憲法9条を世界憲法へ!!
憲法9条を世界憲法へ!!
2022年4月「表現の不自由」展
森友記録を開示せよ!!
11月17日(水)
・反原発を知ることは大切ですね。なぜ必要だと思うのかを知った上で、話をするのは本当に大事だと強く思いました。(60代、市外)
「部外秘 参考資料 CBR講習資料」11頁 作成日時不詳 陸上幕僚監部化学科より
d旧日本軍の細菌戦活動
旧日本軍の石井部隊は又の名を関東軍防疫、給水、731部隊、加茂部隊、特25204部隊と呼ばれた。細菌戦闘専門の特殊部隊であった。隊の設立は昭和6(1931)年で満州の研究所完成は昭和10(1935)年である。日本軍細菌戦部隊の本拠は満州ハルビン郊外濱江省(ひんこうしょう)双城県平房の4階建近代建築でその中で遮断隔離の生活をしていた。設備は爆撃機(細菌撒布用)10機、1000kwタービン発電機2台である。この本部の元に、孫呉、海拉爾(ハイラル)、牡丹江、林口、大連の5支部があり、大連のものは大連研究所または松林機関とも言われていた。他の部課は細菌の攻撃方法、容器散布方法、防疫問題を研究していた。最も力を入れたのはヒタツリ菌(注:脾脱疽菌)であった。この菌を粉末にして榴散弾の70g位の鉛製弾子に混ぜ、これを砲弾内に詰め、炸薬が爆発すると弾子が飛散して人馬に感染さすようになっている。実験場所は731部隊研究所から北に300(?)㎞ばかりのアンダ飛行場を使用した。そして砲弾が爆発しても菌の40%は生きていること及び培養器に飛ばされた菌は確実に付着する事、負傷者は発病することが確認されている。1938年中国廬山の戦闘で日本軍が毒ガス、ホスゲンを使用したという2,3の細菌記録がある。この記録を持つ731部隊は1945年8月9日午前6時ハルビンの工兵、歩兵、砲兵によって徹底的に破壊され付属設備は地上から姿を消した。ソ連の対日参戦による退却の結果である」
長岡大学 研究論叢 第16号より(2018年8月)
・・・731部隊に関する概要が正確に記述されており、更に1938年に毒ガスを作戦で使用したことまで記している。これは化学学校の教育部長が、特殊課程の学生に講義した内容である。内容は事実であると確認して行ったと考えるほかはない。戦後自衛隊は731部隊の実態とその活動を把握した上で、何ら反省することなく自衛官に「教育」してきたのである。また教科書裁判では日本政府は長きにわたり731部隊の活動の事実認定さえ回避してきたが、陸上自衛隊の内部教育資料にも明記されるほど、自衛隊幹部周知の事実だったのであり、日本政府は一貫して内外に虚偽の主張をしてきたと言える。
日本医学界では731部隊の反省は戦後全くなされていないが、以下の書に731の記述が記されている。
『日本医学百年史』第4章 戦時体制下の医学 全体主義思想p236
「このようにして日本の医師の戦争政策への積極的な協力が行われていったのであるが、直接的な戦闘行為への協力の中で極めて非人道的な、目を覆わざるを得ないものに、細菌戦の準備があった。細菌戦の準備と実行を持った特殊部隊は、昭和10年(1935)夏、石井四郎を部隊長に満洲で編成され「関東軍防疫給水部」と称せられた。
昭和17年頃に「第731部隊」に昇格し、その研究、実験、製造は急に活発になった。(昭和14年のノモンハン事件に参加し、感状をもらっている)この部隊は細菌の製造、兵器としての細菌の利用、人体実験等を行い、施設として、常備爆撃機10機、1000kw発電機2台、隊員及び家族約6000名、年間研究費予算8000千円以上と言われている。
勿論、この部隊に多くの医学者が参加した。このことから、科学者としての責任の問題と同時に戦争責任が問題になってくる。
細菌戦準備への医学者の参加は、戦争責任の最も極端な場合として提起したわけであるが、このことの深い反省の上に戦後の再建も始められる必要があったし、現在でもなお問題とされねばならない。」
731部隊の史実を語り継ぐ連続学習会第6回
731部隊の史実を語り継ぐ連続学習会第7回
731部隊の史実を語り継ぐ連続学習会第8回
●今の日本人は、まさかと思うかもしれない。
日本政府は、真摯に過去に向き合い、生物兵器を作ったことを謝罪し、今のこの難局に、立ち向かうべきだ!!
東大医学部を卒業、将来を期待される医学者でありながら、731部隊の恐ろしい体験から、そしてその731部隊に参加したという罪の意識から、戦後医学者の道を捨ててしまった男、秋元寿恵夫
元731部隊員(第十課 血清班班長)秋元寿恵夫の言葉
「もしもバイオテクノロジーが軍事研究の魔の手に捕らえられた時の行き先がどうなるのかの危険性は、「ひょっとしたら人間の知能などを変える」どころか、さらには人類にとって取り返しのつかない害悪をもたらす生物兵器の出現につながっていくかもしれないのである。」
1929年11月7日昭和天皇陸軍軍医学校視察
731部隊は、石井四郎が、細菌戦の司令塔ではなかった。誰が裏で司令塔になっていたのだろうか?小泉親彦陸軍軍医総監、宮川米次第5代東大伝研所長、大元帥昭和天皇等がバックにいた。
●日本政府は、新宿戸山の軍医学校跡地(現国立感染症センター)から見つかった人骨の身元調査を早急にして、遺族に返還し、きちんと謝罪すべきだ!!
東大伝研とは戦前、どんなことをやっていた機関なのか?
1934年6月、宮川米次と阿部俊男は何をしに満洲国へ行ったのか?
満洲衛生技術廠とは、一体何をやっていたところなのか??
東大伝研は731部隊と連携を図っていなかったのか??
伝研で毒ガスの講演?毒ガスへの対処法も考えることになるのか??
実験医学雑報19巻 第1号(1935年)
新刊抄録について
本誌の新刊抄録欄は本号から新たに原虫、寄生虫部の常任担任者として石井君の寄稿を得ることになった。
尚多数の新刊雑誌について、広範囲に汎る抄録を為すため、広く所内から自己の専門に関する紹介記事の寄稿を求め、来月号からは更に一段の飛躍を為す予定である。
本欄の記事も漸次増加するので、簡単なる分類を付し、又活字も9ポイントに改め、読書の便に供することにした。
尚本誌に主として抄録する雑誌は次の通りである。
伝染病研究所の写真は、『傳染病研究所』小高健著より
●細菌戦裁判資料集シリーズ・第8集(2002年10月31日)
「731細菌戦裁判・第1審判決特集号」の発行にあたって
本書第8集は、細菌戦裁判の第1審判決(東京地方裁判所民事第18部)の後、開催された判決報告集会、記者会見、意見交換会等での発言を編集したものです。
第6部
資料・731部隊細菌戦裁判
第1審判決全文
原告らの主張 (別紙3)
第6部
資料・731部隊細菌戦裁判
第1審判決全文
原告らの主張 (別紙3)
日本軍による中国への細菌戦の実行(事実論)
第6被告による細菌戦の隠蔽及び細菌戦被害賠償立法の不作為
1 被告の国家意志による証拠隠滅と隠滅行為の継続
(2)歴史的経過として被告の隠蔽行為は、次の3つの時期に分けられる。
イ 第2の隠蔽は、昭和20(1945)年8月から昭和27(1952)年迄の米軍占領期における隠蔽行為である。
この戦争犯罪の隠蔽は、直接の当事者の為だけではなく、国家ぐるみの隠蔽行為として行われた。更に、日本政府及び細菌戦関係者は、米軍に対し細菌戦兵器研究・開発の物資・資料を全面的に提供し、米軍の細菌戦兵器の開発に協力するのと引換えに、戦犯としての訴追を免れたのである。
731部隊員が多く入った国立予防衛生研究所(現・国立感染症研究所)や自衛隊などでの生物兵器の開発・研究も行われているのではないか?
●日本政府は、731部隊の罪業を、公開せず、秘匿し、戦後全く無反省である!!最高責任者の昭和天皇も戦犯免責された!!
安倍晋三は何でこんな行動がとれるのだ??無反省のまま、ずっと生き延びられるのか??
安倍首相の731戦闘機試乗 「止まらない挑発」の非難
1月4日
煙台炭坑 分遺隊上番 晴れ温度最高零上5度 最低零下18度
十五夜の寒月冷し
奉天の露西亜(ロシア)人経営の城内行きバスが運転手、助手共に露人でありなら自動車の前に日本の国旗を立てて正月の街を走るのを初めて見るならば それは一つの驚異である また言い知れない誇りと嬉しさを身に覚えるであろう 日本は少さい国でない事を国にいて知ることはできないのだ 僕は自分の視野が大きくなったことを喜ぶ。
日本は、日中戦争で国際法に違反して、細菌戦、毒ガス戦、無差別爆撃を行った。日本政府は、この事実をきちんと認めていない!!
●『細菌戦部隊』
731研究会編 1996年9月(核時代51年)初版発行
Ⅲ 細菌戦部隊の周辺
大腸菌の大量培養をしていた
実験用ネズミが逃げて・・・・
斎藤陽
防疫研究室
〈略歴〉
1916年生まれ
1937年 現役兵として入隊
1939年 中国・広東省で負傷。後除隊
1940年 防疫研究室に軍属として勤務
1945年 空襲による防疫研究室被災により出所せず
◆この証言は「人骨焼却公金支出差止請求訴訟」の為に準備した“陳述書”をまとめたもの。
私の当時の防疫研究室での仕事は、民間より納品された濾過管の性能検査です。大腸菌を用いて濾過管の細胞濾過試験を為し、一定基準により合否の判定及び試験に使用する大腸菌の大量培養並びに純粋培養が主な仕事でした。
この防疫研究室での勤務の中で、私が見聞きし、印象に残った事実を述べたいと思います。
戦時中の東南アジアの様子(731部隊員増田知貞が撮影したフィルム)
生体解剖(旧日本軍の戦争犯罪)
中央档案館
中国第2歴史档案館
吉林省社会科学院編
江田憲司
兒島俊郎
古川万太郎編訳
解説
証言「供述者」の背景ーある日本人戦犯を中心に
戦争犯罪と裁判
ところで日本軍が、兵士に限らず一般住民にもこのような行為を働くようになったのは、日中戦争になってからではない。日本軍が最初にこの種の事件を引き起こしたのは、日清戦争(1894~95年)で、旅順を攻撃した際だとされている。犠牲者が万単位にのぼるといわれるこの事件は、当時、外国特派員によって報道されたもので、その詳細は未だに明らかでない。又、戦争ではないが、植民地として支配していた朝鮮で、1919年3月、「3・1独立運動」が起きた折、過酷な弾圧に抵抗する住民に対し、日本軍は各地で残虐行為を働いた。1例を挙げれば、京畿道水原郡の花樹里で、4月15日、村の住民30余人を教会に集めて監禁し、石油をかけて放火、逃れ出ようとした人には機関銃を浴びせ、28人を惨殺したといわれる。「三光作戦」の原点をなすような事件である。
●毒ガス戦
第8章 戦後史の中の日本軍毒ガス兵器問題
3 証拠隠滅と戦犯免責
文書資料の組織的湮滅と口裏合わせ
このように、文書資料を湮滅して証拠を残さないように処置する一方で、日本を占領した連合国による戦争犯罪の追及をかわすために、関係者が毒ガス問題についての口裏を合わせていた。敗戦時の陸軍省大臣官房副官(高級副官)・美山要蔵大佐の45年9月20日の日誌には、「㋫号即ち風船爆弾を兵器行政本部から説明したところ、先方〔アメリカ軍〕はアッサリ承認し、技術の玩弄物という。将来細菌戦、化学戦についても調査されると思うが、主務局以外は発言せず、不知と対応することとす」とある(陸軍省副官美山要蔵「終戦日誌」)。このように、対応者を主務者に限定することで、アメリカ軍に渡る情報をコントロールしようとしていたことが分かる。
海軍の相模海軍工廠跡を訪ねて(2022年4月9日)
(碑文には、過酷で危険な仕事であったことなどは、一切記されていない!!)
第1次世界大戦では、毒ガスが大量に使われた。
・『日本の中国侵略と毒ガス兵器』 歩平著(山邊悠喜子、宮崎教四郎訳)明石書店 1995年発行)
第10章 残酷な人体実験毒ガス実験
科学に対する冒涜
ここから分かるように、既に大量の資料が、日本軍が中国において化学兵器に関する実験を行なっていたことを物語っているのである。一般的にいって、実験は戦争とは異なる概念である。実験を本来科学と結びつけられるものであり、科学的目標に対する探索は神聖にして崇高なものである。ところが、我々がここで見た実験は既に侵略者によってその姿を変えられ、虐殺や残虐と結びつけられてしまっている。これは科学に対する反動・冒瀆であり、人類が永遠に受け入れることのできない行為である。
SNSで人気「ウサギの島」が背負った〝毒ガスの歴史〟大久野島を歩く
加害の歴史」北九州市の毒ガス工場 第二次世界大戦で旧陸軍が使用
●『三光』 中国帰還者連絡会編
日本鬼子(リーベンクイズ)
核時代39年(1984年)5月初版発行
2018年12月に、『留守名簿 関東軍防疫給水部 満州第659部隊』2冊が発売されました!!(不二出版)
●日米安保条約・自衛隊を問う!!
自衛隊は、防護のためと言って、旧日本軍の細菌兵器・毒ガス兵器使用の反省・謝罪もないまま新たな生物兵器・化学兵器を作っているのだろうか??憲法9条を持ち、生物兵器・化学兵器禁止条約を批准しているにも関わらず!!
日本の毒ガス
●情報公開裁判
なぜここまでして、国は衛生学校や化学学校で作っていた機関誌を公開しないのだろうか?
藤井治夫著
第2篇 自衛隊の機密
第2章 日米共同作戦
1 平時機構と軍事協定
秘密協定のカラクリ
右のような基準で了解事項と決定事項が区別して取り扱われているだけでなく、後にみるように秘密を要する事項が閣議了解とされている事実もある。内閣官房内閣参事官室が毎年発行している『閣議及び事務次官等会議付議事項の件名等目録』にも、こうした秘密了解事項は収録されていない。久保・カーチス協定と同様に、内閣の意思決定を経た日米間の秘密軍事取決めが多数存在することは疑いない。
1957(昭和32)年7月『衛生学校第1号』発刊
●『BC兵器』久保綾三著(1969年)
Ⅱ 自衛隊と生物・化学兵器―その思想と作戦
3,自衛隊における人体実験の疑念
生体実験の事実
しかしながら、論文の中で、研究者たちが、「ポリラクトンの服用状況を精査した結果、ポリラクトンの投与期間が2か月の長期にわたったため、最初の1か月は指示通り全員に近い隊員が服用していたが、残りの1か月特に7月初旬から多くの隊員が服用したりしなかったりの状態であった。本食中毒患者発生において、実喫食者1089名の隊員中2か月間ポリラクトンを服用した者はごく少数(63名)であった」と書いているように、成年者の隊員の場合、薬剤を服用するかどうかは隊員の自主性がかなりの影響を与え、結果的には、「統計サンプルが著しく不均衡であるので、この資料による効果断定は回避すべきである」と書かざるを得なかったように、実験の成果を見極め得ないという結果を招いている。
●昭和天皇の戦争責任を問う!!
天皇万歳に浮かれる無責任国家 田中利幸より
重要なことは、アメリカが、日本占領支配のために、裕仁の戦争責任を隠蔽してまでも、彼の天皇としての「権威」を政治的に利用したことである。つまり、私たちが本当に問わなければならないのは、「絶対的権力を保持していた国家元首の戦争犯罪・責任の免罪・免罪の上に制定された民主憲法が、果たしてどこまで真に民主主義的であるのか?」ということである。
●昭和天皇(ハーバード・ピックス著『昭和天皇』より)
吉田裕監修
※昭和天皇は、平和主義者でもなんでもなかった。好戦的であり、常に軍部に色々と指示を出していた!!
戦後補償問題に国家無答責という天皇主権の明治憲法下の原則を適用するな!!
第1部 皇太子の教育
1901(明治34)年―1921 (大正10)年
第一章少年と家族と明治の遺産
Ⅱ
6ヵ月後、陸軍大臣と海軍大臣は、「陸海軍の統帥に関し勅定を経たる規定は之を軍令とす」と定めた軍令第1号を制定し、明治天皇はこれを裁可した。これによって「陸海軍は、軍令という新たな形式の法令を独自に設定する権限」を獲得した。こうした明治天皇の支持によって、内閣を統一する総理大臣の権限は相変わらず弱いまま、軍部は、「統帥大権」が政府の統制外の独立した権限だとする論拠を1歩進めることになった。
日本国憲法9条
第9条【戦争の放棄、戦力及び交戦権の否認】
①、日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、
国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、
国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
②.前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、
これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。
RENUNCIATION OF WAR Article 9.
Aspiring sincerely to an international peace based on justice and order, the Japanese people forever renounce war as a sovereign right of the nation
and the threat or use of force as means of settling international disputes.
In order to accomplish the aim of
the preceding paragraph, land, sea, and air forces, as well as other war potential, will never be maintained.
The right of belligerency of the state will not be recognized.
731部隊員が戦犯免責され、ABCC(原爆傷害調査委員会)に協力した。その結果、アメリカの原爆投下を日本政府は問うことは無く、また被爆者は、ABCCに治療されることもなかった。そして日米安保条約の下、核兵器の廃絶に日本政府は後ろ向きである!
日本には多くの被爆者がいるのに、日本政府はなぜ核兵器禁止条約に署名しない?
●地球の異常気象の最大の原因は、今までの2000回以上の核実験や原発事故などの放射能汚染で地球が壊れてきているからではないのか??米の原爆投下責任と核実験をしてきた国の責任を問う!!
※私が考える、今の異常気象の要因は
1、1940年代から60年代にかけて大規模に行われた、核実験による環境破壊の影響
2、都市化したコンクリート(アスファルト)ジャングルによるヒート・アイランド現象
3、その結果による、交通機関(電車・バス・乗用車・航空機・船舶)やオフィス・住居などの冷暖房による排熱
4、自動車社会の排ガス
5、原子力発電による温排水の排出・・などに拠っているのではないか?
●地球を破壊する核実験
核兵器禁止条約
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
核兵器禁止条約(かくへいききんしじょうやく、英語: Treaty on the Prohibition of Nuclear Weapons、TPNW)は核兵器を禁止する国際条約である。略称・通称は核禁止条約、核禁条約、核廃絶条約(英語: Nuclear Weapons Ban Treaty、Nuclear Ban Treaty)など。
2017年7月7日に国際連合総会で採択され、2021年1月22日に発効。
署名国・批准国
2021年1月22日現在の署名国と批准国。
署名国 署名日 批准日 (締約日)
パラオ 2017年9月20日 2018年5月3日
パレスチナ 2017年9月20日 2018年3月22日
パナマ 2017年9月20日 2019年4月11日
パラグアイ 2017年9月20日 2020年1月23日
ペルー 2017年9月20日 2021年12月24日
「北朝鮮の核実験の威力」と「史上最強の核兵器"ツァーリ・ボンバ"の破壊力」【核兵器】
●核なき世界へ!!Toward a Nuclear-Free Future
●核融合もすべきではない!!
核開発に反対する物理研究者の会通信
20170303 小出裕章先生にきいてみた!!〜土岐市核融合科学研究所 重水素実験について
なぜ、日本は広島・長崎・ビキニ・JCO臨界事故・福島と5度も被爆しているにに、日本医学界は「脱原発!!」と叫ばない!!
JCOの臨界事故
福島第1原発事故
●核兵器廃絶
徳仁・日本政府・日本医学界は、731部隊のことを謝罪し、戦争被害者の救済、戦争をしない政策にお金をかけるべきだ!
●日本はなぜ戦争責任問題を解決できないのか
水俣病
●731部隊(unit731)
●昭和天皇の戦争責任を問う!!天皇制反対!