里山の石神端書108 下仁田町西牧野・清水沢の百庚申の五神神名塔
百庚申には沢山の文字庚申塔が整然と並んでいます。高さはまちまちですが大型の庚申塔が多く、圧倒されます。
庚申塔の奥に建つお堂は阿弥陀堂。内部に「建治二年(1276)」の阿弥陀種字の板碑が祀られているお堂です。
最古の板碑は埼玉県熊谷市の「嘉禄三年(1227)」ですから、下仁田町清水沢の板碑も古い部類に入ります。
百庚申の入口には五神神名塔が立っています。五神は天照(あまてらす)大神、倉稲魂(うかのみたま)命、大己貴(おおなむち)命、少彦名(すくなひこな)命、埴安姫(はにやすひめ)命の五穀豊穣の神。この五神銘を五角形の石柱に入れたものが各地に造立されています。五神について『日本石仏図典』(注)から案内します。
「古典的な神々を組み合わせて、農業守護として意義づける教説や、石塔の様式は大江匡弼が1700年代の末に著した『春秋社日醮義』に基づくものと思われる」
大江匡弼(おおえただすけ)は京都の庶民学者。『春秋社日醮儀(しゅんじゅうしゃじつしょうぎ)』は作神として農村で組織された地神講、社日講など地神の起源を記した文書です。
(注)『日本石仏図典』1986年、日本石仏協会
(地図は国土地理院ホームページより)