公開せよ!!
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山本太郎「(国会10/15までの) 20日間 秘密保全法反対で一緒に闘
何をいまさら!・・正気の沙汰とは思えない 小出裕章先生
日本政府は、アメリカから返還された731部隊の資料を速やかに公開せよ!!
秘密保護法!!反対!!
秘密保全法 岩上安身
日本政府は、過去の日本軍の忌まわしい史実を教科書から消し去っている!!
人体実験被害者、細菌戦被害者の悲鳴が聞こえませんか?
731部隊の犯罪(生体実験、生体解剖、細菌戦等)は、アメリカ政府が免罪しても、世界の目が許さない!!
戦後マッカーサーと昭和天皇の極秘会談は11回行われ、その中で沖縄や731のことも話し合われたのだろう。GⅡと731部隊幹部との話し合いは鎌倉で行われ、731部隊員の戦犯免責と引き換えにアメリカに情報を提供するということで合意した。
東京裁判では、天皇と731部隊員は戦争犯罪人から外されたが、その人たちの行った中国をはじめとするアジアでの加害行為は、消し去ることはできず、子々孫々まで語り継がれるだろう!!
今の安倍自民は、過去の史実をことごとく消し去ろうと必死になっている!!
「731部隊展開催20周年記念シンポジウム」
731細菌戦部隊 1(前編:プライム10) よりの書き起こし
現代史スクープ・ドキュメント
731細菌戦部隊 前編(1992年)
アメリカ、ユタ州。今年(1992年)3月、私達はグレートソルトレイク砂漠の只中に位置する米軍基地を訪ねた。
アメリカ陸軍ダグウェイ実験場
実戦を想定した生物化学兵器の使用実験が行われるアメリカ唯一の施設である。
現在、生物化学兵器は、国際条約で禁止されているにもかかわらず、多くの国でその開発が続けられている。
この基地の設立目的は生物化学兵器への防御のためとされている。
湾岸戦争で使用された毒ガスマスクも、この基地でテストされた。
基地の一角にある文書館。
1942年に基地が作られてから今日までの生物化学兵器に関するあらゆる研究報告書が保存されている。
私達は、この文書館で旧日本軍の細菌戦部隊、731部隊の膨大な報告書を発見した。
2000ページに及ぶ細菌の感染実験のデータ並びにアメリカの科学者による731部隊の調査報告書である。
細菌を使った感染実験のデータ。
実験材料として使用されたのは、400体以上の人間である。
報告書には、実験に使われた細菌の種類、そしてアメリカの調査に協力した日本人研究者の名前が列挙されている。
石井四郎、731部隊部隊長である。
甲状腺、肝臓、リンパ節、脊髄、肺。
実験材料にされた人体はすべて解剖され、あらゆる臓器、器官がつぶさに観察されている。
前編全文を読みたい人は「ノブのノート」で
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(後編)
被告の1人が記した731部隊本部の配置図。
731部隊の組織とその配置が事細かく記されている。
研究棟の内側に描かれているのは実験材料となった人間を収容した構内監獄である。
取調べは731部隊、部隊長石井四郎の下で行われたあらゆる行為に及んでいる。
中国人やロシア人などを使って、人体実験をした事実。
彼らは「マルタ」と呼ばれ、後に殺害されたという事実。
ソビエト側は尋問で得られた供述を分析し、細菌戦部隊の戦争犯罪を立証しようとした。
ハバロフスク軍事裁判の被告たちは、裁判開廷の2ヶ月前に1ヶ所に集められた。当時1号監獄と呼ばれたハバロフスク拘置所である。
ここは、現在も拘置所として使われている。
被告たちはそれぞれ別々の監房に収容され、拘置所内に設けられた取調室で尋問を受けた。
当時、尋問が行われた取調室が残っていた。
「思い出しました。ここでした。」
プルターソフさんは、通訳官としてここでの尋問に連日立ち会った。
「あー、調査をやったときはですね。尋問官はいつもその中へ座っていました。検事はいつもこの所へすわって、細菌学者はここです。通訳は細菌学者と隣りで、あの被告人は検事と隣りでした。
「それをどのくらいやったんですか?」
「さぁ、2ヶ月毎日やっていました。」
被告の1人、三友一男さんのファイル。
学歴や軍歴など様々な個人情報と捕虜になってから収容所の移動などが詳細に記されている。
ソビエト側は、三友さんが上官の命令で人体実験に参加した事実を追及した。
「相当、具体的な、向うがわかっているようなことを匂わせてきていますんでね。そのうち何人かの証人の調書を見せられまして、下に1枚ずつ全部サインするわけですね、調書に。そのサインを見せられて、こういう人間知っているか、こういう人間は記憶あるかというあれで・・・いろいろと名前を見て記憶から薄れとった人の名前まであるのでね。これは、相当向うが調べた上でというさっきの話でね。あまりいい加減なことも言えないなという感じですね。」
三友さんが所属したのは関東軍100部隊であった。
前線に欠かせない軍馬を伝染病から守る仕事を主な任務として誕生した部隊である。
ソビエトは、この100部隊第2部第6課が731部隊同様、細菌戦の研究をしていたとみなしていた。三友さんはこの第6課に所属する軍属だった。
三友さんの尋問調書。
尋問は、1949年10月22日から始まっている。
取調官がロシア語で筆記、通訳された上で、本人がサインするという方法で進められた。
証言内容に矛盾が生じた場合は、他の証人と対面させるなどして追及した。
取調べは時には深夜まで及んだ。
「生きた人間に対する実験の例をあげて下さい。」
「1944年9月、細菌学者の上官に実験に参加するよう勧められました。被実験者8人の食事にヘロインや朝鮮アサガオを混ぜて実験しました。私は、その後の人体内の変化を観察しました。1人が死亡しました。さらに青酸カリが人体に注射され、2人が殺されました。」
人体実験にかかわっていたととれる、この供述にソビエト側は注目した。6日後、この実験に絞って、尋問が行われた。
「22日の尋問であなたは人体実験に関与せざるを得なかったと述べている。もっと、明確に述べて下さい。」
「1人の中国籍の男が、私の調合した薬を服用後、死にました。また、1人のロシア人は、青酸カリを注射されて、その場で死亡しました。」
「あなたは、10月22日の尋問で青酸カリの注射によって殺害されたのは2人だったと言っているが、今度は1人だったと供述している。どういうことですか。」
「それは1人は毒殺。1人は青酸カリの注射によって死んだという意味です。」
22日の証言と28日の証言は青酸カリを注射されて死亡した人間の数が食い違っていた。取調官は、この数の矛盾を追及したのである。
「1人のロシア人に対し、1944年8月、2週間にわたり、様々な実験が行なわれました。
本人が衰弱した結果、上官はこのロシア人に青酸カリを注射して殺すよう命じました。
このロシア人に気付かれないように殺害の3日前に下痢を起こさせ、下痢止めの処置をしました。その後、治らないとして、食塩水を注射しました。翌日治療を装い、ロシア人に0.1グラムの青酸カリを注射しました。ロシア人はその直後、死亡しました。」
「まあ、自分としては当時ね、まあ、18~19歳、20歳前のことでいい、悪いの判断が当然できる年齢であろうという風に言われれば、あれですけれども。一方的なそういう戦時教育を受けた人間としてですね、当然軍隊という組織の中で、与えられた命令については、批判とかそういうことは初めから全然抜きにして、とにかく与えられた命令は遂行するのが自分の責務あるという考えでやったことについてね、それが間違っておったことであれば、それは裁かれてもやむを得ないだろうと。」
ソビエト側は取調室での供述を、裁判の法廷でも繰り返すことを求めた。
(三友被告尋問)
「100部隊で行われていた生きた人間を使用する実験に関し、知っていることをすっかり話してもらいたい。」
「2週間に5~6回毒入りの食事が被実験者に対して与えられました。汁には朝鮮アサガオ、粥にはヘロインを混ぜました。2週間後には衰弱し、実験の役には立たなくなりました。」
「そして、彼らはどうなりましたか。」
「機密保持のため、皆殺されました。」
「どんな方法でですか?」
「ロシア人は青酸カリを0.1g注射されて殺されました。」
こうして公開の場で、人体実験の事実が追及され、人道上の罪が印象付けられていった。
しかし、ソビエト側にとって、被告個人の罪を裁くことだけが、この裁判の目的ではなかった。
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裁判直後の1950年2月1日。裁判結果をまとめたソビエトは、アメリカのアチソン国務長官に文書を渡した。
ソビエトはその文書で「日本の細菌戦部隊の行為は天皇を頂点とする日本軍部の組織的な犯罪であることを指摘し、改めて国際軍事裁判を開くことを要求している。そして、直接人体実験を行った科学者である石井たち731部隊幹部を新たに訴追し、これを裁くことを求めた。
アメリカはこの時までハバロフスク軍事裁判に表面上は無関心を装っていた。
しかし、その裏で裁判の情報を盛んに集め、分析を進めていた。
ソビエトのアピールを受け取った2日後アメリカ国務省は記者会見を開き声明を発表した。
「今回のハバロフスク軍事裁判は37万人の日本人抑留者の問題から目をそらすためのソビエトのカムフラージュに過ぎない。」
731部隊の行為を国際軍事法廷で改めて裁くことを求めたソビエトのアピールは無視された。
アメリカは、このときすでに人体実験の詳細なデータを入手していたのである。
731部隊の人体実験の事実を世界に初めて告発したハバロフスク軍事裁判。
この裁判には、戦後世界の主導権を握りつつあったアメリカを牽制するという政治的意味合いも込められていた。
しかし、その政治性ゆえに、ハバロフスク軍事裁判は黙殺され、幻の裁判として忘れ去られていく運命をたどったのである。
こうして米ソ対立のはざまで日本の細菌戦部隊が行った人体実験の罪は闇に葬り去られた。
当事者である日本はその責任を自ら問うことなく半世紀が過ぎようとしている。
(1992年放送、NHK[プライム10 731細菌戦部隊後編〕より)