イスラム国による人質殺害予告に心を痛めています。私が心の痛みは、皆さまの痛みとあるいは少しちがっているかも知れません。イスラム国のテロ行為と、人の命をもって主張を通そうとし、身の代金をとろうとする、やり方は卑劣ですから、「テロ行為には断じて屈しない」というのも間違いでないと思います。
イスラム国の人道に反する暴力的な行為に、私の心が痛み、映像が事実であるなら、その犠牲となっておられると思えるお二人を想い、そのご家族や親しい方々のお心を思って心が痛みます。速やかな解放を願って祈っています。
けれどもたとえ卑劣な相手であっても、この問題を解決する方法が、武力によったり国際世論を背景に抑え込もうとするやり方が、私の心が痛む一つのことです。むしろ解決を遅らせ、さらに多くの人命だ失われるような、泥沼化を招くように思えてなりません。
センタービルがテロの攻撃の崩壊した後、米国は報復でアルカイダを攻撃するためにアフガニスタンに軍を送りましたが、多くの人命は失われましたが、本当に解決したというより、より問題が深刻化していったように思えてなりません。イスラム国もアルカイダとたもとを分かったとはいえ、同じ流れにある勢力であることを考えると、力による世界平和は困難であることは明らかで、指導者たちも、それに気が付いているはずですが、現実に迫っているテロの脅威から、自分の身を守るためには、力に頼る以外に方法がないと思えるのでしょう。そのことも国を守る立場にある人々ですから、理解できます。
私も。理不尽に殴りかかられたら、全力で身を守るでしょうし、家族や愛する人々が攻撃されても、まず守る方法を考えます。しかし、攻撃する者の理不尽を一方的に悪と決め付けて仲間の助けを得てでも、徹底的に戦うかといえばそうではありません。火に油を注ぐように、相手の怒りを助長するような、愚かなことはしないと思います。身を守りつつも、何処か争いを止める道があると信じて、努力をするはずです。声高に、テロに対する闘いだけを叫ぶだけで、他の和平の道への努力が感じられないことに私の心が痛みます。
もう一つ心を痛めていることがあります。それは2億ドルの難民支援が、イスラム国と闘う軍事的なものでなく、「人道的な支援だ」とイスラム国にいくら説明しても、説得力がないことに気が付くべきです。あるいは分かった上で、敵対する相手ではなく自分の陣営を納得させるために、人道的を強調して、相手の卑劣さを示すためかと、うがった思いをしてしまいます。
なぜ、「人道的支援」が相手に説得力がないかと言えば、イスラム国の側からすれば、敵対する側に対する支援は、人道的であろうと軍事的であろうと変わりがありません。彼らにすれば、こちらの側にも、人道的に支援されなければならない者が多くいるから、我らは戦っているのだ、ということになるでしょう。
「日本が十字軍に加わった」というイスラム国の言葉は、「敵の側に多くの支援をすると総理大臣が表明した日本は、われらの敵となる旗印を鮮明にした。」ということになるでしょう。人質を殺すというような卑劣な脅しをしているイスラム国の肩を持つことは絶対に出来ませんが、中東に対する人道的支援は、私たちにとっては当然と思えても、イスラム国の彼らを逆なでするような支援であることも、問題の解決のためには、知っておかなければいけないことだと思っています。
一方的な自己の正義の主張だけでは、解決は遠のくばかりだと私は考えています。ですから、二人の方の人命だけではなく、今後、日本もテロの標的になる恐れのある、今の危機的な状況で、政府が進めようとしている方針に心が痛みます。相手に理解を示さないまでも、戦いの相手側の事情や、心理、組織の現状などを、理解したうえで、国の指導者が発言し、行おうとしているようには、今報道されていることだけで判断する限りは、私には思えないので、心が痛みます。ついこの前に私たちが選挙で選んだ方々ですから、批判する批判は、選んだ国民の責任に帰ってくることを考えて、余計に心が痛みます。
とはいえ、総理大臣を始め政府関係者が、二人の人命を守ることを大切にし、精力的に働いている努力と行動力には敬服しています。相手があり、日本の立場があり、一旦約束した支援を取り下げることも出来ないでしょうから、解決は容易ではないでしょうが、私は国民のひとりとして、また人質になっておられるお二人を思うものとして、祈りをもって解決に向けて働いておられる方たちを応援したいと考えています。
政治的な発言は、立場上差し控えていますが、お二人の人命が盾に取られていますし、世界的なテロとの戦いの中で、日本も傍観者ではおれなくなったこの時、「剣を取るものは、みな剣で滅びます。」との私の立場を確認したいと思いこの文章を書かせていただきました。
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