パパ猫です
前回に続いて
我が家の大切な坊ちゃん達が虹の橋を渡り
私たちが次のステップに踏み出したお話です。
ボルドが闘病の末に虹の橋を渡って、
喪失感で満たされていた心の片隅で
きっと、
虹の向こうで、
発作で苦しむことも無くなり
たくさんのお友達と
元気いっぱいに走り回っている
(2013年火葬直後の空にボルド雲に写真を重ねて)
そう考えるように思っていても
私の寂しさは、簡単には埋められず、
マーボー家みなが、
気が付くと
ボルドの事を考え、
彼に愛情を注ぎ足らなかったのではないかと
自分を責めていました。
さらに、
ボルドの闘病をしっかり看てくれていたマロン。
いろいろと我慢してもらっていましたので、
これからはマロンとたくさん遊んで
ボルドの分を加えて可愛がってゆこうと思っていました。
(ボルドが虹の橋を渡って数日後・・)
でも、
しばらくは楽しそうに遊ぶマロンでしたが、
ときおり「ふっ」と寂しそうな表情で、
「ぼーっ」と何処かを見ている事が増えてきたのです。
さらには動作や仕草も、
ゆっくり重そうにすることが増えてゆきました。
ボルドを看て来たのだから、
きっと私たち以上に、ひどく喪失感が強かったのだと思います。
(発作後の寝ているボルドの側に寄り添って)
でも、
さらに、どんどん
「深い悲しみ」に落ちて行っているようでした。
名前を呼んでも反応しないことも増えて。
ついには
ボール好きのマロンが、
投げたボールを受けずに、
目を「しばしば」させるばかりで
キャッチしなくなりました。
(ハウスの前が居場所になっていました)
「何とかしなくては」と
私たちが「我に返った」瞬間でした。
特に私は、
新しい家族を迎えることは
ボルドを否定してしまうような
罪悪感みたいな気持ちもありました。
でも、
ボルドがこんな状況を喜ぶわけがない。
マロンのためにも、
そして私達のためにも、
「明るく前進」しようと決めたのです。
マーボー家一同、
「ボルドの生まれ変わり」を探し始めて
そして、
運命を感じて迎えたプリンス!
「バディ」
「運命」って、かっこ良く言いましたが、
ペットショップで猫娘が抱いた時に
膝の上で「オチッコ」しちゃっただけなのですけどね、
猫娘は「私の膝で安心したからだ」と
「家に連れて行って欲しがっている」と彼女なりの解釈
(ペットショップでオチッコされて)
「生まれ変わり」といっても
マズル周辺のカラーは、
ぜんぜん似ていなくて・・・。
マロンのためにも迎えた
元祖バディですが、
初対面は不機嫌そうで、
慣れるまで時間がかかりそうで、
心配をしていました
でも、
そんな心配は無用でした。
そのヤンチャに振り回され始めると
私達もマロンも
徐々にからまれて・・、動かされて・・。
いつしか教育係の仕事をしていました。
元気を失っていたマロンが、
日増しに表情も生き生きと輝いて
満面の笑顔と輝きが戻り、
マーボー家にも笑顔と笑い声が戻りました。
最大量の投薬で、
発作の間隔を少しでも長くして
6年間も頑張ったボルド
大切な家族を失い、
心から「ぽっかりと」何かが無くなり
悲しいというより
寂しいというより
苦痛で「心が痛い」
だから、
何とか元気を出そうとする。
すると
より深い悲しい気持ちに苦しむ
「ボルドを失った」ってことじゃなく
いつも「心の中にボルドがいる」
(ドックランにて)
バディが
そう思わせてくれた気がしました。
(バディ 3才の頃)
しかし、
我が家のプリンスだった「元祖バディ」
「突然の旅立ち」でした、
いよいよ5才になり、
覚えた言葉の数も多くなってきて
「ボルドのように頭が良くなってくるかな」って、
そんなことを思い始めた矢先でした。
ボルドと同様でした、
食欲の減退から始まり、水分摂取の激減。
でも、
排尿不全になってゆくまでが
「あっ」という間、
たった1週間で・・、
日増しに、
はっきりと悪化がわかっていましたが、
まだ若いので、希望も持っていました。
(5才 元気なころ)
ほんの数日前まで元気だったのに・・・
5才なんて・・、これからだったのに・・
ボルドよりも短い生涯なんて・・
「くやしい」
誰にではなく「怒り」があふれそうでした。
(つづく)
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