つくば市小田・宝篋山登山口の五輪塔
小田から続いた平坦な道は登り出した先で二俣となり、左に入ると五輪塔に出ます。鎌倉時代後期を代表する大きな五輪塔です。平安時代末期の五輪塔は東国の岩手の平泉町や福島の玉川村にも残っていますが風化が進んでいます。これに対し鎌倉後期の五輪塔の特徴は花崗岩の固い石を使ったものが出できます。小田の五輪塔もその一つでほとんど風化がみられません。これは真言律宗の忍性(1217~1303)に同行した石大工・大蔵派が持ち込んだ技法でした。大蔵派は中国宗より日本に渡り帰化した石大工・伊行末(?~1260)の子孫(伊派)に繋がる石工集団です。
現地の立つ案内では初めに基礎の部分を褒めたたえています。「基礎は側面を二区に分かち、各々に流麗な格狭間を作る。基礎上面は返花座とし、中心五葉と両端に位一葉ずつの間弁のある単弁蓮華文を各面に彫出する」。
これと同じ基礎と形の五輪塔が鎌倉の極楽寺にあります。忍性は文永4年(1267)年、時の執権の招請により小田を離れて鎌倉に入ります。住んだ寺が極楽寺。この寺に残る忍性の墓である五輪塔(高さ310センチ)は、高さは異なるものの基礎からすべて小田の五輪塔(高さ276センチ)と同じ形です。
小田の五輪塔近くには小さな五輪塔がいくつかあります。これがいつの頃のものかはわかりません。
(地図は国土地理院ホームページより)