(*ネタバレありにて、これから映画を観賞される方はご注意下さい!)
10/12 (金)から日本でも上映が始まった『ジョーカーフォリ・ア・ドゥ(以降、ジョーカー2)』を、週末のレイトショーで早速観賞した。2019年に公開され、世界に衝撃を与えたあの『ジョーカー』の続編となる作品として公開前から世界で大きな注目を浴びてその内容は賛否両論となっているが、その是非を自分でも確かめたいというのもあって、楽しみにしていた。
『ジョーカー』に関しては、2019年の公開当時に観賞した際の感想をブログにアップしているので、詳細は下記リンクをご参照願いたい。この映画の公開後、映画に助長される形で様々な模倣犯罪などが世界で起こったという、まさにダークで負のエネルギーに満ちた問題作となり、大きな社会問題になったほどのインパクトをもたらした。その意味でも続編にも警戒する向きも多くあった中での公開である。
狂気と哀愁に満ちた最高傑作、『ジョーカー』ついに公開! - blue deco design lab (goo.ne.jp)
『ジョーカー』は衝撃的で斬新な映画だった。DCコミックスで一番有名なヴィラン、バットマンの宿敵であるジョーカーを主人公に据えた映画ということで、どこかヒーロー系のアクション作品なのかと思いきや、そんなことを全て忘れてしまうような内容の濃い、シリアスドラマでだったことに当時まず驚いた。そしてジョーカーの悲惨な生い立ちが明らかになり、視聴者全員がジョーカーに感情移入し、共感してしまうという、当初は全く予想していなかった新たなダークヒーローが誕生した瞬間であった。人間なら誰でも感じたことがある世の中の不条理に対する不満や怒りを、ジョーカーが代弁してくれているような痛快さがあり、ジョーカーにのめり込み、熱狂していく感覚も理解出来る部分があったのだろう。結果、映画はホアキン・フェニックスの代表作となり、アカデミー賞主演男優賞などを受賞した傑作として映画史に刻まれることになったことは言うまでもない。
今回の『ジョーカー2』も前作同様、監督はトッド・フィリップス、ジョーカー役はホアキン・フェニックスが続投。当然、今回はあの問題作『ジョーカー』の続編ということで、恐らく誰もが前作を超える、一段と狂気に満ちた危険な映画となっていることをどこかで期待していたのではないかと思う。正直僕もそうだ。ジョーカーの怒りが再び爆発し、今回もまた多くの殺人を犯し、ジョーカー信者を世の中に増やし続け、世界を新たな狂乱に陥れていくのだろうと想定していた。しかし、前作を超えるには相当なインパクトが必要だろうし、中途半端な狂気では駄作となってしまうリスクも同時に感じていた。観る前の予想としては、レディー・ガガが共演することと、タイトルの『フォリ・ア・ドゥ』というのは2つの狂気という意味からしても、ジョーカーが新たな女性版ジョーカーという“相棒”を手に入れることで狂気もパワーアップしていくものだろうくらいにしか思っていなかった。
しかし、今回観賞し終わった後、この映画が賛否両論となっていることに思わず納得してしまった。僕の期待は良くも悪くも見事なまでに裏切られたのだ。なかなか奥が深く、捉え方によってはつまらない映画にも、最高の映画にもなりうる作品。そういう意味で、監督のトッド・フィリップスはまたもや“問題作”を世に送り出したというのが率直な感想だ。
正直僕も映画を観終わった瞬間は、ちょっと期待を裏切られた感覚でシネコンを後にした。しかし、家に帰って改めて映画を振り返ってみると、“そうか、そういうことか”という気づきが多く、じわじわとその意図や狙いが染みわたってくる感覚があった。ジョーカーとアーサーという二重人格に悩むアーサーが、今回初めて己の正直で純粋な気持ちを吐露する作品となったが、世界を狂気に陥れ、6人を惨殺したジョーカーとしては、迎えるべくして迎えた末路を見事に描き切ったと言える。そして、これはトッド・フィリップス監督とホアキン・フェニックスとして、前作で社会問題を引き起こしてしまったことに対する“責任”を取る形で用意した結末でもあると解釈出来る。世界の狂乱を加速させたジョーカーを自らしっかりと、正しく祀ったのだ。
『ジョーカー2』の物語は、前作から2年後に設定されている。前作のラストで逮捕されたジョーカーことアーサー・フレックは、その後精神病院に収監されていた。彼が巻き起こした事件(マレーフランクリンを生放送中に射殺したのを含め、6人を殺害)はその後テレビドラマ化され、神格化されたことで、権力に対する反抗の象徴としてジョーカーに熱狂する信者を多く創り出す事態になっていた。そして世間の注目を浴びる裁判を受けることになるアーサーだったが、ある日精神病院でリーという女性(演じるのがレディー・ガガ)と知り合い、アーサーはどんどん彼女に惹かれていく。リーもジョーカーに熱狂していた一人で、色々な手を使ってアーサーに近づき、彼の中の“ジョーカー”を再び引き出すべく企んでいたのだった。そして、リーとの出会いが裁判の展開を思わぬ方向に導いていくというストーリー。このリーという新たなキャラクターが今回の大きな鍵となっている。
また『ジョーカー2』のユニークなポイントは、リーとアーサーが歌を歌うシーンが多く、まるでミュージカル映画のようでもある点だ。前作でもアーサーがフランク・シナトラの”That’s Life” (それが人生)などを歌うシーンが若干あったが、ある意味アーサーにとって歌は感情表現の重要な要素。今回は更にその歌が大きくフィーチャーされており、しかもその歌自体により高い必然性を持たせる形で使われている。でも面白いのは、この映画が決して純粋なミュージカルではないということだ。これは一見ミュージカルのようでミュージカルではないという、全く新たな試みとも言える為、画期的な挑戦でもある。そして歌手であるレディー・ガガを起用したことで、この音楽シーンがより魅力的なものとなっているのは間違いない。実はリーとアーサーが歌うシーンの大半は、アーサー得意の“妄想”として描かれているのだが、どこまでが妄想で、どこまでがリアルなのかが一瞬わからなくなる場面もあって、意図的になかなか秀逸な描き方がされている。前回もアーサー妄想によって、同じアパートに住む女性と付き合っているシーンが登場したが、実はこれは全てアーサーの妄想であったことが、映画の終盤で判明する。今回のリーとの妄想はまさにその進化系と言える。
裁判の終盤、参考人聴取として前作で唯一アーサーの理解者として登場していた同僚の小人、ゲイリーが出廷し、同じ同僚のランドルが自分の目の前でアーサーに惨殺された際の様子を涙ながらに語るが、これも実に重要なシーン。アーサーは悲劇的で、世の中に全く認めて貰えない悲しく悲惨な生い立ちと人生を送ってきたが、常に社会からのネグレクトや差別への恐怖と怒りを感じながら生きてきたのだ。最後に母の嘘や裏切りも知ってしまったことで、それまで抑え込んでいたもう一人の悪魔的人格を抑えられなくなり、心のバランスを失っていく。自分の中にあった狂気が、もう一人の自分=ジョーカーという姿を借りて精神が解放されていくことになるのだが、そんな彼が、ジョーカーになったことで唯一の理解者であった筈のゲイリーに悲しみと恐怖を与える存在になってしまったことをここで初めて悟る。自分が一番憎んでいた筈の人間に、いつの間にか自分自身がなってしまっていたことに気づくのである。僅かに自分の中に残る“善”の心を思い出す象徴的なシーンでもあり、これが裁判のラストで、自分がこれまでの容疑を全て認め、“ジョーカーは存在しない“と宣言するシーンへと繋がっていく。リーとの出会いで再びジョーカーになりかけていたアーサーが、ついに自分の中のジョーカーと決別し、本来心の優しい男、アーサーに戻ろうとする瞬間であった。しかし、ここで残酷なのは、最後の心の拠り所として求めたリーが好きだったのはあくまでもジョーカーであって、アーサーではなかったということを知ることだ。この裁判での発言を聞いたリーはアーサーへの気持ちも冷めてしまい、彼の元を去っていく。リーを失ったアーサーは、死刑宣告を受けて失意の中で再び精神病院に収監され、以前と同じように平穏な日々を送っていた矢先、突如衝撃のラストを迎える。同じくジョーカーという存在に熱狂していた精神病院の同僚に、突然廊下で腹部をメッタ刺しにされて、アーサーは命を落としてしまうのだ。恐らく、アーサーの殺人も、誰かの筋書きのようにも感じられ、もしかすると、裏でリーが関わっていたのかも、とさえ思えてくるのだ。ジョーカーとして華々しくそのカリスマ性を発揮したアーサーの、あまりにも悲しく、地味な最後となった。これは、ジョーカーのような悪のカリスマをこの世に残してはいけないという結論であり、映画制作陣の責任として、しっかりと自ら後始末をした結果なのである。
アーサー、そしてジョーカーはこれで祀り去られたが、映画では新たな“ジョーカー”を産んでしまったことを予感させる伏線が幾つかしっかり描かれているのも忘れてはならない。一人目は、アーサーはリーと関係を持った結果、リーが妊娠したことが映画の中で触れられている。リーは頻繁に嘘をついていたので、本当に妊娠したのかはっきりしないが、映画の終盤でやっぱり妊娠してる?と思わせるようなシーンもあり、もしかするとリーによってジョーカーの狂気を継承させたジョーカージュニアが将来誕生する可能性を示唆しているかもしれない。もう一人はラストでアーサーを殺害した精神病院の男が、新たなジョーカーとなる可能性を暗示している。DCコミックス的には前作でバットマンであるブルース・ウェインの幼少時代がしっかりと描かれていたが、ジョーカーがバットマンの敵として君臨するにはちょっと歳が離れすぎているのではないかという指摘もあり、次世代のジョーカーが、実際にはバットマンと対峙する可能性を考えると、この2人のどちらかがジョーカーになる可能性も充分に考えれるのだ。
またリーは、DCコミックスの悪役キャラでもあるハーレイ・クインであることが明らか。また裁判で判決が下った日、突然裁判所が何者かに爆破され、検事であったハーヴィー・デントが爆破にとって顔に大きな損傷を受けるが、後にトゥー・フェイスと化すことも暗示されるので、DCコミックスのヴィランたちがさりげなくもしっかりフィーチャーされている点も見逃せない。
『ジョーカー2』の結論として、第一作ほどの衝撃と新鮮さは無いと感じたが、派手な狂乱映画となっていなかったことで賛否を巻き起こしてしまった点も含め、僕はこの続編もかなり野心的で、正しい結末を導き出した素晴らしい作品となったように感じた。また新たに色々と考えさせられたという意味では、前作同様とても意義深い作品であったし、レディー・ガガの登用によって音楽作品としても楽しめる、見事な挑戦であったと思う。また今回もガリガリに減量して撮影に臨んだホアキンの恐ろしいまでの役者魂にはただただ脱帽である。またブルーレイがリリースされたら、2作品連続でじっくりと観賞してみたい。