細菌戦の系譜!!

2019-01-21 06:28:18 | Weblog
第20回『衛生学校記事』情報公開裁判
細菌戦部隊(731部隊と100部隊)パネル展を開催しませんか?
戦争の加害パネル展(横浜)
防衛費の異常な増加に抗議!!
第20回『衛生学校記事』情報公開裁判
第11a回『化学学校記事』情報公開裁判
731部隊の証言(第26回)(ビデオ学習会)
731部隊『留守名簿』(不二出版)2018年9月
京大 軍医博士論文の検証
731部隊『留守名簿』公開
ある元自衛官の回想 「化学学校の黒い霧」
第10回ビザ発給拒否・集会妨害国賠訴訟【9月21日(金)11:30~東京地裁415号室】
731部隊と「要塞」遺跡を訪ねる

日本は、あの侵略戦争を反省して、憲法9条を作った!!
平和条約締結は「日本が大戦の結果認めること」 露外相
●日本国憲法第9条
1、日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
2、前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。

●ニュース

竹田会長の記者会見は本当に「潔白主張」なのか
海外メディア「かえって疑惑深まった」 JOC竹田会長の会見

【大竹まこと×金子勝×室井佑月】 日立がイギリス原発輸出を断念! 世界に逆行する日本と経団連の責任


森友・加計問題 疑惑の核心/下 政治家、官邸官僚… 「安倍側用人」を覆う「黒い霧」

厚労省、勤労統計の不正調査問題 追加支給2015万人に拡大…総額800億円に


辺野古県民投票求めたハンスト終了 105時間、医師がストップ

「水俣病は終わらない」公式確認から60年―私たちに託されたメッセージ

松本元死刑囚らの死刑執行文書、ほぼ全て黒塗りで開示

“旧優生保護法”強制的な不妊手術 事業として推進(18/04/27)


真相を解明していないからこうなるのだろう!!
オウム13人死刑で「上川陽子法相」一生SPつきの生活


731部隊員・長友浪男軍医少佐の戦中・戦後、甲第1855部隊考、他


国立公文書館で公開された留守名簿を巡る問題


中国の侵略被害者の証言を聞く集い2018 11.30

●お知らせ




京大の「731部隊」論文疑惑(上) 勝間田秀樹(京都支局)

731部隊将校の学位取り消しを 人体実験疑い論文で京大に



「特殊部隊731」
秋山 浩著 (三一書房 1956年6月30日 発行)

731の編成と生い立ち
「おい、お前の所は何をやっているんだい?
「何って、・・・・そんなことをしゃべってはいけないって、言われているじゃないか」
「構いやしないさ。どうせここだけの話なんだもの、びくびくすることもないよ」
こんな会話が、消燈後の床の中で交わされるようになった。岩手の森島が一番口が固く、自分から話しかけるということは滅多にない男だった。しかし、同じ屋根の下、同じ部屋にいて、お互いに秘密を持っているというのは息の詰まるような苦痛である。まして、何の楽しみもない営内生活なのだから、話し合うことが、うさを忘れる唯一の方法なのだ。もう1ヵ月半も同居して、そのわりに親近感が湧かないのは、1人1人が秘密を持つ者の重苦しさを抱いたまま孤立しているからであった。しかしついに、その重さに耐え切れなくなってきたのである。
私達は、こうして、直接教えられはしない部隊の内容を察知すると同時に、自分が置かれた、苛酷な運命に対する諦観を徐々に身につけていったのである。
*   *   *   *   *   *



・陸軍軍医少佐 平澤正欣の学位授与授与の内容
(731資料センター会報28号より:西山勝夫「731部隊問題、克服への道」より)
1945年6月6日に京都大学医学部教授会で審査後纏められた平澤正欣論文要旨(国立公文書館学位授与記録より翻刻、京都大学公文書館の内容と同一)は以下の通り




京都大学は何を学位授与に値すると認定したか。【先人の見解と異なり「イヌノミ」もまた人類に対する「ペスト」媒介蚤なる新事実を発見せり】、人と獣(イヌ)、両方同じ媒体、「イヌノミ」により「ペスト」に感染すること、「ペスト」の人獣感染を新事実として評価しました。ネズミ、モルモットやサルで実験をやっていて、どうして人に感染したと言えるのでしょうか。
審査員の戸田元医学部長、木村医学部長は731部隊に教え子を送った人達です。彼らは、自らも陸軍軍医学校の嘱託研究員などを務め、戦後に戸田は金沢大学の学長、木村は名古屋市立大学学長になったことで知られています。
これらの論文を2014年から15年に検討し、15年3月の戦医研例会で紹介し、問題を、以下の4点にまとめました。
・実験対象がヒトであるにもかかわらず、「さる」と偽った
・当該対象者を治療することを目的とした実験ではなかった
・当該対象者の発症後も治療せずに死亡に至るまで経過を観察した
・死亡後の学位授与認可
・・・・・


「元満州中川村開拓団 私の敗戦回顧録」







日本は、日中戦争で国際法に違反して、毒ガス戦、細菌戦、無差別爆撃を行った。日本政府は、この事実をきちんと認めていない!!
●『日本の中国侵略と毒ガス兵器』 歩平著(山邊悠喜子、宮崎教四郎訳)明石書店より
第3章 毒ガスと毒ガス兵器の大規模生産

曽根の印象

私達は話しながら丘を下り、塀に近づいた。灰黄色の部分はきっと当時のものだろう。塀の壁はすっかり古くなっていた。この壁はあまり高くないが、見たところ壁の上には高圧電流の通った有刺鉄線が張り巡らされていたことが分かる。そこには鉄柱の跡と電線を巻いたのであろう絶縁子が残されていて、不気味だ。岡田老人は、本来なら砲弾に填実の作業も大久野島でやることになっていたが、需要が増えて、大久野島工廠では追いつかなくなった。それに三呉鉄道が完成して交通も便利になったので、大久野島では毒剤を生産し、曽根では砲弾に填実するように方針が決まったのだと話された。この話を聞きながら、私は大久野島の作業員であった服部忠さんの回想録に記載されている「赤馬事件」を思い出した。上述の決定の後、大久野島と曽根の間に頻繁な毒剤の輸送が開始されたときのことである。ある年の夏、馬車に毒剤缶を積んで曽根の駅から工場まで運んでいた。とても暑かったので積み荷のジフェニール・シアンアルシン(あか1号)が照り付けられて外にあふれ出た。馬は尻尾を振って蚊や蠅を追い払うので毒剤が馬の体につき、結果は全身に潰瘍ができ、水泡が生じて死んだ。また、回想の中には倉庫の中の青酸ガスが自然爆発した時のことが書かれてあった。



●特集 軍拡に走る安倍政権と学術①

15年戦争中の「医学犯罪」に目を閉ざさず、繰り返さないために
1、戦争における医学者・医師たちの犯罪

西山勝夫さん(滋賀医科大学名誉教授)に聞く
にしやま・かつお=滋賀医科大学名誉教授、 15年戦争と日本の医学医療研究会事務局長、「戦争と医の倫理」の検証を進める会代表世話人、軍学共同反対連絡会共同代表

3、戦後、日本の戦争医学犯罪は裁かれなかったのか
■隠蔽・極秘取引・タブー・無視と検証・克服
―これらのことについて、戦後の医学界・医療界、医学者・医師はどのように向き合ってきたのでしょうか。団体の動きや、個人の発言などもふくめて紹介してください。

戦中だけではなく戦後にも陸軍軍医学校防疫研究報告が医学博士の学位授与のための論文として提出されていたことも明らかにされました。さらに2012年に着手した、京大や東大の学位授与記録の調査では、731部隊と関係が深かった諸教授が戦後も学位審査委員として学位授与に関与したことなどが明らかになりました。前述した2011年に明らかになった細菌兵器による攻撃についての新資料は、元部隊員が学位授与(1949年)に際して提出した論文の一部で、主査は、戦中に東大の伝染病研究所で指導に当たった教授で当時、医学部長、日本医学会会長でした。京大の学位授与記録調査では、1959年9月になっても学位が授与されており、その主査および副査2人中1人は元部隊員で戦後京大医学部教授になった人物でした


昨年2018年12月に、『留守名簿 関東軍防疫給水部 満州第659部隊』2冊が発売されました!!(不二出版)



●「衛生学校記事」とはどんなものだろうか?
井上義弘【1904~1969(65歳)、石川県出身
1929年に台北医専卒、陸軍見習士官を経て1931年3等軍医、1948年軍医中佐、その間、陸軍軍医学校教官、陸軍医務局課員、シンガポールに設置された細菌戦部隊(南方軍防疫給水部9420部隊)に所属、戦後、第1復員省、厚生省復員局勤務、1953年復員局から保安庁に出向、陸上幕僚監部衛生課長、陸上自衛隊衛生学校第5代校長、陸上幕僚監部衛生監を歴任1960年退官。近代5種競技世界選手権大会(ブタペスト)に日本選手団長として参加中、1969年9月急逝。1969年日本体育協会近代5種・バイアスロン連合会副理事長となり、専門の体力医学の分野で活躍】
第4代衛生学校長であった金原が1957年12月突如転任になり、第5代の衛生学校長になったのが井上だ。両人とも戦時中の細菌戦部隊にかかわった人物である。それも金原は細菌戦部隊の指導的な立場にあった。それがアメリカの圧力か何かで、衛生学校長の職を転任になり、その後を井上が引き継いだ。
井上は、自衛隊に保管されていた731関連の資料を自宅に持ち帰り、保管していたが、ブタペストで急逝したため、何も知らない遺族がそれらの資料を廃棄してしまった。ところがそれが神田の古書店に行きつき、某大学の研究者の目に留まり、その大学で買い取った。そこで改めてその資料を検証すると、731部隊の毒ガス実験等の論文があった。某大学では、その買い取った731関連の資料や、731部隊のデータを使って書いた論文等は、以前はその大学研究者は許可を得て見ることができたが、今ではそれらを見ることができなくなっている。
又、京大の次に多くの医学者を731に送った東大も細菌戦に関する資料を公開せず問題になっている。
東京医大等の不正入試だけでなく、大学医学部の戦中の細菌戦関連の資料の隠蔽も今、大きな問題になっている。
※1955年に二木秀雄が精魂塔を多磨霊園に建立し、731部隊の戦友会「精魂会」が発足した。
1950年には日本ブラッドバンクが内藤良一(元731部隊員)らによって設立され、元731部隊員は復権に向けて動き出している。


復刊衛生学校記事1(2)(井上義弘)
1961年7月

昭和20年の頃

1、養衆の条件
兵が酒保で使う金額は制限され、小夜食、加給品、酒保食品も戦争の始まった頃の半量以下となっていた。しかも兵士の訓練や作業は激しく、エネルギーの補給は消費に追いつけなかった。兵士の中には空腹に耐えかねて、下水に流れる調理場のクズや馬量にまで手を伸ばして口に運ぶ者もあった。従来軍は訓練第1で全ての施策はこの主旨に沿って行われたのであったが、20年1月に出された陸軍次官通達は、給与の現況に応じ、訓練の度を調整することが統率の主要な着眼であり、自活態勢の強化が軍の最も必要な業務であるという主旨で、アイマイに訓練を減らすのも致し方無いという意味にとれた。




イタイイタイ病を究明した男 萩野昇

●驚愕!御用医学者をさかのぼると、すぐに731部隊に行き着く

水俣病問題

小島三郎国立予防衛生研究所所長の過去

小泉親彦と宮川米次の絆

ヒロシマからフクシマへ

宮川正

「想定外」 と日本の統治—ヒロシマからフクシマへ—

ビキニ「死の灰」世界各地へ

自衛隊とサリン

相模海軍工廠・寒川と平塚にあった秘密毒ガス工場

日本の国家機密

兒嶋俊郎さんを偲ぶ



●昭和天皇の戦争責任を問う!!大嘗祭反対!!


●昭和天皇(ハーバード・ピックス著『昭和天皇』より)
第3部   陛下の戦争
1931(昭和6)年―1945 (昭和20)年

第7章 満州事変



1933年が明けるとジュネーブの日本代表団は国際的に孤立していた。国際連盟が日本政府の公式見解を受け入れなかったことをめぐり、東京での議論は沸騰した。内田外相は日本の連盟脱退が差し迫っていることを奏上したが、天皇は、日本が連盟から認められている旧ドイツ領ミクロネシアの信託統治権にどのような影響があるかと質問したにすぎなかった。ひと月後の2月20日、斎藤内閣は正式に―しかし、ひそかに―国際連盟脱退を決定した。24日、連盟は42対1(日本)で満州国承認を否認し、当然のことでもあるが日本の侵略を穏健な仕方で批判した報告書を採択した。英語に堪能な日本代表団首席松岡洋右(ようすけ)は、内閣の既定の方針に従い、総会を退出した。2月27日、日本政府は連盟脱退を正式に通告した。



小泉親彦と昭和天皇

近現代史を《憲法視点》から問う~「湘南社」の憲法論議~

近代天皇制の真髄は

福沢諭吉

神武と戦争




憲法9条を生かそう!!
 
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