No more war!
No more 731!
No more Nanking!
No more Fukushima!
核のゴミはどうする?
原発やめろ!!
安倍政権の原発・TPP・歴史認識で日本は破綻する!!
日本を大きく変えよう!!
七夕飾りに託す反原発 官邸前、母親ら500人訴え
【小川智】北海道から沖縄まで全国の母親ら約500人が7日、東京・永田町の首相官邸前に七夕飾りを立てて、「原発と放射線被曝(ひばく)のない社会」の実現を訴えた。
東京電力福島第一原発事故の後、九州などに避難している母子を撮影した写真家の亀山ののこさん(36)らが企画。「原発はいらない。子どもたちに安全な未来を」などと書かれた数百枚の短冊を笹竹(ささたけ)に結び、「福島で起こっていることは福島だけの問題ではない。自分の場所で声を上げ、できることをしていきましょう」と呼びかけた。
電力の大量消費!!弾丸列車リニアは要らない!!
リニア新幹線は車窓楽しめない? “土管”走り続ける計画に不満の声
「えっ、車窓から富士山が見えないの!」「駅に、待合室も切符売り場もないなんて」-。JR東海が平成39年の開業(東京-名古屋間。名古屋-大阪間は57年)をめざすリニア中央新幹線で、地上走行区間の軌道を「土管」のようにコンクリート製の防音フードですっぽり覆う計画に、沿線の自治体から不満の声が噴出している。4カ所の中間駅もできる限りシンプル化してコストカットする方針。鉄道ファンや沿線住民は、世界に誇るべきリニアの“雄姿”を楽しみにしているのだが…。(産経新聞)
<参院選>原発再稼働急ぐ自民、野党は集中攻撃…初サンデー
毎日新聞 7月7日(日)21時40分配信
参院選公示後初の日曜日となった7日、与野党9党の党首らはテレビの討論番組や街頭演説で論議を戦わせた。安倍晋三首相は原子力規制委員会の新規制基準が8日に施行されることについて「政府は廉価で安定的なエネルギーを供給する責任がある」と再稼働に積極的な姿勢を示した。原発輸出についても推進する考えを強調し、「原発ゼロ」を目指す公明党も含めた他党との違いが浮かび上がった。
首相はNHKの討論番組で「基準を満たさないと再稼働はしない。安全第一だ」として新規制基準を尊重する考えを強調する一方、原発停止の影響について「現段階ではほとんどの資源を海外に依存しているから、3兆円の赤字だ」と再稼働を急ぐ考えを示した。原発輸出では「世界で最も高い技術を持つのは日本で(海外の)引き合いが来ている。高い水準の安全を世界と共有していくべきだ」と積極姿勢を明確にした。
首相が再稼働を急ぐのは、首相の経済政策「アベノミクス」の行方にも絡むからだ。経済界は原発停止による電気料金の高騰を懸念する。成長戦略の成果を上げるうえでも再稼働を進める必要がある。
だが、有権者に再稼働への懸念が根強いことを受け、他党は慎重だ。公明党の山口那津男代表は同じ番組で再稼働について「国民、立地地域の住民の理解を得られるかどうか、慎重に判断しなければならない」と語り、与党間の温度差も見えた。山口氏は「新しい原発着工は国民の理解が得られない。『40年(廃炉)ルール』で原発はゼロになる」とも強調。「依存度を下げる」と述べるにとどめた首相との違いが際立った。首相はこの日、甲府市など3カ所で街頭演説したが、原発政策には触れなかった。
野党側は原発政策を攻めどころとみて、自民党を一斉に批判する。民主党の海江田万里代表は「原発ゼロの目標があって初めて自然エネルギーの開発などに力が入ってくる」と指摘。みんなの党の渡辺喜美代表も「原発ほどコスト、リスクが高い電源はない」と強調した。生活の党の広野允士副代表は「10年で原発ゼロ」を訴えた。
新規制基準について、共産党の志位和夫委員長は「再稼働ありきのとんでもないものだ」、社民党の福島瑞穂党首も「地震対策が不十分」と批判。日本維新の会の橋下徹共同代表は「安全基準が厳格なものとなり、原発は淘汰(とうた)される」と述べた。みどりの風の谷岡郁子代表は東京・新宿の街頭演説で「被災者を置き去りにしてはならない」と再稼働を進める政府を批判した。【福岡静哉、高橋恵子】
浦邉 力 さん 「デッドマン」 (4)
731部隊からフクシマまで、日本医学界は何の反省も無く医療が続けられている!!
日中戦争の最中、国家総動員法が施行され、医学界から多くの優秀な人材が731部隊にも行った。そこで人体実験を繰り返しながら、細菌兵器の開発を進め、中国各地で細菌戦を行い、多くの中国人や日本人にも被害を出した!!敗戦直前に、天皇の責任が問われないよう証拠湮滅のため部隊は破壊され、部隊員はいち早く日本へ帰国した。上級幹部は、アメリカに研究データを引き渡し、戦犯免責を受け、アメリカの細菌兵器開発に協力し、東京裁判にはかけられなかった。
1945年8月6日や9日の原爆投下には、医学者が動員され、天皇制護持するためのカードとして、アメリカの喜ぶような被害調査が行われ、患者の治療はほとんどされなかった。8月のうだるような暑さの中での原爆投下の惨状は、本当に生き地獄だった!!
医学者たちは、被害調査に没頭し、ほとんど被爆者の医療がなされていないとは驚きだ!!
その中で、治療とは関係ない人体実験が行われ、もしかしたら生体解剖もされていたのではないかと疑ってしまう!!
また、731部隊上級研究員たちは、医学界で出世し、重要なポストに坐ったため、731部隊の非人道的な行為は反省も謝罪もされなかった。 戦後も、人体実験が行われ、それが世間に知られるようになると、社会問題になることもあった。
1954年の水爆実験では、元731部隊員の宮川正が被曝した漁船800隻のうちの1隻「第5福竜丸」だけを問題視し、放射能の影響を過小評価した。
また、水俣病では、田宮委員会が、水俣病をもみ消し走った。
「薬害エイズ事件」では、元731部隊員内藤良一の設立したミドリ十字が問題となった。
福島第一原発の事故では、長崎大学の山下俊一を福島県立医大の副学長として派遣し、問題を起こしている。
資料を早く公開してほしい!!
日本の医学界は戦後731部隊での残虐な行為を反省することもなく、謝罪もしていていない!!
これでいいのだろうか?
731細菌戦部隊残党と長崎大学の放射線医学者たち 福見秀雄・青木義勇と長瀧重信・山下俊一
一時中止どう説明 広がる戸惑い 子宮頸がんワクチン、県内市町村
パネル集「戦争と医の倫理」
日本人中国抑留の記録7(アヘン・731・無人地区)
発行「戦争と医の倫理」の検証を進める会
発売三恵社より
731部隊の人体実験・細菌戦の実態がわかる動画3本
知ってるつもり 731部隊
闇に消えた虐殺~731部隊・細菌戦の真実(テレビ朝日「ザ・スクープ」、1997年8月
黒い太陽731部隊
これまで、「証拠がない」として細菌戦の実施を認めてこなかった日本政府の根拠が、崩れた!!
発行「戦争と医の倫理」の検証を進める会
発売三恵社より
アメリカ(占領軍)は帝銀事件の捜査に圧力をかけた!
やはり、犯人は特務機関(731部隊員か陸軍中野学校等)の人間か?
日本政府は、何時まで731部隊の資料を隠蔽するのだ!!
帝銀事件とは?
731細菌部隊と帝銀事件との真相1
"戦後最大のミステリー"「帝銀事件」(1)
"戦後最大のミステリー"「帝銀事件」(2)
"戦後最大のミステリー"「帝銀事件」(3)
(参考)高杉晋吾が語る「戦争・原発!!」
20130316 UPLAN 高杉晋吾 国策としての731部隊と原発
若松孝二監督を偲ぶ!!
若松監督、次作構想に「731部隊」あった…三女が明かす
「あさま山荘事件」実行犯を捜して(1)
「あさま山荘事件」実行犯を捜して(2)
若松孝二監督「17歳の光と影」(1)
若松孝二監督「17歳の光と影」(2)
若松孝二監督「17歳の光と影」(3)
若松孝二監督「17歳の光と影」(4)
若松孝二監督「17歳の光と影」(5)
(番外)
よど号ハイジャック事件(49年目のスクープ)
よど号事件40年目の真相2
よど号事件40年目の真相3
ショーケンという「孤独」1
ショーケンという「孤独」2
No more 731!
No more Nanking!
No more Fukushima!
核のゴミはどうする?
原発やめろ!!
安倍政権の原発・TPP・歴史認識で日本は破綻する!!
日本を大きく変えよう!!
七夕飾りに託す反原発 官邸前、母親ら500人訴え
【小川智】北海道から沖縄まで全国の母親ら約500人が7日、東京・永田町の首相官邸前に七夕飾りを立てて、「原発と放射線被曝(ひばく)のない社会」の実現を訴えた。
東京電力福島第一原発事故の後、九州などに避難している母子を撮影した写真家の亀山ののこさん(36)らが企画。「原発はいらない。子どもたちに安全な未来を」などと書かれた数百枚の短冊を笹竹(ささたけ)に結び、「福島で起こっていることは福島だけの問題ではない。自分の場所で声を上げ、できることをしていきましょう」と呼びかけた。
電力の大量消費!!弾丸列車リニアは要らない!!
リニア新幹線は車窓楽しめない? “土管”走り続ける計画に不満の声
「えっ、車窓から富士山が見えないの!」「駅に、待合室も切符売り場もないなんて」-。JR東海が平成39年の開業(東京-名古屋間。名古屋-大阪間は57年)をめざすリニア中央新幹線で、地上走行区間の軌道を「土管」のようにコンクリート製の防音フードですっぽり覆う計画に、沿線の自治体から不満の声が噴出している。4カ所の中間駅もできる限りシンプル化してコストカットする方針。鉄道ファンや沿線住民は、世界に誇るべきリニアの“雄姿”を楽しみにしているのだが…。(産経新聞)
<参院選>原発再稼働急ぐ自民、野党は集中攻撃…初サンデー
毎日新聞 7月7日(日)21時40分配信
参院選公示後初の日曜日となった7日、与野党9党の党首らはテレビの討論番組や街頭演説で論議を戦わせた。安倍晋三首相は原子力規制委員会の新規制基準が8日に施行されることについて「政府は廉価で安定的なエネルギーを供給する責任がある」と再稼働に積極的な姿勢を示した。原発輸出についても推進する考えを強調し、「原発ゼロ」を目指す公明党も含めた他党との違いが浮かび上がった。
首相はNHKの討論番組で「基準を満たさないと再稼働はしない。安全第一だ」として新規制基準を尊重する考えを強調する一方、原発停止の影響について「現段階ではほとんどの資源を海外に依存しているから、3兆円の赤字だ」と再稼働を急ぐ考えを示した。原発輸出では「世界で最も高い技術を持つのは日本で(海外の)引き合いが来ている。高い水準の安全を世界と共有していくべきだ」と積極姿勢を明確にした。
首相が再稼働を急ぐのは、首相の経済政策「アベノミクス」の行方にも絡むからだ。経済界は原発停止による電気料金の高騰を懸念する。成長戦略の成果を上げるうえでも再稼働を進める必要がある。
だが、有権者に再稼働への懸念が根強いことを受け、他党は慎重だ。公明党の山口那津男代表は同じ番組で再稼働について「国民、立地地域の住民の理解を得られるかどうか、慎重に判断しなければならない」と語り、与党間の温度差も見えた。山口氏は「新しい原発着工は国民の理解が得られない。『40年(廃炉)ルール』で原発はゼロになる」とも強調。「依存度を下げる」と述べるにとどめた首相との違いが際立った。首相はこの日、甲府市など3カ所で街頭演説したが、原発政策には触れなかった。
野党側は原発政策を攻めどころとみて、自民党を一斉に批判する。民主党の海江田万里代表は「原発ゼロの目標があって初めて自然エネルギーの開発などに力が入ってくる」と指摘。みんなの党の渡辺喜美代表も「原発ほどコスト、リスクが高い電源はない」と強調した。生活の党の広野允士副代表は「10年で原発ゼロ」を訴えた。
新規制基準について、共産党の志位和夫委員長は「再稼働ありきのとんでもないものだ」、社民党の福島瑞穂党首も「地震対策が不十分」と批判。日本維新の会の橋下徹共同代表は「安全基準が厳格なものとなり、原発は淘汰(とうた)される」と述べた。みどりの風の谷岡郁子代表は東京・新宿の街頭演説で「被災者を置き去りにしてはならない」と再稼働を進める政府を批判した。【福岡静哉、高橋恵子】
浦邉 力 さん 「デッドマン」 (4)
731部隊からフクシマまで、日本医学界は何の反省も無く医療が続けられている!!
日中戦争の最中、国家総動員法が施行され、医学界から多くの優秀な人材が731部隊にも行った。そこで人体実験を繰り返しながら、細菌兵器の開発を進め、中国各地で細菌戦を行い、多くの中国人や日本人にも被害を出した!!敗戦直前に、天皇の責任が問われないよう証拠湮滅のため部隊は破壊され、部隊員はいち早く日本へ帰国した。上級幹部は、アメリカに研究データを引き渡し、戦犯免責を受け、アメリカの細菌兵器開発に協力し、東京裁判にはかけられなかった。
1945年8月6日や9日の原爆投下には、医学者が動員され、天皇制護持するためのカードとして、アメリカの喜ぶような被害調査が行われ、患者の治療はほとんどされなかった。8月のうだるような暑さの中での原爆投下の惨状は、本当に生き地獄だった!!
医学者たちは、被害調査に没頭し、ほとんど被爆者の医療がなされていないとは驚きだ!!
その中で、治療とは関係ない人体実験が行われ、もしかしたら生体解剖もされていたのではないかと疑ってしまう!!
また、731部隊上級研究員たちは、医学界で出世し、重要なポストに坐ったため、731部隊の非人道的な行為は反省も謝罪もされなかった。 戦後も、人体実験が行われ、それが世間に知られるようになると、社会問題になることもあった。
1954年の水爆実験では、元731部隊員の宮川正が被曝した漁船800隻のうちの1隻「第5福竜丸」だけを問題視し、放射能の影響を過小評価した。
また、水俣病では、田宮委員会が、水俣病をもみ消し走った。
「薬害エイズ事件」では、元731部隊員内藤良一の設立したミドリ十字が問題となった。
福島第一原発の事故では、長崎大学の山下俊一を福島県立医大の副学長として派遣し、問題を起こしている。
資料を早く公開してほしい!!
日本の医学界は戦後731部隊での残虐な行為を反省することもなく、謝罪もしていていない!!
これでいいのだろうか?
731細菌戦部隊残党と長崎大学の放射線医学者たち 福見秀雄・青木義勇と長瀧重信・山下俊一
一時中止どう説明 広がる戸惑い 子宮頸がんワクチン、県内市町村
パネル集「戦争と医の倫理」
日本人中国抑留の記録7(アヘン・731・無人地区)
発行「戦争と医の倫理」の検証を進める会
発売三恵社より
731部隊の人体実験・細菌戦の実態がわかる動画3本
知ってるつもり 731部隊
闇に消えた虐殺~731部隊・細菌戦の真実(テレビ朝日「ザ・スクープ」、1997年8月
黒い太陽731部隊
これまで、「証拠がない」として細菌戦の実施を認めてこなかった日本政府の根拠が、崩れた!!
発行「戦争と医の倫理」の検証を進める会
発売三恵社より
アメリカ(占領軍)は帝銀事件の捜査に圧力をかけた!
やはり、犯人は特務機関(731部隊員か陸軍中野学校等)の人間か?
日本政府は、何時まで731部隊の資料を隠蔽するのだ!!
帝銀事件とは?
731細菌部隊と帝銀事件との真相1
"戦後最大のミステリー"「帝銀事件」(1)
"戦後最大のミステリー"「帝銀事件」(2)
"戦後最大のミステリー"「帝銀事件」(3)
(参考)高杉晋吾が語る「戦争・原発!!」
20130316 UPLAN 高杉晋吾 国策としての731部隊と原発
若松孝二監督を偲ぶ!!
若松監督、次作構想に「731部隊」あった…三女が明かす
「あさま山荘事件」実行犯を捜して(1)
「あさま山荘事件」実行犯を捜して(2)
若松孝二監督「17歳の光と影」(1)
若松孝二監督「17歳の光と影」(2)
若松孝二監督「17歳の光と影」(3)
若松孝二監督「17歳の光と影」(4)
若松孝二監督「17歳の光と影」(5)
(番外)
よど号ハイジャック事件(49年目のスクープ)
よど号事件40年目の真相2
よど号事件40年目の真相3
ショーケンという「孤独」1
ショーケンという「孤独」2
IMAGINE 9
09 想像してごらん、 9条がゆきわたった世界を。 Imagine, A world filled with Article 9. 文 星川淳、河崎哲 合同出版より ●ドイツと日本の違い ドイツの医学会の謝罪や脱原発はドイツ国民が「生命への畏敬の念」に目覚めたからか? それに引き換え日本の派遣社員の現状は「お前のスペアはいくらでもいる。いやならやめな!」 会社に掲げられた標語には「かけがえのない一人ひとりを大切に!」 かつて軍人勅諭にこんな言葉があったっけ!! 「死は鴻毛よりも輕しと覺悟せよ!!」、 人間を人間として見ずモノとして扱う体質!! ワタミ・渡辺会長「365日24時間死ぬまで働け」について。- 2013.06.06 Unit 731: Japan's biological force 王選と日本人の友人達 part1 カスタマー・レビューより 第二次世界大戦時の医師の責任を問う, 2002/4/29 レビュー対象商品: 人間の価値―1918年から1945年までのドイツの医学 (単行本) 現在この「人間の価値 -1918年から1945年までのドイツの医学-」は、ドイツですべての医学生に読むことが義務付けられている(?)著書だ。この著書はドイツでの同名の展示会のおりに刊行された書物(カタログ)の中心的部分をまとめたものである。 著書の中で、ドイツ人医師が身体障害者、ユダヤ人、ポーラがンド人、精神薄弱者、遺伝病の子供などを、ナチズムという名のもとにおいて公然と人体実験、殺戮した罪を問う。 この著書が出版されたのは1989年と戦後から44年も経っている。著書によると、1945年から西ドイツでは、中途半端な「非ナチ化」かしか行われてこなかったが、民主主義が成熟し、1980年代になると個人、社会に戦争責任が問われるようになる。 この著書はドイツ人自らが行った過去への反省と、未来への固い誓いとも言えるだろう。 最近、日本でも医療問題や、戦争に回帰するような発言や動きが絶えない。こんな時代にこそ誰もが読んでほしい著書だ。 『人間の価値』 ―1918年から1945年までのドイツ医学 Ch.ブロス/G.アリ編 林 功三訳 1938年11月9日*を思う *「水晶の夜」 *「水晶の夜」 ベルリン医師会の声明 ベルリン医師会はいま、ナチズムの中で医師層がはたした役割と、忘れることができない犠牲者の苦しみを思い起こす。医師組織を結成する我々は、我々地震の過去とナチズムに関与した医師の責任を問題にしないわけにはいかない。 ナチス政権掌握の何年も前から、医師たちも人間の社会的差別と少数者の迫害を奨励する思考をはっきりもっていた。遺伝優生学や人種的遺伝体質、遺伝的に劣る人間、人生の余計者、生きる価値のない人生、といった思考であり、ナチス保健政策の基礎を築いた思考である。これが社会的に自明のものとされ、差別を正当化したのである。それが人間の絶滅を可能にしたのである。 ユダヤ人の医者は「アーリア人」の治療をすることが許されなくなり、1938年、法律によって、彼らの新規採用と開業が禁止され、また彼らの既得の営業許可が消滅されられた。ユダヤ人および異なる思想を持つ人々が排除されたことに対して、同僚の医師サークルやその団体からはほとんど抗議の声が挙がらなかった。 医師たちは「遺伝病の子どもの出生を予防する」法律を準備するのに関与し、無数の病気の人々、身体障害者に対する不妊。断種手術をおこなった。 医師たちは選別と殺戮の官僚機構に協力した。専門家として彼らは選別の鑑定を行い、国家医療行政機構に協力して、強制収容所へ患者を移送させた。 医師たちは「安楽死病院」で働いた。彼らによる「認定」がヨーロッパのユダヤ人の工場的規模の殺戮の基礎になった。 医師たちは強制収容所、研究所、大学病院で残酷な人体実験を行った。 ごくわずかの医師たちが彼らのキリスト教的、社会主義的、共産主義的世界観にしたがって抵抗したにすぎない。 ベルリン医師会はその過去の重荷を負う。我々は悲しみと恥を感じている。(以上) ■政府への従順と自己権力の増大 1933年3月、第8回国会が召集された時、ハルトマン協会の議長であるドイツ医師協会の会長であるアルフォンス・シュタウダーは、ヒトラーに宛てて電報を打った。「ドイツ医師理事会は、政府が国民的高揚に応えて全ての職業階層、全ての職業、全ての階層の真の共同体に断固たる決意を示されたことを心から歓迎し、祖国の抱える偉大な課題のために、この民族共同体の奉仕者として忠実に義務遂行することを誓うものであります。」 1933年9月、ザウアーブルフ※は『全世界の医師への公開書簡』でドイツの国民的再生を歓迎し、ナチスが操作する1933年9月の選挙に際して、『ドイツ大学教授の、アドルフ・ヒトラーと国家社会主義国家の信奉表明」に加わることを意思表示した。彼は、ナチ政権が外国で体面を保つことができるように、自分の名前を貸して援助したのである。 45.1935年、遺伝病理学研究所所長のポーリシュ教授(前列中央の白衣を着た人物)がボンでラインラント診療・看護施設の名誉会長として就任する式典。 その後、全国医師会会長のヴァーグナーが、国民を「治癒不可能に見える病気から健康へ導く」「偉大な医師」ヒトラーへの感謝を表明した後、1936年4月ヴィースバーデンで開催されたドイツ内科医師会議の参加者はホルスト・ヴェッセルの歌(ナチスの国歌「旗を高く・・・・」)を唱和した。 ※東西ドイツの歴史記述では、フェルディナント・ザウアーブルフは反ナチスで抵抗運動の闘士として讃えられている。外科医学における彼の業績は否定できない。しかし彼のレジスタンスなるものは伝説である。1933年、彼は部下のユダヤ人の医長ルードルフ・ニッセンをそのポストに止めようとしたが果せなかった。ナチス政権内部の保守反対派と緩やかな関係を持っていた彼は、危険にさらされた人々を幾人か助けたこともある。1937年、彼はヒトラーがノーベル賞に対抗してつくった「芸術並びに科学国民栄誉賞」の最初の受賞者となった。全国医学研究委員会の顧問として、彼はヴェルシュアとアウシュビッツにいたその助手のメンゲレの研究プロジェクトに同意した。確かに彼は一度もナチス党員にはならなかったが、ヒトラーと、またSSの高官指導者たちと常に密接な関係を持っていた。 ※第1次世界大戦(1914年~1918年) ドイツ精神医学会の謝罪 ドイツ精神医学会は公式に謝罪しました。では、日本の精神医学会は ●南京大虐殺 「この事実を・・・・」 (「南京」市民に仕えた宣教師証言集:章開?/編 加藤 実/訳) (発行:ストーク、発売:星雲社、定価2200+税) ※『日中歴史共同研究』(2010年1月31日公表)でも明らかなように、日中戦争は日本の侵略戦争であり、南京大虐殺は歴史事実である。私達日本人は、南京大虐殺の「この事実を・・・」を謙虚に読むべきだと思う。 南京でどんなことが起こっていたのかをもっと日本人は知る必要があると思う。 今でも多くの被害者の方々はPTSDに悩んでいる!! ヴォートリン 学院と個人資産の受けた損害 苗さんの家が掠奪され、陳爾昌のところもそうでしたが、どのくらいの損害だったかは知りません。そこは今は両方とも、難民が入っています。程夫人がいくつか盗られました―お気に入りの万年筆がそのひとつなのですが、わたしたち他にも何人か、ペンや手袋を盗られています。李さんが、キャンパスにいる間に55ドル持っていかれ、陳さんのトラックと、董夫人のトランクも、掻き回されて、何か少し盗られました。これが個人的な損失の大体の情況です―市内の多くの人たちの損失と比べたら、、ほんの僅かなものです。学院全体の日本兵の掠奪での損害は、おそらくは200ドル以下で、主としてドアや窓が壊されたことによるものです。わたしたちの最大の損失は、難民の占有によるものです。1万の人が6つの建物にひしめき合って、その建物が傷まないわけがありません。壁も木の部分も塗りなおさねばならず、スクリーンや鍵も取り替えるか、直すかしなければなりません。樹木と潅木と芝生とがみんな、主にその上に広げられることから、傷んでしまいました。わたしたちの外国の友人たちがよく、以前のさっぱりと整ったキャンパスと比較して、大笑いなさいます。 ジョン・ラーベを記念するラーベ平和賞授賞式、オーストリアで開催 日本南京大\x{6ce0}血又殘忍殺死無辜的中國人的遭遇 档案:\x{8fd8}原1937南京浩劫---南京大屠\x{6740}(上) 中国各紙、好意的に報道 鳩山氏の南京大虐殺記念館訪問 「河村市長を訴える」再度の南京大虐殺否定発言で生存者が怒り=中国 毎日中国経済 2013年04月04日19時52分 名古屋市の河村たかし市長が再度、南京大虐殺を否定する発言をしたとの報道を受け、中国の墓参りの日である清明節の4日、南京大虐殺の生存者で84歳になる夏淑琴さんは「大虐殺を否定するというのであれば、河村を訴える」と怒りをあらわにした。中国新聞網が伝えた。 夏さんはこの日、南京大虐殺記念館を訪れ、犠牲者追悼の碑に花をたむけた。夏さんは毎年清明節にここを訪れているという。 日本の政治家がまた南京大虐殺を否定していることを知った夏さんは同記念館の朱成山館長に対して、「河村を訴える」と激しく怒りながら語った。 共同通信によれば、河村市長は1日、名古屋市長選の公開討論会の席で昨年の南京大虐殺否定発言について質問を受け、改めて「撤回する考えはない」と発言した。夏さんは「私は認めない。河村を訴える。あれだけ多くの人が死んだ事実がありながら、なぜ否定するのか」と、激しい反感を隠さなかった。 夏さんは南京大虐殺をめぐって何度も日本で証言し、2008年の裁判では日本の歴史研究者の著書をめぐって勝訴した。 日本銘心会南京友好訪中団の松岡環団長は4日、現地で行われた「清明祭」に出席。松岡氏は「河村市長は歴史的研究から南京大虐殺を否定する結果を導き出したわけではない。右派の政治家としてこうした観点が必要で、それを維持している。政治的利益のためで、これも政治の右傾化の危険な点だ」と指摘した。 (編集翻訳 恩田有紀) 脱原発 脱原発「あなたの選択」プロジェクト2013 プロジェクト99% 政党通信簿 争点は、子どもたちです 各政党の核憲法政策の比較 (日本原水協) 山本太郎2013参院選第一声 参議院選挙 日本共産党の第一声 小沢一郎代表第一声in千葉市原市公民館 みどりの風 谷岡代表第一声 楢葉で高線量破片 がれき処理作業中に発見 毎時3.4ミリシーベルト 参議院議員通常選挙 → 政党通信簿 RCサクセション サマータイムブルース~LOVE ME TENDER |
尖閣問題!!
<尖閣>野中氏「棚上げ」発言を古賀元幹事長が擁護 「歴史に対し真摯に向き合うべき」鳩山氏、日本政治家の過激な言動に喝!―韓国メディア <尖閣問題>日中間に「棚上げで暗黙の了解があった」=瀬野・前重慶総領事が明言―野中発言裏付ける <尖閣問題>米オバマ大統領、「尖閣聖域化」働きかけへ=米中首脳会談の主要テーマに―米外交筋 菅長官、野中氏の「尖閣棚上げ合意」発言に不快感 「尖閣棚上げ合意」はあったのか 野中「生き証人」発言が論議呼ぶ 野中氏、日中間で尖閣棚上げ合意あったと言及 政府と異なる見解(13/06/04) 野中広務氏、中国の尖閣番組で謝罪 尖閣「棚上げは共通認識」発言、政府内に波紋 <中国>軍副総参謀長が尖閣「棚上げ論」を「賢明な選択」 安部首相は、北朝鮮の拉致問題には熱心ですが、お祖父さんがやった拉致問題については全く無視していますね!! 中国人強制連行問題!! 安倍首相の祖父岸信介が法案をつくり、政府は1942年「華人労務者内地移入に関する件」を閣議決定した。 この「強制連行」を策定した岸信介(当時、商工大臣、A級戦犯)は戦後首相になったが、この国の意識レベルを示している。 中国人強制連行1 「Suopei」(賠償)より ●731部隊 昭和天皇・安倍首相の祖父・岸信介、東條英機等は、731部隊の設置認可に大きく関わっていたのではないか? 東条英機略歴抜粋(ウィキペディアより) 関東軍時代 1935年(昭和10年)9月21日には、大陸に渡り、関東憲兵隊司令官・関東局警務部長に就任[10]。このとき関東軍将校の中でコミンテルンの影響を受け活動を行っている者を多数検挙し、日本軍内の赤化を防止したという[11]。1936年(昭和11年)2月26日に二・二六事件が勃発したときは、関東軍内部での混乱を収束させ、皇道派の関係者の検挙に功があった[12]。同年12月1日に陸軍中将に昇進。 1937年(昭和12年)3月1日、板垣の後任の関東軍参謀長に就任する[13] 日中戦争(支那事変)が勃発すると、東條は察哈爾派遣兵団の兵団長として察哈爾作戦に参加した。チャハル及び綏遠方面における察哈爾派遣兵団の成功はめざましいものであったが、自ら参謀次長電で「東條兵団」と命名したその兵団は補給が間に合わず飢えに苦しむ連隊が続出したという[14]。 岸信介の略歴抜粋(ウィキペディアより) 1936年(昭和11年)10月に満州国国務院実業部総務司長に就任して渡満。1937年(昭和12年)7月には産業部次長、1939年(昭和14年)3月には 総務庁次長に就任。この間に計画経済・統制経済を大胆に取り入れた満州「産業開発5ヶ年計画」を実施。大蔵省出身で、満州国財政部次長や国務院総務長官を歴任し経済財政政策を統轄した星野直樹らとともに、満州経営に辣腕を振るう。同時に、関東軍参謀長であった東條英機や、日産コンツェルンの総帥鮎川義介、里見機関の里見甫の他、椎名悦三郎、大平正芳、伊東正義、十河信二らの知己を得て、軍・財・官界に跨る広範な人脈を築き、満州国の5人の大物「弐キ参スケ」の1人に数えられた。また、長州出身の同郷人、鮎川義介・松岡洋右と共に「満州三角同盟」とも呼ばれた。 東條内閣の閣僚時代 内閣総理大臣東條英機(最前列中央)ら東條内閣の閣僚と岸(前から2列目左から2人目) 伍堂卓雄商工大臣が当時の商工次官だった村瀬直養の反対を押し切って岸の次官起用を決定し、1939年(昭和14年)10月に帰国して商工次官に就任する。その後、商工大臣に座った小林一三と対立、直後に発生した企画院事件の責任を取り辞任する。1941年(昭和16年)10月に発足した東條内閣に商工大臣として入閣。太平洋戦争中の物資動員の全てを扱った。1942年(昭和17年)の第21回衆議院議員総選挙で当選し、政治家としての一歩を踏み出した。1943年(昭和18年)、戦局悪化への対応として商工省が廃止され軍需省へと改組。軍需大臣は東條首相の兼務となり、岸は軍需次官(無任所国務相兼務)に就任。半ば降格に近い処遇により、東條との関係に溝が生じた。 続きは「ノブのノート」で |