里山の石神端書107 下仁田町西牧野・上野の道標
上野の集落に向かう林道を走っていると、上から材木を積んだ戦車のような大きな運搬車が轟音とともに下ってきました。なんとか避けることができましたが、この道は材木伐採の車しか利用していない様で、伐採現場から先の上野への道に車が入った気配はありませんでした。
黒川川の半弓集落と鏑川の大栗集落を結ぶ道の中程、上野の集落に入る場所に四角の道標が立っています。
「向/右黒川通ズ/左入山方面ニ通ズ」「大栗ニ至ル」「昭和御大典記念/大栗青年會建之」銘がある65センチの道標です。
昭和御大典は昭和3年11月に行われた昭和天皇の即位式です。これを記念して大栗の青年会が建てたものです。青年会という若者の集まりは大正時代に全国に組織され、大正から昭和にかけて山間部の青年会は山に道標や記念碑などを建ててきました。埼玉県本庄市の横隅山では、山麓の青年会が造立した「立太子記念」の道標を見ました。同じ秩父市の妙法が岳には大正11年に王滝青年団が建てた道標がありました。
ところで国土地理院の地図に集落や神社が記されている上野の集落ですが、建物の痕跡は一切無く、神社もありません。集落は消滅していました。
神社あったと思われる場所にはクリンソウの花が競うように咲き誇っているだけです。
廃車となった車と耕運機が藪に隠れていました。
(地図は国土地理院ホームページより)