1 移動式廃棄処理設備を使用した遺棄化学兵器の廃棄
(1)ハルピンの処理場
ハルビン、ジャムス、チチハル、鶏西等黒竜江省の保管庫に保管されている遺棄化学兵器は、2027年中に廃棄を完了する予定である。
遺棄化学兵器被害裁判と被害者支援基金活動 2023 12 5
認定NPO法人化学兵器被害者支援:日中未来平和基金
第5回遺棄化学兵器情報公開裁判 2023 12 5
第3回遺棄化学兵器情報公開訴訟 2023 5 30
遺棄化学兵器処理事業情報公開裁判
1 移動式廃棄処理設備を使用した遺棄化学兵器の廃棄
(1)ハルピンの処理場
ハルビン、ジャムス、チチハル、鶏西等黒竜江省の保管庫に保管されている遺棄化学兵器は、2027年中に廃棄を完了する予定である。
●放射能と人類は共存できない!!
2、関東大震災時の朝鮮人虐殺について、まだまだ知らないことがあることを痛感しました。そして現代の日本社会で、この問題を再認識して深く掘り下げることが必要だと感じました。監督のお話を聞き、自分も勉強をし直してみようと思いました。(60代、横浜市内、友人)
歴史に誠実に向き合い、国家の責任を問い、再発を許さない共生社会への第1歩を!
地震が相次ぐ5月 ここ1週間で震度5弱が2回 地震発生時の行動確認を
原発の怖さを考えよう!!
731部隊の実態をきちんと伝えよう!!
長大なトンネルに解剖室…旧日本軍「731部隊」最大規模の“地下実験場”内部が明らかに
教育委員会が提案した案第2弾!!(細菌戦の解説欠如、証言パネルを展示せよ!!)
新型コロナウイルスのワクチンを接種したあとに亡くなった人の遺族でつくる団体が、厚生労働省で会見し、予防接種法に基づいた健康被害の救済制度の認定を、速やかに進めることなどを国に求めました。
新型コロナウイルスのワクチン接種をめぐっては、副反応で健康被害が出たり死亡したりした場合、予防接種法上の救済制度の対象となり、接種との因果関係が否定できないと国が認定した人には、医療費や死亡一時金などが支給されます。
9日の会見には、おととし10月に、当時36歳の夫が2回目を接種した3日後に亡くなり、先月、救済申請が認められた須田睦子さんらが出席しました。
この中で須田さんは「夫が亡くなってから、当時、おなかの中にいた娘と上の子3人を育てていけるのか、不安の中で毎日を過ごしていました。接種の中止が一番の思いですが、せめて同じ不安を抱えている多くのご遺族の迅速な救済を望みます」と訴えました。
このあと団体は、救済制度の認定を速やかに幅広く進めることや、ワクチン接種後の突然死などについて、国が研究を進めることなどを求める要望書を、厚生労働省に提出しました。
救済制度には、先月10日時点で6219件の申請があり、死亡30件を含む1622件が認定されていて、厚生労働省は「審査の回数を増やしており、できるだけ迅速に対応していきたい」とコメントしています。
●東京帝国大学伝染病研究所『実験医学雑報』
・東大伝研とは戦前、どんなことをやっていた機関なのか?
・1934年6月、宮川米次と阿部俊男は何をしに満洲国へ行ったのか?
・満洲衛生技術廠とは、一体何をやっていたところなのか??
・東大伝研は731部隊と連携を図っていなかったのか??
・伝研で毒ガスの講演?毒ガスへの対処法も考えることになるのか??
・小島三郎の渡満では、満洲衛生技術廠や大連衛生研究所にもいったのだろうか?
・1933年頃から細菌兵器開発の一環として、「満洲」の背蔭河では人体実験が行なわれているが、そこでも赤痢菌の研究が行なわれていたのだろうか?35年の川崎市の爆発赤痢は、人為的に行なわれたものなのか?それとも自然流行なのか?
・1936年5月に浜松一中で大福餅事件、37年9月に大牟田で爆発赤痢事件が起きているが、これなども細菌兵器・研究の一環として軍医学校や伝研の関与による仕掛けられたものか、自然に発生したものか究明する必要がある。
・1936年5月と37年9月の両事件に、小島三郎が出張しているが、果たして何をやったのであるか??
・河本禎助も毒ガスの研究をしていた。
実験医学雑報20巻 第7号(1936年)
本所職制改正
この度本所では職制を次の如くに改正し7月より実施することとなった。
*特別研究室とは何だ??
実験医学雑報22巻 第6号(1938年)
伝染病研究所創立40周年記念日式辞
宮川米次
実験的梅毒に関する注目すべき業績
実験的先天梅毒に関する研究
高木氏は家兎にT.pallidumを罹患せしめるのに、独特の部位を選んでいる。それは家兎の鼻根部である。予めこの部を木槌によって、軽打し、皮下組織に損傷を作っておき、斯くして、強力なる家兎性T.pallidumを接種したのである。局所は機械的刺激によって、抵抗減弱せる為か、極めて容易に、然も立派なる病巣を喚起し、久しきに亘って存在して、自然的治癒を来すことが割合に少ないという。この種の動物は幸いにして栄養が余り衰えない。生殖欲も保持せられているのである。これが睾丸、又は陰唇等に病巣を作ったのとは非常なる相違であって、多くの人々の実験の失敗は実にここに存するのである。即ち生殖器に病巣を作ると、生殖欲を失って、受胎せしめることが出来ないのである。高木氏の実験の成功は、この病巣を作り得たことに存することは申す迄もないが、又他面この種の動物を交配分娩せしめる迄には、相当細心の注意を必要とすることは言うまでもない。兎も角、実験した動物のその後の観察に万全を欠くことの少なくない研究家の多い今日に於いて、頂門の一針となすに足ると信ずる。
●昭和天皇(ハーバード・ピックス著『昭和天皇』より)
吉田裕監修
2001年ピュリッツァー賞受賞
※昭和天皇は、平和主義者でもなんでもなかった。好戦的であり、常に軍部に色々と指示を出していた!!
戦後補償問題に国家無答責という天皇主権の明治憲法下の原則を適用するな!!
第2部 仁愛の政治
1922(大正11)年―1930(昭和5)年
第6章 政治的君主の誕生
加藤と政党政治に対する不信(加藤は政党を「ユダヤ化した組織」「我々のなかの敵なるユダヤ人」などと呼んだ)を共有し、1930年における海軍の露骨な政治への干渉を支持したのは、陸軍中将荒木貞夫であり、小笠原、東郷であった。4人とも民間の超国家主義イデオローグとの関係が深く、軍部大臣、議会、枢密院、そして宮廷(伏見官を通して)に影響力を持っていた。しかし浜口が加藤、末次、東郷らに屈せず、宮中グループの慫慂どおり巡洋艦比率の妥協を受け入れたため、彼らの努力は実らなかった。政友会は直ちに軍部と結び、軍令部の承諾を得ずに条約に調印したのは、天皇の「統帥権」を侵害するものだとして、浜口内閣と宮中側近を、公然と攻撃し始めた。
●日本国憲法9条
第9条【戦争の放棄、戦力及び交戦権の否認】
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解説
9条をつかって、
戦争のない世界をつくる。
08
ひとりひとりの安全を大事にする世界
2005年の国連世界サミッ トでは、「人間の安全保障」という言葉が初めて最終文書に盛り込まれました。じつは、これを推進したのは日本政府でした。「人間の安全保障」という考え方は、「武力によらずに平和をつくる」という憲法9条の考え方と通じ合うものがあります。私たちは、こうした考え方をもっと世界のなかで広めていく必要があるでしょう。
『鹿屋(かのや)航空基地 史料館』(鹿児島県鹿屋市)について
~ご理解していただきたいことを文章にしました~
2022年7月17日記鶴ヶ岡裕一(都内在住)
黒井秋夫さんのメールより
「戦争のない世界」
問題を解決するのが正義や道理ではなく、戦争が強い事、効果的な暴力を発揮できることが「正義であり道理である」のが現在の世界です。人類の到達した世界です。
私は「戦争のない世界」をめざします。
それはどのように実現するでしょうか。
それは「戦争のない世界」をめざす人々が多数になって初めて実現します。