◆8月29日(火)
84、展示を見ていて、何度も涙が込み上げてきました。また一枚ごとのパネルを見るたびに気分が悪くなり、あまりの加害の歴史の多さに、何度も目を背けたくなりました。しかしここで、「無知の暴力性」という言葉が思い浮かびました。戦時下に身を置いていない(無論ウクライナ戦争は続いてますが)私は、「知りたくない、残酷すぎて見たくない」という思いを安易に行動に移すことができると思います。しかし目を背ける、知らない状態で居続ける、という事自体がマジョリティーの特権性であり、暴力性だと思いました。そのため、目を背けたいと思う内容こそ、できる限り逃げずに見て、知る事にしました。
関東大震災時の朝鮮人虐殺は、その中でも特に辛く、私の想像を上回るむごさでした。しかし子供たちの作文として紹介されていた中に1つだけあった、「自分はどうしても、朝鮮人が悪いとは思えない」という趣旨の文章が印象に残りました。軍や大人たちが、「朝鮮人が悪い」と煽情的に人々を煽り、虐殺が熱狂的に加速していた社会の中で、もし私だったら、その子供のように「本当はそうではない」と疑えるだろうか、デマに惑わされない人間になれるだろうか、という事を考えさせられました。
また731部隊、毒ガス等の展示では、戦後の戦犯たちを、アメリカの思惑をめぐる駆け引きが本当に人間の醜さを体現していると思うと、同様に、様々な国の利害が絡み合う中で、公正な裁きがいかに難しいのかという事も痛感させられました。
そして月並みな言葉ではありますが、軍や権力やシステムの犠牲となるのはいつも一般の人々なのだなという事を痛感しました。加害の歴史から地続きの時代を生きる人間として、これらの問題を過去の事と切り離すのではなく、今、現在も続いている問題なのだと認識することが重要だと感じました。
(10代、市内、朝日)