◆8月29日(火)
81、どの展示も最新の研究を踏まえており、説得力のあるものばかりである。
今回は朝鮮人虐殺展示を目当てに来場したが、「加害」全般にわたる展示に、今迄の主催者の積み重ねられたご尽力を感じた。
(50代、市川市、ウェブ)
◆8月29日(火)
81、どの展示も最新の研究を踏まえており、説得力のあるものばかりである。
今回は朝鮮人虐殺展示を目当てに来場したが、「加害」全般にわたる展示に、今迄の主催者の積み重ねられたご尽力を感じた。
(50代、市川市、ウェブ)
6 遺棄化学兵器の手がかりとなる情報
遺棄化学兵器が中国人民の生命財産及び中国の生態環境の安全にもたらす脅威・被害を効果的に取り除くため、また、今後の発掘回収および廃棄事業に便宜を提供するために、日本国政府は中華人民共和国政府に対し、旧日本軍が中国国内に遺棄した化学兵器に関する情報を引き続き最善の努力を払って収集して速やかに提供し、中華人民共和国政府が遺棄化学兵器の手がかりの全面的調整及び確認作業を行うことに積極的に協力する。
●放射能と人類は共存できない!!
9、貧困が差別を生み、差別が虐殺を招いていると感じた。負の遺産は、正しく継承しなければ、誤ちは繰り返されていくだろう。現東京都知事、自民党、公明党、維新の会などは、都合の悪い負の遺産をなかったことにして、教科書から削り、継承を拒んでいる。子どもたちは誤った歴史観を持ち、日本はますます誤った方向へ進んでいく。いじめも差別も根は同じ。きちんと向き合うことをしなければ改善はなく、繰り返されていく。
しかし、都合が悪いことは聞こえないふりをして、なかったことにして済ませたがる人が世の中に多く、良い方向へは行かない。残念だ。習志野のことは全く知らなかった。機会を作って、隣の人にも伝えたいと思った。(60代、市外、チラシ)
歴史に誠実に向き合い、国家の責任を問い、再発を許さない共生社会への第1歩を!
地震が相次ぐ5月 ここ1週間で震度5弱が2回 地震発生時の行動確認を
原発の怖さを考えよう!!
731部隊の実態をきちんと伝えよう!!
長大なトンネルに解剖室…旧日本軍「731部隊」最大規模の“地下実験場”内部が明らかに
新型コロナウイルスのワクチンを接種したあとに亡くなった人の遺族でつくる団体が、厚生労働省で会見し、予防接種法に基づいた健康被害の救済制度の認定を、速やかに進めることなどを国に求めました。
新型コロナウイルスのワクチン接種をめぐっては、副反応で健康被害が出たり死亡したりした場合、予防接種法上の救済制度の対象となり、接種との因果関係が否定できないと国が認定した人には、医療費や死亡一時金などが支給されます。
9日の会見には、おととし10月に、当時36歳の夫が2回目を接種した3日後に亡くなり、先月、救済申請が認められた須田睦子さんらが出席しました。
この中で須田さんは「夫が亡くなってから、当時、おなかの中にいた娘と上の子3人を育てていけるのか、不安の中で毎日を過ごしていました。接種の中止が一番の思いですが、せめて同じ不安を抱えている多くのご遺族の迅速な救済を望みます」と訴えました。
このあと団体は、救済制度の認定を速やかに幅広く進めることや、ワクチン接種後の突然死などについて、国が研究を進めることなどを求める要望書を、厚生労働省に提出しました。
救済制度には、先月10日時点で6219件の申請があり、死亡30件を含む1622件が認定されていて、厚生労働省は「審査の回数を増やしており、できるだけ迅速に対応していきたい」とコメントしています。
●東京帝国大学伝染病研究所『実験医学雑報』
・東大伝研とは戦前、どんなことをやっていた機関なのか?
・1934年6月、宮川米次と阿部俊男は何をしに満洲国へ行ったのか?
・満洲衛生技術廠とは、一体何をやっていたところなのか??
・東大伝研は731部隊と連携を図っていなかったのか??
・伝研で毒ガスの講演?毒ガスへの対処法も考えることになるのか??
・小島三郎の渡満では、満洲衛生技術廠や大連衛生研究所にもいったのだろうか?
・1933年頃から細菌兵器開発の一環として、「満洲」の背蔭河では人体実験が行なわれているが、そこでも赤痢菌の研究が行なわれていたのだろうか?35年の川崎市の爆発赤痢は、人為的に行なわれたものなのか?それとも自然流行なのか?
・1936年5月に浜松一中で大福餅事件、37年9月に大牟田で爆発赤痢事件が起きているが、これなども細菌兵器・研究の一環として軍医学校や伝研の関与による仕掛けられたものか、自然に発生したものか究明する必要がある。
・1936年5月と37年9月の両事件に、小島三郎が出張しているが、果たして何をやったのであるか??
・河本禎助も毒ガスの研究をしていた。
実験医学雑報20巻 第7号(1936年)
本所職制改正
この度本所では職制を次の如くに改正し7月より実施することとなった。
*特別研究室とは何だ??
実験医学雑報22巻 第6号(1938年)
伝染病研究所創立40周年記念日式辞
宮川米次
「プロントジル」
今後この種のものに関する研究検索と共に新製剤が提供せらるることと信ずる。由来「アゾ」化合体は種々の方面に利用せられている。即ち酸性化体であるTrypanblanはその名の如く「トリバノゾオマ」に、中性化合体たるDiaminoazotuluolは上皮細胞に作用し終に癌腫性に迄化生することは周知のことである。塩基性化合体にはその塩酸塩たるChrysoidinの如き殺菌剤がある。邦製品にはGerison(Para-AminophenylーSulfamid)等々約10種類程ある相当用いられている。ここに極めて興味あることは、Prontosilは試験管内に於いては殆ど殺菌作用がないことである。(1,2の報告は、これに反するが)「サルバルサン」と同様に先ず臓器細胞に作用し、斯くして殺菌作用が現れると思われる。
●昭和天皇(ハーバード・ピックス著『昭和天皇』より)
吉田裕監修
2001年ピュリッツァー賞受賞
※昭和天皇は、平和主義者でもなんでもなかった。好戦的であり、常に軍部に色々と指示を出していた!!
戦後補償問題に国家無答責という天皇主権の明治憲法下の原則を適用するな!!
第2部 仁愛の政治
1922(大正11)年―1930(昭和5)年
第6章 政治的君主の誕生
日本軍が将来犯すことになる戦時虐殺の土台もこの時期に築かれた。1928年、田中内閣は化学・生物兵器禁止国際議定書〔1925年調印の「窒息性ガス、毒性ガス又はこれらに類するガス及び細菌学的手段の戦争における使用の禁止に関する議定書」のこと。日本の批准は1970年〕の批准を見送った。翌年には枢密院が軍の要求に応えて、ジュネーブ捕虜条約〔1929年調印の「捕虜の待遇に関する条約」〕の批准を保留した。枢密顧問官は、」天皇の兵士は捕虜なることを許されない以上、捕虜の処遇に関する条項は寛大過ぎてとても実行できないという。陸海軍大臣と外務大臣の主張を容れたのである。特にこの決定は、のちの日本が捕虜と戦傷者の待遇に関するこの国際条約の効力を否認するのに道を開いた。