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この世の地獄!731部隊・南京大虐殺

2010-10-06 12:33:33 | Weblog

日記@BlogRanking

日米間の密約はまだまだ存在する!!
全世界の究極の祈り・願い!!
「No more war!!」
武器よ!さらば!沖縄の米軍基地撤去!
               
「怨」

きけ!「マルタ・アジアの犠牲者」の叫び!
「日の丸」・「君が代」反対!!
(侵略のシンボル)(天皇賛美の歌)

新しい日本!!
「世襲の天皇制から選ばれし大統領制へ!」
(昭和天皇の戦争責任・戦争犯罪を問う。)
(時効なき戦争責任・戦争犯罪)

 広島・長崎の原爆の詩は、日本軍が中国・アジア太平洋で行った残虐行為を受けた多くの被害者の方々にも当てはまる!!
 峠三吉の詩『にんげんをかえせ』
ちちをかえせ ははをかえせ 
としよりをかえせ 
こどもをかえせ
わたしをかえせ わたしにつながる 
にんげんをかえせ
にんげんの にんげんのよのあるかぎり 
くずれぬへいわを 
へいわをかえせ 

●731部隊
『生物戦部隊731』(アメリカが免罪した日本軍の戦争犯罪)
西里扶甬子著:草の根出版:2002年発行
戦後補償裁判
細菌戦被害者たちの訴え
 2001年12月26日に第27回目の審理が行われ、この時の証人尋問を最後に、提訴以来3年半に及んだ「731部隊細菌戦被害国家賠償請求訴訟」は結審となり、判決は2002年に持ち越された。
 「東京裁判」での訴追を免れた細菌戦部隊は、今また平和憲法下の裁判所の事実認定を逃れようとしている。裁判官そのものが戦後補償裁判の歴史的意義の認識に乏しく、国の意図に左右されやすく、先例の無い決断が下しにくい実情にあるという現実を知って、私たちは危機感に襲われる。また、このような国の代理人として法廷に立つ弁護士の存在にも失望してしまう。
 一方で、歴史の真実と正義のために無償で「戦後補償裁判」を戦う一群の弁護士の存在は、歴史認識の乏しい日本国を厳しく批判し続けている国際世論に対しても、誇りうる日本人の希望の光である。また自らの加害行為を証言する「語り部たち」は日本人の良心であり、私たちにとっての救いである。しかし、体験者たちは、被害者も勇気ある加害の証言者たちも、いずれも高齢で、次々に他界している。急がなければならない。

※2005年に東京高裁の判決が下された。以下は「731部隊細菌戦被害国家賠償請求訴訟」に対する弁護団声明。(訴訟の「ホームページ」より転載)
日本人はこれからこの問題にどう取り組むかが大きな課題だと思う!!
 この歴史的事実に日本人の1人1人がどう向き合うかが問われているように思う!!

        弁 護 団 声 明
           2005年7月19日
           731部隊細菌戦被害国家賠償請求訴訟弁護団
           団長  弁護士 土 屋 公 献
1 本日、731部隊細菌戦訴訟で東京高等裁判所は、中国の細菌戦被害者180名が求めている謝罪と賠償を退ける全く不当な判決を言い渡した。私たち細菌戦弁護団は、東京高裁判決と同判決を下した裁判官らを満腔の怒りを込めて弾劾する。

2 731部隊や1644部隊等の細菌戦部隊は、侵略戦争中、中国の各地で細菌戦を実行した。例えば本訴訟で立証されたように日本軍は1940年浙江省の衢州・寧波に対し、又1941年湖南省の常徳に対しペスト菌を使った細菌戦攻撃を実行し、ついで1942年浙江省の江山にはコレラ菌を使った細菌戦を実行した。

 細菌兵器の使用は、ジュネーブ条約等の国際法にも違反するもので明白な戦争犯罪であった。また細菌戦の残虐さは、ドイツのナチズムが犯したユダヤ人虐殺と並ぶ人類史上類例のないものであった。しかるに日本は、敗戦から60年を経た現在まで、細菌戦の事実を一度も認めていない。そればかりか逆に日本は細菌戦の事実を徹頭徹尾隠蔽してきた。

 このように細菌戦問題は、日本がアジア侵略と植民地主義を反省していない点で深刻であり、また同時に現在の日本の戦争政策に直結している点で重大なのである。

3 日本政府のこのような極めて悪質な姿勢は、中国の細菌戦被害者の気持ちを踏みにじり続けてきた。原告らは、日本政府への怒りを込め人間の尊厳の回復をかけて、日本の国家責任を追及するため提訴した。原告らは、日本が細菌戦の事実を認め率先して謝罪と賠償を履行することが日中友好の実現に寄与すると信じ、裁判準備段階をふくめ10年間裁判闘争を闘ってきた。それだけに原告らは、本日の不当判決に腹の底からの怒りを爆発させている。日本政府は戦争犯罪を認めず逆に隠蔽して無法者のごとく振舞っているのに、裁判所が正義を実現できないという事態は司法の自殺行為にほかならない。弁護団は自らの使命を放棄した裁判所を徹底的に弾劾する。

4 本裁判で訴えている細菌戦被害地は浙江省と湖南省だけである。しかし、中国側の調査によれば、細菌戦被害地は、福建省、江西省、広東省、雲南省、山東省、河北省、山西省など、本訴訟の対象地以外の地域の方がもっと広範である。日本軍が中国で行った細菌戦の被害地域は、実際には驚くほど広いのである。細菌戦は、これらの地域でペストやコレラ、さらに炭疽病などの疫病を流行させ、多数の犠牲者を出したと考えられる。中国側の研究者は、犠牲者の数を数十万にのぼると推計している。また疫病の流行は、村落や家庭を破滅させ、人々から住む家を奪った。さらに細菌戦兵器に使用されたペスト菌や炭疽菌は、現在まで長期間村や都市の地域環境を破壊し続けている。このように細菌戦は、すさまじい被害を中国と中国民衆にもたらした。

5 本細菌戦裁判は、このように残虐な戦争被害をもたらした日本軍の細菌戦を初めて司法の場で裁く裁判だった。だが国は、本件訴訟で一貫して事実認否を行わず、従って細菌戦の事実を何一つ認めなかった。

 しかし周知のとおり審判の真の基準は何よりも真理であり、根底においては正義である。法の理論と解釈は、かかる真理と正義を実現するために役立つものでなければならない。

 かかる裁判の原点に立返って見れば、裁判官たちが、自分の担当する裁判で731部隊等の細菌戦部隊が行った残虐無比な戦争犯罪が目の前で裁かれているのに細菌戦の事実すら認めない悪質な国の訴訟態度を裁判所が容認してきたことは、まさに驚くべきことである。弁護団は、裁判所自身が細菌戦犯罪に加担しながら裁判を進めてきたことを強く弾劾するものである。

6 20世紀の末葉から、湾岸戦争、ユーゴ戦争、また21世紀に入って米英が主軸となってアフガニスタン戦争やイラク戦争など世界各地で戦争が引き起こされている。さらに米国は、イランや北朝鮮に対する帝国主義的侵略戦争を画策している。このような世界中で起こっている戦争の危機は、各国政府が戦争を推進しているから生まれているものである。戦争犯罪を反省しない日本の政府も、世界に戦争の危機をまき散らしている張本人にほかならない。

 日本の現小泉政府は、一方で靖国神社参拝を強行すると共に、テロ対策特別措置法、イラク特別措置法を制定して海上自衛隊、陸上自衛隊、航空自衛隊をインド洋、中東にまで派遣し、米英軍の戦争に参戦している。また日本政府は、すでに何十もの有事立法を制定して本格的な全面侵略戦争への突入を準備してきた。

 このような現実の状況下で下された本判決は、たんに細菌戦の責任を何一つ取ろうとしない日本政府の姿勢を司法的に追認しただけでなく、現在進められている9条改悪を頂点とする憲法改悪や侵略戦争と天皇制を賛美する「つくる会教科書」運動など、侵略戦争に向かう一連の反動的な動きを全面的に容認する許し難い判決である。弁護団は、このような反動判決を絶対に許すことができない。

 弁護団は、憲法9条がかかげる恒久平和と戦力放棄を実現するため、本判決が果たす悪質な役割を直視して直ちに反撃に立ち上がるものである。

 私たち細菌戦弁護団は、細菌戦裁判の原告団・支援団と共に、日本政府が細菌戦の事実を認めて細菌戦被害者に謝罪し賠償するまで、裁判闘争その他の闘いを強力に継続する決意である。
________________________________________
連絡先:弁護団事務局・一瀬法律事務所(担当事務局長・弁護士 一瀬敬一郎)
東京都港区西新橋1-21-5 電話03-3501-5558 FAX 03-3501-5565

※「731部隊被害者遺族を支える会」から以下のようなお知らせが届きました。紹介します。
           父は帰ってこなかった
          ~731部隊被害者遺族の証言~
日中戦争・アジア太平洋戦争の最中、中国ハルピンで日本軍の731部隊は、中国人などをつかまえて、人体実験をおこなっていました。その残虐な仕打ちは、日本の軍隊の中でも極秘にされていました。
 731部隊に連行されて、生きて帰った人はいません。皆、殺されています。しかし、関東軍や憲兵隊の資料などから、731部隊に連行されたことがはっきりしている人の家族は、ずっと帰りを待っていました。
 李鵬郭さんは1941年春に憲兵隊に逮捕されました。ハルピンの電信学校を卒業し、牡丹江駅に配属されました。そのまま李さんは帰ってきませんでした。家族はずっと李さんの帰りを待っていました。行方を捜しました。娘の李風琴さんはお父さんに会ったことがありません。
 今回、李風琴さんをお招きして、証言をうかがいます。


合唱:「悪魔の飽食」・・・「悪魔の飽食」を歌う全国合唱団
731部隊被害者の証言・・・李風琴さん
遺棄毒ガス被害者の訴え
731記念館・館長の話し・・・金成民さん
講演・・・森村誠一さん   
※資料代1000円


日時:11月23日(火・勤労感謝の日)18時30分~
場所:豊島区民センター(JR池袋東口下車5分)

    主催:731部隊被害者遺族を支える会
    〒160-0004 東京都新宿区四谷1-2伊藤ビル3F
    中国人戦争被害者の要求を支える会気付け
    電話03-5379-2607

●南京大虐殺   
「この事実を・・・・」
(「南京大虐殺」生存者証言集:侵華日軍南京大遇難同胞紀念館/編 加藤 実/訳)
(発行:ストーク、発売:星雲社、定価2000+税)
※『日中歴史共同研究』(2010年1月31日公表)でも明らかなように、日中戦争は日本の侵略戦争であり、南京大虐殺は歴史事実である。私達日本人は、南京大虐殺の「この事実を・・・」を謙虚に読むべきだと思う。
南京でどんなことが起こっていたのかをもっと日本人は知る必要があると思う。
今でも多くの被害者の方々はPTSDに悩んでいる!!
2、日本軍の狂暴な個人的虐殺
目撃された虐殺の凄まじさ
唐玉梅(女、68歳)の証言
 1937年の暮れのある日、夫の王作勤が米を買いに小さな店に行きました。帰って来る道で、爺さんが1人何十メートルか前を、歩いているのを見かけました。中華門外まで来ると、ちょうど日本兵が1人見張り台にいて、手を挙げて一発爺さんを打ち倒しました。王作勤が爺さんのそばに駆け寄った時、その爺さんはもう死んでいました。王作勤が家に帰って来てから事の経過を私に話したのです。

●731部隊と天皇

 欧米の帝国主義にならって、日本も中国侵略を真剣に考え、実行していった。
当時、天皇は現人神であり、日本国においては絶対の存在だった。日本人は、小さい頃から、家庭や学校で天皇を拝み、学校では教育勅語が奉読され、天皇のために死ぬことが最高の価値のように教えられた時代でもあった。当時植民地であった朝鮮や台湾の人々を二等国民とか三等国民と呼び、中国人をチャンコロと呼んで蔑視していた。また、軍医になって中国に渡れば、731部隊に所属しなくても生体解剖は当たり前のように行われていた。
 日本の傀儡政権が満州に成立すると、早速、陸軍軍医少佐の石井四郎は、満州の背陰河で人体実験を重ねながら、安くて強力な兵器(貧者の核爆弾)の開発を目指した。
 1936年、天皇の認可の下に中国ハルピンの郊外平房の広大な敷地に研究施設を作り、東京の陸軍軍医学校やその他多くの石井のネットワークと連携しながら、中国人・朝鮮人・ロシア人・モンゴル人などをマルタと称して生体実験・生体解剖などをし、試行錯誤を重ね、より強力な細菌兵器の開発を目指した。
 1938年(昭和13年)の5月には国家総動員法が発令され、京大や東大の研究者なども上司の勧めや説得により、731部隊に派遣された者もいる。731部隊は国家的プロジェクトだった。そこで開発された細菌爆弾(陶器爆弾)は中国の都市で実戦された。ペスト菌で多くの被災者を出し都市は混乱した。
 研究成果は思ったよりも上がらず、兵器の開発を急いだが、時すでに遅く、ソ連の参戦を許してしまった。
 ソ連が参戦するや否や、軍部・天皇はいち早く731部隊の証拠隠滅をはかり、建物を爆破し、収容されていたマルタを全員殺し、731部隊員を急遽日本へ戻した。
 これも戦争犯罪がばれると、天皇にもその責任が問われることになるからだ。
 731部隊にも何人かの皇族が行き来し、実際731に係わっていた皇族もいた。東条も足を運び、大元帥昭和天皇の耳にも731についての情報は入り、実際細菌戦の命令も出していた!!。
 莫大な予算をかけ、全国の優秀な医学者(京都帝大・東京帝大医学部が中心)を集めて作られた731部隊は、軍部・天皇がもっとも期待していた部隊であった!!

 マッカーサーは、軍人であった。軍事戦略に長けていた。日本軍の731部隊の細菌戦や、そこで行われている人体実験、また、アメリカ人捕虜に対する残虐行為などの情報はある程度知っていた。しかし、マッカーサーが占領統治に当たって重視したのは、そのようなことを裁くのではなく、円滑に日本統治をすすめ、将来的には日本が、アメリカの傘下に入って、共産主義と対峙する国にしようとしたのではないか?
そのためには、日本人がその当時も今もかもしれないが天皇教に洗脳されていることを利用し、昭和天皇をそのまま在位させて、その力を統治に最大限活用した。
 そして、国家的プロジェクトであった細菌兵器の開発や、731部隊で行われていた人体実験のデータを極秘裏に集め、自国の遅れている生物兵器開発に役立てようとした。
上記のことを実行するためには、天皇や731部隊員の戦犯免責が必要であったため、731部隊関係者には、最初は731部隊員の戦犯免責はマッカーサー自らが与えていたが、ソ連の介入により、アメリカ本国の了解を取るようにした。
 また、東京裁判でこの件が裁かれないように工作し、731部隊のことに関しては報道管制を敷き、天皇はじめ731部隊関係者が法廷に立つことはなかった。
 結果、天皇の戦争責任は問われることはなく、日本の生物戦の戦争犯罪も一切問われなかった。
 そして、東京裁判は、形式的なのものになってしまった。

 戦後、アメリカのキャンプ・デトリックから細菌戦のことを調査しに派遣された調査官サンダースやトンプソンの731部隊員に対する尋問する前に、GHQのG-2(参謀2部)が先手を打った。*G-2(参謀2部)が、軍事的に価値ある情報(人体実験と実戦データ)を密かに独占することを目的に、731部隊中枢幹部と陸軍高級参謀の一部との極秘の取り引きで、サンダースやトンプソンの尋問に対する供述の内容をコントロールしていた。その背後には、大統領の椅子にまで野心を燃やしていたマッカーサー将軍が、トルーマン大統領にうとまれていた化学戦部隊と共謀して、原爆に匹敵するような秘密兵器を持ちたいという願望があった。
 また、マッカーサー将軍が、8万8千人の将兵を置き去りにして、オーストラリアへ逃げた雪辱を果たし、軍人としての失地回復を図るには、日本占領・統治には失敗は許されなかった。大規模な人体実験と細菌兵器の実戦使用が明らかになれば、当然おりから進行中の東京裁判でも、重大な戦争犯罪として裁かれざるを得なくなる。そして、それはまた、極秘部隊ではあっても、天皇の軍令によって正規軍の一部となっていた細菌戦部隊(防疫給水部)の行状として、天皇の戦犯訴追という結果を招きかねない重大問題であった。それは、日本軍部が、敗戦を目前にして最後までこだわった、国体護持を危うくしかねない問題そのものであった。双方の利害はそこで完全に一致していた。*

731部隊幹部はデトリックの調査官に、人体実験の事実は隠し続け、人体実験はしていないと嘘を通した。
1947年(昭和22年)1月に、ソ連が石井ら日本にいる731部隊幹部の尋問を要求した。*この尋問要求をめぐる米ソの協議の過程で、人体実験、ノミや細菌の生産の実態など、731幹部隊員の供述が提示されたことによって、価値ある情報の独占を画策していたマッカーサー及びG-2 は、あわてて戦犯免責取り引きを含めて、ソ連の要求に対する対応を本国からの指示を仰ぐというかたちに切替えたと考えられる*。
 アメリカは731部隊幹部に約束した戦犯免責を保証し、人体実験・生物戦のデータを独占しようと、石井らと打ち合わせをする。その結果、ソ連の尋問は形式的なものになってしまった。
731部隊の戦犯追及をしていた占領軍(アメリカ)の法務局の活動はアメリカ自身の手によって強制的に中止され、詳細なデータはアメリカが独占することになり、東京裁判では731部隊のことは裁かれなかった。
 
 
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