・・・(前略)・・・「過去のいじめで苦しい。死にたい」という書き込みに、「どんなふうにいじめられたの。ひどいね。つらいね」というように、相手のつらさを分かろうとし、そして聞いてしまう書き込みがほとんどです。
聞いてしまうこと自体が、相手にとっては自分の苦しみを再確認することになってしまうのに。そして、最後は「私がついてます。頑張ろうね。死なないで」と答えてしまう。人は誰かに一生ついていることはできないのに。・・・(中略)・・・お願いです。人を救おうとしないでください。特にメールやネットで。絶対に救うことはできません。むしろ相手を追い込んでしまいます。人は誰でも、自分自身で自分を救わなくてはならないのです。・・・(後略)・・・
---水谷修 『こどもたちへ 夜回り先生ノート』
2008年3月3日 東京新聞(夕刊)
苦しみを語るには、共感を得られる場が必要だ。
共感とは、しようとしてできるものではない。
聞いてしまうこと自体が、相手にとっては自分の苦しみを再確認することになってしまうのに。そして、最後は「私がついてます。頑張ろうね。死なないで」と答えてしまう。人は誰かに一生ついていることはできないのに。・・・(中略)・・・お願いです。人を救おうとしないでください。特にメールやネットで。絶対に救うことはできません。むしろ相手を追い込んでしまいます。人は誰でも、自分自身で自分を救わなくてはならないのです。・・・(後略)・・・
---水谷修 『こどもたちへ 夜回り先生ノート』
2008年3月3日 東京新聞(夕刊)
苦しみを語るには、共感を得られる場が必要だ。
共感とは、しようとしてできるものではない。
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