核・戦争のない世界!!

2025-02-05 13:50:45 | Weblog

青木美希 なぜ日本は原発をやめられないのか? 【著者に訊く!】 20231207


珠洲原発があったら大惨事であった!!原発をなくそう!!
珠洲 地盤の隆起 全長約4キロ高さ2メートル余の「崖」出来る
石川県珠洲市を襲った津波映像 能登半島地震
能登半島地震の写真や図説

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

進まぬ耐震化、被害拡大要因か 能登半島地震 死因9割「家屋倒壊」全国で同様の懸念

未知の断層はまだまだあるのではないか??
同時に、原発事故が起きていたら??
国策原発推進反対!!
石川 志賀町で大地震引き起こした活断層とは異なる断層確認
「活断層」リスク評価 専門家 “調査手法など見直す必要ある”


原発活用の国策見直しを!!
ビキニ被災から70年!!
地球を破壊した戦争・核実験・原発
世界に拡がる放射能汚染!!
核兵器禁止条約批准せよ!!
反原発!!温暖化の一番の原因は2000回以上行われた核実験にあるのではないか?

あれだけの戦争をし、ヒロシマ・ナガサキ・ビキニ・フクシマで4度の被ばくの体験した日本から、核廃絶・反原発・反戦をアピールしよう!!

ビキニ被災から70年!!核廃絶!!

原爆マグロ(水爆マグロ)
マーシャル諸島は太平洋中西部に浮かぶ、たくさんの珊瑚礁からなる国です。アメリカは 1946 年から 58 年までここを核実験場とし、67 回もの実験を行った。
1954年の3月から5月のキャッスル作戦では、多くのマグロが放射能に汚染され、それが問題になったので、3月から12月までは、魚の放射能検査を行ったが、その後は、行っていない。多くの日本人は、放射能汚染されたマグロを食べていたのでは?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

築地市場跡地に核廃絶を訴え“マグロ塚”設置を要請 核実験に遭遇した「第五福竜丸」が持ち帰る 




             第5福竜丸無線長 久保山愛吉さん

辞世の句

原水爆の犠牲者は、わたしを最後にしてほしい。

— 久保山 愛吉

※1954年のアメリカの水爆実験による日本の被災船は、延べ1000隻に上る。アメリカは、第五福竜丸の船員には見舞金を支払ったが、他の船員には、全く補償をしていない。
大石又七とマグロ塚(2024年2月25日)
ビキニ 隠された被害


2023「731・原爆・ビキニ・フクシマ」展

なぜ、日本はイタイイタイ病の原因を認めなかった?萩野医師の死後、世界を舞台に起きた陰謀

京都・島根ジフテリア予防接種事件

元731部隊軍医と強制不妊手術

 

原子力村解体!!安保村解体!!





























 

第3回「731・原爆・ビキニ・フクシマ」展アンケートから

20日(金)

2, 731部隊の動画で出てきた、「戦争が終わってから、罪の重さに気付いた」という発言に、はっと気付かされた。 

 戦争中は、メディアで印象操作され、国全体で何か悪か分かりづらい状況になっていたと思う。だが、その混乱にただ流されただけでなく、一度止まって考えられる力をつけることが、戦争を繰り返さない1つの手段になるのではないかと考えた。(全体を客観的に見るなど)

 また、私は、将来、研究者になりたいと考えている。

現在、世の中では、実験の範囲は道徳にどこまで許されるのか、話題になっている。もし、私が、将来、研究者になれて、その後、研究者の視点からしか、この問題を見ることができなかったら、また動画のような悲劇が繰り返されると思った。

 この動画の話は、遠い昔の話じゃないと思う。

現代にも常に身近な所に、戦争の始まりになってしまうものは、潜んでいる。

今日見て、考えたことを忘れずに、今後、胸に止めて生活していこうと考えました。

いい機会をくれてありがとうございました。

(10代、市内、ビデオ)

 
 
 
 



日中永久不再戦のために!!


 


核なき世界を日本から作りだそう!世界の核兵器の現状と日本の役割


参観者の感想

3、今回、この展示で、活動されている団体を(数多く)知り、いろいろな分野の事を知ることができ、良かったです。各展示がよくまとめられていたので、短い時間、限られた時間でも、消化しやすかったです。

 平和への活動をされている団体が多くあり、私も、常に情報を得て、できることをしていこうと思いました。戦争を回避し平和を維持していくのは、私達の務めだと改めて感じました。(チラシ、50代)

 
 

第7回三多摩平和交流会

 

 

 




第5章 平頂山事件の解決に向けた日中市民の取り組み

平頂山事件幸存者 楊玉芬さんの証言 

(聞き手・泉澤章=平頂山事件弁護団弁護士、通訳・藤原知秋) 

 

楊玉芬 

私たちが現場から逃げるとき、同じように立ち上がって逃げる子どもを見ましたが、どこに行くのかはわかりませんでした。私たちは日本兵が来るのが怖くて、必至で逃げました。 

私たちは千金堡の方向へ逃げました。収穫の後のコーリャンやトウモロコシ畑に潜って隠れていました。途中の民家では、平頂山から逃げてきたというとかくまってくれませんでしたが、トウモロコシをもらいました。 

千金堡も焼かれていて、その後、栗子溝へ行きました。 

 

 



 

 


 



 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

平頂山で何が起きたの?



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