栃木県那須塩原市板室・大日堂の白湯山供養塔
板室は江戸時代の元禄8年(1695)に開かれた会津中街道の宿場。板室の西の那珂川支流の谷にある板室温泉はこの宿場の人たちが経営していました。宿場奥の大日堂にその人たちがかかわった道標が立っています。
山王峠越えの会津街道が災害で通行不能になったときに、急遽開かれたのが那須大峠越えのこの会津中街道でした。しかし山中の街道がすぐにできるわけはなく、それ以前に板室に大日堂を建立して三斗小屋から那須の茶臼岳に入る白湯山信仰の道があって、それを利用して街道としたようです。白湯山信仰は三斗小屋北の大峠を越えた会津にも広まり、こちらからも信仰の道があったのです。
大日堂の白湯山供養塔には種字胎蔵界大日如来(アーンク)の下に「白湯山」銘が入っています。
那須に白湯山を開いたのは那須の南山麓百村の僧・宗海とされています(注)。寛文12年(1672)のことでした。大日堂の金剛大日如来は享保12年(1727)の建立です。この大日は白湯山に納めるはずだったのですが、輸送が困難のため板室の大日に納めたそうです。この大日堂は白湯山信仰の行者が宿泊したお堂でもありました。
大日堂には那須特有の馬頭観音や庚申塔、石尊大権現、地蔵菩薩、如意輪観音などの石仏もあります。
宿場にかつて白湯山信仰の名残はまったくありませんが、一軒の玄関先に「白湯山」銘がある石道路が立っていました。
(注)田中英雄著『東国里山の石神・石仏系譜』2014年青娥書房
(地図は国土地理院ホームページより)