◆8月29日(火)
80、加害に焦点が当てられない現在、この様なパネル展は貴重なものです。
本来は10台の子どもたちに真実を知ってほしい。政府は隠ぺい、歪曲のために姑息なことばかりやっています。特にこの西区選出の菅元首相は最悪。
(70代、東京、偶然)
◆8月29日(火)
80、加害に焦点が当てられない現在、この様なパネル展は貴重なものです。
本来は10台の子どもたちに真実を知ってほしい。政府は隠ぺい、歪曲のために姑息なことばかりやっています。特にこの西区選出の菅元首相は最悪。
(70代、東京、偶然)
5 保管施設
日本国政府及び中華人民共和国政府は、各地で発見された遺棄化学兵器及び遺棄化学兵器の可能性がある兵器を集中的に安全に保管するために、協議を通じて、遺棄化学兵器の保管庫について合理的な計画を行い、標準化と集約を推進する。
●放射能と人類は共存できない!!
8、朝鮮人を虐殺をしたのは日本人の恥。虐殺したのが、第一の殺人。これを隠蔽した当時の政府、軍、警察の行為は第2の殺人。現在、小池だけでなく、政府が虐殺を認めないのは、第3の殺人。今の政府の発言・対応を座視している一般の日本人の罪も重い。流言により、殺害した自警団、一般日本人の心理と通底しているのではないか?(不明)
歴史に誠実に向き合い、国家の責任を問い、再発を許さない共生社会への第1歩を!
地震が相次ぐ5月 ここ1週間で震度5弱が2回 地震発生時の行動確認を
原発の怖さを考えよう!!
731部隊の実態をきちんと伝えよう!!
長大なトンネルに解剖室…旧日本軍「731部隊」最大規模の“地下実験場”内部が明らかに
新型コロナウイルスのワクチンを接種したあとに亡くなった人の遺族でつくる団体が、厚生労働省で会見し、予防接種法に基づいた健康被害の救済制度の認定を、速やかに進めることなどを国に求めました。
新型コロナウイルスのワクチン接種をめぐっては、副反応で健康被害が出たり死亡したりした場合、予防接種法上の救済制度の対象となり、接種との因果関係が否定できないと国が認定した人には、医療費や死亡一時金などが支給されます。
9日の会見には、おととし10月に、当時36歳の夫が2回目を接種した3日後に亡くなり、先月、救済申請が認められた須田睦子さんらが出席しました。
この中で須田さんは「夫が亡くなってから、当時、おなかの中にいた娘と上の子3人を育てていけるのか、不安の中で毎日を過ごしていました。接種の中止が一番の思いですが、せめて同じ不安を抱えている多くのご遺族の迅速な救済を望みます」と訴えました。
このあと団体は、救済制度の認定を速やかに幅広く進めることや、ワクチン接種後の突然死などについて、国が研究を進めることなどを求める要望書を、厚生労働省に提出しました。
救済制度には、先月10日時点で6219件の申請があり、死亡30件を含む1622件が認定されていて、厚生労働省は「審査の回数を増やしており、できるだけ迅速に対応していきたい」とコメントしています。
●東京帝国大学伝染病研究所『実験医学雑報』
・東大伝研とは戦前、どんなことをやっていた機関なのか?
・1934年6月、宮川米次と阿部俊男は何をしに満洲国へ行ったのか?
・満洲衛生技術廠とは、一体何をやっていたところなのか??
・東大伝研は731部隊と連携を図っていなかったのか??
・伝研で毒ガスの講演?毒ガスへの対処法も考えることになるのか??
・小島三郎の渡満では、満洲衛生技術廠や大連衛生研究所にもいったのだろうか?
・1933年頃から細菌兵器開発の一環として、「満洲」の背蔭河では人体実験が行なわれているが、そこでも赤痢菌の研究が行なわれていたのだろうか?35年の川崎市の爆発赤痢は、人為的に行なわれたものなのか?それとも自然流行なのか?
・1936年5月に浜松一中で大福餅事件、37年9月に大牟田で爆発赤痢事件が起きているが、これなども細菌兵器・研究の一環として軍医学校や伝研の関与による仕掛けられたものか、自然に発生したものか究明する必要がある。
・1936年5月と37年9月の両事件に、小島三郎が出張しているが、果たして何をやったのであるか??
・河本禎助も毒ガスの研究をしていた。
実験医学雑報20巻 第7号(1936年)
本所職制改正
この度本所では職制を次の如くに改正し7月より実施することとなった。
*特別研究室とは何だ??
実験医学雑報22巻 第6号(1938年)
伝染病研究所創立40周年記念日式辞
宮川米次
「プロントジル」
Prontosil Bayerは4-Sulfonamido-2 ’、4-Diaminoazobenzolの塩酸塩で、即ち「アゾ」色素の誘導体で専売品である。今日はProntosil Albumなるものが報告せられ、大いに使用せられてもいる。Domagkによって、連鎖状球菌又は葡萄状球菌の特殊殺菌剤として推奨せられ、内外に多くの報告が見られ何れも略々これを認めている。著者には全然無効であった2,3の経験がある。又強い貧血を喚起したという報告もあり、左程―効果的でないという者も段々現れて来た。アンプル剤は皮下、筋肉及び静脈内に、錠剤は経口及び注腸の際に普通5%葡萄糖液又は生理的食塩水も5-7錠位を溶かしたものを点滴する。何故に葡萄糖液に溶解するかは不明であるが恐らく刺激を小にする為であろう。
●昭和天皇(ハーバード・ピックス著『昭和天皇』より)
吉田裕監修
2001年ピュリッツァー賞受賞
※昭和天皇は、平和主義者でもなんでもなかった。好戦的であり、常に軍部に色々と指示を出していた!!
戦後補償問題に国家無答責という天皇主権の明治憲法下の原則を適用するな!!
第2部 仁愛の政治
1922(大正11)年―1930(昭和5)年
第6章 政治的君主の誕生
共産党員やマルクス主義的知識人にとって、総選挙とそれに伴う弾圧は、新天皇を抑圧者と位置づけ、天皇制の社会的機能を再認識する契機となった。天皇の国家が共産主義者とその支持者を弾圧してゆくのに並行して、「天皇制の廃絶」が新しい党派的スローガンになり、マルクス主義の影響下にある知識人社会に広がった。一方、国外では6月4日、南満州鉄道付属地を守備する関東軍の将校が、地方軍閥の張作霖を殺害した。翌1929年、若き天皇は陸軍の企んだこの事件を不問に付し、陸軍のいっそうの不服従に道を開いた。