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この世の地獄!731部隊・南京大虐殺

2009-12-07 10:29:57 | Weblog
「ノブの日記」 のタグをクリックお願いします!!

  
   「怨」
きけ!「マルタ・アジアの犠牲者」の叫び!
「日の丸」・「君が代」反対!!
(侵略のシンボル)(天皇賛美の歌)
新しい日本!!
「世襲の天皇制から選ばれし大統領制へ!」
(昭和天皇の戦争責任を問う。)
(時効なき戦争責任)

731部隊

『死の工場』(隠蔽された731部隊)

(シェルダン・H・ハリス著、近藤昭二訳:柏書房)
日本語版前書き

現状と「記憶のずれ」 

一般市民だけでなく学者たちでさえも、過去は忘れてしまったほうが良い、と考えている。これまで通り「忘却」の繭の中にいたほうが楽なのに、なぜ、今さら過去の歴史を蒸し返して苦い思いをしなければならないのか、と彼らは考えているのだ。良心の呵責を覚えて戦時中の体験を公表しようとする元軍人は、友人たちの反対にあい、結局は、これから述べるごく稀なケースを除き、ほとんどの人が口を閉ざしてしまうのだ。多くの日本人にとって、戦争の記憶として留めておくべき無難な話題は広島と長崎の悲劇だけであるように思える。
 学者の中には、かなり過激な考え方を持つ者も大勢いる。彼らは決して学界の末端にいる狂信的な過激派ではない。むしろ、主流と呼ばれる人間たちだ。しかし、彼らの政治的な考えや歴史のとらえ方は少し保守的すぎるのである。彼らは過去をロマンチックかつ超国家主義的イメージでとらえる傾向があるが、これはほとんど幻想と言える。彼らは、歴史の「忘却」繭理論には飽き足らず、歴史を書き換えようとさえしている。アメリカおよびソ連の占領軍当局から受けた「腐敗的影響」を日本の歴史から払しょくすべきであると信じる教育学および歴史学の教授たちは、1995年および1996年、その目的を達成するために全国組織を結成した。その代表的なものが、「自由主義史観研究会」と「新しい歴史教科書をつくる会」である。これらのグループはいずれも、日本の最高学府と考えられている東京大学の教授らによって結成されたものである。 

※こういう会が結成されたということは、裏で政治的な団体が資金面や人的支援なども惜しみなくやっているのだろう!!天皇制を守るために、多くの団体が結集しているものと思う!!
今、埼玉県議会で起こっていること!!(転載)
再掲です、前回のご案内、曜日が間違えていました。訂正させて頂きます。
                              2009.12.7
埼玉県議会傍聴のお願い (JR浦和駅下車歩7分埼玉県庁内)
▲12月10日(木)午後3時より 佐藤征冶郎県会議員(社民党)が上田知事発言について質問をします。
知事は2006年(平成18年)6月「従軍慰安婦問題など日本の戦争責任の論議が多発」とか書いてありますが、東西古今慰安婦はいても従軍慰安婦はいません。兵のいるところに集まってきたり、兵を追っかけて民間の業者が連れていったりするんであって、軍そのものが連れていったりするわけは絶対ないんです。そんなことすれば負けるんです。したがって、こういった間違った記述がありますので、こういうのは修正しなければならん、こんなふうに思います」と答弁。その後周知の通り、平和資料館は展示から「従軍慰安婦」の「従軍」を削除しました。
 この件について佐藤議員が知事の「軍そのものが連れていったりするわけは絶対ないんです」という見解について、「軍が募集、関与、強制した事実はある」と資料を示し、発言の誤りを指摘します。知事がどういう回答をするか、またこの知事の姿勢が平和資料館の姿勢に影響しますので、今回の件は極めて重要です。

▲一人でも多くの方の傍聴をお願いします。平和資料館を考える会
                                      
南京大虐殺     
「この事実を・・・・」
(「南京大虐殺」生存者証言集:侵華日軍南京大遇難同胞紀念館/編 加藤 実/訳) (発行:ストーク、発売:星雲社、定価2000+税)
2、日本軍の狂暴な個人的虐殺
父や母の被害
徐慶禄(男、54歳)の証言
 1938年の3月に、その頃私は8歳でしたが、家庭の生活のために、当時の職工長についてロバを御して樹を運んでいました。大廠鎮から今の永豊まで材木を運ぶのに、毎日往復で4,50里の道程を走らせるのですが、工廠に入るのに脱帽しなければいけないという規則が分からなかったために、日本兵1人に憎々しげにびんたを2つなぐられ、1度足蹴りにされ、地に打ち倒されて、天と地がひっくり返ったように目くるめき、両の眼から火花が散ったのを覚えているだけで、何も分からなくなったのですが、10何分かしてやっとだんだん気が付いてきました。売国奴が1人やって来て私に憎々しげに言いました。「ターマートィ(馬鹿ったれ)!貴様工廠に入るのに何だって脱帽しないんだ?貴様が脱帽しないと、日本の殿様が『三途の水に渡す』ぞ、今度又脱帽しなかったら、貴様スーラスーラトィだぞ(死んじまえ)」。そのことが私には一生永遠に忘れられないのです。
 日本人が永利亜廠を占領してから、人を殺傷し悪事を重ねた惨状のすさまじさは到底勘定し切れませんが、私自身で見たり聞いたりした例を幾つか並べますと;
 1938年の2月のある日、小さなロバを御する人が4人、物を乗せて南廠門の長江の岸辺から今の電気工廠の右手の山のてっぺんまでやって来たところを、日本兵何人かに見られ、日本兵が立ち止まれと怒鳴りながら、発砲しました。日本兵2人が近寄って来て、小さいロバの御者たちが黄色い軍服を着ていたので、八路軍に物を運んでいる者だとみなして、朱永林など4人を今の殺人沼のそばまで連れて行きました。朱永林はこの土地の人だったので、保証する人がいて殺害されませんでしたが、そのほかの3人はみんな日本兵に殺されてしまいました。1人は頭を前から2つに割られ、2人目は頭を横から2つに割られ、3人目は頭がそっくり斬り落とされ沼に転がり落ちました。その時沼の水が一面に血で真っ赤に染まり、その沼はそれから「殺人沼」と呼ばれるようになりました。やられた3人はよその土地の人で、屍を片づける人が無く、その土地の人にかたわらの山の頂に埋められ、今も墓がそこにあります。
(明日に続く)(穆世亜が記録)

院内集会のお知らせ
 俵義文です。
12月9日(水)に教科書問題で院内集会を開催します。
教科書がかかえる重大な問題点について、国会議員に知っていただく重要な集会です。
ぜひ、多くの方のご参加をお待ちしています。
なお、この院内集会のために国会議員に働きかけるロビーイングを
12月4日(金)16時から行います。
これに参加いただける方は、3日の17時までに子どもと教科書全国ネット21に
ご連絡をお願いします。

転送・転載大歓迎

院内集会のご案内
教科書はこのままでいいのか
―教科書の検定・採択のありかたと
  沖縄戦「集団自決」検定―

 多くの市民の期待をになって新政権が誕生してから、まもなく3ヶ月を迎えようとしていますが、教科書や教育の中身については、まだ目立った動きはみられません。
 子どもたちに真実に根ざしたよい教科書を、どの子にもゆきとどいた教育を、という市民・保護者の願いを実現する新しい動きをいまこそ大きくおこす必要があります。
 そこで、市民、保護者、教育・教科書関係者の願いを国会にとどけるために、国会議員をまじえての院内集会を下記のとおり行うことにいたしました。ぜひご参加ください。
                     記
日時:12月9日(水) 15時00分~17時00分
場所:衆議院第二議員会館・第2会議室
    *14時30分から第二議員会館ロビーにて通行証を配布します。
○報告 ・教科書検定制度・採択制度の現状と改革の方向
      俵 義文(子どもと教科書全国ネット21事務局長)
    ・沖縄戦「集団自決」検定問題の現状と今後の運動
○参加者からの発言
○国会議員からの発言

主催 子どもと教科書全国ネット21
    日本出版労働組合連合会
    大江・岩波沖縄戦裁判を支援し沖縄の真実を広める首都圏の会
    (連絡先 子どもと教科書全国ネット21 03-3265-7606)
子どもと教科書全国ネット21

■ 南京・史実を守る映画祭 ■ (転載)
http://jijitu.com/filmfestival2009/
○日時 2009年12月13日(日) 10:00開場
○場所 東京都世田谷区区民会館ホール
○料金 前売券900円、当日券999円。
1作品ごとに入れ替えを行います。前売券の購入方法は下記のURLをご参照ください。
http://jijitu.com/filmfestival2009/2009-09-28-06-41-10

○プログラム・上映作品
10:30-『南京』(88分)
13:00-『アイリス・チャン』(103分)
15:00- シンポジウム
  ※ゲスト:鈴木邦男さん、武田倫和監督さん(詳細はHPで)
  ※映画祭チケットご購入のすべての方が入場いただけます。
16:30-『南京・引き裂かれた記憶』(85分)
18:30-『チルドレン・オブ・ホァンシー 遥かなる希望の道』(125分)

主催:南京・史実を守る映画祭実行委員会
お問合せ:nankin-eigasai-owner@yahoogroups.jp


「南京大虐殺」と聞いて、どれだけの人々が具体的に事件のイメージを語ることができるでしょうか。日本では、南京大虐殺という事実は、公の場であまり語られることはなく、学校教育でもほとんど取り上げられず、どこか、事件に触れることがタブーであるかのような空気が作られているようでもあります。

 事件をめぐっては、戦後になっても何度かの裁判が提起されてきました。その中には、事件の証言をする人々に対する「偽者」呼ばわりがきっかけになったものも多くありました。
 中国人の被害者である夏淑琴さん、李秀英さん。事件そのものの証言を報じた本多勝一さん。

 事実は必ず勝つ、という言葉のとおり、これらの裁判では真実が勝利し、事件はなかったとする人々の主張はすべて、疑似科学や単なる読み物レベルの俗論に過ぎない、ということが白日の下に晒されてきました。

 しかし、事件はなかったとする勢力が沈黙することはなく、それどころか、事件について公の場で触れることそのものにまで、攻撃の手を伸ばしてきました。

 事件を描いた「南京1937」は、その上映が右翼によって暴力的に妨害され、上映する劇場のスクリーンは、右翼によって切り裂かれました。

日本の大手映画会社によって、日露戦争や太平洋戦争の映画が次々と作られる中にあっても、日本軍による中国大陸での残虐行為を描いた映画はほんのわずかしかなく、南京大虐殺を描く映画は皆無、という状態です。

 この間、諸外国では南京大虐殺をテーマにした映画が数多く制作され、公開されているのに、事件の当事者である日本の国内では、南京を描く映画は作られていないのです。

 映画【靖国】の上映に至るまでの経緯を振り返るとき、このような状況は「暴力と、それを恐れるが故の自粛」によってもたらされる、言論の自由の危機だとはっきりいえます。これは、断じて容認することはできません。

 そこで私たちは、映画配給会社がやらないのなら私たちがやってしまおうと決意し、南京大虐殺をテーマとする映画を集めて映画祭を開催することにしました。
 ぜひお越しください。

●『陸軍登戸研究場見学ツアー』(転載)

●日時:12月20日(日)10時
●集合場所:小田急線「生田駅」前集合
●見学後、明大食堂で姫田先生のお話
●参加費:無料
●主催:埼玉9条連・川崎9条連「共催」
◆『フィールドワーク・陸軍登戸研究所』

●女たちの戦争と平和資料館
 常設展(日本軍「慰安婦」問題)と特設展(転載)

特設展
証言と沈黙 加害に向きあう元兵士たち
午後1時より6時まで入館料500円 
休館 月・火
 03-3202-4633
 早稲田奉仕園AVACOビル2階

jr 高田馬場駅よりバス西早稲田下車 2分
地下鉄東西線早稲田駅歩 5分 

戦後補償
戦後補償裁判の成果を全面解決の戦いにどう生かすか(Suopei 潤・6より)
                         松岡 創(弁護士)
 ・・・・これまでに20件以上の強制連行裁判が行われてきたわけですが、福岡訴訟第1陣の裁判官は、裁判を重ねるごとに態度が変わっていきました。裁判官は一生ののうち2回心からの判決を書くと言われています。この裁判官はこの判決を書くとき、手が震えたといいます。
 長野の1審の裁判官もそうです。本当は勝たせたい・・・・。悩みを持った裁判官もいます。
 最高裁判決では訴求権はない、となりましたが、このままでは許せないということで、私たちが付言と呼んでいる「当事者同士の解決」に言及したのです。その後、福岡高裁、宮崎の高裁などが「解決への期待」を表明しのたです。
 中国人の強制連行は4万人といわれています。38935人ですが、中国の港から出発した時は39385人です。途中の船で、港で、列車で亡くなり、事業所が受け入れたのが、先の人数です。そして6800人以上が事業所などで亡くなっています。
 今後どういう解決をしたらいいのでしょうか。例えばスペインでは「歴史記憶法」が制定され、独裁者フランコの銅像を壊すなどの動きがあります。ドイツでは「包括的名誉回復法」が制定されたといいます。ヨーロッパにはこういう動きがあります。日本では全くありません。 日本の企業はどうかというと、三菱マテリアルは、和解したいという姿勢です。法的安定性を求めています。三井は、国が変われば・・・、と言っています。西松はかたくなに和解を拒否していましたが、不祥事があり、全役員が交替しました。そして「解決したい」と言ってきました。西松は2つの現場があります。広島の安野に360人と、新潟の信濃川に183人です。それぞれが別の裁判を起こしていました。
 中国の中でも動きがありましす。全国人民代表大会でも意見が出されるようになっています。政治的解決に道が拓かれてきました。
 今、この日本で民主党が政権を取ったことの意味はとても大きいです。鳩山氏はアジア重視、東アジア共同体、中国・韓国との友好を言っています。私たちはこれに働きかける必要があります。それが市民運動の進むべき方向です。 
南京大虐殺     

南京大虐殺に加わった元陸軍伍長栗原利一さんの息子さんから大変貴重なコメントを頂いた!!
本当にありがとうございます!!「南京大虐殺」の真実が日本人の1人でも多くの方に理解していただけたらと強く思います!!以下:コメント

南京大虐殺は世界的に誤解されています。 中核的な出来事は南京陥落時の城外における大規模な捕虜の殺害です。 父親(栗原利一)のスケッチブックでも7万余人と書かれています。 非戦闘時の7万余人の捕虜の殺害ですから、当然、日本陸軍が軍の組織として行なったものです。 捕虜の多くは蒋介石軍兵士などです。 ただ、中国側の言う30万人説は戦闘時の犠牲者も含めた数として合理的な数です。 昭和12年7月の南京の人口は135万人です。 11月末の人口は50万人で、これに南京防衛軍15万が加わった65万人が日本軍の攻撃に晒されました。 否定派の言う20万人は逃げ場の無い貧民の数です。 小平市の警察学校と小平団地を合わせた(昔の警察学校の広さ)10万坪の安全区に押し込められた貧民の数です。 (65連隊のシャーカンおける2千人斬首は父だけが日本側の証人です。名古屋市の河村市長は無知なだけです。「ジョン・ラーベ」は城内での出来事しか書かれていないので日本人には誤解を与えます。)

またまた、核心さん(栗原利一さんの息子さん)より、参考になるメールを頂いたので紹介したい。なぜ、日本は歴史を改ざんするのかがよく分かる!!

核心 2009年11月26日 18:12
「戦史叢書」と南京大記念館の差

結構知られているようなのですが、防衛研究所戦史部が南京を否定するのは、GHQのGSとG2の占領政策の違いから来ています。

この戦史部OBで終戦時少佐の森松俊夫氏が2006年に親父(栗原利一)のスケッチブックの破壊工作を行なって失敗しています。
(この方は、偕行社にいた時に東裁判を計画された方でもあります。)

以下は「加害と赦し、南京大虐殺と東史郎裁判」の中の吉田裕氏の論文の抜粋です。

防衛研修所戦史室の源流

...この資料整理部の前身は史実調査部、さらには史実部であるが、一貫してその中心的地位にあったのは、元陸軍大佐の服部卓四郎だった。
服部は、タカ派で有名なGHQ参謀第二部(G2)部長の、C.A.ウィロビー少将の援助の下に、周辺に旧日本軍の幕僚将校を集めて「服部グループ」を結成する。
占領中から、秘かに再軍備計画の研究にあたっていたのは、このグループである。

...戦史室編纂の「戦史叢書」が、旧軍の立場を代弁する弁明史観的性格を色濃く持たざるを得なかった...
栗原利一資料集
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この世の地獄!731部隊・南京大虐殺

2009-12-06 12:04:03 | Weblog
「ノブの日記」 のタグをクリックお願いします!!

     
「怨」

きけ!「マルタ・アジアの犠牲者」の叫び!

「日の丸」・「君が代」反対!!

(侵略のシンボル)(天皇賛美の歌)

新しい日本!!

「世襲の天皇制から選ばれし大統領制へ!」

(昭和天皇の戦争責任を問う。)

(時効なき戦争責任)


731部隊
『死の工場』(隠蔽された731部隊)

(シェルダン・H・ハリス著、近藤昭二訳:柏書房)
日本語版前書き

現状と「記憶のずれ」 

さらに大きな問題は、驚くほど多くの著名な学者たちの間で、超国家主義的感情が広がりつつあるということだろう。しかも、その数はどんどん増え続けているのだ。同じ超国家主義者でも、過激度にはいくつかのレベルがある。第2次世界大戦中の行動に対して日本政府が謝罪することに反対するだけの学者もいれば、大きな損害を被ったと出張する国や個人に対して追加補償することに反対するだけの学者もいる。この代表例が、西尾幹二教授である。電気通信大学でドイツ文学およびイデオロギー史を教える西尾教授は、1995年、終戦50周年を記念して謝罪するべきだ、という国会決議に対して公然と反対論を唱えたのである。彼はこれを「幼稚な考え」と非難した。国会は戦争の本質を論じる場所ではない、と主張した。「歴史を判断するのは歴史家のやることであって、政治家のやることではない」。彼は、先の戦争では、日本が敵に対して「いくらか人種差別的態度」を取ったことは認めたが、それは避けられないことであり、アメリカも敵に対して人種差別的考えを持っていたではないか、と言った。

※何でこんな学者?が多いのか不思議に思う!!天皇教に汚染されているのだろうか?

今、埼玉県議会で起こっていること!!(転載)
                                      2009.12.02
埼玉県議会傍聴のお願い (JR浦和駅下車歩7分埼玉県庁内)
12月10日(金)午後3時より 佐藤征冶郎県会議員(社民党)が上田知事発言について質問をします。
知事は2006年(平成18年)6月「従軍慰安婦問題など日本の戦争責任の論議が多発」とか書いてありますが、東西古今慰安婦はいても従軍慰安婦はいません。兵のいるところに集まってきたり、兵を追っかけて民間の業者が連れていったりするんであって、軍そのものが連れていったりするわけは絶対ないんです。そんなことすれば負けるんです。したがって、こういった間違った記述がありますので、こういうのは修正しなければならん、こんなふうに思います」と答弁。その後周知の通り、平和資料館は展示から「従軍慰安婦」の「従軍」を削除しました。
 この件について佐藤議員が知事の「軍そのものが連れていったりするわけは絶対ないんです」という見解について、「軍が募集、関与、強制した事実はある」と資料を示し、発言の誤りを指摘します。知事がどういう回答をするか、またこの知事の姿勢が平和資料館の姿勢に影響しますので、今回の件は極めて重要です。

一人でも多くの方の傍聴をお願いします。平和資料館を考える会


南京大虐殺     

「この事実を・・・・」

(「南京大虐殺」生存者証言集:侵華日軍南京大遇難同胞紀念館/編 加藤 実/訳) (発行:ストーク、発売:星雲社、定価2000+税)

※私達日本人は、南京大虐殺の「この事実を・・・」を謙虚に読むべきだと思う。
南京でどんなことが起こっていたのかをもっと日本人は知る必要があると思う。
今でも多くの被害者の方々はPTSDに悩んでいる!!

2、日本軍の狂暴な個人的虐殺

父や母の被害

徐慶禄(男、54歳)の証言
 姉が不幸にして踏みつけにされました。1938年の3月初めに、悪逆極まる日本兵が中国の至る所で気が触れたように焼き殺し略奪したばかりでなく、気ままに我らが中国女性を強姦し、その頃青年婦女子は外に出られず、これっぱかしの人身の自由もありませんでした。その頃何千何万もの青年婦女子がこの野獣の群れに強姦され、踏みにじられてから殺害された婦女たちもいました。大廠地区では数百名の青年婦女子が日本兵に強姦されました。実の姉で幼名を臘女子と言ったのがやっと15歳で不幸にもやられました。その時姉と一緒にやられたのには他に従姉で、小さい時の名を隔娣子と言ったのがいます。
 苦しい仕事をした兄が罪なく打たれました。1938年の2月に、生活に迫られ、わずか13歳だった上の兄が日本兵に雇われて少年労働をやらされたのですが、あのような人食い社会の狼のような日本兵は、出勤して働くのを見ていて、休憩は少しもさせず、甚だしきは便所にすら行かせず、兄が大便で急いで便所に行ったら、日本兵に見られ、げんこつで殴られるは脚で蹴られるはでこてんこてんにされ、10何日かは働いたのに、一銭ももらえませんでした。(明日に続く)(穆世亜が記録)

お知らせ

■ 南京・史実を守る映画祭 ■
(転載)
http://jijitu.com/filmfestival2009/
○日時 2009年12月13日(日) 10:00開場
○場所 東京都世田谷区区民会館ホール
○料金 前売券900円、当日券999円。
1作品ごとに入れ替えを行います。前売券の購入方法は下記のURLをご参照ください。
http://jijitu.com/filmfestival2009/2009-09-28-06-41-10

○プログラム・上映作品
10:30-『南京』(88分)
13:00-『アイリス・チャン』(103分)
15:00- シンポジウム
  ※ゲスト:鈴木邦男さん、武田倫和監督さん(詳細はHPで)
  ※映画祭チケットご購入のすべての方が入場いただけます。
16:30-『南京・引き裂かれた記憶』(85分)
18:30-『チルドレン・オブ・ホァンシー 遥かなる希望の道』(125分)

主催:南京・史実を守る映画祭実行委員会
お問合せ:nankin-eigasai-owner@yahoogroups.jp


「南京大虐殺」と聞いて、どれだけの人々が具体的に事件のイメージを語ることができるでしょうか。日本では、南京大虐殺という事実は、公の場であまり語られることはなく、学校教育でもほとんど取り上げられず、どこか、事件に触れることがタブーであるかのような空気が作られているようでもあります。

 事件をめぐっては、戦後になっても何度かの裁判が提起されてきました。その中には、事件の証言をする人々に対する「偽者」呼ばわりがきっかけになったものも多くありました。
 中国人の被害者である夏淑琴さん、李秀英さん。事件そのものの証言を報じた本多勝一さん。

 事実は必ず勝つ、という言葉のとおり、これらの裁判では真実が勝利し、事件はなかったとする人々の主張はすべて、疑似科学や単なる読み物レベルの俗論に過ぎない、ということが白日の下に晒されてきました。

 しかし、事件はなかったとする勢力が沈黙することはなく、それどころか、事件について公の場で触れることそのものにまで、攻撃の手を伸ばしてきました。

 事件を描いた「南京1937」は、その上映が右翼によって暴力的に妨害され、上映する劇場のスクリーンは、右翼によって切り裂かれました。

日本の大手映画会社によって、日露戦争や太平洋戦争の映画が次々と作られる中にあっても、日本軍による中国大陸での残虐行為を描いた映画はほんのわずかしかなく、南京大虐殺を描く映画は皆無、という状態です。

 この間、諸外国では南京大虐殺をテーマにした映画が数多く制作され、公開されているのに、事件の当事者である日本の国内では、南京を描く映画は作られていないのです。

 映画【靖国】の上映に至るまでの経緯を振り返るとき、このような状況は「暴力と、それを恐れるが故の自粛」によってもたらされる、言論の自由の危機だとはっきりいえます。これは、断じて容認することはできません。

 そこで私たちは、映画配給会社がやらないのなら私たちがやってしまおうと決意し、南京大虐殺をテーマとする映画を集めて映画祭を開催することにしました。
 ぜひお越しください。

■第17回 川崎・横浜「平和のための戦争展」■(転載)戦争遺跡を地域の文化財に

見て、歌って、考えて。
今年の戦争展は、こころとからだを通して、参加者のみなさんとともに戦争と平和について考えたいと思っています。今年は、アジア・太平洋戦争が終結してから64年。 戦争の記憶をどう受け継いでゆくのか。「継承」があらためて問われているといえます。
心に平和の歌を刻みながら、「戦争遺跡を地域の文化財に」という切り口で、戦争を「継承」するうえでの課題に迫ります。お気軽にご参加ください。

期日 2009年12月5日(土)~6日(日)
場所 川崎市平和館
http://www.city.kawasaki.jp/25/25heiwa/home/htm/kotsu.htm

■第1日目 12月5日(土)
13:00~15:00  文化行事
「くちびるに歌を 心に平和を」
歌うのは貴方、聴くのも貴方!
アコーディオンとピアノ伴奏つき。
展示見学を兼ねてご参加ください。
(友情出演 合唱団「白樺」 ほか)

■第2日目 12月6日(日)
10:00~12:00 若者の発表
「戦争の記憶をどう引き継ぐか」
13:00~15:00 シンポジウム
「戦争遺跡をいかす平和ミュージアム」
パネリスト
姫田光義さん(中央大学名誉教授)
山田朗さん(明治大学教授)
新井揆博さん(戦争遺跡保存全国ネット)
司会
渡辺賢二さん(明治大学講師)

<主 催> 川崎・横浜「平和のための戦争展」実行委員会
(代表)姫田光義 (副代表)大西章・渡辺賢二・新井揆博
(顧問)白井厚・須田輪太郎
<後 援> 川崎市
<連絡先> 亀岡敦子  045(561)2758
--- watanabe1937 <HISTORY1937@H... />wrote:

●『陸軍登戸研究場見学ツアー』(転載)
●日時:12月20日(日)10時
●集合場所:小田急線「生田駅」前集合
●見学後、明大食堂で姫田先生のお話
●参加費:無料
●主催:埼玉9条連・川崎9条連「共催」
◆『フィールドワーク・陸軍登戸研究所』
http://www.book.janjan.jp/0909/0909069848/1.php

●女たちの戦争と平和資料館
 常設展(日本軍「慰安婦」問題)と特設展

(転載)
特設展
証言と沈黙 加害に向きあう元兵士たち
午後1時より6時まで入館料500円 
休館 月・火
 03-3202-4633
 早稲田奉仕園AVACOビル2階

jr 高田馬場駅よりバス西早稲田下車 2分
地下鉄東西線早稲田駅歩 5分 

戦後補償
戦後補償裁判の成果を全面解決の戦いにどう生かすか(Suopei 潤・6より)
                         松岡 創(弁護士)
 ・・・・これまでに20件以上の強制連行裁判が行われてきたわけですが、福岡訴訟第1陣の裁判官は、裁判を重ねるごとに態度が変わっていきました。裁判官は一生ののうち2回心からの判決を書くと言われています。この裁判官はこの判決を書くとき、手が震えたといいます。
 長野の1審の裁判官もそうです。本当は勝たせたい・・・・。悩みを持った裁判官もいます。
 最高裁判決では訴求権はない、となりましたが、このままでは許せないということで、私たちが付言と呼んでいる「当事者同士の解決」に言及したのです。その後、福岡高裁、宮崎の高裁などが「解決への期待」を表明しのたです。
 中国人の強制連行は4万人といわれています。38935人ですが、中国の港から出発した時は39385人です。途中の船で、港で、列車で亡くなり、事業所が受け入れたのが、先の人数です。そして6800人以上が事業所などで亡くなっています。
 今後どういう解決をしたらいいのでしょうか。例えばスペインでは「歴史記憶法」が制定され、独裁者フランコの銅像を壊すなどの動きがあります。ドイツでは「包括的名誉回復法」が制定されたといいます。ヨーロッパにはこういう動きがあります。日本では全くありません。 日本の企業はどうかというと、三菱マテリアルは、和解したいという姿勢です。法的安定性を求めています。三井は、国が変われば・・・、と言っています。西松はかたくなに和解を拒否していましたが、不祥事があり、全役員が交替しました。そして「解決したい」と言ってきました。西松は2つの現場があります。広島の安野に360人と、新潟の信濃川に183人です。それぞれが別の裁判を起こしていました。
 中国の中でも動きがありましす。全国人民代表大会でも意見が出されるようになっています。政治的解決に道が拓かれてきました。
 今、この日本で民主党が政権を取ったことの意味はとても大きいです。鳩山氏はアジア重視、東アジア共同体、中国・韓国との友好を言っています。私たちはこれに働きかける必要があります。それが市民運動の進むべき方向です。 
中国人戦争被害者の要求を支える会 

南京大虐殺     

南京大虐殺に加わった元陸軍伍長栗原利一さんの息子さんから大変貴重なコメントを頂いた!!
本当にありがとうございます!!「南京大虐殺」の真実が日本人の1人でも多くの方に理解していただけたらと強く思います!!以下:コメント


南京大虐殺は世界的に誤解されています。 中核的な出来事は南京陥落時の城外における大規模な捕虜の殺害です。 父親(栗原利一)のスケッチブックでも7万余人と書かれています。 非戦闘時の7万余人の捕虜の殺害ですから、当然、日本陸軍が軍の組織として行なったものです。 捕虜の多くは蒋介石軍兵士などです。 ただ、中国側の言う30万人説は戦闘時の犠牲者も含めた数として合理的な数です。 昭和12年7月の南京の人口は135万人です。 11月末の人口は50万人で、これに南京防衛軍15万が加わった65万人が日本軍の攻撃に晒されました。 否定派の言う20万人は逃げ場の無い貧民の数です。 小平市の警察学校と小平団地を合わせた(昔の警察学校の広さ)10万坪の安全区に押し込められた貧民の数です。 (65連隊のシャーカンおける2千人斬首は父だけが日本側の証人です。名古屋市の河村市長は無知なだけです。「ジョン・ラーベ」は城内での出来事しか書かれていないので日本人には誤解を与えます。)


またまた、核心さん(栗原利一さんの息子さん)より、参考になるメールを頂いたので紹介したい。なぜ、日本は歴史を改ざんするのかがよく分かる!!

核心 2009年11月26日 18:12
「戦史叢書」と南京大記念館の差

結構知られているようなのですが、防衛研究所戦史部が南京を否定するのは、GHQのGSとG2の占領政策の違いから来ています。

この戦史部OBで終戦時少佐の森松俊夫氏が2006年に親父(栗原利一)のスケッチブックの破壊工作を行なって失敗しています。
(この方は、偕行社にいた時に東裁判を計画された方でもあります。)

以下は「加害と赦し、南京大虐殺と東史郎裁判」の中の吉田裕氏の論文の抜粋です。

防衛研修所戦史室の源流

...この資料整理部の前身は史実調査部、さらには史実部であるが、一貫してその中心的地位にあったのは、元陸軍大佐の服部卓四郎だった。
服部は、タカ派で有名なGHQ参謀第二部(G2)部長の、C.A.ウィロビー少将の援助の下に、周辺に旧日本軍の幕僚将校を集めて「服部グループ」を結成する。
占領中から、秘かに再軍備計画の研究にあたっていたのは、このグループである。

...戦史室編纂の「戦史叢書」が、旧軍の立場を代弁する弁明史観的性格を色濃く持たざるを得なかった...

栗原利一資料集
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この世の地獄!731部隊・南京大虐殺

2009-12-05 10:16:56 | Weblog

「ノブの日記」 のタグをクリックお願いします!!
          「怨」
きけ!「マルタ・アジアの犠牲者」の叫び!
「日の丸」・「君が代」反対!!
(侵略のシンボル)(天皇賛美の歌)
新しい日本!!
「世襲の天皇制から選ばれし大統領制へ!」
(昭和天皇の戦争責任を問う。)
(時効なき戦争責任)


『死の工場』(隠蔽された731部隊)
(シェルダン・H・ハリス著、近藤昭二訳:柏書房)
日本語版前書き
現状と「記憶のずれ」
 このような発言は政府の立場を悪くするため、発言当事者である大臣は辞任するか、あるいは、こちらのほうが頻度は高いのだが、恥ずべき発言を撤回するのである。たとえば中川昭一農水相(この本は1999年発行されている)の場合、義務教育の教科書に従軍慰安婦問題を掲載するのは疑問だという発言をしたため、後で大騒動が巻き起こり、結局発言を撤回する羽目になった。しかし、彼は最後に口をとがらせてこう言ったー「発言を撤回したのは、日韓漁業協定の話し合いに支障を生じてはならないと思ったからにすぎない」。
 これらの問題を否定する動きは全国レベルで広がっている。1996年末、岡山県議会は文部大臣に対して、教科書から慰安婦問題の項を削除するように陳情した。これは岡山県の市民グループから「戦時中には、慰安婦などという言葉はなかった・・・今日的価値観で日本軍を非難するのは妥当ではない」という主張を受けてのことだった。この1年前、岐阜県教育委員会は第2次世界大戦終結50周年を記念して計画されていた展示会の支持を取り下げた。教育委員会は、このような展示会を支持することは、公共学校教育の「中立性」を崩壊させることにもなりかねない、と言って彼らの考えを正当化した。(明日に続く)

※今までは自民党の強い指導を受け、文科省はじめ教育委員会が非常に保守的になり、右翼の圧力にも屈していた。
 新しく政権を取った民主党はどのような動きをするのであろうか?その結果文科省はどうなるか?

 このような歴史を改ざんする動きは今現在も活発に行われている。そしてあの戦争を美化する。かつて安部晋三が「美しい国」とか言っていたが、祖父の岸が中国で行っていた強制連行を考えれば口が裂けても「美しい国:日本」などとは言えない!!
 11月28日のメールにこんなものがあった。何で右翼はこんなことをするのだろうか?
日本の警察は何をやっているのかとも思う。グルか?以下メール転載。

 今年の証言集会に在特会(在日特権を許さない市民の会)の妨害予告がありました。
東京の「慰安婦」関係の集会では、妨害につめかけた在特会メンバーに阻まれ、参加希望者が会場の中に入れなくなってしまったり、暴力を受ける人もいました。
28日大阪、29日京都の集会ともに混乱が予想されます。参加を予定されている方はぜひ、在特会が妨害を開始すると言っている13:00より前に会場内に入れるように、時間の余裕をもってお越しください。 借りている部屋には13時半からしか入れないので、少し待っていただくかたちになるとは思いますが、どうかご了承ください。
また、京都の会場にお越しの際は、京阪の駅から鴨川にかかる大橋を渡ってすぐに「高瀬川」という細い川が流れています。河原町通りまで行かずに、高瀬川西側の小道を歩いていただくと、ひとまち交流館の裏門があります。河原町通りの表門側よりも混乱は少ないと思われますので、(時間に遅れそうな方はとくに)どうぞそちらからお入りください。

ナヌムの家を訪れた高校生が、こんな話をしてくれました。「ナヌムの家でハルモニの証言を聞き、思わず泣いてしまった。するとハルモニが僕の手をやさしく握ってこう言ってくれた。“あなたを泣かすために証言をしたんじゃない。あなたたちが将来、自分と同じような被害にあったり、ふたたび戦争が起こらないように話をしたんだ”」。 そのときのハルモニが、今回来日してくださる姜日出(カン・イルチュル)ハルモニです。わたしたちはいつも、わたしたちの現在そして未来が、このような被害者の方々の勇気と深い愛情によって守られていると感じています。

今回は、ハルモニを守るためにみなさまのお力をお貸しください。ハルモニが不当な暴力に晒されないよう、また証言集会が暖かい雰囲気の中で成功しますよう、ご協力よろしくお願いします。

今、埼玉県議会で起こっていること!!(転載)
                                 2009.12.02
埼玉県議会傍聴のお願い (JR浦和駅下車歩7分埼玉県庁内)
12月10日(金)午後3時より 佐藤征冶郎県会議員(社民党)が上田知事発言について質問をします。
知事は2006年(平成18年)6月「従軍慰安婦問題など日本の戦争責任の論議が多発」とか書いてありますが、東西古今慰安婦はいても従軍慰安婦はいません。兵のいるところに集まってきたり、兵を追っかけて民間の業者が連れていったりするんであって、軍そのものが連れていったりするわけは絶対ないんです。そんなことすれば負けるんです。したがって、こういった間違った記述がありますので、こういうのは修正しなければならん、こんなふうに思います」と答弁。その後周知の通り、平和資料館は展示から「従軍慰安婦」の「従軍」を削除しました。
 この件について佐藤議員が知事の「軍そのものが連れていったりするわけは絶対ないんです」という見解について、「軍が募集、関与、強制した事実はある」と資料を示し、発言の誤りを指摘します。知事がどういう回答をするか、またこの知事の姿勢が平和資料館の姿勢に影響しますので、今回の件は極めて重要です。

一人でも多くの方の傍聴をお願いします。平和資料館を考える会

南京大虐殺     
「この事実を・・・・」

(「南京大虐殺」生存者証言集:侵華日軍南京大遇難同胞紀念館/編 加藤 実/訳) (発行:ストーク、発売:星雲社、定価2000+税)
2、日本軍の狂暴な個人的虐殺
父や母の被害
徐慶禄(男、54歳)の証言
 2人が打たれて既に目がくらんでしまっていても、日本兵たちは放たずに、水道の水を2人の顔にぶっかけ目を覚まさせてからまた酷く打ち続け、という風に何度も繰り返して2人を全身ミミズばれにし、気息えんえんとさせ人事不省に陥らせました。そして日本軍は2人がもう死んだものと認めて、やっと現場を離れました。我が家ではその不幸な知らせを聞いて、母も家中の者も涙に泣きぬれ、全く天に叫びを求めても天は応えず、地にわめいてはも地は響かずでした。どこに弁明するところとて無く、ただ屍の片づけを準備するだけでした。けれども日本軍は又もや工廠の門を入らせてくれないので、家中の者が気が気でありませんでした。私たちが物を贈らないから入れてくれないのだと気付かせてくれる人がいて、私たちはやむなく家に戻って鶏のメスを2匹用意し、その時の職工長に贈ってやっと工廠の門を入れてもらえました。
私たちが父の打たれた所に駆けつけてみると、父は地に横たわって微動だにせず、死んだみたいでしたが、手をちょっとまさぐり、まだ少し息をしていたので、時を移さず家に担いで行き、重湯を少し口に入れてあげたらだんだんに気が付いてきました。家は貧しく、父に手当てする薬を買うお金も無くて、家中気が気でありませんでしたが、親切な人が私たちに簡単な救急の処方をしてくれて、3か月でやっとかさぶたができ外傷が治ったのでした。
 2度にわたって痛みつけられ、父は心身ともに大いに損なわれて、身体じゅうが痛むと、雨になると分かるほどで、父は死に至るまで身体に恨みの傷あとを留めていました。
(明日に続く)(穆世亜が記録)

南京大虐殺に加わった元陸軍伍長栗原利一さんの息子さんから大変貴重なコメントを頂いた!!
本当にありがとうございます!!「南京大虐殺」の真実が日本人の1人でも多くの方に理解していただけたらと強く思います!!以下:コメント

南京大虐殺は世界的に誤解されています。 中核的な出来事は南京陥落時の城外における大規模
な捕虜の殺害です。 父親(栗原利一)のスケッチブックでも7万余人と書かれています。 非戦闘時の7万余人の捕虜の殺害ですから、当然、日本陸軍が軍の組織として行なったものです。 捕虜の多くは蒋介石軍兵士などです。 ただ、中国側の言う30万人説は戦闘時の犠牲者も含めた数として合理的な数です。 昭和12年7月の南京の人口は135万人です。 11月末の人口は50万人で、これに南京防衛軍15万が加わった65万人が日本軍の攻撃に晒されました。 否定派の言う20万人は逃げ場の無い貧民の数です。 小平市の警察学校と小平団地を合わせた(昔の警察学校の広さ)10万坪の安全区に押し込められた貧民の数です。 (65連隊のシャーカンおける2千人斬首は父だけが日本側の証人です。名古屋市の河村市長は無知なだけです。「ジョン・ラーベ」は城内での出来事しか書かれていないので日本人には誤解を与えます。)

またまた、核心さん(栗原利一さんの息子さん)より、参考になるメールを頂いたので紹介したい。なぜ、日本は歴史を改ざんするのかがよく分かる!!

核心 2009年11月26日 18:12
「戦史叢書」と南京大記念館の差

結構知られているようなのですが、防衛研究所戦史部が南京を否定するのは、GHQのGSとG2の占領政策の違いから来ています。

この戦史部OBで終戦時少佐の森松俊夫氏が2006年に親父(栗原利一)のスケッチブックの破壊工作を行なって失敗しています。
(この方は、偕行社にいた時に東裁判を計画された方でもあります。)

以下は「加害と赦し、南京大虐殺と東史郎裁判」の中の吉田裕氏の論文の抜粋です。

防衛研修所戦史室の源流

...この資料整理部の前身は史実調査部、さらには史実部であるが、一貫してその中心的地位にあったのは、元陸軍大佐の服部卓四郎だった。
服部は、タカ派で有名なGHQ参謀第二部(G2)部長の、C.A.ウィロビー少将の援助の下に、周辺に旧日本軍の幕僚将校を集めて「服部グループ」を結成する。
占領中から、秘かに再軍備計画の研究にあたっていたのは、このグループである。

...戦史室編纂の「戦史叢書」が、旧軍の立場を代弁する弁明史観的性格を色濃く持たざるを得なかった...
栗原利一資料集

お知らせ
■ 南京・史実を守る映画祭 ■
(転載)
http://jijitu.com/filmfestival2009/  
○日時 2009年12月13日(日) 10:00開場
○場所 東京都世田谷区区民会館ホール
○料金 前売券900円、当日券999円。
1作品ごとに入れ替えを行います。前売券の購入方法は下記のURLをご参照ください。
http://jijitu.com/filmfestival2009/2009-09-28-06-41-10
○プログラム・上映作品
10:30-『南京』(88分)
13:00-『アイリス・チャン』(103分)
15:00- シンポジウム
  ※ゲスト:鈴木邦男さん、武田倫和監督さん(詳細はHPで)
  ※映画祭チケットご購入のすべての方が入場いただけます。
16:30-『南京・引き裂かれた記憶』(85分)
18:30-『チルドレン・オブ・ホァンシー 遥かなる希望の道』(125分)

主催:南京・史実を守る映画祭実行委員会
お問合せ:nankin-eigasai-owner@yahoogroups.jp


「南京大虐殺」と聞いて、どれだけの人々が具体的に事件のイメージを語ることができるでしょうか。日本では、南京大虐殺という事実は、公の場であまり語られることはなく、学校教育でもほとんど取り上げられず、どこか、事件に触れることがタブーであるかのような空気が作られているようでもあります。

 事件をめぐっては、戦後になっても何度かの裁判が提起されてきました。その中には、事件の証言をする人々に対する「偽者」呼ばわりがきっかけになったものも多くありました。
 中国人の被害者である夏淑琴さん、李秀英さん。事件そのものの証言を報じた本多勝一さん。

 事実は必ず勝つ、という言葉のとおり、これらの裁判では真実が勝利し、事件はなかったとする人々の主張はすべて、疑似科学や単なる読み物レベルの俗論に過ぎない、ということが白日の下に晒されてきました。

 しかし、事件はなかったとする勢力が沈黙することはなく、それどころか、事件について公の場で触れることそのものにまで、攻撃の手を伸ばしてきました。

 事件を描いた「南京1937」は、その上映が右翼によって暴力的に妨害され、上映する劇場のスクリーンは、右翼によって切り裂かれました。

日本の大手映画会社によって、日露戦争や太平洋戦争の映画が次々と作られる中にあっても、日本軍による中国大陸での残虐行為を描いた映画はほんのわずかしかなく、南京大虐殺を描く映画は皆無、という状態です。

 この間、諸外国では南京大虐殺をテーマにした映画が数多く制作され、公開されているのに、事件の当事者である日本の国内では、南京を描く映画は作られていないのです。

 映画【靖国】の上映に至るまでの経緯を振り返るとき、このような状況は「暴力と、それを恐れるが故の自粛」によってもたらされる、言論の自由の危機だとはっきりいえます。これは、断じて容認することはできません。

 そこで私たちは、映画配給会社がやらないのなら私たちがやってしまおうと決意し、南京大虐殺をテーマとする映画を集めて映画祭を開催することにしました。
 ぜひお越しください。

■第17回 川崎・横浜「平和のための戦争展」■(転載)戦争遺跡を地域の文化財に

見て、歌って、考えて。
今年の戦争展は、こころとからだを通して、参加者のみなさんとともに戦争と平和について考えたいと思っています。今年は、アジア・太平洋戦争が終結してから64年。 戦争の記憶をどう受け継いでゆくのか。「継承」があらためて問われているといえます。
心に平和の歌を刻みながら、「戦争遺跡を地域の文化財に」という切り口で、戦争を「継承」するうえでの課題に迫ります。お気軽にご参加ください。

期日 2009年12月5日(土)~6日(日)
場所 川崎市平和館
http://www.city.kawasaki.jp/25/25heiwa/home/htm/kotsu.htm

■第1日目 12月5日(土)
13:00~15:00  文化行事
「くちびるに歌を 心に平和を」
歌うのは貴方、聴くのも貴方!
アコーディオンとピアノ伴奏つき。
展示見学を兼ねてご参加ください。
(友情出演 合唱団「白樺」 ほか)

■第2日目 12月6日(日)
10:00~12:00 若者の発表
「戦争の記憶をどう引き継ぐか」
13:00~15:00 シンポジウム
「戦争遺跡をいかす平和ミュージアム」
パネリスト
姫田光義さん(中央大学名誉教授)
山田朗さん(明治大学教授)
新井揆博さん(戦争遺跡保存全国ネット)
司会
渡辺賢二さん(明治大学講師)

<主 催> 川崎・横浜「平和のための戦争展」実行委員会
(代表)姫田光義 (副代表)大西章・渡辺賢二・新井揆博
(顧問)白井厚・須田輪太郎
<後 援> 川崎市
<連絡先> 亀岡敦子  045(561)2758
--- watanabe1937 <HISTORY1937@H... />wrote:

●『陸軍登戸研究場見学ツアー』(転載)
●日時:12月20日(日)10時
●集合場所:小田急線「生田駅」前集合
●見学後、明大食堂で姫田先生のお話
●参加費:無料
●主催:埼玉9条連・川崎9条連「共催」
◆『フィールドワーク・陸軍登戸研究所』
http://www.book.janjan.jp/0909/0909069848/1.php

●女たちの戦争と平和資料館
 常設展(日本軍「慰安婦」問題)と特設展(転載)

特設展
証言と沈黙 加害に向きあう元兵士たち
午後1時より6時まで入館料500円 
休館 月・火
 03-3202-4633
 早稲田奉仕園AVACOビル2階
jr 高田馬場駅よりバス西早稲田下車 2分
地下鉄東西線早稲田駅歩 5分 

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この世の地獄!731部隊・南京大虐殺

2009-12-04 21:30:54 | Weblog

「ノブの日記」 のタグをクリックお願いします!!

     「怨」
きけ!「マルタ・アジアの犠牲者」の叫び!
「日の丸」・「君が代」反対!!
(侵略のシンボル)(天皇賛美の歌)
新しい日本!!
「世襲の天皇制から選ばれし大統領制へ!」
(昭和天皇の戦争責任を問う。)
(時効なき戦争責任)

『死の工場』(隠蔽された731部隊)
(シェルダン・H・ハリス著、近藤昭二訳:柏書房)
日本語版前書き
現状と「記憶のずれ」
20世紀も終わりに近づいたこの数年間に(この本は1999年発行)、日本の文化と政治の中核を成すメンバーたちが、「アジアのホロコースト」と呼ばれた出来事に対する態度を大きく変え始めているのは明らかだ。前述したように、1993年以降、首相たちは戦時中の日本の行動に対し「謝罪」を行ってきた。「深い後悔」の念を表明する者もいれば、日本がアジアの隣人たちを苦しめたことに対し、政府として「申し訳なく」思っている、とただ淡々と述べるだけの者もいた。これらは程度の差こそあれ、1998年に韓国に対して行った謝罪を除けば、どれも口先だけのものにすぎない。
 公式「謝罪」が表明されるたびに、日本の戦争犯罪を疑問視する政府高官たちは醜い反論を唱えてきた。顔ぶれがころころ変わる日本政治のなかには、わざわざ政府の立場を悪くするような発言をする国会議員もいる。法務大臣、文部大臣、及び他の主要閣僚などもそうである。彼らは、朝鮮人、中国人、あるいはフィリピン人女性たちが強制的に日本軍の従軍慰安婦にさせられたという事実を否定する発言をするのである。1937年の南京大虐殺は日本が最初にやり始めたことではなく、殺人やレイプのほとんどは日本軍を困らせるために中国人兵士がやったことだと主張する者もいる。また、中立的立場の人間や残虐行為に参加した者たちの証言により、細菌戦及び化学戦の人体実験、戦争捕虜の虐待、フィルムに記録されている残虐行為が否定されることもある。(明日に続く)

※南京大虐殺については、何度も否定する本が出ては、論破されている。
いまだに、出てはいるが!!

今、埼玉県議会で起こっていること!!(転載)
                                 2009.12.02
埼玉県議会傍聴のお願い (JR浦和駅下車歩7分埼玉県庁内)
12月10日(金)午後3時より 佐藤征冶郎県会議員(社民党)が上田知事発言について質問をします。
知事は2006年(平成18年)6月「従軍慰安婦問題など日本の戦争責任の論議が多発」とか書いてありますが、東西古今慰安婦はいても従軍慰安婦はいません。兵のいるところに集まってきたり、兵を追っかけて民間の業者が連れていったりするんであって、軍そのものが連れていったりするわけは絶対ないんです。そんなことすれば負けるんです。したがって、こういった間違った記述がありますので、こういうのは修正しなければならん、こんなふうに思います」と答弁。その後周知の通り、平和資料館は展示から「従軍慰安婦」の「従軍」を削除しました。
 この件について佐藤議員が知事の「軍そのものが連れていったりするわけは絶対ないんです」という見解について、「軍が募集、関与、強制した事実はある」と資料を示し、発言の誤りを指摘します。知事がどういう回答をするか、またこの知事の姿勢が平和資料館の姿勢に影響しますので、今回の件は極めて重要です。

一人でも多くの方の傍聴をお願いします。平和資料館を考える会

戦後補償
戦後補償裁判の成果を全面解決の戦いにどう生かすか(Suopei 潤・6より)
                         松岡 創(弁護士)
 ・・・・これまでに20件以上の強制連行裁判が行われてきたわけですが、福岡訴訟第1陣の裁判官は、裁判を重ねるごとに態度が変わっていきました。裁判官は一生ののうち2回心からの判決を書くと言われています。この裁判官はこの判決を書くとき、手が震えたといいます。
 長野の1審の裁判官もそうです。本当は勝たせたい・・・・。悩みを持った裁判官もいます。
 最高裁判決では訴求権はない、となりましたが、このままでは許せないということで、私たちが付言と呼んでいる「当事者同士の解決」に言及したのです。その後、福岡高裁、宮崎の高裁などが「解決への期待」を表明しのたです。
 中国人の強制連行は4万人といわれています。38935人ですが、中国の港から出発した時は39385人です。途中の船で、港で、列車で亡くなり、事業所が受け入れたのが、先の人数です。そして6800人以上が事業所などで亡くなっています。
 今後どういう解決をしたらいいのでしょうか。例えばスペインでは「歴史記憶法」が制定され、独裁者フランコの銅像を壊すなどの動きがあります。ドイツでは「包括的名誉回復法」が制定されたといいます。ヨーロッパにはこういう動きがあります。日本では全くありません。 日本の企業はどうかというと、三菱マテリアルは、和解したいという姿勢です。法的安定性を求めています。三井は、国が変われば・・・、と言っています。西松はかたくなに和解を拒否していましたが、不祥事があり、全役員が交替しました。そして「解決したい」と言ってきました。西松は2つの現場があります。広島の安野に360人と、新潟の信濃川に183人です。それぞれが別の裁判を起こしていました。
 中国の中でも動きがありましす。全国人民代表大会でも意見が出されるようになっています。政治的解決に道が拓かれてきました。
 今、この日本で民主党が政権を取ったことの意味はとても大きいです。鳩山氏はアジア重視、東アジア共同体、中国・韓国との友好を言っています。私たちはこれに働きかける必要があります。それが市民運動の進むべき方向です。 

南京大虐殺
     
「この事実を・・・・」

(「南京大虐殺」生存者証言集:侵華日軍南京大遇難同胞紀念館/編 加藤 実/訳) (発行:ストーク、発売:星雲社、定価2000+税)
2、日本軍の狂暴な個人的虐殺
父や母の被害
徐慶禄(男、54歳)の証言
父は身体が弱く跳び下りたら目がくらんで地に倒れてしまい、列車の後ろに乗って護送していた日本軍に見つかって2発撃たれましたが、列車のスピードが速かったので、その時は当たらずに済みました。父が気がついてから歩いてある河辺まで来た時もうへとへとでしたが、道を急ぐのに、河の真ん中まで来たら全く気ばかり焦りながら力が失せてしまい、やはりその金さんが父を背負って河を渡ってくれ、それでやっと河の中で溺れ死なずに済んだのでした。1週間かかって道々食べる物を恵んでもらいながらやっと何とか家にたどり着いたのですが、戻ってから床について1ヵ月ほどしてやっと起き出したものの、門をすら出られませんでした。やがて父と浦口のその金さんとの2人は遭難兄弟の縁を結び、しょっちゅう往き来していました。2度目は1938年の3月に、父が生活に迫られ呉窪と王錫恩の2人と、永利亜廠(南化の前進)で辛い肉体労働をし、今の南化公司の外来の東側で桜や桃が一面に植わっている園の傍らで黄土担ぎをしていた時のことです。中途で休憩していて、小門碍堡で歩哨に立っていた日本兵2人に望遠鏡で見られて、父と王錫恩との2人が不幸にも日本軍に縛られ、樹に吊るされて酷く一度打たれました。(明日に続く)(穆世亜が記録)

 
南京大虐殺に加わった元陸軍伍長栗原利一さんの息子さんから大変貴重なコメントを頂いた!!
本当にありがとうございます!!「南京大虐殺」の真実が日本人の1人でも多くの方に理解していただけたらと強く思います!!以下:コメント


南京大虐殺は世界的に誤解されています。 中核的な出来事は南京陥落時の城外における大規模な捕虜の殺害です。 父親(栗原利一)のスケッチブックでも7万余人と書かれています。 非戦闘時の7万余人の捕虜の殺害ですから、当然、日本陸軍が軍の組織として行なったものです。 捕虜の多くは蒋介石軍兵士などです。 ただ、中国側の言う30万人説は戦闘時の犠牲者も含めた数として合理的な数です。 昭和12年7月の南京の人口は135万人です。 11月末の人口は50万人で、これに南京防衛軍15万が加わった65万人が日本軍の攻撃に晒されました。 否定派の言う20万人は逃げ場の無い貧民の数です。 小平市の警察学校と小平団地を合わせた(昔の警察学校の広さ)10万坪の安全区に押し込められた貧民の数です。 (65連隊のシャーカンおける2千人斬首は父だけが日本側の証人です。名古屋市の河村市長は無知なだけです。「ジョン・ラーベ」は城内での出来事しか書かれていないので日本人には誤解を与えます。)

またまた、核心さん(栗原利一さんの息子さん)より、参考になるメールを頂いたので紹介したい。なぜ、日本は歴史を改ざんするのかがよく分かる!!

核心 2009年11月26日 18:12
「戦史叢書」と南京大記念館の差

結構知られているようなのですが、防衛研究所戦史部が南京を否定するのは、GHQのGSとG2の占領政策の違いから来ています。

この戦史部OBで終戦時少佐の森松俊夫氏が2006年に親父(栗原利一)のスケッチブックの破壊工作を行なって失敗しています。
(この方は、偕行社にいた時に東裁判を計画された方でもあります。)

以下は「加害と赦し、南京大虐殺と東史郎裁判」の中の吉田裕氏の論文の抜粋です。

防衛研修所戦史室の源流

...この資料整理部の前身は史実調査部、さらには史実部であるが、一貫してその中心的地位にあったのは、元陸軍大佐の服部卓四郎だった。
服部は、タカ派で有名なGHQ参謀第二部(G2)部長の、C.A.ウィロビー少将の援助の下に、周辺に旧日本軍の幕僚将校を集めて「服部グループ」を結成する。
占領中から、秘かに再軍備計画の研究にあたっていたのは、このグループである。

...戦史室編纂の「戦史叢書」が、旧軍の立場を代弁する弁明史観的性格を色濃く持たざるを得なかった...
栗原利一資料集
お知らせ
■ 南京・史実を守る映画祭 ■
(転載)
http://jijitu.com/filmfestival2009/  
○日時 2009年12月13日(日) 10:00開場
○場所 東京都世田谷区区民会館ホール
○料金 前売券900円、当日券999円。
1作品ごとに入れ替えを行います。前売券の購入方法は下記のURLをご参照ください。
http://jijitu.com/filmfestival2009/2009-09-28-06-41-10

○プログラム・上映作品
10:30-『南京』(88分)
13:00-『アイリス・チャン』(103分)
15:00- シンポジウム
  ※ゲスト:鈴木邦男さん、武田倫和監督さん(詳細はHPで)
  ※映画祭チケットご購入のすべての方が入場いただけます。
16:30-『南京・引き裂かれた記憶』(85分)
18:30-『チルドレン・オブ・ホァンシー 遥かなる希望の道』(125分)

主催:南京・史実を守る映画祭実行委員会
お問合せ:nankin-eigasai-owner@yahoogroups.jp


「南京大虐殺」と聞いて、どれだけの人々が具体的に事件のイメージを語ることができるでしょうか。日本では、南京大虐殺という事実は、公の場であまり語られることはなく、学校教育でもほとんど取り上げられず、どこか、事件に触れることがタブーであるかのような空気が作られているようでもあります。

 事件をめぐっては、戦後になっても何度かの裁判が提起されてきました。その中には、事件の証言をする人々に対する「偽者」呼ばわりがきっかけになったものも多くありました。
 中国人の被害者である夏淑琴さん、李秀英さん。事件そのものの証言を報じた本多勝一さん。

 事実は必ず勝つ、という言葉のとおり、これらの裁判では真実が勝利し、事件はなかったとする人々の主張はすべて、疑似科学や単なる読み物レベルの俗論に過ぎない、ということが白日の下に晒されてきました。

 しかし、事件はなかったとする勢力が沈黙することはなく、それどころか、事件について公の場で触れることそのものにまで、攻撃の手を伸ばしてきました。

 事件を描いた「南京1937」は、その上映が右翼によって暴力的に妨害され、上映する劇場のスクリーンは、右翼によって切り裂かれました。

日本の大手映画会社によって、日露戦争や太平洋戦争の映画が次々と作られる中にあっても、日本軍による中国大陸での残虐行為を描いた映画はほんのわずかしかなく、南京大虐殺を描く映画は皆無、という状態です。

 この間、諸外国では南京大虐殺をテーマにした映画が数多く制作され、公開されているのに、事件の当事者である日本の国内では、南京を描く映画は作られていないのです。

 映画【靖国】の上映に至るまでの経緯を振り返るとき、このような状況は「暴力と、それを恐れるが故の自粛」によってもたらされる、言論の自由の危機だとはっきりいえます。これは、断じて容認することはできません。

 そこで私たちは、映画配給会社がやらないのなら私たちがやってしまおうと決意し、南京大虐殺をテーマとする映画を集めて映画祭を開催することにしました。
 ぜひお越しください。

■第17回 川崎・横浜「平和のための戦争展」■(転載)戦争遺跡を地域の文化財に

見て、歌って、考えて。
今年の戦争展は、こころとからだを通して、参加者のみなさんとともに戦争と平和について考えたいと思っています。今年は、アジア・太平洋戦争が終結してから64年。 戦争の記憶をどう受け継いでゆくのか。「継承」があらためて問われているといえます。
心に平和の歌を刻みながら、「戦争遺跡を地域の文化財に」という切り口で、戦争を「継承」するうえでの課題に迫ります。お気軽にご参加ください。

期日 2009年12月5日(土)~6日(日)
場所 川崎市平和館
http://www.city.kawasaki.jp/25/25heiwa/home/htm/kotsu.htm

■第1日目 12月5日(土)
13:00~15:00  文化行事
「くちびるに歌を 心に平和を」
歌うのは貴方、聴くのも貴方!
アコーディオンとピアノ伴奏つき。
展示見学を兼ねてご参加ください。
(友情出演 合唱団「白樺」 ほか)

■第2日目 12月6日(日)
10:00~12:00 若者の発表
「戦争の記憶をどう引き継ぐか」
13:00~15:00 シンポジウム
「戦争遺跡をいかす平和ミュージアム」
パネリスト
姫田光義さん(中央大学名誉教授)
山田朗さん(明治大学教授)
新井揆博さん(戦争遺跡保存全国ネット)
司会
渡辺賢二さん(明治大学講師)

<主 催> 川崎・横浜「平和のための戦争展」実行委員会
(代表)姫田光義 (副代表)大西章・渡辺賢二・新井揆博
(顧問)白井厚・須田輪太郎
<後 援> 川崎市
<連絡先> 亀岡敦子  045(561)2758
--- watanabe1937 <HISTORY1937@H... />wrote:

●『陸軍登戸研究場見学ツアー』(転載)
●日時:12月20日(日)10時
●集合場所:小田急線「生田駅」前集合
●見学後、明大食堂で姫田先生のお話
●参加費:無料
●主催:埼玉9条連・川崎9条連「共催」
◆『フィールドワーク・陸軍登戸研究所』
http://www.book.janjan.jp/0909/0909069848/1.php

●女たちの戦争と平和資料館
 常設展(日本軍「慰安婦」問題)と特設展


特設展
証言と沈黙 加害に向きあう元兵士たち
午後1時より6時まで入館料500円 
休館 月・火
 03-3202-4633
 早稲田奉仕園AVACOビル2階

jr 高田馬場駅よりバス西早稲田下車 2分
地下鉄東西線早稲田駅歩 5分 

コメント
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この世の地獄!731部隊・南京大虐殺

2009-12-03 11:18:03 | Weblog

「ノブの日記」 のタグをクリックお願いします!!
               「怨」
きけ!「マルタ・アジアの犠牲者」の叫び!
「日の丸」・「君が代」反対!!
(侵略のシンボル)(天皇賛美の歌)
新しい日本!!
「世襲の天皇制から選ばれし大統領制へ!」
(昭和天皇の戦争責任を問う。)
(時効なき戦争責任)


『死の工場』(隠蔽された731部隊)
(シェルダン・H・ハリス著、近藤昭二訳:柏書房)
日本語版前書き
戦後の倫理的退廃
 この問題に対する医師団体の無関心ぶりには驚くべきものがある。日本人医師たちにとって最も重要な団体である日本医師会(JMA)は、この法律の廃止に何のメリットも見出すことはできなかった。JMAはそれまで政府の決めた法律に従い、強制避妊手術を黙認してきたのである。ニュルンベルグ医師法典になど目もくれなかった。JMAのメンバーを支配していたのは倫理の国際基準ではなく政府の法律だった、と医師団体の幹部は言う。
 1996年6月、北カリフォルニア在住のアメリカ人医師、マイケル・J・フランツブロー博士は、JMAの会長に質問状を送った。質問状の内容は「JMCはこれまで731部隊の医師たちによる非人道的活動に参加したことのある日本人医師の蛮行に対し、書面で非難を表明したことがあるか。JMAメンバーの中で細菌戦の死の工場に勤務したことのある者はいるか。細菌戦に参加した医師で、日本の法廷で裁判を受け、殺人あるいは非人道的犯罪を行ったとして有罪になった者はいるか」だった。2ヶ月後、JMA会長の坪井栄孝博士は、フランツブロー博士の質問に対する答えはすべて「ノー」であると回答した。奇妙にもその中で、坪井会長は「現在、本協会の幹部の中には、731部隊の活動に関わった者は1人もいない・・・」と述べているが、これは、現在はいなくても「過去」には、多くの731部隊出身の医師が、JMAの幹部だったことを示すものではないだろうか。(明日に続く)
※日本医師会も、戦後長い間、上下関係の厳しいタテ社会の組織で、若い医者が自由に物が言える雰囲気は無かったのではないか?
今、埼玉県議会で起こっていること!!(転載)
                         2009.12.02
埼玉県議会傍聴のお願い (JR浦和駅下車歩7分埼玉県庁内)
12月10日(金)午後3時より 佐藤征冶郎県会議員(社民党)が上田知事発言について質問をします。
知事は2006年(平成18年)6月「従軍慰安婦問題など日本の戦争責任の論議が多発」とか書いてありますが、東西古今慰安婦はいても従軍慰安婦はいません。兵のいるところに集まってきたり、兵を追っかけて民間の業者が連れていったりするんであって、軍そのものが連れていったりするわけは絶対ないんです。そんなことすれば負けるんです。したがって、こういった間違った記述がありますので、こういうのは修正しなければならん、こんなふうに思います」と答弁。その後周知の通り、平和資料館は展示から「従軍慰安婦」の「従軍」を削除しました。
 この件について佐藤議員が知事の「軍そのものが連れていったりするわけは絶対ないんです」という見解について、「軍が募集、関与、強制した事実はある」と資料を示し、発言の誤りを指摘します。知事がどういう回答をするか、またこの知事の姿勢が平和資料館の姿勢に影響しますので、今回の件は極めて重要です。

一人でも多くの方の傍聴をお願いします。平和資料館を考える会
戦後補償
戦後補償裁判の成果を全面解決の戦いにどう生かすか(Suopei №66より)
                         松岡 創(弁護士)
 ・・・・これまでに20件以上の強制連行裁判が行われてきたわけですが、福岡訴訟第1陣の裁判官は、裁判を重ねるごとに態度が変わっていきました。裁判官は一生ののうち2回心からの判決を書くと言われています。この裁判官はこの判決を書くとき、手が震えたといいます。
 長野の1審の裁判官もそうです。本当は勝たせたい・・・・。悩みを持った裁判官もいます。
 最高裁判決では訴求権はない、となりましたが、このままでは許せないということで、私たちが付言と呼んでいる「当事者同士の解決」に言及したのです。その後、福岡高裁、宮崎の高裁などが「解決への期待」を表明しのたです。
 中国人の強制連行は4万人といわれています。38935人ですが、中国の港から出発した時は39385人です。途中の船で、港で、列車で亡くなり、事業所が受け入れたのが、先の人数です。そして6800人以上が事業所などで亡くなっています。
 今後どういう解決をしたらいいのでしょうか。例えばスペインでは「歴史記憶法」が制定され、独裁者フランコの銅像を壊すなどの動きがあります。ドイツでは「包括的名誉回復法」が制定されたといいます。ヨーロッパにはこういう動きがあります。日本では全くありません。 日本の企業はどうかというと、三菱マテリアルは、和解したいという姿勢です。法的安定性を求めています。三井は、国が変われば・・・、と言っています。西松はかたくなに和解を拒否していましたが、不祥事があり、全役員が交替しました。そして「解決したい」と言ってきました。西松は2つの現場があります。広島の安野に360人と、新潟の信濃川に183人です。それぞれが別の裁判を起こしていました。
 中国の中でも動きがありましす。全国人民代表大会でも意見が出されるようになっています。政治的解決に道が拓かれてきました。
 今、この日本で民主党が政権を取ったことの意味はとても大きいです。鳩山氏はアジア重視、東アジア共同体、中国・韓国との友好を言っています。私たちはこれに働きかける必要があります。それが市民運動の進むべき方向です。 
南京大虐殺     
「この事実を・・・・」

(「南京大虐殺」生存者証言集:侵華日軍南京大遇難同胞紀念館/編 加藤 実/訳) (発行:ストーク、発売:星雲社、定価2000+税)
2、日本軍の狂暴な個人的虐殺
父や母の被害
徐慶禄(男、54歳)の証言
 1937年の12月13日に、日本軍が南京を占領した後、南京人民に血なまぐさい大虐殺をやらかしました。その頃家はずっと大廠鎮で、あの時私はもう7、8歳でしたから、当時の情況は全面的には分かりませんでしたが、耳にし目にしたことは脳裏に強く印象付けられています。当時家にはやられてのが4人もいて、それで心傷ついたことどもが、永遠に忘れられませんが、今父が生前にしょっちゅう話していたのによって、私が個人的に経験したことと耳で聞いた情況とを思い起こしますと;

 父は2度九死に一生を得ました。初めは1938年の2月中旬のある日のお昼に、家から出て見て、門を出たところで一群の日本軍の後ろの山から駆け降りて来たのに捕まって縛られ、捕まってた人たちと一緒に連れて行かれ、板橋というところまで行って汽車に乗せられました。父と浦口の金という20歳余りの青年とがバラック車に入れられ、父はいろんなことを想い考え、自分の身体の具合からして遅かれ早かれ日本軍の手にかかって死ぬんだと思い、金というのと額を合わせて相談し、九死に一生を得ようとばかりに、とびおりて逃げようとしました。(明日に続く)(穆世亜が記録)

南京大虐殺に加わった元陸軍伍長栗原利一さんの息子さんから大変貴重なコメントを頂いた!!
本当にありがとうございます!!「南京大虐殺」の真実が日本人の1人でも多くの方に理解していただけたらと強く思います!!以下:コメント
南京大虐殺は世界的に誤解されています。 中核的な出来事は南京陥落時の城外における大規模
な捕虜の殺害です。 父親(栗原利一)のスケッチブックでも7万余人と書かれています。 非戦闘時の7万余人の捕虜の殺害ですから、当然、日本陸軍が軍の組織として行なったものです。 捕虜の多くは蒋介石軍兵士などです。 ただ、中国側の言う30万人説は戦闘時の犠牲者も含めた数として合理的な数です。 昭和12年7月の南京の人口は135万人です。 11月末の人口は50万人で、これに南京防衛軍15万が加わった65万人が日本軍の攻撃に晒されました。 否定派の言う20万人は逃げ場の無い貧民の数です。 小平市の警察学校と小平団地を合わせた(昔の警察学校の広さ)10万坪の安全区に押し込められた貧民の数です。 (65連隊のシャーカンおける2千人斬首は父だけが日本側の証人です。名古屋市の河村市長は無知なだけです。「ジョン・ラーベ」は城内での出来事しか書かれていないので日本人には誤解を与えます。)
またまた、核心さん(栗原利一さんの息子さん)より、参考になるメールを頂いたので紹介したい。なぜ、日本は歴史を改ざんするのかがよく分かる!!
核心 2009年11月26日 18:12
「戦史叢書」と南京大記念館の差

結構知られているようなのですが、防衛研究所戦史部が南京を否定するのは、GHQのGSとG2の占領政策の違いから来ています。

この戦史部OBで終戦時少佐の森松俊夫氏が2006年に親父(栗原利一)のスケッチブックの破壊工作を行なって失敗しています。
(この方は、偕行社にいた時に東裁判を計画された方でもあります。)

以下は「加害と赦し、南京大虐殺と東史郎裁判」の中の吉田裕氏の論文の抜粋です。

防衛研修所戦史室の源流

...この資料整理部の前身は史実調査部、さらには史実部であるが、一貫してその中心的地位にあったのは、元陸軍大佐の服部卓四郎だった。
服部は、タカ派で有名なGHQ参謀第二部(G2)部長の、C.A.ウィロビー少将の援助の下に、周辺に旧日本軍の幕僚将校を集めて「服部グループ」を結成する。
占領中から、秘かに再軍備計画の研究にあたっていたのは、このグループである。
...戦史室編纂の「戦史叢書」が、旧軍の立場を代弁する弁明史観的性格を色濃く持たざるを得なかった...
栗原利一資料集

お知らせ
■ 南京・史実を守る映画祭 ■
(転載)
http://jijitu.com/filmfestival2009/  
○日時 2009年12月13日(日) 10:00開場
○場所 東京都世田谷区区民会館ホール
○料金 前売券900円、当日券999円。
1作品ごとに入れ替えを行います。前売券の購入方法は下記のURLをご参照ください。
http://jijitu.com/filmfestival2009/2009-09-28-06-41-10

○プログラム・上映作品
10:30-『南京』(88分)
13:00-『アイリス・チャン』(103分)
15:00- シンポジウム
  ※ゲスト:鈴木邦男さん、武田倫和監督さん(詳細はHPで)
  ※映画祭チケットご購入のすべての方が入場いただけます。
16:30-『南京・引き裂かれた記憶』(85分)
18:30-『チルドレン・オブ・ホァンシー 遥かなる希望の道』(125分)

主催:南京・史実を守る映画祭実行委員会
お問合せ:nankin-eigasai-owner@yahoogroups.jp


「南京大虐殺」と聞いて、どれだけの人々が具体的に事件のイメージを語ることができるでしょうか。日本では、南京大虐殺という事実は、公の場であまり語られることはなく、学校教育でもほとんど取り上げられず、どこか、事件に触れることがタブーであるかのような空気が作られているようでもあります。

 事件をめぐっては、戦後になっても何度かの裁判が提起されてきました。その中には、事件の証言をする人々に対する「偽者」呼ばわりがきっかけになったものも多くありました。
 中国人の被害者である夏淑琴さん、李秀英さん。事件そのものの証言を報じた本多勝一さん。

 事実は必ず勝つ、という言葉のとおり、これらの裁判では真実が勝利し、事件はなかったとする人々の主張はすべて、疑似科学や単なる読み物レベルの俗論に過ぎない、ということが白日の下に晒されてきました。

 しかし、事件はなかったとする勢力が沈黙することはなく、それどころか、事件について公の場で触れることそのものにまで、攻撃の手を伸ばしてきました。

 事件を描いた「南京1937」は、その上映が右翼によって暴力的に妨害され、上映する劇場のスクリーンは、右翼によって切り裂かれました。

日本の大手映画会社によって、日露戦争や太平洋戦争の映画が次々と作られる中にあっても、日本軍による中国大陸での残虐行為を描いた映画はほんのわずかしかなく、南京大虐殺を描く映画は皆無、という状態です。

 この間、諸外国では南京大虐殺をテーマにした映画が数多く制作され、公開されているのに、事件の当事者である日本の国内では、南京を描く映画は作られていないのです。

 映画【靖国】の上映に至るまでの経緯を振り返るとき、このような状況は「暴力と、それを恐れるが故の自粛」によってもたらされる、言論の自由の危機だとはっきりいえます。これは、断じて容認することはできません。

 そこで私たちは、映画配給会社がやらないのなら私たちがやってしまおうと決意し、南京大虐殺をテーマとする映画を集めて映画祭を開催することにしました。
 ぜひお越しください。


■第17回 川崎・横浜「平和のための戦争展」■(転載)
戦争遺跡を地域の文化財に

見て、歌って、考えて。
今年の戦争展は、こころとからだを通して、参加者のみなさんとともに戦争と平和について考えたいと思っています。今年は、アジア・太平洋戦争が終結してから64年。 戦争の記憶をどう受け継いでゆくのか。「継承」があらためて問われているといえます。
心に平和の歌を刻みながら、「戦争遺跡を地域の文化財に」という切り口で、戦争を「継承」するうえでの課題に迫ります。お気軽にご参加ください。

期日 2009年12月5日(土)~6日(日)
場所 川崎市平和館
http://www.city.kawasaki.jp/25/25heiwa/home/htm/kotsu.htm

■第1日目 12月5日(土)
13:00~15:00  文化行事
「くちびるに歌を 心に平和を」
歌うのは貴方、聴くのも貴方!
アコーディオンとピアノ伴奏つき。
展示見学を兼ねてご参加ください。
(友情出演 合唱団「白樺」 ほか)

■第2日目 12月6日(日)
10:00~12:00 若者の発表
「戦争の記憶をどう引き継ぐか」
13:00~15:00 シンポジウム
「戦争遺跡をいかす平和ミュージアム」
パネリスト
姫田光義さん(中央大学名誉教授)
山田朗さん(明治大学教授)
新井揆博さん(戦争遺跡保存全国ネット)
司会
渡辺賢二さん(明治大学講師)

<主 催> 川崎・横浜「平和のための戦争展」実行委員会
(代表)姫田光義 (副代表)大西章・渡辺賢二・新井揆博
(顧問)白井厚・須田輪太郎
<後 援> 川崎市
<連絡先> 亀岡敦子  045(561)2758
--- watanabe1937 <HISTORY1937@H... />wrote:

●『陸軍登戸研究場見学ツアー』(転載)
●日時:12月20日(日)10時
●集合場所:小田急線「生田駅」前集合
●見学後、明大食堂で姫田先生のお話
●参加費:無料
●主催:埼玉9条連・川崎9条連「共催」
◆『フィールドワーク・陸軍登戸研究所』
http://www.book.janjan.jp/0909/0909069848/1.php

●女たちの戦争と平和資料館
 常設展(日本軍「慰安婦」問題)と特設展


特設展
証言と沈黙 加害に向きあう元兵士たち
午後1時より6時まで入館料500円 
休館 月・火
 03-3202-4633
 早稲田奉仕園AVACOビル2階

jr 高田馬場駅よりバス西早稲田下車 2分
地下鉄東西線早稲田駅歩 5分 

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資料の公開を!!

2009-12-02 17:25:43 | Weblog
「歴史歪曲は国民の損失」!!
731部隊や南京大虐殺の資料も 是非、政府は公開を!!

資料は返されている?
・1986年、アメリカ下院の公聴会でアメリカ軍の記録管理部長が「731部隊の資料は1950年代後半に日本に返還されている」と語った。そして「資料は日本の外務省に返却され、その後、防衛庁の戦史室に移された」(日本の国会図書館の調査)。日本の戦争責任を明らかにし、過去の精算をするカギはまさに日本政府の手にあるといえよう。

元外務省アメリカ局長吉野文六さんの勇気に拍手!!
日米密約 「歴史歪曲は国民の損失」吉野さん声詰まらせ
12月2日1時26分配信 毎日新聞


「過去の歴史を歪曲(わいきょく)するのは、国民のためにならない」。1日、沖縄返還の日米交渉を巡る密約の存在を初めて法廷の場で明言した元外務省アメリカ局長、吉野文六さん(91)は、これまでの国の姿勢を批判した。72年には、密約を報道し国家公務員法違反に問われた西山太吉・元毎日新聞記者(78)の刑事裁判で検察側証人として密約を否定した。それから37年。今度は民事訴訟で西山さん側の証人として出廷し、声を詰まらせながら再会を喜びあった。【合田月美、伊藤一郎】

 高齢の吉野さんは、法廷で時折、原告側の弁護士や裁判官の質問内容を聞き返しながら、ゆっくりと記憶をたどるように証言した。尋問が終わり、法廷を出ようとすると、西山さんから「静かになったら2人でゆっくり会いましょう」と耳打ちされ、ほほ笑んだ。

 吉野さんは71年1月~72年5月、アメリカ局長を務め、返還交渉の責任者としてスナイダー駐日米公使(当時)らと折衝に当たった。その後駐独大使などを経て82年に退官した。3年前に妻を亡くし、横浜市内で1人暮らし。

 証人尋問後、東京都内で記者会見した。沖縄密約事件前、西山さんが外務省担当記者だったころに一度、2人でてんぷらそばを食べたことを打ち明け、「西山さんは活発で有能な人だった。(事件後)西山さんが非常にたくさんの費用や時間を費やして何回も裁判に挑んだことに対して信念の強さに感心していた」と述べた。「西山さんの刑事裁判では、密約を否定しましたね」と質問されると、「『密約がない』とは、今は(証言)できないと思う」と言葉少なに語った。

 西山さんの訴訟に出廷した理由について、「返還交渉の実情をなるべく真相に近い形で伝えたいと思った。最近、過去の真実を追究した報道や歴史家の努力はいいこと。それを続けることが日本の将来のため有益になると信じるようになった」と述べた。

 一方、西山さんは、別に記者会見し「法廷という厳正な場所でかつて偽証した本人が、『偽証しない』と宣誓して証言したのは、相当な覚悟がいることだったと思う。(密約文書への)サインを認め、局長室で交わしたことを認めただけで十分だと思う」と、感激した様子だった。

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この世の地獄!731部隊・南京大虐殺

2009-12-02 13:33:47 | Weblog

「ノブの日記」 のタグをクリックお願いします!!
           「怨」
きけ!「マルタ・アジアの犠牲者」の叫び!
「日の丸」・「君が代」反対!!
(侵略のシンボル)(天皇賛美の歌)

新しい日本!!

「世襲の天皇制から選ばれし大統領制へ!」
(昭和天皇の戦争責任を問う。)
(時効なき戦争責任)


『死の工場』(隠蔽された731部隊)
(シェルダン・H・ハリス著、近藤昭二訳:柏書房)

日本語版前書き

戦後の倫理的退廃
  戦後のゆるんだ倫理基準は、日本の医者の間にも蔓延していった。日本人の生活が民主化しても、医療分野においては意味のある改革は何ら行われなかった。医師たちは、超国家主義者が国を支配していた時代の医療活動の性格をそのまま受け継いだのである。前の時代の医者が倫理に無関心であったように、彼らもまた、倫理的にいかに問題があろうと政府の命令には盲目的に従った。だから、1948年に身体的および精神的障害を持つ女性に避妊を義務付ける法律(優生保護法)が国会を通過した時、日本国中のほとんどすべての医師は何の懐疑を抱くこともなく新しい法律を受け入れたのである。医療団体からも反対抗議の声は出なかった。法律だから守るべきであるーこれが彼らの考え方だった。これは、彼らの先輩たちが細菌戦の人体実験をすんなり受け入れたのとまったく同じ理論である。新しい民主主義体制の下ではリベラルな改革が大いに期待されていたにもかかわらず、彼らの態度に特に目立った変化は見られなかった。
 結局、医師たちは新しい法律に従い、患者の同意を得ることもなく避妊手術を行ったのである。この法の下、約50年間に1万6000人の女性たちが強制的に避妊処置をさせられた。医師たちが患者の基本的人権を侵害するこの法律から解放されたのは、1996年に国会でこの法律が廃止されてからのことである。しかし、この法律が廃止されたのは人権擁護活動かのおかげであり、医師たちがこうぎしたからではない。(明日に続く)

※731部隊で行われていたのと同様に、戦後長い間、日本では、患者の人権が無視されていた!!

戦後補償
最近の裁判の動き【「Suopei(すおぺい)」=中国語で「索賠」(賠償請求)を意味します。№66より】
中国人強制連行:長野訴訟、控訴審判決(2009年9月17日:東京高等裁判所第19民事部)

 被害事実・企業の安全配慮義務違反は認定するも請求権放棄で切る

 判決では、強制連行強制労働の事実認定について第1審判決をそのまま維持し、国と企業の共同不法行為であることも認めた。第1審では認められなかった企業の安全配慮義務違反については控訴審ではこれを認定したものの、第1審に続き、国の安全配慮義務違反についてはこれを否定した。時効と除斥期間については判断せず、結局、日中共同声明により個人賠償請求権は放棄されているとして西松最高裁判決と同様の判断をした。

 賃金支払いについては退ける

ただ、「自発的な対応の余地があるとしても、裁判上訴求することは認められない」とし、広島西松建設判決と同様に実態法上の権利としては存在することは否定しなかったこと、自発的な対応の余地があるとしたことは、むしろ積極的に評価し、今後の運動につなげていくべきではないかと考える。
 また、企業に対して安全配慮義務違反を認定したこと、賃金は支払ったとする企業側の主張は明確に退けたことは、企業に解決を迫る上での力にしたい。

戦後補償裁判の成果を全面解決の戦いにどう生かすか(Suopei №66より)
                         松岡 創(弁護士)
 ・・・・これまでに20件以上の強制連行裁判が行われてきたわけですが、福岡訴訟第1陣の裁判官は、裁判を重ねるごとに態度が変わっていきました。裁判官は一生ののうち2回心からの判決を書くと言われています。この裁判官はこの判決を書くとき、手が震えたといいます。
 長野の1審の裁判官もそうです。本当は勝たせたい・・・・。悩みを持った裁判官もいます。
 最高裁判決では訴求権はない、となりましたが、このままでは許せないということで、私たちが付言と呼んでいる「当事者同士の解決」に言及したのです。その後、福岡高裁、宮崎の高裁などが「解決への期待」を表明しのたです。
 中国人の強制連行は4万人といわれています。38935人ですが、中国の港から出発した時は39385人です。途中の船で、港で、列車で亡くなり、事業所が受け入れたのが、先の人数です。そして6800人以上が事業所などで亡くなっています。
 今後どういう解決をしたらいいのでしょうか。例えばスペインでは「歴史記憶法」が制定され、独裁者フランコの銅像を壊すなどの動きがあります。ドイツでは「包括的名誉回復法」が制定されたといいます。ヨーロッパにはこういう動きがあります。日本では全くありません。 日本の企業はどうかというと、三菱マテリアルは、和解したいという姿勢です。法的安定性を求めています。三井は、国が変われば・・・、と言っています。西松はかたくなに和解を拒否していましたが、不祥事があり、全役員が交替しました。そして「解決したい」と言ってきました。西松は2つの現場があります。広島の安野に360人と、新潟の信濃川に183人です。それぞれが別の裁判を起こしていました。
 中国の中でも動きがありましす。全国人民代表大会でも意見が出されるようになっています。政治的解決に道が拓かれてきました。
 今、この日本で民主党が政権を取ったことの意味はとても大きいです。鳩山氏はアジア重視、東アジア共同体、中国・韓国との友好を言っています。私たちはこれに働きかける必要があります。それが市民運動の進むべき方向です。 

南京大虐殺     

「この事実を・・・・」


(「南京大虐殺」生存者証言集:侵華日軍南京大遇難同胞紀念館/編 加藤 実/訳) (発行:ストーク、発売:星雲社、定価2000+税)

2、日本軍の狂暴な個人的虐殺

父や母の被害

湯承恩(男、55歳)の証言

 私が8歳だった年の冬ですから、1937年の12月のある日、父の湯業府が老卸甲甸まで古着を担ぎに行きました。その時朱窪隊の朱永林も古着をやりに行ってて、ラクダを使っていました。永利寧廠の日本人通訳の官萬利が日本人を連れて「悪役」をしにやって来て、父を見かけ、父が逃げたのを、日本兵は山を3つも追いかけ、呂窪の大きな沼まで追ってきたところで,日本軍が続けざまに3発、父を撃ち殺しました。お婆さんが私を連れて南京の十字崗まで逃げたのですが、明くる日、私が戻って来た時に父の口に撃たれた穴が3つ開いているのが見えました。
 2番目の叔父の湯業貴が、あの年縁談で蒋窪まで来ていました。その時叔父と楊荘の楊春華など30人が日本兵に針金で手を数珠つなぎにされて長江まで押され圧されて行き、銃で長江の中へと撃ち落とされ、屍すら家に帰りませんでした。(章歩錦と呉大興が記録)


南京大虐殺に加わった元陸軍伍長栗原利一さんの息子さんから大変貴重なコメントを頂いた!!
本当にありがとうございます!!「南京大虐殺」の真実が日本人の1人でも多くの方に理解していただけたらと強く思います!!以下:コメント


南京大虐殺は世界的に誤解されています。 中核的な出来事は南京陥落時の城外における大規模
な捕虜の殺害です。 父親(栗原利一)のスケッチブックでも7万余人と書かれています。 非戦闘時の7万余人の捕虜の殺害ですから、当然、日本陸軍が軍の組織として行なったものです。 捕虜の多くは蒋介石軍兵士などです。 ただ、中国側の言う30万人説は戦闘時の犠牲者も含めた数として合理的な数です。 昭和12年7月の南京の人口は135万人です。 11月末の人口は50万人で、これに南京防衛軍15万が加わった65万人が日本軍の攻撃に晒されました。 否定派の言う20万人は逃げ場の無い貧民の数です。 小平市の警察学校と小平団地を合わせた(昔の警察学校の広さ)10万坪の安全区に押し込められた貧民の数です。 (65連隊のシャーカンおける2千人斬首は父だけが日本側の証人です。名古屋市の河村市長は無知なだけです。「ジョン・ラーベ」は城内での出来事しか書かれていないので日本人には誤解を与えます。)

またまた、核心さん(栗原利一さんの息子さん)より、参考になるメールを頂いたので紹介したい。なぜ、日本は歴史を改ざんするのかがよく分かる!!

核心 2009年11月26日 18:12
「戦史叢書」と南京大記念館の差

結構知られているようなのですが、防衛研究所戦史部が南京を否定するのは、GHQのGSとG2の占領政策の違いから来ています。

この戦史部OBで終戦時少佐の森松俊夫氏が2006年に親父(栗原利一)のスケッチブックの破壊工作を行なって失敗しています。
(この方は、偕行社にいた時に東裁判を計画された方でもあります。)

以下は「加害と赦し、南京大虐殺と東史郎裁判」の中の吉田裕氏の論文の抜粋です。

防衛研修所戦史室の源流

...この資料整理部の前身は史実調査部、さらには史実部であるが、一貫してその中心的地位にあったのは、元陸軍大佐の服部卓四郎だった。
服部は、タカ派で有名なGHQ参謀第二部(G2)部長の、C.A.ウィロビー少将の援助の下に、周辺に旧日本軍の幕僚将校を集めて「服部グループ」を結成する。
占領中から、秘かに再軍備計画の研究にあたっていたのは、このグループである。

...戦史室編纂の「戦史叢書」が、旧軍の立場を代弁する弁明史観的性格を色濃く持たざるを得なかった...
栗原利一資料集

お知らせ
■ 南京・史実を守る映画祭 ■
(転載)
http://jijitu.com/filmfestival2009/  
○日時 2009年12月13日(日) 10:00開場
○場所 東京都世田谷区区民会館ホール
○料金 前売券900円、当日券999円。
1作品ごとに入れ替えを行います。前売券の購入方法は下記のURLをご参照ください。
http://jijitu.com/filmfestival2009/2009-09-28-06-41-10

○プログラム・上映作品
10:30-『南京』(88分)
13:00-『アイリス・チャン』(103分)
15:00- シンポジウム
  ※ゲスト:鈴木邦男さん、武田倫和監督さん(詳細はHPで)
  ※映画祭チケットご購入のすべての方が入場いただけます。
16:30-『南京・引き裂かれた記憶』(85分)
18:30-『チルドレン・オブ・ホァンシー 遥かなる希望の道』(125分)

主催:南京・史実を守る映画祭実行委員会
お問合せ:nankin-eigasai-owner@yahoogroups.jp


「南京大虐殺」と聞いて、どれだけの人々が具体的に事件のイメージを語ることができるでしょうか。日本では、南京大虐殺という事実は、公の場であまり語られることはなく、学校教育でもほとんど取り上げられず、どこか、事件に触れることがタブーであるかのような空気が作られているようでもあります。

 事件をめぐっては、戦後になっても何度かの裁判が提起されてきました。その中には、事件の証言をする人々に対する「偽者」呼ばわりがきっかけになったものも多くありました。
 中国人の被害者である夏淑琴さん、李秀英さん。事件そのものの証言を報じた本多勝一さん。

 事実は必ず勝つ、という言葉のとおり、これらの裁判では真実が勝利し、事件はなかったとする人々の主張はすべて、疑似科学や単なる読み物レベルの俗論に過ぎない、ということが白日の下に晒されてきました。

 しかし、事件はなかったとする勢力が沈黙することはなく、それどころか、事件について公の場で触れることそのものにまで、攻撃の手を伸ばしてきました。

 事件を描いた「南京1937」は、その上映が右翼によって暴力的に妨害され、上映する劇場のスクリーンは、右翼によって切り裂かれました。

日本の大手映画会社によって、日露戦争や太平洋戦争の映画が次々と作られる中にあっても、日本軍による中国大陸での残虐行為を描いた映画はほんのわずかしかなく、南京大虐殺を描く映画は皆無、という状態です。

 この間、諸外国では南京大虐殺をテーマにした映画が数多く制作され、公開されているのに、事件の当事者である日本の国内では、南京を描く映画は作られていないのです。

 映画【靖国】の上映に至るまでの経緯を振り返るとき、このような状況は「暴力と、それを恐れるが故の自粛」によってもたらされる、言論の自由の危機だとはっきりいえます。これは、断じて容認することはできません。

 そこで私たちは、映画配給会社がやらないのなら私たちがやってしまおうと決意し、南京大虐殺をテーマとする映画を集めて映画祭を開催することにしました。
 ぜひお越しください。


■第17回 川崎・横浜「平和のための戦争展」■(転載)
戦争遺跡を地域の文化財に

見て、歌って、考えて。
今年の戦争展は、こころとからだを通して、参加者のみなさんとともに戦争と平和について考えたいと思っています。今年は、アジア・太平洋戦争が終結してから64年。 戦争の記憶をどう受け継いでゆくのか。「継承」があらためて問われているといえます。
心に平和の歌を刻みながら、「戦争遺跡を地域の文化財に」という切り口で、戦争を「継承」するうえでの課題に迫ります。お気軽にご参加ください。

期日 2009年12月5日(土)~6日(日)
場所 川崎市平和館
http://www.city.kawasaki.jp/25/25heiwa/home/htm/kotsu.htm

■第1日目 12月5日(土)
13:00~15:00  文化行事
「くちびるに歌を 心に平和を」
歌うのは貴方、聴くのも貴方!
アコーディオンとピアノ伴奏つき。
展示見学を兼ねてご参加ください。
(友情出演 合唱団「白樺」 ほか)

■第2日目 12月6日(日)
10:00~12:00 若者の発表
「戦争の記憶をどう引き継ぐか」
13:00~15:00 シンポジウム
「戦争遺跡をいかす平和ミュージアム」
パネリスト
姫田光義さん(中央大学名誉教授)
山田朗さん(明治大学教授)
新井揆博さん(戦争遺跡保存全国ネット)
司会
渡辺賢二さん(明治大学講師)

<主 催> 川崎・横浜「平和のための戦争展」実行委員会
(代表)姫田光義 (副代表)大西章・渡辺賢二・新井揆博
(顧問)白井厚・須田輪太郎
<後 援> 川崎市
<連絡先> 亀岡敦子  045(561)2758
--- watanabe1937 <HISTORY1937@H... />wrote:

●『陸軍登戸研究場見学ツアー』(転載)
●日時:12月20日(日)10時
●集合場所:小田急線「生田駅」前集合
●見学後、明大食堂で姫田先生のお話
●参加費:無料
●主催:埼玉9条連・川崎9条連「共催」
◆『フィールドワーク・陸軍登戸研究所』
http://www.book.janjan.jp/0909/0909069848/1.php

●女たちの戦争と平和資料館
 常設展(日本軍「慰安婦」問題)と特設展


特設展
証言と沈黙 加害に向きあう元兵士たち
午後1時より6時まで入館料500円 
休館 月・火
 03-3202-4633
 早稲田奉仕園AVACOビル2階

jr 高田馬場駅よりバス西早稲田下車 2分
地下鉄東西線早稲田駅歩 5分 

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この世の地獄!731部隊・南京大虐殺

2009-12-01 09:41:03 | Weblog

「ノブの日記」 のタグをクリックお願いします!!

     「怨」

きけ!「マルタ・アジアの犠牲者」の叫び!

「日の丸」・「君が代」反対!!

(侵略のシンボル)(天皇賛美の歌)

新しい日本!!

「世襲の天皇制から選ばれし大統領制へ!」

(昭和天皇の戦争責任を問う。)

(時効なき戦争責任)


『死の工場』(隠蔽された731部隊)
(シェルダン・H・ハリス著、近藤昭二訳:柏書房)

日本語版前書き

戦後の倫理的退廃

 内籐良一(戦時中に防疫研究室を実質的に動かしていた、ということは石井機関を実質的に動かしていた、元軍医中佐)が創設したミドリ十字は、予研が公共利益を無視したおかげで恩恵を受けた製薬会社のうちの1社である。内籐は各地の細菌戦部隊の幹部を歴任した人物であり、それらの部隊ではおぞましい実験で罪のない多くの人々を殺したことが知られている。ミドリ十字は元細菌戦部隊にいた研究者で、戦犯容疑者として裁かれるべきだった人間を多数採用した。また、内籐は決定を下す立場にある厚生省の幹部が退職すると、彼らを自社に天下りさせた。ミドリ十字は、彼らの厚生省との太いパイプを利用して、自分たちのやりたいことはどんなに問題があるものでも正式に認可させた。つまりミドリ十字は故意に、しかも、予研の承認を得たうえで、血友病患者にエイズウイルスに感染した血液を売ったのである。そして、この事実が調査によって発覚する1985年暮れまで、彼らは危険な血液を売り続けたのだ。(明日に続く)

※戦後、日本政府とGHQ及びアメリカ政府が731部隊の隠ぺいを図ったためにいろいろなところで医療事故や事件があったのではないか?今の医学界の体質はどうなっているのか私は知らない。まだ、タテ社会の構造が強く残っているのだろうか?

戦後補償

最近の裁判の動き【「Suopei(すおぺい)」=中国語で「索賠」(賠償請求)を意味します。№66より】
中国人強制連行:長野訴訟、控訴審判決(2009年9月17日:東京高等裁判所第19民事部)

 被害事実・企業の安全配慮義務違反は認定するも請求権放棄で切る

 判決では、強制連行強制労働の事実認定について第1審判決をそのまま維持し、国と企業の共同不法行為であることも認めた。第1審では認められなかった企業の安全配慮義務違反については控訴審ではこれを認定したものの、第1審に続き、国の安全配慮義務違反についてはこれを否定し。時効と除斥期間については判断せず、結局、日中共同声明により個人賠償請求権は放棄されているとして西松最高裁判決と同様の判断をした。

 賃金支払いについては退ける

ただ、「自発的な対応の余地があるとしても、裁判上訴求することは認められない」とし、広島西松建設判決と同様に実態法上の権利としては存在することは否定しなかったこと、自発的な対応の余地があるとしたことは、むしろ積極的に評価し、今後の運動につなげていくべきではないかと考える。
 また、企業に対して安全配慮義務違反を認定したこと、賃金は支払ったとする企業側の主張は明確に退けたことは、企業に解決を迫る上での力にしたい。

戦後補償裁判の成果を全面解決の戦いにどう生かすか(Suopei №66より)
                         松岡 創(弁護士)
 ・・・・これまでに20件以上の強制連行裁判が行われてきたわけですが、福岡訴訟第1陣の裁判官は、裁判を重ねるごとに態度が変わっていきました。裁判官は一生ののうち2回心からの判決を書くと言われています。この裁判官はこの判決を書くとき、手が震えたといいます。
 長野の1審の裁判官もそうです。本当は勝たせたい・・・・。悩みを持った裁判官もいます。
 最高裁判決では訴求権はない、となりましたが、このままでは許せないということで、私たちが付言と呼んでいる「当事者同士の解決」に言及したのです。その後、福岡高裁、宮崎の高裁などが「解決への期待」を表明しのたです。
 中国人の強制連行は4万人といわれています。38935人ですが、中国の港から出発した時は39385人です。途中の船で、港で、列車で亡くなり、事業所が受け入れたのが、先の人数です。そして6800人以上が事業所などで亡くなっています。
 今後どういう解決をしたらいいのでしょうか。例えばスペインでは「歴史記憶法」が制定され、独裁者フランコの銅像を壊すなどの動きがあります。ドイツでは「包括的名誉回復法」が制定されたといいます。ヨーロッパにはこういう動きがあります。日本では全くありません。 日本の企業はどうかというと、三菱マテリアルは、和解したいという姿勢です。法的安定性を求めています。三井は、国が変われば・・・、と言っています。西松はかたくなに和解を拒否していましたが、不祥事があり、全役員が交替しました。そして「解決したい」と言ってきました。西松は2つの現場があります。広島の安野に360人と、新潟の信濃川に183人です。それぞれが別の裁判を起こしていました。
 中国の中でも動きがありましす。全国人民代表大会でも意見が出されるようになっています。政治的解決に道が拓かれてきました。
 今、この日本で民主党が政権を取ったことの意味はとても大きいです。鳩山氏はアジア重視、東アジア共同体、中国・韓国との友好を言っています。私たちはこれに働きかける必要があります。それが市民運動の進むべき方向です。 

南京大虐殺     

「この事実を・・・・」


(「南京大虐殺」生存者証言集:侵華日軍南京大遇難同胞紀念館/編 加藤 実/訳) (発行:ストーク、発売:星雲社、定価2000+税)

2、日本軍の狂暴な個人的虐殺

父や母の被害

葛徳和(男、57歳)の証言

 1937年には私は10歳で、あの時家は六合県の葛塘区軍営郷三村包家窯でした。
 1938年1月のある日の午後3時頃に、私は日本兵が1人国民党の兵を1人連れて丁家山の方向から来て、私たち包家窯村へ向かって来るのを見かけました。村の人は日本軍が来るのを見かけて、逃げるのもいれば、隠れるのもあり、わらが積んである下に隠れる人たちもいました。その頃父の葛如平は、自分は年を取っているから、日本軍も自分を打たないとずっと思っていたので、逃げもしなければ、隠れもしませんでした。その時日本軍が父を見かけるなり、父に命じてホアクーニャン(=若い娘)を探しに行くのに道案内させましたが、その時は1人もホアクーニャンが見つからず、ずっと大包まで探しましたが、やはりホアクーニャンは見つかりませんでした。日本軍は怒ってわらの堆を焼くのに火を放とうとし、父はわらの堆に人が隠れているのを知っていたので、その人たちがやられないようにしようと、一方では懸命になって泣きつきつつ、一方では日本軍に案内して行かせようとしました。父は日本軍を包有仁の家まで案内しましたが、その時日本軍は父が又自分をだましていると思って、ピストルを取り出し、父ののどを狙って1発、父を包有仁の家のロバの飼葉桶の傍らで撃ち殺しました。
 それから日本軍は去って行ったのです。私はその頃小さい子供で、父の行くところはどこでも付いて行っていましたから、こうした様子ははっきり覚えているのです。(呉大興と章歩錦が記録)


南京大虐殺に加わった元陸軍伍長栗原利一さんの息子さんから大変貴重なコメントを頂いた!!
本当にありがとうございます!!「南京大虐殺」の真実が日本人の1人でも多くの方に理解していただけたらと強く思います!!以下:コメント


南京大虐殺は世界的に誤解されています。 中核的な出来事は南京陥落時の城外における大規模
な捕虜の殺害です。 父親(栗原利一)のスケッチブックでも7万余人と書かれています。 非戦闘時の7万余人の捕虜の殺害ですから、当然、日本陸軍が軍の組織として行なったものです。 捕虜の多くは蒋介石軍兵士などです。 ただ、中国側の言う30万人説は戦闘時の犠牲者も含めた数として合理的な数です。 昭和12年7月の南京の人口は135万人です。 11月末の人口は50万人で、これに南京防衛軍15万が加わった65万人が日本軍の攻撃に晒されました。 否定派の言う20万人は逃げ場の無い貧民の数です。 小平市の警察学校と小平団地を合わせた(昔の警察学校の広さ)10万坪の安全区に押し込められた貧民の数です。 (65連隊のシャーカンおける2千人斬首は父だけが日本側の証人です。名古屋市の河村市長は無知なだけです。「ジョン・ラーベ」は城内での出来事しか書かれていないので日本人には誤解を与えます。)


またまた、核心さん(栗原利一さんの息子さん)より、参考になるメールを頂いたので紹介したい。なぜ、日本は歴史を改ざんするのかがよく分かる!!

核心 2009年11月26日 18:12
「戦史叢書」と南京大記念館の差

結構知られているようなのですが、防衛研究所戦史部が南京を否定するのは、GHQのGSとG2の占領政策の違いから来ています。

この戦史部OBで終戦時少佐の森松俊夫氏が2006年に親父(栗原利一)のスケッチブックの破壊工作を行なって失敗しています。
(この方は、偕行社にいた時に東裁判を計画された方でもあります。)

以下は「加害と赦し、南京大虐殺と東史郎裁判」の中の吉田裕氏の論文の抜粋です。

防衛研修所戦史室の源流

...この資料整理部の前身は史実調査部、さらには史実部であるが、一貫してその中心的地位にあったのは、元陸軍大佐の服部卓四郎だった。
服部は、タカ派で有名なGHQ参謀第二部(G2)部長の、C.A.ウィロビー少将の援助の下に、周辺に旧日本軍の幕僚将校を集めて「服部グループ」を結成する。
占領中から、秘かに再軍備計画の研究にあたっていたのは、このグループである。

...戦史室編纂の「戦史叢書」が、旧軍の立場を代弁する弁明史観的性格を色濃く持たざるを得なかった...
栗原利一資料集

お知らせ
■ 南京・史実を守る映画祭 ■
(転載)
http://jijitu.com/filmfestival2009/  
○日時 2009年12月13日(日) 10:00開場
○場所 東京都世田谷区区民会館ホール
○料金 前売券900円、当日券999円。
1作品ごとに入れ替えを行います。前売券の購入方法は下記のURLをご参照ください。
http://jijitu.com/filmfestival2009/2009-09-28-06-41-10

○プログラム・上映作品
10:30-『南京』(88分)
13:00-『アイリス・チャン』(103分)
15:00- シンポジウム
  ※ゲスト:鈴木邦男さん、武田倫和監督さん(詳細はHPで)
  ※映画祭チケットご購入のすべての方が入場いただけます。
16:30-『南京・引き裂かれた記憶』(85分)
18:30-『チルドレン・オブ・ホァンシー 遥かなる希望の道』(125分)

主催:南京・史実を守る映画祭実行委員会
お問合せ:nankin-eigasai-owner@yahoogroups.jp


「南京大虐殺」と聞いて、どれだけの人々が具体的に事件のイメージを語ることができるでしょうか。日本では、南京大虐殺という事実は、公の場であまり語られることはなく、学校教育でもほとんど取り上げられず、どこか、事件に触れることがタブーであるかのような空気が作られているようでもあります。

 事件をめぐっては、戦後になっても何度かの裁判が提起されてきました。その中には、事件の証言をする人々に対する「偽者」呼ばわりがきっかけになったものも多くありました。
 中国人の被害者である夏淑琴さん、李秀英さん。事件そのものの証言を報じた本多勝一さん。

 事実は必ず勝つ、という言葉のとおり、これらの裁判では真実が勝利し、事件はなかったとする人々の主張はすべて、疑似科学や単なる読み物レベルの俗論に過ぎない、ということが白日の下に晒されてきました。

 しかし、事件はなかったとする勢力が沈黙することはなく、それどころか、事件について公の場で触れることそのものにまで、攻撃の手を伸ばしてきました。

 事件を描いた「南京1937」は、その上映が右翼によって暴力的に妨害され、上映する劇場のスクリーンは、右翼によって切り裂かれました。

日本の大手映画会社によって、日露戦争や太平洋戦争の映画が次々と作られる中にあっても、日本軍による中国大陸での残虐行為を描いた映画はほんのわずかしかなく、南京大虐殺を描く映画は皆無、という状態です。

 この間、諸外国では南京大虐殺をテーマにした映画が数多く制作され、公開されているのに、事件の当事者である日本の国内では、南京を描く映画は作られていないのです。

 映画【靖国】の上映に至るまでの経緯を振り返るとき、このような状況は「暴力と、それを恐れるが故の自粛」によってもたらされる、言論の自由の危機だとはっきりいえます。これは、断じて容認することはできません。

 そこで私たちは、映画配給会社がやらないのなら私たちがやってしまおうと決意し、南京大虐殺をテーマとする映画を集めて映画祭を開催することにしました。
 ぜひお越しください。

■第17回 川崎・横浜「平和のための戦争展」■(転載)戦争遺跡を地域の文化財に

見て、歌って、考えて。
今年の戦争展は、こころとからだを通して、参加者のみなさんとともに戦争と平和について考えたいと思っています。今年は、アジア・太平洋戦争が終結してから64年。 戦争の記憶をどう受け継いでゆくのか。「継承」があらためて問われているといえます。
心に平和の歌を刻みながら、「戦争遺跡を地域の文化財に」という切り口で、戦争を「継承」するうえでの課題に迫ります。お気軽にご参加ください。

期日 2009年12月5日(土)~6日(日)
場所 川崎市平和館
http://www.city.kawasaki.jp/25/25heiwa/home/htm/kotsu.htm

■第1日目 12月5日(土)
13:00~15:00  文化行事
「くちびるに歌を 心に平和を」
歌うのは貴方、聴くのも貴方!
アコーディオンとピアノ伴奏つき。
展示見学を兼ねてご参加ください。
(友情出演 合唱団「白樺」 ほか)

■第2日目 12月6日(日)
10:00~12:00 若者の発表
「戦争の記憶をどう引き継ぐか」
13:00~15:00 シンポジウム
「戦争遺跡をいかす平和ミュージアム」
パネリスト
姫田光義さん(中央大学名誉教授)
山田朗さん(明治大学教授)
新井揆博さん(戦争遺跡保存全国ネット)
司会
渡辺賢二さん(明治大学講師)

<主 催> 川崎・横浜「平和のための戦争展」実行委員会
(代表)姫田光義 (副代表)大西章・渡辺賢二・新井揆博
(顧問)白井厚・須田輪太郎
<後 援> 川崎市
<連絡先> 亀岡敦子  045(561)2758
--- watanabe1937 <HISTORY1937@H... />wrote:

●『陸軍登戸研究場見学ツアー』(転載)
●日時:12月20日(日)10時
●集合場所:小田急線「生田駅」前集合
●見学後、明大食堂で姫田先生のお話
●参加費:無料
●主催:埼玉9条連・川崎9条連「共催」
◆『フィールドワーク・陸軍登戸研究所』
http://www.book.janjan.jp/0909/0909069848/1.php

●女たちの戦争と平和資料館
 常設展(日本軍「慰安婦」問題)と特設展


特設展
証言と沈黙 加害に向きあう元兵士たち
午後1時より6時まで入館料500円 
休館 月・火
 03-3202-4633
 早稲田奉仕園AVACOビル2階

jr 高田馬場駅よりバス西早稲田下車 2分
地下鉄東西線早稲田駅歩 5分 

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