ボーダーコリー 「ボルド」と「マロン」と猫の「にゃきち」And「バディ」

ボルドは虹の橋を渡り、寂しそうなマロン。そこへヤンチャ怪獣バデイを迎え、ドタバタな日々が始まりました。

心の何かが失われ、そして再スタートするために (再出発1)

2021年01月18日 | パパ猫のひとり言

パパ猫です

先日、マロンのご親戚のwanが、
急に虹の橋を渡ったことを知りました。

我が家も2013年に7才でボルドを失って
2019年には5才で元祖バディを突然失いました。

子供の頃に何かで覚えているのですが、
人であれ、動物であれ、
この世に誕生した瞬間から
皆、いつかは訪れる「死」に向かって
一生懸命に「生」を育んでいるということ。

あらためて考えなくても
「わかっているよ」と思っていました。
言い換えると「わかっていると思っていました」

その時を、
病の中で苦しんで迎えることもあると思います。
または、
病とともに苦しみながら生きて、
穏やかに「その時」を迎えることもあると思います。

ボルドが虹の橋を渡った状況は
何度もブログでお伝えしていますが、
1才の時、突然始まった「てんかん発作」から
非常に重篤で、治まらない重積発作で、
提案された「安楽死」をお断りして。
結果的に7才で虹の橋を渡った、その時まで
私たちに様々なことを伝えてくれたのだと思っています。

こんなに冷静に思えるのは
ボルドが7才で虹の橋を渡り
さらに7年が経過した「今だから」です。

彼なりの努力とマロンの看護のおかげで
長年の投薬の
いくつかの副作用の影響も感じさせないように
その後の6年間を
「命が燃え尽きる」ように
ゆっくりと燃やしてくれたのだと思っています。


もちろん、
「死」に向かい始める「その時」は
不意に始まりました。

いま思えば、
「よくある、少しの食欲減退」から
「その時」が始まりました。
そして排尿不全

最後となった数日は
少し辛そうにしていましたが、
私たちの心配をよそに
排尿のため通院した際は

(2013年 虹の橋を渡る2日前)


周囲に笑顔をふりまいて

私たちの心も救われておりました。

もちろん、この時が最後の通院とは
思ってもいませんでした。

(2013年 虹の橋を渡る2日前)


さらに、
その時が来るまで
痙攣発作がおきることもなく
「その覚悟」とボルドへの「感謝」と
優しく「彼の努力を労う時間」は持てました。


そう思わせてくれたのは、
1週間に数日は訪れる発作
それも
1日に数回の痙攣発作を見続けたからこそ
6年の月日が
「よく頑張ったね」と思わせてくれたのかもしれません。
でも、
そもそも「これで良い」なんて言える「死」は
限定的にあるかもしれませんが、
私はありえないと思っていました。
当然、完治しないまでも、
発作の間隔が開いて
「いろいろな場所へ一緒に出掛けたい」
そう思っていましたから、
喪失感からの逃避でしかないのかもしれません。


この「死」を受け入れないことより
穏やかな「その時」を迎えられたことに感謝する気持ちと
いつも笑顔だったボルドの意思を継いで
さらには、

残されたマロンの「寂しそうな表情」が
「次の一歩」を踏み出す後押しになりました。

(ボルドを空に送り出した日の夜、ボルドの布団で)

そして、
幸せのために迎えた元祖バディ
5才までの月日を思い出すことなどできないぐらい
ぐあいがわるくなってから数日間で
虹の橋を渡ってしまった我が家のプリンス



今もその喪失感を埋めることはできないでいます。
(つづく)

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