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●731部隊(1) ●731部隊(2) ●731部隊(3) ●731部隊(4) ●陸軍軍医学校50周年記念行事について ●南京大虐殺 ●昭和天皇 ●教科書問題 ●陸軍登戸研究所 ●日航123便の怪 ●日本とドイツの違い ●原発・水俣病にみる学会の原因隠蔽の構図!! ●あなたの住む地域で、「731部隊展」を開いてみませんか? ●731部隊展 ●戦争のことを考えるならば、天皇や自民党の議員は、東南アジア、中国、韓国などの現地を訪れ、現地の人の声を聞くべきだ。高嶋伸欣先生の「東南アジアに戦争の傷跡を訪ねる旅」は、今年で、通算41回目を数える。根気よく、現地を巡り、現地の戦跡を訪ね、慰霊し、研究をしている。そして、あの戦争で日本軍は、どんなことをしたのかを明らかにしている。 今回ブログで採り上げるのは、その高嶋ツァーに初めて参加し、そのあと、もっと現地の戦跡を巡ってみたいと考え、なんと自分で自転車を買って、巡った人の旅行記だ。今、多くの日本人が過去のことを忘れ、ひたすら今の自分の生活に追われているのとは、余りにも対照的なので、この貴重な体験談を採り上げる。 マレーシア番外編(2) -自転車の旅 8月17日(月)~9月2日(水) 鈴木和良 8月30日(日) 11:20 再び移動し訪れたのは、憲兵隊の本部が置かれていた、アンダーソンスクール。英国の植民地時代の1901年に建てられた広大な建物は、軍部の設置に都合よく、他に病院や慰安所が近くにあったのも理由のようでした。現在は中学校として使われています。次はその慰安所があった場所へ向かいました。しばらく進んだ市街地にその建物はあった。実際に街路に立ち道を挟んだ位置から眺めてみる。交差点の角から5 軒目までが元慰安所の建物であった(↓)。 当時の店名は階級順に「百花楼・桂花楼・万花楼・彩花楼・聚花楼」となっていたようです。百花楼は、最も高級な軍人専用であったというので、外観の最も良い左角の建物ではないかと思いました。慰安婦は20代の中国人であったとのこと。性病が広がらないように、一週間に必ず身体検査が義務付けられていました。また慰安所内は、煙草はOKだが酒は禁じられていました。建物の入口には、FRANCE TAIPEIの文字があり、現在は結婚ドレスなどの貸衣装店になっているようです。そこから僅か一分ほど歩くと、日本軍憲兵隊の司令部だった建物がありました。外観はとても綺麗で番地である007がよく目立つ(↓)。 現在は、ゲストハウスとして改装され、日本料理やイタリア料理も振る舞われる。たまたま居合わせたご主人に劉先生が話し掛けると、主人はえらく喜んでいた。我が家の隠された歴史事実を知り、歴史好きには良い宣伝になる、と持参してこられた写真資料のパネルを何枚も見せて頂いた。中へも案内され、一階は改装工事をしていた。この地下で林謀盛やシビル・カシガスさんらを拷問していたのである。 そして136部隊が情報交換していたという東亞大旅店へ(↓) 当時としては高級ホテルであったという。 こうして戦跡巡りをしていると、主要な建物の多くは抗日戦との何らかの繋がりがあることが見えてきます。これらの貴重な建物は、今後歴史を継承していく上でも、取り壊されることなく、保存してほしいと願います。最後に日本人墓地(↓)を案内してくれました。 道路沿いに面したこの墓地は、明治後期に設置されたという。実際に敷地内に入って墓碑を眺めてみると、明治(西暦1868年~1912年)の文字が多く目につく。パンフレットによると、墓石数119柱のうち80柱が明治の没年で、それほど昔から多くの日本人がこの地に住んでいたことに驚きました。現在直接管理しているのは、墓地敷地内に住居を構えているサロジャンさんで、その彼女らしき人に慰霊堂に案内された。帳簿に目をやると、ポツポツと日本人も来られているようである。その後、劉先生の好意によりご自宅へ招いて頂きました。 ●ニュース [ 1分まとめ ] 五十嵐仁 八王子市長選挙 第一声後のパレード 1/17 五十嵐仁 八王子市長選挙 第一声集会より 2016.01.17 佐藤あずさ(社民党・八王子市議)「いがらし仁」さん応援スピーチ!八王子市長選挙 いがらし仁さんと市民のつどい イガジンの決意あふれるお話 いがらし仁 決起集会 2016.1.8 (小林 節 応援スピーチ~五十嵐 仁 演説) 大激戦の宜野湾市長選と天気について。- 2016.01.21 <憲法解釈議論>法制局長官、記録不作成認める 参院委 日韓局長、韓国・ソウルで極秘会談 少女像問題など話し合いか すしざんまい社長はソマリア沖の海賊を壊滅させたのか? 与党から甘利氏の進退論浮上 続投、閣僚から「厳しい」 きょう政府4演説 野党側は甘利大臣追及へ 甘利大臣「政治とカネ」疑惑 事務所関係者以外の第3者入れ調査 甘利明TPP担当大臣の「賄賂」報道について。- 2016.01.20 事故バスを検証 ギアは“ニュートラル” 「竹中工務店」の子会社、1億8,000万円の所得隠し指摘される 「露政府が関与」…英調査委 カツ横流し会社に立ち入り=食品リサイクル法で-農水・環境省 製薬協 化血研を除名処分 伍藤理事長「二度と起こらないよう業界一丸で努力」 靖国で爆発疑い 韓国人を再逮捕 「A級戦犯まつられ不満」 2016.01.05 小林節さん(慶応大学名誉教授)市民連合 新宿西口街宣 回顧録によると、李前大統領はこの発言の直後、「歴史問題は首相が何度も謝るより、日本で最も尊敬されている日王(天皇)が語れば、より簡単に解決できるという意味だ」と述べた。 天皇へ謝罪要求の背景は 李明博前大統領の側近が回顧録 「南京大虐殺」が狂わせた人生~日本兵が犯した「生肉の徴発」の罪はまだ消えない 生体実験で博士号とった日本人たち - 731部隊 731部隊の被害者遺族が日本ビザ発給を拒否される=「爆買いする人はそれでも行くのか?」「日本はお金を落とす人だけを歓迎する」―中国ネット 誰が、戦後沖縄をアメリカに渡しのたのだ? 沖縄戦全記録 2015 6 14 沖縄をこれ以上追い詰めてはならない 田原総一朗「記憶遺産登録の『南京大虐殺』を日本は完全否定できるのか」〈週刊朝日〉 日本の核燃料大量保管に世界が注目、中国外交部「実際の行動で国際社会の懸念を払拭してほしい」 侵略の歴史を隠蔽する決意を固めた日本 日本人作家、書籍通じて「旅順大虐殺」の真相語る―中国紙 リチャード・コシミズ 気狂い沙汰の安倍政権 http://yyy1496.web.fc2.com/sub14.html 何でこんなことをやっている?核軍縮と反対の動きでは?予算計112億円 核融合科学研究所 核融合なんて研究はやるべきでない!小出裕章 ●昭和天皇の戦争責任を考えると、「君が代は、千代に八千代にさざれ石の・・・」とは歌えない!! 入学式、卒業式では、強制的に起立させられ、公務員が拒否すると、罰せられるという異常な時代!! 重苦しい!! ●防衛省、外務省は積極的に国民に情報開示し、戦争を防止する義務がある!! 秘密保護法撤廃!! 731の情報を取得する行為も罰せられる?戦争の反省は全くしない? 自衛の名のもとに、戦後も生物戦・核戦争の研究は秘かに行われている? 1月22日の裁判は、延期になりました!!何でだろう?突然の裁判所の申し出、国家機密にする? 「国家政策の中で国防機関の発言力が強化され、軍事的観点が占める比重が高まるに伴い、軍事機密は外交、治安、経済など国政のあらゆる分野をおおい尽くすにいたる。この過程に照応して国民は政治の意思決定過程から排除されていく。参政権は骨抜きにされ、知る権利と表現の自由が抑圧される。国会は国権の最低機関に転落する。これこそ軍国主義の発生と成長の一般的法則なのである。最後に来るのは戦争である。 戦争を始めるかどうかの決定に、もはや国民はまったく参加することができない。戦争準備は極秘裏に進められ、ある日突如として戦争の火蓋が切られる。国民はただ肉弾として運命を甘受する他なかったのが、かつての軍国主義日本であった。いや、政府や参謀本部の決定さえ無しに、関東軍が勝手に戦争をおっぱじめ、その「既成事実」を否応なく追認させられつつ、破壊的な侵略戦争にエスカレートしていったのであった。アメリカのベトナム戦争もまた、そうであった。」(『日本の国家機密』藤井治夫著より) ※柳条湖事件も、初めから作戦の一環で、昭和天皇も知っていた。決して軍の独走ではない。 ●今の情報を公開しない姿勢は、戦前からずっと続いている!! 秘密保護法施行・・・何を政府はたくらんでいる? 防衛の名のもとに、軍事力は増強されている!! 特定秘密保護法はジャーナリズムに何をもたらすか(ラジオフォーラム#158) ちょっと古いが、参考になる本なので紹介します。1972(昭和47)年10月9日初版藤井治夫著『日本の国家機密』より 第一章 国家機密と軍国主義 1、戦後日本の機密保護体制 ブルジョア民主主義の恥部 ブルジョア革命は国民主権原理に立って表現の自由、政府にたいする批判の自由、それを保障する政府情報の公開を要求し、ある程度まで実現した。トマス ジェファスンが2回目の大統領施任演説において「批判の前に立つことができないような政府は、当然崩壊すべきであり、連邦政府の真の強さは、公開の批判を進んで許すこと、およびその批判に耐える能力をもつことである」と述べたように、政治の公開性―ガラスばりの政治と批判の自由は民主主義のカナメであった。p9 だが、独占資本主義が発展し、富と権力がますます一部少数者に集中するなかで、民主主義原理は形骸化していった。それは政府秘密の増大と機密保護法制の強化となってあらわれている。その典型は、第2次大戦を契機として軍産複合体制を確立したアメリカである。そこには、網の目のようにはりめぐらされた秘密保護法規が、熱病的な反共主義と結びついて、民主主義的自由と民主的政治制度を完全に狩り取っていった姿がみられる。それによってはじめて、ベトナムをはじめとする数多くの「宣戦布告なき戦争」が可能となったのである。政治の最高の悪である戦争が恣意的に開始され遂行される条件を与えた政府の秘密体質にたいする批判が、ベトナム反戦と結びついた表現の自由の問題として提起されることになるまでには4半世紀を要した。 南京大虐殺があったことは国民に知らせず、陥落を喜ぶニュース映像! 南京陥落 東京の風景 ●現在の日本 日本政府・天皇家は戦争犯罪をきちんと認めないから今の日本がある。今の日本はまた、八紘一宇の世界を目指しているのではないか? 平頂山、731・南京・毒ガス・細菌戦・・・等の戦争犯罪、日本の戦争犯罪はアジア全般にわたったが、特に中国では、731部隊などの石井機関で生体実験が行われ、細菌戦も実施された。また、毒ガスを多用し、残虐な殺害もした。アメリカは、中国からの情報を得て、それらを察知し、日本に非人道的な行為を止めるよう再三警告していた。それにより、日本軍の細菌戦と毒ガス戦の頻度は減ったが、アメリカ自身の受けた被害も相当だったために、アメリカは最後に実験的に原爆の使用に踏み切ったのではないか?これら非人道的な戦争犯罪(日本軍の行った大虐殺、細菌戦、毒ガス戦、無差別爆撃、アメリカの行った原爆投下や無差別爆撃等)が東京裁判できちんと裁かれていればもっと今の世の中は変わっていただろう。戦後十分に裁かれないで、また戦争の深い反省もなく来たものだから、旧軍関係者がそのまま自衛隊や大学・製薬会社などに滑り込み、実権を握り、戦後も軍国主義思想が根強く残り、軍隊の復活、人命・環境軽視の医療、経済がそのまま進み、9条の形骸化、水俣病をはじめとする公害が多発、医療事故などが起こっている。そして戦争や原爆への批判が不十分だから、アメリカに取り込まれ、原発推進に走り、3,11が起こっても方針を変えられない。いや、日本は生物、化学兵器や核兵器を開発しているのではという疑念さえ強く感じる。今の社会は一見華やかに見えるが、秘密保護法が施行され、ますます国家機密の名のもとに秘密主義が蔓延し、思想・信条の自由は制限され、戦中のように報道規制が強くしかれ、政治・医療・教育・食料・建築・農業・・・で様々なゆがみが出て、生きずらい社会になっている。 ・731部隊は天皇の勅令で巨費をかけて作られ、人体実験、細菌兵器の開発をし、実際に細菌戦を行った!! 闇に消えた虐殺~731部隊・細菌戦の真実(テレビ朝日「ザ・スクープ」、1997年8月放送) ・住民は、アメリカ兵を虐殺した!それを見逃す警察、軍隊。当時の日本の状況がよくわかる。捕虜に対する国際法は全く無視されていた!生体解剖は、軍、大学がグルになってやった?個人の意思ではない?陸軍病院、大学病院、精神病院でもいろいろな人体実験がなされていたのでは?九大、京大、東大、慶大等は戦中の資料をきちんと公開せよ!! 九州大学生体解剖事件を語る 中国の陸軍病院でも生きた人間を使った「生体手術演習」が行われていた。戦時中の日本の病院ではどうだったのだろうか? 消せない記憶「元軍医たちの謝罪の旅」 アトピーなどいろいろな子供の病気は食べ物や環境に大きく影響される。添加物屋の存在?石油メジャーに支配されている食品業界!!農業も同じ!! 食品の裏側「安部司講演会」DVDの一部紹介 今の医療は根本的に病気を治さない!!対症療法!! 内海聡の新説異説!「医学不要論」謎学WONDER⑤DVDダイジェスト ●脱原発 小出裕章先生:自分が生み出すゴミの始末の仕方も知らない…始めからやってはいけ事に気が付くべきです 小出裕章先生:自分が生み出すゴミの始末の仕方も知らない…始めからやってはいけ事に気が付くべきです ●戦争法体制・731部隊・「責任の歴史学」を考える ※次回情報公開裁判は1月22日(金)16:00~ ・なぜ、慶応大学は、「毒ガスの人体実験報告書」等の731関連資料をその後公開しない? ・なぜ、防衛省は細菌戦を記してある井本熊雄の業務日誌を公開しない? 松村講演1 松村講演2 ●南京大虐殺 ・証言 1937年には伯母さんの張杜氏は60歳余りで、家は糖坊橋6号でした。日本軍が入って来た3日目に、伯母さんが日本兵に強姦されてから部屋で撃ち殺され、下半身に着けていた物を全部剥ぎ取られました。従兄の張遠税(18歳で、半ば口が利けない)も、家の戸口で撃ち殺され、屍は紅十字会が引きずって行き、小粉橋も埋めました。後に私たちは2人にお棺をこしらえてあげ、太平門外の斜面に埋め直しました。(朱久英と顧洪華と汪道明が記録) 南京大虐殺 世界記憶遺産登録で世界の教科書に掲載可能性も 南京攻略戦に参加した日本兵の息子 「父に代わって謝罪」 “南京大虐殺”の国家追悼日、中国が歴史問題でアピール強める 南京事件の追悼式典 李建国氏、中国側の主張あらためて繰り返す 南京事件の国家追悼日で式典、南京大虐殺記念館に半旗―中国 昭和天皇・皇族はすべてを知っていた!! ハーバード・ピックス著『昭和天皇』(上)より 第3部 陛下の戦争(1931年~1945年) 第9章 聖戦 日本軍が将来犯すことになる戦時虐殺の土台がこの時期に築かれた。・・・・・ 1929年には、枢密院が軍の要求に応えて、ジュネーブ捕虜条約(1929年調印の「捕虜の処遇に関する条約」)の批准を保留した。枢密顧問官は、天皇の兵士は捕虜になる事を許されない以上、捕虜の処遇に関する条項は寛大すぎて実行できないという。陸海軍大臣と外務大臣の主張を容れたのである。・・・p171 ・・・・・・・・ (南京大虐殺) 皇族は皆、大虐殺があり、軍紀が崩壊同然にあることを知っていた。そして、この皇族には、松井大将指揮による南京攻略戦で司令官を務め、虐殺が最も激しかった時点で南京駐在の最高級将校だった、皇后良子の叔父で50歳の朝香宮、関東航空本部長で、やはり皇后良子の叔父にあたる49歳の東久邇宮、参謀総長を務める71歳の閑院宮が含まれていた。もとより、杉山陸相も知っていた。大本営の多くの中級、上級将校も知っていた。衆議院議員で予備役の江藤大将も知っていた。外務省は確実に知っていた。外務省東亜局長の石射猪太郎(いしいいたろう)はその日記に、「上海から来信、南京に於ける我軍の暴状を詳報し来る、掠奪、強姦目も当てられぬ惨状とある。嗚呼(ああ)之れが皇軍か」と嘆いている。外交官であり、老練な中国通であった重光葵(しげみつまもる)は、その後、戦時中に特命全権大使として南京に駐箚(チュウサツ)した際に「南京占領当時の罪科を償ふ為め支那に善政を布くことを極力努めた」と記している。 したがって、近衛内閣は南京での強姦や強奪を知っていたが、多くの報告を受けていた天皇は知らなかった、というのはありそうもないことである。昭和天皇は指揮命令系統の頂点にあり、たとえその指揮系統にどんな欠点があろうとも命令のまさに初期の起点に位置する天皇が、上位、中位の段階での決定を知らずにいることは容易にありえないことだった。天皇は、あらゆる日本軍の動静を詳細に追っており、外信に目を通し、毎日、新聞に目を通し、そして、そのようにして知ったことについて、しばしば側近に質問をしていた。南京奪取と占領を裁可した最高司令官として、日本の精神的な指導者―中国の「膺懲」に正当性を与えた個人―としての天皇は、公にではないにせよ、軍紀崩壊に少しは関心を持つ義務を、憲法上はもちろんとして、最低限の道義的義務として負っていた。天皇は決してそれを行ったようには見えない。p290より 世界初の「南京大虐殺辞典」出版される 済州の旧日本軍飛行場跡地から南京虐殺を振り返る 仏画家が南京大虐殺を題材にした油絵『暴行』を寄贈 |