原発再稼動反対!!
電気料金値上げ!消費税増税反対!
無駄遣いなくせ!!(原発関連・軍事費・皇室関係等)
7.16 さようなら原発10万人集会
武藤類子さん(福島県三春町)~さようなら原発10万人集会
戦争を全く反省しない国!日本!!
細菌兵器の次は原爆作るのか?
肥田舜太郎(95)、命の叫び!!
これじゃ死者(=殺された者)は浮かばれない!!
オウムのやったことと旧日本軍のやったことはよく似ている!!
サリンを撒いた!細菌を撒いた!
日中国交正常化40周年
問われる日本政府の隠蔽体質!!
問われる日本人の歴史認識!!
日本は世界で唯一、第2次大戦中、細菌兵器を実戦に使った加害国だった!!
きけ!!「マルタ・アジアの被害者」の悲痛な叫び!!
「怨」
黒い太陽731部隊
「731部隊展」20周年記念
過去からいま、未来へつなぐ
2012年7月7日 中野勤労福祉会館
過去からいま、未来へつなぐ 001(矢口仁也挨拶)
講演「戦争遺跡と歴史認識」 田中寛
講演「元731部隊陳列館館長・韓暁さんと歩いた731部隊調査」山辺悠喜子
報告・ABC企画委員会20年の歩み 三嶋静夫
報告・全国巡回展を開催した各地の実行委員から 新潟・高山弘
報告・全国巡回展を開催した各地の実行委員から 岐阜・松井英介
報告・全国巡回展を開催した各地の実行委員から 福島・塚田一敏
報告・全国巡回展を開催した各地の実行委員から 松村高夫
講演「歴史認識と遺棄毒ガス問題」 歩平
講演「歴史認識と遺棄毒ガス問題」 歩平
質疑応答
「吾、吾が罪を知る」という遺書を残して自死した東大助教授に石井らは果たして何を要求したのか?(詳しくは「細菌戦部隊と自決した2人の医学者」【新潮社】をお読みください!)
海自いじめ自殺、破棄したはずのアンケート存在
自衛隊のいじめ→自殺者毎年100人
●731部隊
新発見の金子順一論文を読み解く
奈須重雄(NPO法人731部隊・細菌戦資料センター理事)
『金子順一論文集(昭和19年)』は国会図書館京都分館に所蔵されている。博士論文として東京大学に申請され、昭和24(1949)年1月10日に医学博士号が授与された。この論文集は『防疫研究報告』8冊を合冊したものであり、防疫研究報告第1部が7論文、防疫研究報告第2部が1論文である。
金子順一は1937年から1940年4月1日(サンダースの尋問では1941年まで)の3年半の間731部隊に所属し、その後陸軍軍医学校防疫研究室に転属になった。新潟に疎開した防疫研究室で敗戦を迎え、東芝生物理化学研究所新潟支所に勤務し、その後は武田製薬株式会社光工場に就職した。
防疫研究室は1932年に東京の陸軍軍医学校に接して設置された、防疫給水部ネットワークのひとつである。
金子順一論文集には重要な点が4つある。
ひとつは731部隊が実施した細菌戦について陸軍軍医学校防疫研究室の軍医が報告していることである。井本日誌と並んで、国内から見つかった資料によって細菌戦の実施が証明された。
2点目は全く知られていない細菌戦が明らかになったことである。
3点目は陸軍軍医学校防疫研究報告の第1部であること。第1部で見つかっていたのは、平澤正欣の論文集だけである。
4点目は参考文献によって731部隊が発行していた16件の資料について、具体名が判明したことである。
「NPO法人 731資料センター 会報2号」より
●原発
原子力村をぶっつぶせ!!原発の再稼動を許すな!!まさか、日本が劣化ウラン弾を作ってはいないでしょうね?
2011年12月22日 「国の放射能の『除染に効果はない』」神戸大教授 山内知也
「瓦礫処理うけいれが東北復興にならない」
大義なき戦争「イラク戦争」に日本は間接的に加担した!!憲法9条はどこへ行ってしまったのか?
覚悟が必要です。劣化ウラン弾放射能影響「ファルージャの子供たち」
三井化学岩国大竹工場が爆発、2012年4月22日 深夜に爆音・炎上
劣化ウラン保管、地元は初耳
山口・化学工場爆発と劣化ウランについて。- 2012.04.22
■三井化学大竹工場は劣化ウラン弾の秘密工場だった
イラク攻撃で使用されている劣化ウラン弾に日本の電力会社の劣化ウランが使われている強い疑惑
やはり日本の原発は核開発目的だった!
日本はプルトニウム製造列島 福島原発事故と石原知事発言の関連は?
日本、原子力利用に「安全保障」の文言 北が「核武装合法化」と非難
(朝鮮日報日本語版) 【社説】中朝の軍事力拡大を口実に核武装目指す日本
さよなら原発10万人集会空撮
20120716 意見聴取会またも紛糾 都心では大規模反原発集会
原発意見聴取会 国民的議論に値せず
武藤類子20120330室蘭講演「福島からあなたへ
福島の悲劇に学ぼうとしない政治家を、二度とふたたび、国会に送ってはなりません(。・x・)ゝ
「さようなら原発10万人集会」に17万人について。- 2012.07.17
原発!!活断層の疑い相次ぐ!!
●南京大虐殺
「この事実を・・・・」
(「南京」市民に仕えた宣教師証言集:章開沅/編 加藤 実/訳)
(発行:ストーク、発売:星雲社、定価2200+税)
※『日中歴史共同研究』(2010年1月31日公表)でも明らかなように、日中戦争は日本の侵略戦争であり、南京大虐殺は歴史事実である。私達日本人は、南京大虐殺の「この事実を・・・」を謙虚に読むべきだと思う。
南京でどんなことが起こっていたのかをもっと日本人は知る必要があると思う。
今でも多くの被害者の方々はPTSDに悩んでいる!!
マギー
フィルム《南京暴行紀実》に付した導入と解説
フィルムの解説
2)呉昌徳は、警備司令部に属する南京警察の一員でした。12月26日に彼を兵士だったと主張する日本兵に捕らえられて、首都劇場の向かい側のところに連れて行かれました。ここに何時間かいる間に、1000人くらいの男が集められてきて、それからその人たちと一緒に、漢中門に引っ張って行かれ、そこで座れと命じられました。70人から80人一緒にされて、城門の外へ出て行かされ、そこで組ごとに機銃掃射で倒されました。呉にとって幸いだったのは、彼の組が最後に出て行ったことでした。このときまでに暗くなっていて、機銃掃射が始まった時に、すぐ倒れこんで、傷していないのに死んだ振りをしました。日本人がそれから薪を集めて、死骸を焼き始め、兵士たちがつるはしで、焚き木をかき寄せていました。ある兵士が呉に近づき、まだ息がしているのが分かって、背中をつるはしで猛然とたたき、それから焚き木を体にかぶせました。火をつけたら、行ってしまったので、呉は火が自分に燃えつく前に、焚き木の積み重ねたのから、這い出すことが出来ました。町の外側に、10日間留まらなければなりませんでしたが、城門を入ってくる3度目の試みに、乞食に変装して成功しました。この画面は2月15日に撮ったもので、そのときには、傷が実際のところ治っていました。
続きは「ノブの日記」で!!