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この世の地獄!731部隊・南京大虐殺

2010-01-06 09:05:44 | Weblog
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全世界の究極の祈り・願い!!
「No more war!!」
「武器よ!さらば!!」


    「怨」
きけ!「マルタ・アジアの犠牲者」の叫び!
「日の丸」・「君が代」反対!!
(侵略のシンボル)(天皇賛美の歌)
新しい日本!!
「世襲の天皇制から選ばれし大統領制へ!」
(昭和天皇の戦争責任を問う。)
(時効なき戦争責任

●731部隊
『死の工場』(隠蔽された731部隊)

(シェルダン・H・ハリス著、近藤昭二訳:柏書房:1999年発行)
6章 人体実験―「秘中の秘」
         Ⅱ
陸軍省と、小泉教官のような医学界のスペシャリストたちは、石井に、彼の望むとおりの人員と物資を供給してきた。少なくとも見たところその理由というのは、彼が自らの研究から具体的な成果を上げているから、ということであった。石井の調査研究がたいていの他の研究と一線を画していたのは、彼の研究が細菌戦についての分析に人体を用いることに強く依存していた点である。東京の軍部にとっての、そして後にはアメリカとソ連双方の細菌戦研究者にとっての彼の価値とは、人体を使った細菌戦のテストから彼が直接間接に見出した事柄にあった。ある権威が鋭くも指摘したように、人体を実験材料とした彼の仕事を除けば、石井は、どの軍隊組織にとってもほとんど何の価値も興味もない存在であった。
※石井の行った人体実験は、普通の医学者なら躊躇することではなかったか?それを、積極的に推し進め、いろいろな細菌兵器を開発したのだから、並みの能力ではなかったと思うが、人道的・倫理的な面は、この部隊には全く欠如していた!!いくら戦争とは言っても余りにもむごい!!それを天皇の知っていたと私は思う!!
●南京大虐殺     
「この事実を・・・・」
(「南京大虐殺」生存者証言集:侵華日軍南京大遇難同胞紀念館/編 加藤 実/訳) (発行:ストーク、発売:星雲社、定価2000+税)
2、日本軍の狂暴な個人的虐殺
父や母の被害
李伯潜(男、77歳)の証言
(昨日の続き)その時父の李宝如が危険から抜け出て帰って来て、母の李呉氏もその時はまだ意識がはっきりしていましたが、顔を会わせてまだほとんど言葉を交わさない内に、日本軍がまた来て父を捕まえて行きました。その時母は銃で撃たれた傷がうずき出し、痛くてたまらず、地面を転げ回って、お腹の腸がみんな外へ流れ出て、父がまた戻って来た時には、母はもう世を去っていて、血だらけのべとべとで、見るに忍びないすさまじさでした。父は涙ながらに母の死骸をくるんで、ベッドに置きました。日本軍が毎日焼き殺し犯しかすめるので、隣の人たちもやられた者あり、よそに避難した者ありで、手助けしてくれる人もなく、着せる衣服もなく入れるお棺もなくで40日余りしてから、父は親戚の○伯父さんに頼んでやっと母が日本軍に殺害されたと知らせてもらい、わたしたち兄弟3人が○伯父さんに道々守られ難民区から帰って来て初めて、母の遺体をそそくさと入棺しましたが、全くその悲惨さは目も当てられませんでした。
 父はこうした災難を経験して様々な刺激に苦しみ、とうとう精神に異常をきたし、中風で床について起き上がれず、間もなく亡くなりましたが、この血塗られた深い恨みは私は永遠に忘れません。
※○は漢字に変換できない
(劉相雲と段月萍が本人の1993年12月3日の口述記録により整理)
●女たちの戦争と平和資料館
常設展(日本軍「慰安婦」問題)と特設展(転載)

特設展
証言と沈黙 加害に向きあう元兵士たち
午後1時より6時まで入館料500円 
休館 月・火
 03-3202-4633
 早稲田奉仕園AVACOビル2階
jr 高田馬場駅よりバス西早稲田下車 2分
地下鉄東西線早稲田駅歩 5分 
マッカーサー 
・北野中将(731部隊第2代部隊長)は45年3月、石井部隊長復帰に伴い第13軍軍医部長として上海へ転出、終戦後もしばらく同地にとどまった。 
この北野が帰国するのが翌46年1月9日。米軍機により単身、厚木へと降り立った。北野は早速、車で東京・丸の内のホテルへ連れられ、その日はそこに宿泊。翌10日に「有末機関」を訪れ有末精三・対連合軍陸軍連絡委員長と面会した。
有末委員長は終戦時、陸軍中将で情報部門を担当する参謀本部第2部長の要職にあった。終戦直後には厚木飛行場でアメリカ軍の先遣隊を出迎える総責任者も務めている。そして引き揚げや戦犯問題などをめぐり、連合軍との窓口役である「対連合軍陸軍連絡委員会」の委員長に就任、・・・・
有末機関を訪れた北野中将は、有末委員長から思わぬ一言を告げられた。「アメリカ軍とはもう話がついていて、戦犯になることはない」。尋問が始まる以前から、戦犯免責の段取りがついていたのである。5月開廷の東京裁判へ向けた訴追作業が大詰めを迎えるなか、最悪の事態をも想定して単身帰国した北野にしてみれば、有松の言葉は青天の霹靂(へきれき)だったであろう。・・・・
さらに不思議な出来事が続いた。北野は有松機関を訪れたその足でGHQへと向かう。そして驚くべきことに、GHQで伝えられたのはなんと、「生物戦のことは口外しないように」との一言だった。・・・・
そのトンプソンの調査が始まる前日に、同じアメリカ軍であるGHQがどうして被尋問者の北野に不可解なアドバイスをするのか。目的が戦犯訴追にしろ科学調査にしろ、敗戦国の軍事情報の収集は終戦処理の大事なプロセスである。それなのに調査対象者に「本当のことを言うな」という常識ではとても考えられないこのGHQの提言は、いったい何を意味するのか?
その背景にあったのは、おそらく日本を占領統治する駐留アメリカ軍が内包した権力の「二重構造」ではないだろうか。
サンダースやトンプソンはワシントンの意思で派遣された細菌戦の権威。軍内の地位は高く、その目的は戦犯訴追ではなく軍事データ取得のための科学調査にあり、米ソ冷戦が胎動する中で軍事戦略上の重要性を帯びていた。
一方GHQだが、トルーマン大統領がマッカーサーに「天皇および日本政府の国家統治の権限は連合国軍最高司令官としての貴官に従属する」との指令を出していたことからもわかるように、日本での地位が絶対的というだけでなく、ワシントンもその意向を最大限尊重しなくてはならない出先機関だった。
したがって、GHQが尋問前日に北野を呼び出しわざわざ箝口令(かんこうれい)を敷いたことは、トンプソンらキャンプ・デトリック組とはまったく違った思惑が、マッカーサーのGHQサイドに内在していたことを示唆している。トンプソンの狙いが部隊の実態解明と兵器データの取得にあったことは疑いない。それではマッカーサーの思惑とは?・・・・それは、731部隊の極秘情報を自分の威信を高めるためのカードとして最大限利用する、というワシントンを意識したマッカーサーの秘策である。ペストノミに代表される軍事機密をGHQの情報チャンネルに閉じ込め、独自に全容の解明を進める。その成果はワシントン凱旋の手土産とし、復権への足がかりを築く―。野心家軍人ならではのシナリオである。そしてそうした策略は、部隊の核心情報を隠し通すことで免責の温存を図りたい石井や増田、内藤らの目論見とみごとに合致したのではないか。
(『731免責の系譜』太田昌克著:日本評論社より)
昭和天皇 731 
・1930年代において、くるくる替わった日本の内閣においては役目を果たすように〔大臣職に〕任命された軍部のリーダーたちは、誰もが満州で起こっていることを認識していた。参謀本部のスタッフ〔立案者〕とその上司たちは、石井、若松、北野のプロジェクトに精通していたし、細菌兵器の開発研究を助けた。・・・・
 何千人もの、もしかしたら何万人もの陸軍の軍医や獣医、生物学者、化学者、微生物学者、技術スタッフその他の似たような職の人々が、定期的に交代で満州や〔その他の〕中国占領地に派遣されている。(731部隊には専用の飛行場があり、専用の飛行機も複数持っていた。東京⇔ハルピン間を何度も往復して情報交換や物資の輸送などをしていた。また、他の部隊との連絡にも使った。)
・軍部を除けば、外務省が平房での秘密の任務について認識していたことは確実と思われる。それは、ハルピンの日本領事館の地下室がマルタの留置場として使われていたことからも言える。
・竹田宮は関東軍の首席主計官として、満州におけるすべての細菌戦の関連施設に割り当てられる金を扱った。・・・また、平房〔の施設〕に立ち入る際には竹田宮・宮田が発行した通行証を求める必要があった。関東軍司令官もしくはその直属の部下が731部隊を訪れるときは、竹田宮自身が彼らの一行に混じって彼らをエスコートした。
(以上『死の工場(隠された731部隊)』:シェルダン・H・ハリス著、近藤昭二訳より抜書き)
※ハリスは天皇は絶対的君主ではなく、軍部に対して受身的な役割を演じたと述べている。
また、天皇は人体実験については知らなかったであろうと言っている。
 私自身はこの見解に大きな疑問を感じている。
コメント
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