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●731部隊(1) ●731部隊(2) ●731部隊(3) ●731部隊(4) ●陸軍軍医学校50周年記念行事について ●南京大虐殺 ●昭和天皇 ●教科書問題 ●陸軍登戸研究所 ●日航123便の怪 ●日本とドイツの違い ●原発・水俣病にみる学会の原因隠蔽の構図!! ●あなたの住む地域で、「731部隊展」を開いてみませんか? ●731部隊展 ●ニュース 三菱自本社立ち入り=燃費不正、幹部聴取へ―国交省 三菱自に「物言えぬ風土」 燃費目標、現場を圧迫 熊本で発電所の水路損壊、水20万立方メートル流出か 南相馬、7月1日に避難指示解除 政府意向、帰還困難区域除き 熊本地震 罹災証明書の発行進まず 申請の29% 生活再建に遅れ 「もんじゅ」の廃炉求める提言 市民団体がまとめる 何で、情報開示しない?? 特定秘密の運用監視 情報開示促進で意見聴取へ 軍事費が国を滅ぼす!! トランプ氏の「日本防衛費全額要求」について。-2016.05.05 志賀原発1号機の断層「動く可能性否定できず」 <ハンセン病>元患者ら「身内に甘い判断」特別法廷報告書に 光田健輔園長が初診察で「宇佐美、出て行け! 「組織罰」実現へ団体発足 尼崎脱線事故の遺族らがシンポ 天皇や安倍首相は731部隊跡や南京虐殺記念館には行かないのか? 米・オバマ大統領、5月27日に広島を訪問する方針固める なぜだ?? 米高官 核燃料サイクルに反対も日本に放棄求めず 20160402 自由なラジオ・ライトアップ「小出裕章ジャーナル」 ●脱原発!! 地震大国日本!これでも原発を動かすの?? 「高浜原発の運転は不安」が最多 意見公募、規制委に 審査書案は修正わずか 甲状腺がん「チェルノブイリの多発傾向と酷似」~疫学専門家 福島の癌→子供の甲状腺がん増加地図をチェルノブイリと比較する 母ちゃんの嘆き…子どもの叫び…過去を心に刻もうとしないモノへ…(¬_¬) トリチウム処理「慎重対応を」 県と県漁連 トリチウムについて!! 核融合はやるべきではない!! トリチウム含む汚染水 海洋放出が最安で最短の評価結果 川内原発は不安「すぐ止めて」 首相官邸前で緊急デモ 原発運転反対の弁護士団体 川内原発停止を申し入れ M7.3地震 約50キロの断層が2m近く横ずれか 地震回数が過去最多ペース 気象庁、活発な活動続く 「川内原発の運転停止求めた」 共産・小池氏 「川内」運転 住民ら不安 政府、地震域拡大でも静観 【熊本地震】丸川担当相「川内原発停止の必要なし」について。- 2016.04.16 活断層、日本に2千以上 どこでも大地震が起こる恐れ 「熊本地震は南海トラフ地震の前兆」専門家が緊急警告 ●731問題 特定秘密保護法撤廃!! 国民は「知る権利」を行使し、軍事増強を阻止しよう!! 4月12日(火)15:00から東京地裁419号室で『衛生学校記事』の情報公開裁判がありました。 10回目の法廷で、初めて傍聴席52席が満杯になり、熱気を帯びてきました。 なぜ、自衛隊衛生学校で作った『衛生学校記事』がきちんと保管されていないのだろうか? 衛生学校と言っても、国民の税金で作られた公の施設である。自衛隊だから戦後、物品の管理はしっかりやっていると思うのであるが、不思議である。自分たちの大事な研究をまとめた機関誌である。寄贈資料も所在不明、よほど、管理が杜撰なのか?? 季刊誌『ふかみどり』がきちんとあるのに、なぜ、その前の『衛生学校記事』ない?? 原告の陳述より 4 未調査の事実を認めた昨年11月の防街省の国会担当者の説明 実は、昨年11月、もう一つ重要なことが分かりました。 それは昨年11月に頂いた『彰古館所蔵資料一覧』の1615点に関連して、別紙4のとおり防衛省の国会担当者の○○氏が、「目録は衛生学校で所蔵している旧軍図書資料の全体の2割程度です」旨説明した事実です(甲156参照)。 上記の防衛省の国会担当者の説明からも、防衛省の探索が全く不十分であることは一目瞭然だと思います。 なんとか、この防衛省の内部研究誌を公開させたい!! ※尚、情報公開・個人情報保護審査会の答申が3月にあり、「『化学学校記事』と『衛生戦史資料の体系化』も不開示決定は妥当」としたことに対しても、裁判で公開を求めることにしたという。 ※特定秘密保護法が施行され、TPPはじめ、各省の情報開示が困難になってきている昨今、マスコミはこういう裁判を積極的に報道し、国の隠蔽体質を明らかにするべきだと思うが、一社も取材しないとは、どういうことだろうか?嘆かわしい!! 日本は「核兵器の非人道性」を主張する前に「731の非人道性」を謝罪せよ!! <G7外相会合>「核兵器の非人道性」盛らず 広島宣言 歴代日本政府は、天皇制護持の為、いつも情報を隠蔽している!! TPP文書だけではない!! ビキニ事件 周辺で操業の元乗組員などが国を提訴へ 内部文書「黒塗り」の中… TPP内幕本の出版未定に 開示された文書「何で黒塗り?」 歴史を繰り返さないための海外の取組み!!日本もパナマ文書等、情報を開示せよ!! <パナマ文書>中国2.8万件 日本関連800件 パナマ文書 民進が調査チームを発足 ヒトラー生家、強制収用へ=ナチス支持者の利用防止―オーストリア 守秘徹底、法人設立も容易=「文書」発端の租税回避地-パナマ 特定秘密の国会監視 実効性高められるかが課題 何で、行政が後押ししない?? 高知県、731部隊講演の後援断る 「事業に該当せず」 ・放射能の被害が深刻化しているのに、なぜ日本の医学界は“脱原発”と叫ばない?? 731部隊でも放射線をマルタに浴びせて人体実験をしていた。 科学者は、治療よりも、やはり新兵器に夢を託すのか?再び大日本帝国を目指して。 毒ガスの製造が明らかになったんだから、それと並行して生物兵器、核兵器も勿論自衛隊、国立感染症センターなどでは研究しているだろう。 731の秘密を隠すために、放射能の被害については、何も言わない?? 「心証を良くする為にとは、何のために心証をよくするんですか?」 「731のことなんかもあるでしょうね」 ※ヒロシマ・ナガサキの被爆者たちの治療よりも原爆の威力の調査が優先された。 国体護持のために。 今のフクシマの現状も同じではないか? なぜ、日本は原爆投下直後、調査をやったのか? 放射能の危険性 水俣病の被害が拡大した時も、医学界の権威者が、一時、チッソ水俣工場の有機水銀説を否定した。 水俣語り部、金子スミ子さん死去 一家で経験の苦しみ伝え 「出生年の線引きはおかしい。確かに症状があるのに。認めてほしい」 <水俣病>46歳、認められぬ苦難…公式確認60年 水俣病公式確認60年 未曽有の被害 全容未解明 水俣病 原因が工場排水中の水銀らしいと見当がついた1959年夏以降は、熊本大学医学部の研究班は企業や通産省、御用学者の集中砲火を浴びることになる。 731部隊の設置許可、人体実験、毒ガス戦・細菌戦実施の許可した昭和天皇とそれに協力せざるを得なかった日本医学界の責任、戦後、その人体実験、毒ガス戦・細菌戦を全く裁判にかけなかったマッカーサーとアメリカ政府の責任、1990年代から2000年代にかけて行われた裁判において、事実を認めながら、それを放置している司法の責任、全く無視している政治の責任、731に対する国民の認識は? 戦後70周年、中国の人々から日本の我々に届いた重いメッセージ! 虐殺された人々(日本人を含む)の声なき声にどう応えるか? 日本人はこの731問題にどう向き合うか?重い課題!! 日本には本当に三権分立があるのかが問われている!! 731(2) ・731部隊は我が大日本帝国最大の機密であり、今後はこの機密保持がどこまでなされるかが最大の問題である??? 黒い太陽№15 ※「機密」とは、秘密の保全が最高度に必要であって、その漏えいが国の安全又は利益に重大な損害を与えるおそれのあるものをいう。 戦前の刑法には、「敵国ノ為メニ間諜ヲ為シ、又ハ敵国ノ間諜ヲ幇助シタル者ハ死刑又ハ無期若クハ5年以上ノ懲役二処ス 軍事上ノ機密フ敵国二漏泄シタル者亦同シ」(第85条)という規定があった。 朝枝繁春の証言 |
●横浜「戦争と加害」のパネル
●全世界!!脱原発!!核兵器廃絶!!どこで地震・テロが起こるか分からない!! |
●昭和天皇と731部隊(細菌戦、毒ガス戦)
中国では、現在、細菌戦の調査が着々と進められている。日本政府は反対に細菌戦に対し、全く無視し、過去を消し去ろうとしている。
細菌戦裁判(1997年~2007年)
細菌戦被害の人々
(毒ガス戦)
日本鬼子のおきみやげ(毒ガス)
暴かれる毒ガス戦の真実
(毒ガス戦)
さらに昭和天皇は毒ガスの使用について直接的な責任がある。毒ガス兵器は多くの中国やモンゴルの戦闘員・非戦闘員を死に至らしめた。「日華事変」が全面戦争となる前、すでに天皇は化学兵器の要員と装備を中国に送ることを裁可していた。ベルサイユ条約第171条ならびに、第1次世界大戦後、日本が調印した国際的な協定は、催涙ガスを含め毒ガスの使用を禁止していた。しかし、軍事技術の面で劣った敵に対してはこの禁止を守らなくても問題はないと陸軍は考えていた。昭和天皇も明らかに同じ考えであった。天皇が化学兵器使用を最初に許可したのは、1937年7月28日のことであり、それは閑院宮参謀総長により発令された。北京-通州地区の掃討について、「適時催涙筒を使用することを得」と書かれていた命令である。天皇の2度目の命令は、1937年9月11日に出され、このときも閑院宮参謀総長により発令された。いくつかの特別な化学兵器部隊を上海に配備することを許可したものである。当初は実験的で、非常に小さな規模でこれらの命令が許可されたが、1938年の春・夏になると、中国、モンゴルの主要な戦闘地域で大規模に毒ガスが使用されることとなった。 (ハーバード・ピックス著『昭和天皇』より)
(細菌戦)
昭和天皇はまた、1940年中国で最初の細菌兵器の実験的な使用を許可した。現存する文書史料で、昭和天皇を細菌兵器と直接、結びつけるものはない。しかし、科学者の側面を持ち几帳面で、よく分からないことには質問し事前に吟味することなく御璽(ぎょじ)を押すことは拒絶する性格から見て昭和天皇は、おそらく自らが裁可した命令の意味を理解していただろう。細菌戦を担当した関東軍731部隊に参謀総長が発令した大本営の指令の詳細は、原則として天皇も見ていた。そして、このような指令、すなわち「大陸指」の根拠となった「大陸命」に天皇は常に目を通していた。中国での細菌兵器の使用は1942年まで続いたが、日本がこの細菌戦化学戦に依存したことは、第2次世界大戦が終了すると、アメリカにとって、にわかに重大な意味を持つこととなった。まず、トルーマン政権は大規模な細菌戦・化学戦の計画に予算を支出したが、それは日本の細菌・化学研究の発見と技術に基づいていた。次いで、それはベトナム戦争でアメリカが大量の化学兵器を使用することへとつながった。 (ハーバード・ピックス著『昭和天皇』より)
・「特殊部隊731」
秋山 浩著 (三一書房 1956年6月30日 発行)
第2部
恐るべき遠足
死体を解剖して、肺臓、脾臓など各部分からそれぞれ検査用塗抹標本を作る手伝いをさせられたのだったが、与えられた仕事を理解しようとする心のゆとりもなく、ただ反射的に手を動かしていた。周囲の壁を通して悲痛なうめきが聞こえ、金網の外には、取り出した臓腑をかぎつけた蠅どもがうなっている。
わずか1時間足らずの時間だったろうが、私は体も神経も蒸されたようにふらふらとなって部隊に帰った。
は一週間ほどたって全部焼き払われた。中には生き残った者もあったろうが、極秘の実験であるから、実験後には一人残らず殺されたのだそうである。
●『日本の国家機密』
今の情報を公開しない姿勢は、戦前からずっと続いている!!
秘密保護法施行・・・何を政府はたくらんでいる?
防衛の名のもとに、軍事力は増強されている!!
<特定秘密>新たに61件 記録文書27万2020件に
特定秘密保護法はジャーナリズムに何をもたらすか(ラジオフォーラム#158)
ちょっと古いが、参考になる本なので紹介します。1972(昭和47)年10月9日初版藤井治夫著『日本の国家機密』より
第二章国家機密の構造
5「秘」の性格と内容
すべての文書が「秘」
自衛隊も全く変わらない。その実態について検討をすすめよう。前記航空自衛隊の「秘密保全に関する達」は、「秘」の指定基準として次の19項目をしめしている。
第11条 訓令第5条第3項の秘密区分の秘に指定すべき知識又は文書等は、次の各号の基準 によるものとする
(11)予算に関する書類で秘匿を要するもの
(12)業務計画のうち、極秘に該当しないが秘匿を要するもの
(13)各種物件の調達計画で秘匿を要するもの
(14)編制及び装備のうち、極秘に該当しないが秘匿を要するもの
(15)衛生関係の統計資料で、秘匿を要するもの
(16)秘匿略号及び隠語表で極秘に該当しないもの
(17)調査及び秘密保全に関連する文書及び図画で秘匿を要するもの
(18)個々の場合、秘密区分の指定を要しないものであっても、総合編集の結果前各号の1以上に該当するもの
(19)その他訓令第5条第3号に照らし秘に指定することが適当であると認められるもの
「機密」から「秘」にいたる38項日におよぶ基準を検討するなら、自衛隊の基本的文書は、すべて秘密区分の指定を受けているといってよい。これに「取扱注意」を入れると、事実そういうことになる。むしろ秘密でないものの基準をしめしたほうが簡明であろうと“提言 ”したくなるのである。
※南京大虐殺があったことは国民に知らせず(これも国家機密であったのか?)、陥落を喜ぶニュース映像!
南京陥落 東京の風景
※しかし、溥儀が恐れるほど関東軍が強くないことを証明したのが、1938年の張鼓峰(ちょうこほう)事件と1939年のノモンハン事件である。いずれもソ連との国境紛争で、関東軍は惨敗した。両事件ともソ連軍の戦車・航空機・大砲・兵員が、質量とも圧倒的に勝っていた。日本軍は2度の敗戦をひた隠しに隠した。『赤い夕日と黒い大地』(竹内治一著)
※日本は、ノモンハンの敗北を封印することに腐心する。帰還した将兵には緘口(かんこう)令を敷き、戦闘に参加した将校を自決させ、作戦を立案した参謀を更迭した。
●現在の日本
日本は、アメリカと情報交換しながら、生物兵器、化学兵器、核兵器を、秘密裡に開発しているのではないか??
全く戦争の反省をしていないのだから。
戦後、全く裁かれなかった731部隊員の上級隊員は、大学教授や国立予防衛生研究所(現在の国立感染症研究所)、製薬会社などで、重要なポストに就いていた。
また、原爆製造に関わった研究者(ニ号研究・F研究)の後継者なども、そのまま反省することなく、核融合などの研究を続けているのではないか。
731部隊→ABCC(被爆者は治療もされずに、原爆の影響を調べられた。・・・731部隊員の協力)→放影研→重松逸造・・チェルノブイリ原発事故について・・・汚染地帯の住民には放射能による健康影響は認められない。→福島原発事故・・原子力を進めてきた人たちは、福島で今、甲状腺がんが多発しているけれども、それは被曝との因果関係はないと主張している。
日本の原爆開発
核融合はやるべきではない!!
この施設ではいったいどんな研究が行われているのか?水爆の開発??
核融合科学研究所
原子力開発と核開発 ミサイル発射とロケット発射 日本の野心とは!?
”核”を求めた日本ー被爆国の知られざる真実ー(内容全て書き出しました)
どんな生物兵器を作るのか??「周辺住民の理解を得ながら進めていきたい」と話しています。周辺住民が納得するのだろうか??
国立感染症研究所 「レベル4」施設で5月から実験
国立感染症研究所の危険性!!
科学者・軍隊は、戦争になる前から殺人兵器の開発に夢中になる!!
『「盗まれた最高機密~原爆・スパイ戦の真実~」』
●南京大虐殺
ベイツはティムパレイ『日本軍の中国での凶暴な行為』(1938年6月)の主たる企画者であった。日本を7回短く訪れインドを1回訪れて会議に参加したほかは、ベイツは1937年から1941年までずっと南京に留まり、日本当局の暴虐行為に、とりわけ麻薬貿易に挑戦した。彼は南京国際救済委員会を代表してパンフレットを2冊書いたが、1冊が『南京地域の食料調査』、もう1冊が『南京の人口』で、両者ともに我々が南京大虐殺を了解するのに役立っている。戦後に彼は召し出されて東京裁判に証人として出席し、引き続き中国の日本戦犯に対する裁判に出席して証言した。
日本の軍隊は南京〔Nanking〕での評判がすこぶる悪く、中国人住民と外国人世論とから、尊敬を勝ち得る大事な時期を失してしまった。この地域での中国政府の恥ずべき壊滅と中国軍の瓦解とで、数多くの者たちが、日本の吹聴していた秩序と組織とに期待していた。当地の多くの住民たちが、日本軍の入城した時に、心底ホッとした表情を見せたのは、戦争状態の緊張といつ空襲があるかも分からない恐怖とが、全く無くなったからだ。少なくとも壊走する兵士たちを恐れなくてよかったし、確かにまだ市街地の大部分がひどくは破壊されてなく、逃げ出すという状態ではなかったのだ。
しゃべってから死ぬ!南京大虐殺
南京大虐殺:侵華日軍南京大 南京電影制片庁 21分
昭和天皇・皇族はすべてを知っていた!!
ハーバード・ピックス著『昭和天皇』(上)より
第3部 陛下の戦争(1931年~1945年)
第9章 聖戦
日本軍が将来犯すことになる戦時虐殺の土台がこの時期に築かれた。・・・・・
1929年には、枢密院が軍の要求に応えて、ジュネーブ捕虜条約(1929年調印の「捕虜の処遇に関する条約」)の批准を保留した。枢密顧問官は、天皇の兵士は捕虜になる事を許されない以上、捕虜の処遇に関する条項は寛大すぎて実行できないという。陸海軍大臣と外務大臣の主張を容れたのである。・・・p171
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(南京大虐殺)
皇族は皆、大虐殺があり、軍紀が崩壊同然にあることを知っていた。そして、この皇族には、松井大将指揮による南京攻略戦で司令官を務め、虐殺が最も激しかった時点で南京駐在の最高級将校だった、皇后良子の叔父で50歳の朝香宮、関東航空本部長で、やはり皇后良子の叔父にあたる49歳の東久邇宮、参謀総長を務める71歳の閑院宮が含まれていた。もとより、杉山陸相も知っていた。大本営の多くの中級、上級将校も知っていた。衆議院議員で予備役の江藤大将も知っていた。外務省は確実に知っていた。外務省東亜局長の石射猪太郎(いしいいたろう)はその日記に、「上海から来信、南京に於ける我軍の暴状を詳報し来る、掠奪、強姦目も当てられぬ惨状とある。嗚呼(ああ)之れが皇軍か」と嘆いている。外交官であり、老練な中国通であった重光葵(しげみつまもる)は、その後、戦時中に特命全権大使として南京に駐箚(チュウサツ)した際に「南京占領当時の罪科を償ふ為め支那に善政を布くことを極力努めた」と記している。
したがって、近衛内閣は南京での強姦や強奪を知っていたが、多くの報告を受けていた天皇は知らなかった、というのはありそうもないことである。昭和天皇は指揮命令系統の頂点にあり、たとえその指揮系統にどんな欠点があろうとも命令のまさに初期の起点に位置する天皇が、上位、中位の段階での決定を知らずにいることは容易にありえないことだった。天皇は、あらゆる日本軍の動静を詳細に追っており、外信に目を通し、毎日、新聞に目を通し、そして、そのようにして知ったことについて、しばしば側近に質問をしていた。南京奪取と占領を裁可した最高司令官として、日本の精神的な指導者―中国の「膺懲」に正当性を与えた個人―としての天皇は、公にではないにせよ、軍紀崩壊に少しは関心を持つ義務を、憲法上はもちろんとして、最低限の道義的義務として負っていた。天皇は決してそれを行ったようには見えない。p290より
※南京事件の悪評に苦慮した日本軍上層部は、杉山元陸相、梅津美治郎(よしじろう)中将、今村均(ひとし)中将らを中心に1938年3月4日、日本軍のいる所に「慰安所」の設置を決め、通達した。しかし、日本内地の娼婦だけでは到底間に合わず、ついには朝鮮半島の若い女性たちが生贄(いけにえ)にされた。その発端は、「朝鮮の若い女性は性病がなく、危険が少ない」という麻生軍医の上申書であった。『赤い夕日と黒い大地』(竹内治一著)
世界初の「南京大虐殺辞典」出版される
●中国残留孤児問題!!(中国残留孤児の書いた奇跡の書「この生あるは」)
映画化したら、過酷な運命・そして中国人の人間愛がよくわかる!!
敗戦時3歳、この中国残留孤児の過酷な運命に対して、国はきちんと補償したのだろうか?
この本の中に、米軍が1950年代の朝鮮戦争時、北朝鮮に行った細菌戦に神経を尖らせている中国の一般民衆の生活や反核運動の様子が描かれている。
中国の恩に報いたいー半生記を出版した残留孤児 中島幼八さん
2016年1月18日記(武漢大学客員教授・日本記者クラブ会員)
残留孤児の一冊<本澤二郎の「日本の風景」(2238)
<「この生あるは」(中島幼八著)>
中国・新華社通信の友人に紹介された残留孤児・中島幼八さんの記録「この生あるは」(幼学堂)の日本語版を読んだ。その悲しい運命から、気が重くなる厳しい内容ゆえに、同じ時代を日本で生きてきた者には、とても興味を引く本である。人間は一人では生きられない、そのことを痛切に教えてくれる人間性のあふれる内容である。同時に「2度と侵略や戦争を起こしてはならない」ということを、日本の為政者に訴えている。全国の図書館に置いて、多くの国民が読むべきである。
<克明な記録に圧倒>
残留孤児という名前は承知しているが、その悲劇の主人公がどう生きてきたのか、まったく知らない日本人ばかりであるが、その疑問に「この生あるは」は、一つの回答を与えている。
いえることは、中島さんは実に幸運な中国生活を過ごしてきたことが理解できる。克明な記録に圧倒される。幼少の記録を多くの人間にとって記憶にないかわずかだ。異常な運命が、それを克服したものであろうか。
70年前の人々が、現代に生き生きと蘇っている。
発売元 亜東書店 03-3835-7091
中国語版 北京三聯書店「何有此生」
●731問題
・日本政府・医学界は731問題を真剣に反省し、国立の「731・細菌戦資料センター」を作ったらどうか?
医の倫理は、向上すると思う!!
中国の虚空を日本人に慰霊されない多くの犠牲者の霊がさまよっている!!
夏草をふみしめ引込み線を歩いた
視界が不意に三角形に切り取られ
やがて歴史の暗渠(あんきょ)に足を踏み入れる
見上げれば天を突く巨大な残骸
ただれ崩れ落ち、悲しみの肉塊のように
灰色の空の下で泣いている
【「哈爾濱(ハルビン)残照「731」の記憶 田中寛著】より
日本人よ、血の債務をあがなえ!終戦から70年、いまだ消えぬ731部隊の傷跡―仏メディア
混声合唱組曲「悪魔の飽食」(池辺晋一郎指揮)
・「特殊部隊731」
秋山 浩著 (三一書房 1956年6月30日 発行)
第3部
友を残して
50台ぐらい残置してあった石井式給水自動車も、草原に一列に並べて火をかけた。
重要なものの整理が済み次第、あとは建物に火をつけるのである。私達はそこでいっぺん内務班へ帰って休養することになった。午後の3時頃だった。
昨夜は一睡もせず、昨日の朝から動き通しなので、自ら気合を入れるつもりで駆け出しても頭の芯がいつしかぼうとかすんできて、足の運びも宙に浮いたように頼りなかった。
宿舎へ着くと、意外にも浜中が帰って来ていた。思えば、昨夜から浜中のことを思い出すいとまもなかったのだ。
「いつ帰ったんだい、よかったな」
私は彼のそばに横ざまに坐り込みながら言った。
「うん」と彼は低く答えたが、眼は放心したように頼りなかった。気がついてみると、いつもかけているメガネがなかった。おそらく逃亡を企てて捕まったとき叩き落され、それっきりになっていたに違いない。「メガネはどうした」と聞こうとしたが、あのときの傷がまだ残っている頭を見ると、聞くまでもないという気がした。浜中は、営倉から帰されたはいいが、どうしていいのか身の扱い方に困り果てたらしい。部隊内には、この騒動だし自分の所持品は何もなくなっているし、同僚たちからは、このときにいたってもなお、うろんな眼で見られるのである。
厚生省・国民健康保険について(消えた細菌戦部隊より:常石敬一著より)
医務局長としての小泉の実績は、確かに先の、「意欲・鋭さ・執拗さ」という言葉に見合ったものとなっている。すなわち今日の厚生省及び国民健康保険法を作ったのが小泉であった。・・・・・・
健兵対策の一環として厚生省は設立されたのだった。こうした設立の経緯が、今日の厚生省の弱者に冷たく、福祉行政に消極的な理由となっているのかもしれない。
小泉親彦(ちかひこ)
※小泉親彦(ちかひこ)・・・陸軍軍医学校校長、陸軍軍医総監、陸軍医務局長、厚生大臣を歴任、毒ガス戦、細菌戦を積極的に推し進めた人物
1945年9月、自決。
真実を知ろう!!(権力側が流す情報にだまされるな!!)
北坦村の悲劇
ガン治療のウラ 1/8
「歴史教科書を信じてはいけない」船瀬俊介の船瀬塾
「悪魔の飽食」から「小食へ」(体質改善への道)
医師 甲田光雄6/6 ラジオ深夜便
●ハーバード・ピックス著『昭和天皇』(下)より
第13章 遅すぎた降伏
Ⅳ
失われた3度めの機会は7月27日から28日にかけて訪れた。ポツダム宣言が通告され、鈴木内閣はこれを注意深く検討したうえで、2度にわたり正式にこれを拒絶した。この時点で、「和平派」の誰もポツダム宣言受諾を検討しようとしなかった。まだ調整のついていない近衛のモスクワ特使派遣に希望を託し、天皇と木戸は降伏を遅らせ、戦争が続くのを放置したのである。7月27日に、ポツダム宣言の通告を受け、そして、8月6日に、広島に原爆投下されるまでの間に、昭和天皇と木戸は佐藤ソ連大使らが繰り返しソ連から回答はけっして来ないと述べていたのにもかかわらず、モスクワの反応をひたすら待ちつづけた。広島に原爆が投下されて初めて、昭和天皇は「かくなる上は止むを得ぬ」と木戸に述べ、そして、木戸によると原爆投下について「終戦断行の好機」が与えられたとの印象をふたりは持ったのであった。この11日の間に、1万人以上の日本人が、通常爆弾による空襲で死んでいた。
瀋陽軍事裁判 「731榊原、満州国次長古海、皇帝溥儀等の証言、アヘン政策、三光作戦鈴木啓久 」
●『天皇の陰謀』
天皇裕仁はかく日本を対西洋戦争に導いた
ディビット・バーガミニ 著
松崎 元 訳より
第三章
敗戦
(その2)
東条逮捕
アメリカの報道陣が東条の前庭に一日中張り込んでいた9月11日の午後、MPがようやく彼を逮捕しに現れた。東条は、書斎の窓から彼らに聞いた。何が欲しいのか。その根拠は何か。米軍担当者はその証明書を提示してほしい。それぞれの返答を聞いた後、東条は次の質問を考えるために書斎の中にひっこんだ。一人の米国人特派員が冗談を言った――「まるでロミオとジュリエットのバルコニーのシーンの始まりだな」。そして東条は、玄関の戸を開けるまで、少し待ってくれるようにと最後に言った。東条はジープの到来以来、妻をあえて無視していたが、彼女は、隣の庭から自宅を見ていた。彼女は農婦のもんぺをはいていたので、誰も彼女に注目しなかった。できるだけの詳細を目撃し、東条の他の家族に知らせることは、彼女の任務であった。