不適切な表現に該当する恐れがある内容を一部非表示にしています

国家犯罪!天皇制・原発・731!!

2013-07-17 07:52:29 | Weblog
No more war!
No more 731!
No more Nanking!
No more Fukushima!

昭和天皇の戦争責任を問う!!
世襲の天皇制から選ばれし大統領制へ!!
天皇制から憲法9条を国是とする大統領制へ!



<参院選>注目の選挙区・沖縄 ぼやける「普天間」


◇自民「二つの公約」で争点化されず
安倍晋三首相(自民党総裁)は16日、選挙戦で初めて沖縄入りし、米軍普天間飛行場(宜野湾市)の移設に取り組む姿勢を強調した。紺色のかりゆし姿の首相は、沖縄県うるま市での街頭演説で「現在も米軍基地全体の74%が沖縄に集中している。1日も早く普天間の移設を行わなければいけない」と表明。ただ、県内4カ所で行った演説で、普天間の「移設先」に言及することはなかった。(毎日新聞)



まだ、日本には軍国日本の亡霊がたくさんいる!!
そんなに核兵器を作りたいのか?

核のゴミはどうする?
20130713 R/F #027「小出裕章ジャーナル」


原発やめろ!!
安倍政権の原発・TPP・歴史認識で日本は破綻する!!
日本を大きく変えよう!!

果たして全世界で、放射能の被曝によって、人知れず苦しみ、亡くなっていった人は、何人いるのだろうか?
被曝する労働者達:下請け・日雇いが支える原発の実態



国は「国民」を守りはしない!!守るのは皇居だけ!!

この過酷な現実!!
原子炉・使用済み核燃料プールで
潜水作業させられる外国人労働者


ピンハネ率93%・核燃料プールに潜る外国人労働者-重層的下請構造で使い捨てられる福島原発労働者(放射能を考える下町ネットワーク)

それから、原発における労働者使い捨ての象徴とも言える外国人労働者の問題があります。外国人労働者は、原発の定期検査のとき、水が入った原子炉や使用済み核燃料プールに潜水して修繕箇所の事前チェックをさせられているのです。私は実際に福島原発で働かされていた外国人労働者のプール潜水作業を手伝っていたという日本人原発労働者から直接話を聞きました。プールの中は水が青く光っているなどして外からだけではなかなか修繕箇所などが見づらく、人間が実際にプールにもぐって事前チェックをする必要があるそうです。この危険な潜水作業を外国人労働者にやらせていて、潜水作業後は、放射性物質を体外に出すという目的で利尿作用のあるビールを飲ませるそうです。外部の人間が原発構内を視察する場合などには、外国人労働者は目につかないようにしているそうです。あくまで噂話ですが、原発労働者の間では、そうした外国人労働者は囚人が連れてこられているのではないかとまことしやかにささやかれているそうです。外国人労働者が原発でこうした使われ方をしていることは、私自身、多くの原発労働者から実際に聞いていますので、日本の多くの原発で現在も日常的におこなわれていることだと推測しています。

国際的にも最悪で深刻な福島原発事故のもとで原発労働者のこうした重層的下請構造と無権利状態、使い捨て労働に拍車がかかっています。過酷な状況のなかで被曝しながら働いても、原発下請労働者には何の補償もない現状を即刻あらため、中間搾取をやめさせ、相応の手当を払うなど労働条件の向上が必要です。

福島第1原発を廃炉にする作業は今後数十年かかると言われています。技術者を全国から集めるためにも、東電は相応の緊急災害手当を支給するとともに、末端の労働者にも届いていることをすぐに確認すべきです。(福島県いわき市議・渡辺博之氏による「原発労働問題~現場からの報告」)

モニタリングポスト1割不具合
7月17日 6時17分
福島第一原子力発電所の事故をきっかけに、国が原発周辺の放射線量を測定するため、関東甲信越などの7つの県に設置したモニタリングポスト670台余りのうち、10%近くのポストでデータが測定できないなどの不具合が起きていたことが、NHKの取材で分かりました。

福島第一原発の事故をきっかけに、国は周辺地域の放射線量の上昇などを把握するため、新潟、茨城、栃木、群馬など7つの県の185の自治体に、合わせて675台のモニタリングポストを新たに設置しました。
ところが、全体の10%近くに当たる65台のポストで、データを測定できないなどの不具合が起きていたことが、NHKが自治体に行った取材で分かりました。
各自治体によりますと、不具合が起きたのは、電源の太陽光パネルに雪が積もったり日照時間が短かったりして十分な電力が確保できなくなったためで、なかには2日間にわたってデータを測定できなくなったり、同じポストで不具合の回数が20回に上ったケースもあったということです。
ことし3月までの3か月間で、市内に設置されているポストの不具合が20回に上った、新潟県十日町市防災安全課の佐藤晃課長補佐は、「モニタリングポストはいざというときに稼働していなければ意味がなく、不安だ」と話しています。
一方、ポストを設置した原子力規制庁は「気象条件が原因なのでいかんともしがたいが、自治体には除雪をこまめに行ったり、外部から電源を取ったりするなど、協力をお願いしたい」と話しています。


731部隊からフクシマまで、日本医学界は何の反省も無く医療が続けられている!!


薬効のデータに“操作の疑い”
大手製薬会社「ノバルティスファーマ」の高血圧の薬の効果を調べた複数の大学の臨床研究にこの会社の社員が関与し、研究結果に疑問が投げかけられていた問題で、京都府立医科大学の調査委員会は、データに何らかの操作があった疑いがあるとしたうえで、ほかの薬より脳卒中や狭心症を減らせるとした臨床研究の論文の結論には誤りがあった可能性が高いとする調査結果を発表しました。・・・・・・

日中戦争の最中、国家総動員法が施行され、医学界から多くの優秀な人材が731部隊にも行った。そこで人体実験を繰り返しながら、細菌兵器の開発を進め、中国各地で細菌戦を行い、多くの中国人や日本人にも被害を出した!!敗戦直前に、天皇の責任が問われないよう証拠湮滅のため部隊は破壊され、部隊員はいち早く日本へ帰国した。上級幹部は、アメリカに研究データを引き渡し、戦犯免責を受け、アメリカの細菌兵器開発に協力し、東京裁判にはかけられなかった。
1945年8月6日や9日の原爆投下には、医学者が動員され、天皇制護持するためのカードとして、アメリカの喜ぶような原爆の威力を示す被害調査が行われ、患者の治療はほとんどされなかった。8月のうだるような暑さの中での原爆投下の惨状は、本当に生き地獄であった!!
医学者たちは、被害調査に没頭し、ほとんど被爆者の医療がなされていないとは驚きだ!!
その中で、治療とは関係ない人体実験が行われ、もしかしたら生体解剖もされていたのではないかと疑ってしまう!!
また、731部隊上級研究員たちは、医学界で出世し、重要なポストに坐ったため、731部隊の非人道的な行為は反省も謝罪もされなかった。 戦後も、人体実験が行われ、それが世間に知られるようになると、社会問題になることもあった。
1954年の水爆実験では、元731部隊員の宮川正が被曝した漁船800隻のうちの1隻「第5福竜丸」だけを問題視し、放射能の影響を過小評価した。
また、
水俣病では、田宮委員会が、水俣病をもみ消し走った。
「薬害エイズ事件」では、元731部隊員内藤良一の設立したミドリ十字が問題となった。
今回の福島第一原発の事故も、健康被害の調査は表面上は行われているが、治療は行われていないのではないか?
長崎大学の山下俊一を福島県立医大の副学長として派遣し、とんでも発言を繰り返し、問題を起こしている。
山下俊一トンデモ発言



731部隊を隠蔽する目的の取引!NHKスペシャル 封印された原爆報告書

封印された原爆報告書



資料を早く公開してほしい!!
日本の医学界は戦後731部隊での残虐な行為を反省することもなく、謝罪もしていていない!!
これでいいのだろうか?



731細菌戦部隊残党と長崎大学の放射線医学者たち 福見秀雄・青木義勇と長瀧重信・山下俊一

一時中止どう説明 広がる戸惑い 子宮頸がんワクチン、県内市町村

パネル集「戦争と医の倫理」


日本人中国抑留の記録7(アヘン・731・無人地区)

発行「戦争と医の倫理」の検証を進める会
発売三恵社より



731部隊の人体実験・細菌戦の実態がわかる動画3本
知ってるつもり 731部隊


闇に消えた虐殺~731部隊・細菌戦の真実(テレビ朝日「ザ・スクープ」、1997年8月


黒い太陽731部隊


これまで、「証拠がない」として細菌戦の実施を認めてこなかった日本政府の根拠が、崩れた!!
生物兵器による攻撃についての新資料
発行「戦争と医の倫理」の検証を進める会
発売三恵社より



アメリカ(占領軍)は帝銀事件の捜査に圧力をかけた!
やはり、犯人は特務機関(731部隊員か陸軍中野学校等)の人間か?
日本政府は、何時まで731部隊の資料を隠蔽するのだ!!

帝銀事件とは?
731細菌部隊と帝銀事件との真相1

"戦後最大のミステリー"「帝銀事件」(1)


(参考)高杉晋吾が語る「戦争・原発!!」
20130316 UPLAN 高杉晋吾 国策としての731部隊と原発




若松孝二監督を偲ぶ!!
若松監督、次作構想に「731部隊」あった…三女が明かす
「あさま山荘事件」実行犯を捜して(1)



若松孝二監督「17歳の光と影」(1)




(番外)
よど号ハイジャック事件(49年目のスクープ)

IMAGINE 9
09
想像してごらん、
9条がゆきわたった世界を。

Imagine,
A world filled with Article 9.

文 星川淳、河崎哲 合同出版より


●ドイツと日本の違い
ドイツの医学会の謝罪や脱原発はドイツ国民が「生命への畏敬の念」に目覚めたからか?
ドイツ精神医学会の反省



それに引き換え日本の派遣社員の現状は「お前のスペアはいくらでもいる。いやならやめな!」
会社に掲げられた標語には「かけがえのない一人ひとりを大切に!」
かつて軍人勅諭にこんな言葉があったっけ!!
「死は鴻毛よりも輕しと覺悟せよ!!」、
人間を人間として見ずモノとして扱う体質!!

ワタミ・渡辺会長「365日24時間死ぬまで働け」について。- 2013.06.06

「ブラック企業大賞」候補発表~ワタミなど8社


日本医師会の歴史認識


カスタマー・レビューより
第二次世界大戦時の医師の責任を問う, 2002/4/29
レビュー対象商品: 人間の価値―1918年から1945年までのドイツの医学 (単行本)

現在この「人間の価値 -1918年から1945年までのドイツの医学-」は、ドイツですべての医学生に読むことが義務付けられている(?)著書だ。この著書はドイツでの同名の展示会のおりに刊行された書物(カタログ)の中心的部分をまとめたものである。
著書の中で、ドイツ人医師が身体障害者、ユダヤ人、ポーラがンド人、精神薄弱者、遺伝病の子供などを、ナチズムという名のもとにおいて公然と人体実験、殺戮した罪を問う。
この著書が出版されたのは1989年と戦後から44年も経っている。著書によると、1945年から西ドイツでは、中途半端な「非ナチ化」かしか行われてこなかったが、民主主義が成熟し、1980年代になると個人、社会に戦争責任が問われるようになる。 この著書はドイツ人自らが行った過去への反省と、未来への固い誓いとも言えるだろう。
最近、日本でも医療問題や、戦争に回帰するような発言や動きが絶えない。こんな時代にこそ誰もが読んでほしい著書だ。 

『人間の価値』
―1918年から1945年までのドイツ医学

Ch.ブロス/G.アリ編
林 功三訳

1938年11月9日*を思う
*「水晶の夜」 
*「水晶の夜」

ベルリン医師会の声明

ベルリン医師会はいま、ナチズムの中で医師層がはたした役割と、忘れることができない犠牲者の苦しみを思い起こす。医師組織を結成する我々は、我々地震の過去とナチズムに関与した医師の責任を問題にしないわけにはいかない。

ナチス政権掌握の何年も前から、医師たちも人間の社会的差別と少数者の迫害を奨励する思考をはっきりもっていた。遺伝優生学や人種的遺伝体質、遺伝的に劣る人間、人生の余計者、生きる価値のない人生、といった思考であり、ナチス保健政策の基礎を築いた思考である。これが社会的に自明のものとされ、差別を正当化したのである。それが人間の絶滅を可能にしたのである。

ユダヤ人の医者は「アーリア人」の治療をすることが許されなくなり、1938年、法律によって、彼らの新規採用と開業が禁止され、また彼らの既得の営業許可が消滅されられた。ユダヤ人および異なる思想を持つ人々が排除されたことに対して、同僚の医師サークルやその団体からはほとんど抗議の声が挙がらなかった。

医師たちは「遺伝病の子どもの出生を予防する」法律を準備するのに関与し、無数の病気の人々、身体障害者に対する不妊。断種手術をおこなった。

医師たちは選別と殺戮の官僚機構に協力した。専門家として彼らは選別の鑑定を行い、国家医療行政機構に協力して、強制収容所へ患者を移送させた。

医師たちは「安楽死病院」で働いた。彼らによる「認定」がヨーロッパのユダヤ人の工場的規模の殺戮の基礎になった。

医師たちは強制収容所、研究所、大学病院で残酷な人体実験を行った。

ごくわずかの医師たちが彼らのキリスト教的、社会主義的、共産主義的世界観にしたがって抵抗したにすぎない。

ベルリン医師会はその過去の重荷を負う。我々は悲しみと恥を感じている。(以上)

■国家の代理人

代表的な教科書執筆者であった彼は、女性の不妊手術にについて書いている。彼の粉飾した計算でも、200人に1人がこの手術で死亡させられたという事実が明らかになっているが、これを彼は故意に軽く見せようとしている。「腹部を切開する場合、死亡率0%などということは期待できないことである。」

52.〔不妊手術がなされる全国各地の施設の紹介一覧表〕





53.〔精神薄弱遺伝病患者のオットー・Bに断種手術を命ずるベルリンの遺伝病法廷の判決命令書〕



ドイツ精神医学会の謝罪
ドイツ精神医学会は公式に謝罪しました。では、日本の精神医学会は



●南京大虐殺
「この事実を・・・・」
(「南京」市民に仕えた宣教師証言集:章開?/編 加藤 実/訳)
(発行:ストーク、発売:星雲社、定価2200+税)
※『日中歴史共同研究』(2010年1月31日公表)でも明らかなように、日中戦争は日本の侵略戦争であり、南京大虐殺は歴史事実である。私達日本人は、南京大虐殺の「この事実を・・・」を謙虚に読むべきだと思う。
南京でどんなことが起こっていたのかをもっと日本人は知る必要があると思う。
今でも多くの被害者の方々はPTSDに悩んでいる!!

ヴォートリン
ヴォートリン
難民キャンプとして
(1938年1月14日~3月31日)
1、都市と農民の状態
戴籟三夫人が、その小さなオースティンが取り戻せるようにとの期待を、いまだに抱いておられますけど、わたしは、空頼みに終わるのではないかと恐れています。最近、誰かが
カーキ色に塗られた小さなオースティンらしいのを見かけましたが、それが彼女の車かもしれないと、言っています。
最小限度でしかなかった警察の働きが、じょじょに増えてはきましたが、まだ市内のすさまじい無法な事どもが防げるほど、充分でもなければ勇敢でもありません。軍隊による掠奪がいまだに続いていますが、形がいささか前と違ってきています。貧しい人たちがいまだに布団やお金を盗られ、今では小銭の銅貨すら巻き上げられている一方で、前は暮らし向きのよい人たちのだった家々が、安全区の内部にあってかなり安全だったのですが、今では敷物やラジオや家具などが盗られています。12月の17日くらいから1月17日―この日にわたし最後の火災を見たのです―までに起きたような、家々の大掛かりな焼き払いは、その後見られません。今起きているなんとも痛ましいことは、普通の民衆“ラオベーシン”による絶え間ない掠奪です。市内に法と秩序がないもので、貧民と無法なフェルト帽族が、どんな家にも全く自由に入り込んでは、何でも欲しい物を持ってきてしまうのです。


ジョン・ラーベを記念するラーベ平和賞授賞式、オーストリアで開催

日本南京大\x{6ce0}血又殘忍殺死無辜的中國人的遭遇


档案:\x{8fd8}原1937南京浩劫---南京大屠\x{6740}(上)





中国各紙、好意的に報道 鳩山氏の南京大虐殺記念館訪問

「河村市長を訴える」再度の南京大虐殺否定発言で生存者が怒り=中国

脱原発

◆小出裕章ジャーナル 第26回【六ヶ所再処理工場について】  2013年07

20110809 原発下請け作業員の実態

原発収束作業の現場から ある運動家の報告


ピンハネ率93%・核燃料プールに潜る外国人労働者-重層的下請構造で使い捨てられる福島原発労働者(放射能を考える下町ネットワーク)

驚愕! 東電幹部 原発再稼働へ向けて猛暑を念じ、経産省幹部へメール

農業用水に汚染水340トン 原子力機構が計画了承


原発は究極の高コスト

2013年07月09日 12:23  京都大学、小出裕章先生にお話を伺いました

この選挙は何を私たちに問うているのか

石棺




尖閣問題!!

<尖閣>野中氏「棚上げ」発言を古賀元幹事長が擁護

<尖閣問題>日中間に「棚上げで暗黙の了解があった」=瀬野・前重慶総領事が明言―野中発言裏付ける


菅長官、野中氏の「尖閣棚上げ合意」発言に不快感

「尖閣棚上げ合意」はあったのか 野中「生き証人」発言が論議呼ぶ

野中氏、日中間で尖閣棚上げ合意あったと言及 政府と異なる見解(13/06/04)


野中広務氏、中国の尖閣番組で謝罪


尖閣「棚上げは共通認識」発言、政府内に波紋



安部首相は、北朝鮮の拉致問題には熱心ですが、お祖父さんがやった拉致問題については全く無視していますね!!

中国人強制連行問題!!

安倍首相の祖父岸信介が法案をつくり、政府は1942年「華人労務者内地移入に関する件」を閣議決定した。

この「強制連行」を策定した岸信介(当時、商工大臣、A級戦犯)は戦後首相になったが、この国の意識レベルを示している。


中国人強制連行1


「Suopei」(賠償)より



●731部隊
昭和天皇・安倍首相の祖父・岸信介、東條英機等は、731部隊の設置認可に大きく関わっていたのではないか?





岸信介の略歴抜粋(ウィキペディアより)
1936年(昭和11年)10月に満州国国務院実業部総務司長に就任して渡満。1937年(昭和12年)7月には産業部次長、1939年(昭和14年)3月には 総務庁次長に就任。この間に計画経済・統制経済を大胆に取り入れた満州「産業開発5ヶ年計画」を実施。大蔵省出身で、満州国財政部次長や国務院総務長官を歴任し経済財政政策を統轄した星野直樹らとともに、満州経営に辣腕を振るう。同時に、関東軍参謀長であった東條英機や、日産コンツェルンの総帥鮎川義介、里見機関の里見甫の他、椎名悦三郎、大平正芳、伊東正義、十河信二らの知己を得て、軍・財・官界に跨る広範な人脈を築き、満州国の5人の大物「弐キ参スケ」の1人に数えられた。また、長州出身の同郷人、鮎川義介・松岡洋右と共に「満州三角同盟」とも呼ばれた。

東條内閣の閣僚時代

内閣総理大臣東條英機(最前列中央)ら東條内閣の閣僚と岸(前から2列目左から2人目)

伍堂卓雄商工大臣が当時の商工次官だった村瀬直養の反対を押し切って岸の次官起用を決定し、1939年(昭和14年)10月に帰国して商工次官に就任する。その後、商工大臣に座った小林一三と対立、直後に発生した企画院事件の責任を取り辞任する。1941年(昭和16年)10月に発足した東條内閣に商工大臣として入閣。太平洋戦争中の物資動員の全てを扱った。1942年(昭和17年)の第21回衆議院議員総選挙で当選し、政治家としての一歩を踏み出した。1943年(昭和18年)、戦局悪化への対応として商工省が廃止され軍需省へと改組。軍需大臣は東條首相の兼務となり、岸は軍需次官(無任所国務相兼務)に就任。半ば降格に近い処遇により、東條との関係に溝が生じた。


続きは「ノブのノート」で
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする