埼玉県越生町越辺川・黒山の全洞院
澁澤平九郎(1847~1862)こと尾高平九郎は埼玉県深谷の名主の子。寺にある案内によると、平九郎の姉は明治の実業家澁澤栄一の妻で、栄一が渡欧する際に三九郎は澁澤の養子となって澁澤を名乗ります。しかし幕末に旧幕府軍の先鋒となり、官軍と衝突した飯能戦争に敗れて自害、22歳でした。
全洞院は古くは修験の寺。中世に近くにある曹洞宗の古刹龍穏寺の末寺となった小さなお寺です。平九郎の首は生越の法恩寺、骸はこの全洞院に葬られました。墓石には「明治元歳五月廿三日為所事戦/不克屠腹死時貮拾貳」とありました。
(地図は国土地理院ホームページより)
プロフィール
ブックマーク
- ホームページ・偏平足
- ブログ・偏平足にアップした山の石仏を、地方別・県別に分類して案内。
カレンダー
最新記事
バックナンバー
最新コメント
- 偏平足/羽前の石燈籠研究―置賜の月夜燈-
- 偏平足/羽前の石燈籠研究―置賜の月夜燈-
- たなべ/羽前の石燈籠研究―置賜の月夜燈-
- シモン/石仏826八溝・都山(茨城)道標
- 偏平足/里山の石神端書236 東堂山(福島県いわき市遠野町)