先日是枝監督の最新作、『ベイビー・ブローカー』を鑑賞したことはブログで取り上げたが、女刑事役で共演していた韓国女優、ペ・ドゥナのことがすっかり気に入ってしまい、彼女が以前是枝監督の『空気人形』という映画に主演しているということを知り、早速ブルーレイを購入して観賞した。2009年の作品だが、何とも刺激的な映画であった。テーマといい、ぺ・ドゥナの役柄といい、かなりキワドイ映画ではあったものの、観終わった後に何ともやりきれない哀しさが残る切ない秀作であると感じた。
そもそも空気人形とは、まさにラブドール(ダッチワイフ)のこと。男性の性的な欲望を満たしてくれる、あのビニール人形である。その空気人形を題材にするとは、まるでB級映画かAV作品かのようなキワドイ、チャレンジングなテーマである。
空気人形(ペ・ドゥナ)はのぞみと名付けられており、古びたアパートで秀雄(板尾創路)いう男と暮らしていた。空っぽな、誰かの“代用品”。しかし、ある日のぞみは本来持ってはいけない『心』を持ってしまう。秀雄が仕事に出かけると、メイド服のコスチュームを着て、街へと繰り出して色々と人間のことを学んでいく。メイクの無料体験で、体の繋ぎ目を目立たなくする術を知り、コンシーラーの試供品を貰う。服が好きになり、ファッションにも目覚めていき、歳を取るというのはどういうことかなども次第に学んでいくことで空気人形である自分の存在に苦悩する。そして、初めて見る外の世界で、色々なものを抱える人々とすれ違いながら、繋がっていくのぞみ。ある日、レンタルビデオ店で働く純一(井浦新)と出会い、その店でアルバイトをすることに。
やがてのぞみはバイト中に手を釘に引っかけてしまい、空気が抜けてフロアでしぼんでしまう。そんなのぞみを、純一は少し驚いたものの、お腹の穴から空気を吹き込んであげてのぞみは復活する。純一に空気(息吹)を吹き込まれたことで密かに純一に想いを寄せていたのぞみは益々純一のことが好きになるが、心の中にどこか自分と同じ空虚感を純一に感じてしまう。純一は最愛の人をどうやら亡くしているようで、その意味でのぞみと同じようにどこか空っぽな心で毎日を過ごしていたのだ。
『心』を持ってしまったのぞみは色々と知ってしまい、自分が人間のような誕生日がないことに失望感を抱き、空気人形を製造した会社を訪れ、そこで生みの親(オダギリジョー)と出会う。のぞみは会社で役目を終えた多くの空気人形を目にするが、“人間は燃えるゴミだが、空気人形は燃えないゴミ”であることを知らされる。
のぞみと純一の距離が縮まったある日、純一の願いならなんでも聞くというのぞみに対して、純一は一度のぞみの空気を抜いて、また空気を入れさせてほしいとお願いし、純一のことが好きなのぞみは受け入れる。二人は結ばれるが、空気を入れて貰って産まれて初めて心と体が満たされたのぞみは、同じ空虚感を持つ純一にも同じような気持ちを味わって貰いたいとお腹に穴をあけて空気を抜こうとするが、人間である純一からは血がお腹から溢れだし、そしてついに亡くなってしまう。しかし、純一は傷みにも耐えるかのようにのぞみを受け入れるかの如く、静かにその最後を迎える。まるで望んでいたかのように。ある意味、彼は純粋なのぞみとこうなると見越していて、自分で命を絶つことを決めていたのではないだろう。
のぞみは亡くなった純一をゴミ袋に入れ、燃えるゴミの日にゴミ置き場に出す。そして、純一を亡くしたのぞみも、燃えないゴミの日に、ゴミ置き場でその役目を終える。何とも悲しく、切ないロミオとジュリエット的なラブストーリーだが、最後に彼女の微かな思いが、すれ違い、繋がった人たちにたんぽぽの綿毛となって漂って行くラストで、この世に生きる空虚感を持った人々にほのかな希望を残して映画は終わる。
この映画、冒頭はいきなりぺ・ドゥナのヌードシーンがたくさん出てきたり、ラブドールとセックスをするエロティックなシーンなどがあり、何ともB級でヤバいテーマの映画だと一瞬思ってしまったが、次第に空気人形を演じるペ・ドゥナの何とも美しい顔やスタイルの造形に見入ってしまい、その魅力にどんどん引き込まれていく。
『ベイビー・ブローカー』で観たぺ・ドゥナは、かなり地味な役柄だったにも関わらず、その美しさは隠しきれなかった(少なくとも僕はそう思った)。そして遡ること13年も前に同じく是枝監督と撮っていた『空気人形』のペ・ドゥナはその若さと美しさは目を見張るものがあった。本当に可愛いのだ。最初に『空気人形』を観てから、『ベイビー・ブローカー』を観たファンは、きっと大人の魅力を身に付けたぺ・ドゥナにきっと歓喜したことであろう。
最初はちょっと色眼鏡で観だしてしまった映画『空気人形』だが、そして、やがて彼女の哀しい生い立ちを知るにつれ、ラブドールという形を借りているものの、人間誰もが抱える悩みを彼女が象徴していることで次第に感情移入していく自分がいた。その意味で、実はこの映画は『ピノキオ』やスピルバーグの『A.I.』にも通じるテーマで、人間の心を持ってしまった人形が苦悩する姿は本当に切ない。残念ながら、最後は人間となったピノキオとは異なり、空気人形の彼女はモノとして役割を終え、悲しい最後を遂げてしまう。人形が人間のように心を持ち、街を歩き回るという普通ではあり得ない不思議なファンタジー映画とも言える作品だが、のぞみを通して都会に生きる空っぽな人間にスポットを当てている点がなかなか秀逸で、独特な人間模様と世界観を創り上げた作品であった。さすが是枝監督である。