでを描くが、思春期前の微妙な小学生の感情や、大人から見た視点とはまた違った世界の見え方がする小学生のピュアな視点や感性を通して、不条理な大人の世界を捉えている点がとても面白いと感じた。

第2部は、麦彦の同級生の女の子ヘガティーの一人称で語られるストーリー。ヘガティーというニックネームは麦彦が付けたのだが、ある日授業中に彼女が教室でうっかり“おなら”をしてしまう。しかし、そのおならが紅茶(ティー)のような匂いがしたと感じた麦彦は、“へ”が“ティー”、ということでそれ以来ヘガティーと呼ばれるようになった。このニックネームの付け方もかなり面白い。自分が小学生の時を振り返っても思うが、小学生(特に男子は)あだ名の付け方が本当にうまい!先生や同級生の特長やちょっとした癖などを絶妙に捉え、みんなが共感出来るような何とも見事なあだ名を付ける能力は凄いし、人生の中でもある意味小学生高学年がマーケティングという観点で、最も直観的でクリエイティブでは無いかとさえ思えてしまう(人間誰もが元々クリエイティブなのだ)。そんな懐かしさを思い起こさせてくれた。



さて、ヘガティーが主人公の第2部に話を戻すと、ヘガティーの父は映画評論家の仕事をしていて、仕事柄、家にはたくさんのDVDがあり、第一部でも登場するが、麦彦を家に呼んでは一緒にアル・パチーノの映画『ヒート』を観賞したりする。興奮冷めやらぬ中、夜家に帰る時の二人の別れの挨拶が、“アル・パチーノ!”(おやすみ!みたいな意味)になっていたり、第2部ではトム・クルーズ主演の『コラテラル』を見て、麦彦もすっかりトム・クルーズが気に行ってしまったりと、ヘガティーと麦彦の間には、友情ともほのかな恋心の序章とも取れるような、微笑ましい信頼関係が次第に出来上がっていく。ヘガティーは3歳の頃病気で母親を亡くしており、それ以来お父さんだけに育てられた。しかし、ひょんなことからネットでお父さんの経歴が紹介されていた記事を見た時、前妻との間に娘が一人いるらしい(自分に取っては義理のお姉さんがいるということ)ことを知ってしまい、その事実をなかなか受入れられずに父との距離が出来てしまうが、麦彦によるアドバイスで、その“お姉さん“に会いに行こうという展開になり、まだ見ぬ家族へのあこがれを抱くようになるのだ。

ちなみに、麦彦は逆にお父さんを小さい時に亡くしており、お母さんとの母子家庭。麦彦、ヘガティー共にお互いに共感が出来る繊細な家庭事情の中で、色々なことに興味が芽生えて行く。時間的には一瞬の気持ちや出来事であったとしても、子供の目線で追うと、それはとても大きな出来事のように思える。この多感な時期に子供が何を考え、どのように大人が中心の世の中を捉えているのか、或いはその中で前に進もうとしているのかという視点で読むことが出来たのは、やはり自分にも同じ年頃の娘がいて、“娘がどのように考えているのか、感じているのか“、ということに最近特に興味を持っているからなのか。。妙に感情移入しながら読めてしまった。



第一部と第二部共に、最後何かはっきりした結論が待っているわけでは無く、ヘガティー、麦彦それぞれ思春期に揺れ動く、心の1ページとしてのスナップショットとして描かれており、そして恐らくそれぞれの出来事により大人への小さな一歩を踏み出す確かな成長物語として実感出来る。読み終わった後、少し幸せな気分になれる、とても爽やかな余韻が残る作品ではないかと感じた。しかし、第一部、第二部に共通して流れるテーマとしては、会いたい人に、会いたい時にいつでも会えるわけでは無いということ。大人になれば、益々社交辞令で“今後また飲みに行こう!”とか言っても、結局暫く会えずに何年も経ってしまい、気が付いたらもう会えない状況になってしまうようなこともありえる。会いたいと思ったらすぐ会えるわけでは無いのだ。そんな一見簡単なようで、実は容易では無いことを麦彦とヘガティーは切実な問題として捉えており、改めて共感させられた。

最後に、初めて川上未映子の小説を読んだ感想として、彼女の文体にはとても勢いがあると感じた。感情がどんどんどんどん心の中で湧き上がる臨場感を、畳みかけるような文章で綴っている。また、川上未映子自身も子供が出来たことで、小説の題材としての子供にも興味が湧いたのでは無いかと勝手に想像するが、今回の『あこがれ』でもその洞察力や心に旬なテーマがうまく融合された作品になったのではないかと思う。これを機に、また他の川上未映子の作品も読んでみたいと思う。
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