偏平足

里山の石神・石仏探訪

里山の石神端書119 地蔵菩薩(茨城県つくば市宝篋印山)

2022年09月23日 | 里山石神端書

つくば市小田・宝篋山登山口の地蔵菩薩


 平日の小田の駐車場は車であふれていました。何か催しでもあるのかなという混み様です。20年ほど前に初めて訪ねたこの小田で、東郷重夫さんという人が一人で宝篋山の登山道を整備しているのに出会い、小田の歴史資料を送っていただいたことを思い出しました。その後登山道が整備された宝篋山には、平日でも登山者が押し寄せるようになったようです。
 800年前の鎌倉時代、この小田で慈善活動をした僧がいました。真言律宗の忍性(1217~1303)です。忍性は奈良西大寺を復興させ、ライ病患者の世話をした叡尊(1201~1290)の弟子。布教のため関東に出たのは建長4年(1252)、宝篋山の麓の小田で10数年活動しています。小田から宝篋山へ登る途中にある極楽寺跡が忍性の寺とされています。
 忍性たちには石工も同行し、五輪塔や宝篋印塔などの石造物も持ち込みました。極楽寺跡の手前に立つ龕に入った地蔵菩薩もその一つとされています。この地蔵は『日本石造美術辞典』(注)から案内します。


「地蔵像の高さ157センチで、円形頭光を薄肉彫し、右手に錫杖、左手に宝珠を持ち、沓をはく。屋根は低平で、中心に露盤を作り、軒反りは鎌倉後期様式を示し、頂上には相輪の下部破片がのっている。像の両脇に各一行として、「右為法界衆生平等利益也、檀那左衛門尉□□、承応二年(1289)己丑十一月十日造立、勧進仏子阿浄」の刻銘がある。西大寺忍性の開いた三村山関係の遺仏である」。三村山は今の宝篋山です。
(注)川勝政太郎著『日本石造美術辞典』1978年、東京堂出版



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