教会堂の活け花は私の妻の担当でした。
認知症が進行しても、7年間も続けることが出来たのは幸いなことでした。
私も妻を手伝ううちに、次第に観賞する目が養われたように思います。
昨年はからついに妻はほとんど出来なくなったので、若い活け花の先生に
バトンタッチしました。妻が辞める前の一年ほどは、ほとんど私が活けていましたが、
皆さんは、認知症の妻が活けたものとばかり思っておられて、
「綺麗ですね!」「いつもありがとうございます。」などと、妻に声をかけて下さ
っていました。妻も、自分が活けていると思っていましたから、「うれしいわ!」
「良かった!」「ありがとう!」などと言っていました。
今朝、私はチャペルの花を活けて下さった女性に、花の名前を尋ねながら、
ねぎらいの言葉をかけていました。カーネーション、アスターなど色とりどりの花に混じ
って綺麗なナデシコがありました。「綺麗な撫子ですね?」と声をかけると、「撫子とカ
ーネーションを掛けあわせた、撫子カーネーションだそうです。」と教えてくださいまし
た。それを聞いた時、私の娘がまだ小学生の頃、口の悪い友人が「この父親と母親から
こんな良い娘が生まれるなんて考えられない。」と言った言葉を思い出してしまいまし
た。その娘も今はやんちゃな男の子二人を育てる、普通の女性になっています。