●「731部隊と100部隊」の現在の課題(八王子)
●第10回『化学学校記事』情報公開裁判 ●帝銀事件と登戸研究所 ●第19回「衛生学校記事」情報公開裁判 ●シンガポールで、731部隊は何をやっていたのか? ●731部隊『留守名簿』(不二出版)2018年9月 ●京大 軍医博士論文の検証 ●731部隊『留守名簿』公開 ●ある元自衛官の回想 「化学学校の黒い霧」 ●第10回ビザ発給拒否・集会妨害国賠訴訟【9月21日(金)11:30~東京地裁415号室】 ●731部隊と「要塞」遺跡を訪ねる 元731部隊軍医と強制不妊手術 「明治150年」史観批判ー近現代日本の戦争・植民地支配と国民統制ー山田朗、他 中国の侵略被害者の証言を聞く集い2018 11.30 ●お知らせ ![]() ![]() 京大の「731部隊」論文疑惑(上) 勝間田秀樹(京都支局) 731部隊将校の学位取り消しを 人体実験疑い論文で京大に 「特殊部隊731」 秋山 浩著 (三一書房 1956年6月30日 発行) 職種不明の軍属 「もっとも、お金があったって、何も買えぁしない時代なんだけど」 近所の人たちと、こんな会話をしている母は、大金のゆえに気味悪そうな様子なのであった。もしかしたら、そのお金がそのまま弔慰金になるのではないか、と思い巡らしたのかもしれない。事実、支度と言っても、あらためて金を使うようなことは何もなかった。衣料品や皮革類はもとより、甘味品なども手に入らないのである。 ハガキで、出発の日取りが知らされたのは、4日後であった。 すると、ふだんはあまり子供たちにかまわない父が、 「俺が送ってゆこう」 と言い出した。 私は蚊帳(かや)のような綾目の荒い草色の学生服に、竹のボタンのついた外套を着、兄貴からおさがりの編上靴をはいて、家の前に立ったまま、いつまでも見送っている母をあとに、父に付き添われて、指定された町の旅館に着いた。 そこに集まったのは、私を加えて4人。同県の来住野(くすの)と2人の隣県人だった。 家族に付き添われてきたのは、私のほか、見るからにおとなしそうな来住野だけだった。同じように子供を手放す親の共通な気持ちから、父はすぐに、来住野の母と近づきになった。 「この子は、うちを離れたことが無いので、それが心配でございましてねえ。・・・・ほんとに皆さん、お願いいたします」 と、来住野の母は、素朴な人柄をそのままに、私達にまで頭を下げた。 ![]() ![]() 「元満州中川村開拓団 私の敗戦回顧録」 日本は、日中戦争で国際法に違反して、毒ガス戦、細菌戦、無差別爆撃を行った。日本政府は、この事実をきちんと認めていない!! ●『日本の中国侵略と毒ガス兵器』 歩平著(山邊悠喜子、宮崎教四郎訳)明石書店より 第2章 地図から消えた神秘の大久野島 付記・「毒ガス島」を訪れる この部分を書こうと思った時、私は今の大久野島はどうなっているのか知りたいと思った。つまり、世界で1つしかない「毒ガス資料館」を是非参観したい、そして村上館長にも、岡田女史にも、そして昔ここで仕事をしていた作業員の人々にもお会いしたいと思ったのだ。1994年12月、ちょうどここで日本軍が第2次世界大戦中に使用した化学兵器の討論会が開かれたので、この機会に私の願いは実現した。以下はその時の訪問記録である。 ●特集 軍拡に走る安倍政権と学術① 15年戦争中の「医学犯罪」に目を閉ざさず、繰り返さないために 1、戦争における医学者・医師たちの犯罪 西山勝夫さん(滋賀医科大学名誉教授)に聞く にしやま・かつお=滋賀医科大学名誉教授、 15年戦争と日本の医学医療研究会事務局長、「戦争と医の倫理」の検証を進める会代表世話人、軍学共同反対連絡会共同代表 4、ドイツではどのように向き合ったのか ■ドイツのとりくみと困難 ―それにしてもドイツの方が日本より進んでいると思われるのですが、日本との関係で見ておかなければならないことはあるのでしょうか― 2012年5月にはニュルンべルク医師裁判が行われた地において開催されたドイツ医師会年次大会が、全会一致でナチ時代の医学犯罪について重大な共同責任を認め、ドイツ医師会の中に歴史研究を行う委員会を設けるという声明が出されました。 自らの過ちに関するDGPPNのドイツ内外での移動展示は、紆余曲折がありましたが、2015年に日本でも開催され、その間に2010年当時のDGPPN会長の講演も行われました。 ●『人間の価値』 ―1918年から1945年までのドイツ医学 Ch.ブロス/G.アリ編 林 功三訳 ■ある大学講師のおこなった人体実験 「秘密」というスタンプの押された『ソビエトの捕虜に行われた臨床調査についての暫定報告書』と、これに先行する、同じように秘密の『暫定的報告』に、ベルニングの実験の指示内容が示されている。彼の結果報告によれば、飢餓水腫が発生するようにするため、かなり長期にわたって、与えられるタンパク質は日に30グラムを下回るようにされなければならない、とされていた。ベルニングは本物の飢餓水腫が始まるのを観察し、飢えた人間が長い段階を経て体重が減少していき、すぐに疲れやすくなり、性欲がなくなり、頭痛を覚え、めまいがするようになるさまをメモしている。彼は、捕虜の下腹部が膨張するのを観察している。寒さが、また労働が水腫を強めた。彼にとってとりわけ貴重な研究は、実験の結果死亡した患者であった。 「検死に見られる胃・腸=管の変化は特に興味深いものである。」 ![]() ●イタイイタイ病を究明した男 萩野昇 ●驚愕!御用医学者をさかのぼると、すぐに731部隊に行き着く 水俣病問題 ●小島三郎国立予防衛生研究所所長の過去 ●小泉親彦と宮川米次の絆 ●ヒロシマからフクシマへ ●宮川正 ●「想定外」 と日本の統治—ヒロシマからフクシマへ— ●ビキニ「死の灰」世界各地へ ●自衛隊とサリン ●相模海軍工廠・寒川と平塚にあった秘密毒ガス工場 ●日本の国家機密 ●兒嶋俊郎さんを偲ぶ ●ニュース メイ英首相、EU離脱協定案の採決延期を発表 順天堂大学医学部 不適切入試「10年前から」(18/12/11) ファーウェイ逮捕と「天才科学者」自殺 中国ネット、陰謀論で大揺れ 「水俣病は終わらない」公式確認から60年―私たちに託されたメッセージ 松本元死刑囚らの死刑執行文書、ほぼ全て黒塗りで開示 “旧優生保護法”強制的な不妊手術 事業として推進(18/04/27) 真相を解明していないからこうなるのだろう!! オウム13人死刑で「上川陽子法相」一生SPつきの生活 ●昭和天皇の戦争責任を問う!!大嘗祭反対!! ●昭和天皇(ハーバード・ピックス著『昭和天皇』より) 第3部 陛下の戦争 1931(昭和6)年―1945 (昭和20)年 第7章 満州事変 奈良の激励の言葉に鼓舞されて、二宮は直ちに錦州爆撃の必要性について概略を述べた資料の作成を命じた。参謀本部作戦課も、その直後、天皇が爆撃を「当時の情況上当然のことならん」としたことに明らかに注目していた。10月9日の奈良の日記を額面どおりに受け止めれば、天皇は一晩で考えを変えたことになる。なぜなら当初、天皇は奈良に対して、本庄司令官が張学良の支配を公然と非難することには反対であると述べていた。そして10月8日には、奈良に「出先軍部と外務官吏との間の意見の相違は、陸軍は満蒙を独せしめ其政権と交渉せんとするに反し、外務側は其独立政権を好まざる点にありと読む、此点陸軍の意見適当ならざる様思はる、其積りにて陸軍中央部に注意する様に」と話していた。 国民政府の訴えを受けてジュネーブに国際連盟理事会の特別委員会が招集された。会議での意見は、たちまち日本に厳しいものとなった。10月27日、奈良日記は天皇が心中穏やかでないことを記している。 ●小泉親彦と昭和天皇 ●近現代史を《憲法視点》から問う~「湘南社」の憲法論議~ ●近代天皇制の真髄は ●福沢諭吉 ●神武と戦争 ●日本国憲法第9条 1、日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。 2、前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。 憲法9条を生かそう!! |
●「731部隊と100部隊」の現在の課題(八王子)
●第10回『化学学校記事』情報公開裁判 ●帝銀事件と登戸研究所 ●第19回「衛生学校記事」情報公開裁判 ●シンガポールで、731部隊は何をやっていたのか? ●731部隊『留守名簿』(不二出版)2018年9月 ●京大 軍医博士論文の検証 ●731部隊『留守名簿』公開 ●ある元自衛官の回想 「化学学校の黒い霧」 ●第10回ビザ発給拒否・集会妨害国賠訴訟【9月21日(金)11:30~東京地裁415号室】 ●731部隊と「要塞」遺跡を訪ねる 元731部隊軍医と強制不妊手術 「明治150年」史観批判ー近現代日本の戦争・植民地支配と国民統制ー山田朗、他 中国の侵略被害者の証言を聞く集い2018 11.30 ●お知らせ ![]() ![]() 京大の「731部隊」論文疑惑(上) 勝間田秀樹(京都支局) 731部隊将校の学位取り消しを 人体実験疑い論文で京大に 「特殊部隊731」 秋山 浩著 (三一書房 1956年6月30日 発行) 職種不明の軍属 仲野と名乗るその人は、近県の各中学校を回って歩く判任官待遇の雇員で、草色の地に白い星の重なった胸章をつけ、肩には金線が1本入っていた。 私はそれを一種のあこがれの眼で見守り、そうした服装に身を飾った自分の姿を空想したりした。 「成績の方は、先生からうかがっているが、君のような若い人に是非来てもらいたい。学徒動員といっても、これは、軍人と同じ意義のある仕事だから、その点、大いに誇りを持っていい・・・・」 と、仲野雇員はやさしい口調で話しかけ、健康状態や家庭の状況などを、一通りたずねた。だが、私の知りたいと思っていた職種については何一つ具体的な説明はしなかった。そして、支度金(したくきん)として、350円を手渡し、 「いずれ通知をするから、いつでも出発できるように準備して待っていて下さい」 といって、その日は帰って行った。 だが、支度金の350円というのは、当時としてはいかにも大金で、子供心にもいささか不審であった。中学を出て村役場に勤めている隣家の長男の月給は35円。小学校長で100円程度。そんな時代である。 「どうしたんだろうね、こんなに。・・・・一体、どんな仕事なのかねぇ」 「なぁに、浩ちゃんら、よっぽど重要な仕事をするんだろうさ。たんと、いい支度をして上げるんだね」 ![]() 「元満州中川村開拓団 私の敗戦回顧録」 日本は、日中戦争で国際法に違反して、毒ガス戦、細菌戦、無差別爆撃を行った。日本政府は、この事実をきちんと認めていない!! ●『日本の中国侵略と毒ガス兵器』 歩平著(山邊悠喜子、宮崎教四郎訳)明石書店より 第2章 地図から消えた神秘の大久野島 それは1992年、忠海中学校の生徒が何回も資料館を参観に来て、自分の学校にも毒ガス資料館の模型を作り、学生たちにも知らせ、長く教育に役立てようと決定したことだ。生徒たちは自信をもって協力し合い、11月15日開館こぎつけた。 開館宣言 長い歴史の中で、人類は何回も大規模な戦争を経験し、毒ガス兵器等各種各様の兵器を使用し、多くの人々の血が流れた。しかし、今になってもやはり核兵器は製造されており、戦争も行われている。私達は平和の中で生活し、過去の事は知らない。 今日になっても、ここには当時戦争で使用した兵器がたくさん残されている。私達各々が世界の平和のために何かをしなければならないと思い、私達は団結して、本当の世界平和のために各自の力を貢献しようと決心した。これが私達の宣言だ。 今日から私達の毒ガス資料館を開館する。 ●特集 軍拡に走る安倍政権と学術① 15年戦争中の「医学犯罪」に目を閉ざさず、繰り返さないために 1、戦争における医学者・医師たちの犯罪 西山勝夫さん(滋賀医科大学名誉教授)に聞く にしやま・かつお=滋賀医科大学名誉教授、 15年戦争と日本の医学医療研究会事務局長、「戦争と医の倫理」の検証を進める会代表世話人、軍学共同反対連絡会共同代表 4、ドイツではどのように向き合ったのか ■ドイツのとりくみと困難 ―それにしてもドイツの方が日本より進んでいると思われるのですが、日本との関係で見ておかなければならないことはあるのでしょうか― ドイツ精神医学精神療法神経学会(DGPPN)は、2010年11月26日に、70年間の沈黙を破り約3000人の精神科医が参加した追悼集会が開催され、ナチス時代に精神科医によって25万人以上の精神障害者が死に追いやられたことを認める追悼講演を会長が行い、精神医学や学会としての思想や組織のあり方を振り返り、「施設的および個人的な罪や精神科医および専門学会の巻き込まれ」を問題にしました。 ●『人間の価値』 ―1918年から1945年までのドイツ医学 Ch.ブロス/G.アリ編 林 功三訳 ■ある大学講師のおこなった人体実験 1941年の秋、ハンブルグ大学の私講師ハインリヒ・ベルニングは「水腫病の医学研究」を委託された。委託したのは、クゥルト・グートツァイトが管轄する軍衛生局総監督部であった。ベルニングの研究の「患者材料」はソ連軍の捕虜だった。研究の場所はハンブルグ=ヴァンツベックの「この目的のためにつくられた非公開の部局」であった。ベルニングは、飢餓病に関するこの研究成果を、1949年にゲオルク・ティーメ社から出版された論文に要約している。 ![]() ●イタイイタイ病を究明した男 萩野昇 ●驚愕!御用医学者をさかのぼると、すぐに731部隊に行き着く 水俣病問題 ●小島三郎国立予防衛生研究所所長の過去 ●小泉親彦と宮川米次の絆 ●ヒロシマからフクシマへ ●宮川正 ●「想定外」 と日本の統治—ヒロシマからフクシマへ— ●ビキニ「死の灰」世界各地へ ●自衛隊とサリン ●相模海軍工廠・寒川と平塚にあった秘密毒ガス工場 ●日本の国家機密 ●兒嶋俊郎さんを偲ぶ ●ニュース 歯学部出身者ら優遇「痛恨の極み」…岩手医大 ケリー首席補佐官退任へ トランプ氏や側近と衝突絶えず 「水俣病は終わらない」公式確認から60年―私たちに託されたメッセージ 松本元死刑囚らの死刑執行文書、ほぼ全て黒塗りで開示 “旧優生保護法”強制的な不妊手術 事業として推進(18/04/27) 真相を解明していないからこうなるのだろう!! オウム13人死刑で「上川陽子法相」一生SPつきの生活 ●昭和天皇の戦争責任を問う!!大嘗祭反対!! ●昭和天皇(ハーバード・ピックス著『昭和天皇』より) 第3部 陛下の戦争 1931(昭和6)年―1945 (昭和20)年 第7章 満州事変 1931年10月1日、事件後、2週間が経過し、日本人のほとんどが軍部を支持し始めていた。天皇はこの事件が計画的なものであることを知っていた。誰が立案し、誰が命令し、誰が実行したのかを知っていたのである。天皇の許可なく管轄区域外へ部隊派遣を命じることは、1908年制定の陸軍刑法に違反していることも十分に承知していた。それにもかかわらず、天皇は参謀総長と関東軍司令官に軽微な懲戒を命じようとしたにすぎなかった。奈良侍従武官長の日記はそのことを明示している。 1週間後、天皇は臣下の将校による行動拡大を黙認した。北京―奉天間の鉄道上にある遼寧省南部の都市、錦州は「満州における中国主権の最後の痕跡」だった。天皇が裁可した錦州空爆は第1次世界大戦終結後初めての都市爆撃だった。10月9日の奈良侍従武官長の日記には次のようにある 二宮(治重)〔参謀本部〕次長退出前、陛下より錦州附近に張学良軍隊再組織成れば事件の拡大は止むを得ざるべきか、若し必要なれば余は事件の拡大に同意するも可なり、 ・・・・・次長は総長にも話し、其内総長参内、一度上奏する様にすべしと云ひ居たり。 ●小泉親彦と昭和天皇 ●近現代史を《憲法視点》から問う~「湘南社」の憲法論議~ ●近代天皇制の真髄は ●福沢諭吉 ●神武と戦争 ●日本国憲法第9条 1、日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。 2、前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。 憲法9条を生かそう!! |
●「731部隊と100部隊」の現在の課題(八王子)
●第10回『化学学校記事』情報公開裁判 ●帝銀事件と登戸研究所 ●第19回「衛生学校記事」情報公開裁判 ●シンガポールで、731部隊は何をやっていたのか? ●731部隊『留守名簿』(不二出版)2018年9月 ●京大 軍医博士論文の検証 ●731部隊『留守名簿』公開 ●ある元自衛官の回想 「化学学校の黒い霧」 ●第10回ビザ発給拒否・集会妨害国賠訴訟【9月21日(金)11:30~東京地裁415号室】 ●731部隊と「要塞」遺跡を訪ねる 元731部隊軍医と強制不妊手術 「明治150年」史観批判ー近現代日本の戦争・植民地支配と国民統制ー山田朗、他 中国の侵略被害者の証言を聞く集い2018 11.30 ●お知らせ ![]() ![]() 京大の「731部隊」論文疑惑(上) 勝間田秀樹(京都支局) 731部隊将校の学位取り消しを 人体実験疑い論文で京大に 「特殊部隊731」 秋山 浩著 (三一書房 1956年6月30日 発行) 職種不明の軍属 そう答えると、話は急だった。すぐに父母の同意を求めるために家に帰された。夕方まで確答をもって再び学校に戻って来い、というのである。 兄貴はすでに兵隊にとられていて、長いこと消息が絶えていたのでいたのだったから、両親は私を手放すことを好まないのは当然だった。 父は、 「お前が行くというのなら、しようがないだろうが・・・・・」 と、あきらめたふうだったが、母は引き留めたい口ぶりで、 「どうせ、やがては兵隊になるんだもの、何もあわてて志願しなくても・・・」 といった。 しかし、一度決心してしまった私には、時勢に気兼ねしながらしゃべっている母の言葉などろくろく耳には入らなかった。 「どうせ行くんだから、早く行った方が、それだけ進級が早いじゃないか」 そういって押し通し、私は又すぐ学校に引き返した。先生に、父母の承諾を得たむねを伝えると、先生は私を応接室に連れて行った。 そこには、募集係の軍属が待っていた。 仲野と名乗るその人は、近県の各中学校を回って歩く判任官待遇の雇員で、草色の地に白い星の重なった胸章をつけ、肩には金線が1本入っていた。 ![]() 「元満州中川村開拓団 私の敗戦回顧録」 日本は、日中戦争で国際法に違反して、毒ガス戦、細菌戦、無差別爆撃を行った。日本政府は、この事実をきちんと認めていない!! ●『日本の中国侵略と毒ガス兵器』 歩平著(山邊悠喜子、宮崎教四郎訳)明石書店より 第2章 地図から消えた神秘の大久野島 1988年、次代にこの島の歴史を語り継ぎ、平和をアピールするためにこの島に『大久野島資料館』を建て、村上先生はその館長になった。だが、他の職員はおらず、村上先生ただ1人。しかも資料館の参観は無料だから、村上先生の仕事は決して楽ではないし、忙しさは想像にあまりある。しかし、先生は努力して当時の文献資料と実物を集め、毎日自ら各地からの参観者の接待をしている。このような資料館は世界にもここ一か所しかない。今、村上先生の心が休まるのは、資料館ができてから、毎年5~6万人の人が各地から参観に訪れ、現在総数30万人にも達したことだ。訪れた人々は一様に深い感銘を受け、中でも次のことは村上先生を特に感動させた。それは1992年、忠海中学校の生徒が何回も資料館を参観に来て、自分の学校にも毒ガス資料館の模型を作り、学生たちにも知らせ、長く教育に役立てようと決定したことだ。生徒たちは自信をもって協力し合い、11月15日開館こぎつけた。 ●特集 軍拡に走る安倍政権と学術① 15年戦争中の「医学犯罪」に目を閉ざさず、繰り返さないために 1、戦争における医学者・医師たちの犯罪 西山勝夫さん(滋賀医科大学名誉教授)に聞く にしやま・かつお=滋賀医科大学名誉教授、 15年戦争と日本の医学医療研究会事務局長、「戦争と医の倫理」の検証を進める会代表世話人、軍学共同反対連絡会共同代表 4、ドイツではどのように向き合ったのか ■二ュルンぺルクにおける訴追 ―ところで、医学の戦争への加担ということでは、世界で、とりわけドイツではどのように向き合ったのでしょうか。 ところが、私が2002年に、同書の著者と面談した際には、「世界医師会に西ドイツ医師会が加盟する際に約束した医師会会員へのジュネーブ宣言の配布は実行されずに放置されていた」「日本ではドイツが進んでいるかのように言われるが、遅々たるものだ」「ドイツ医学界の重職には元ナチ党員が多数を占めていた」「1994年には、ドイツ医師会会長歴(西山注:1973~1977年)があり、9年間務めていた世界医師会の財務理事(西山注:2010年7月、逝去)が辞任に追いやられたが、それはナチ親衛隊将校で戦争医学犯罪を犯したことが暴露されたから」「彼を推薦し、サポートし続けたドイツ医師会長が後任(西山注:1999年迄、以降名誉会長で現在に至る)」と聞きました。 ●『人間の価値』 ―1918年から1945年までのドイツ医学 Ch.ブロス/G.アリ編 林 功三訳 ■肝炎の実験 ![]() ここに名前の記されている11人のユダヤ人の子どもと若者が1943年9月にドーレンの黄疸実験のためにアウシュヴィッツ強制収容所からザクセンハウゼン強制収容所へ移送された。1944年に、ユダヤ人の少年たちが収容されていた第2病舎のブロック古参として、毎日彼らの面倒を見る仕事をしており、日誌をつけていたブルーノ・マイヤーは、検事の報告書によれば、ザクセンハウゼンのドーレンの実験―その中には肝臓穿刺が含まれているーについて次のように供述している。 「ドーレン博士は医療器具カバンから1本の斜めに歯のついたゾンデを取り出してザウル・ホルンフェルトの背後に近づき、指で彼の背後を探りました。そしてゾンデを当て、子どもの背中の筋肉を通して深く身体の中まで突き刺しました。ザウル・ホルンフェルトは痛みのあまり、自分の小さな拳を噛みました。急いでわたしは彼の前へ歩み寄り、声を押し殺して、しっかりしろといいました。涙で見えない目で彼はわたしを見ました。すると再び医者がゾンデを突き刺しました。わたしは不安と疑いの目でオフデダール博士を見詰めました。『肝臓穿刺だ』と彼は小声でわたしに言いました。その後、わたしは、ドーレン博士がゾンデから長い針を抜き、ゾンデの開口部に急いで試験管をあてがうのを見ました。黒っぽい血が試験管の中へ滴り落ちました。小さな組織も―たぶん肝臓の一部だったのでしょう―少しその中に混じっていました。 外のバラックの通路でわたしは、ちょうど立ち去ろうとしているドーレン博士に会いました。わたしは彼の足を留め、彼の良心に訴えようとしました。わたしは言いました。わたしは召集されており、前線へ行かなければならない。ただ子どもたちと別れるのはつらい。どうか、彼らのここの恐ろしい生活を少し楽にやってはくれまいか、と。彼は何も返事をしませんでした。」 ●イタイイタイ病を究明した男 萩野昇 ●驚愕!御用医学者をさかのぼると、すぐに731部隊に行き着く 水俣病問題 ●小島三郎国立予防衛生研究所所長の過去 ●小泉親彦と宮川米次の絆 ●ヒロシマからフクシマへ ●宮川正 ●「想定外」 と日本の統治—ヒロシマからフクシマへ— ●ビキニ「死の灰」世界各地へ ●自衛隊とサリン ●相模海軍工廠・寒川と平塚にあった秘密毒ガス工場 ●日本の国家機密 ●兒嶋俊郎さんを偲ぶ ●ニュース 「黙っていても受験生が集まる」医学部の問題性 3私大で不正入試 医学部不正、3大学で同時会見…福大副学長「びっくり」 真珠湾攻撃に参加した隊員たちがこっそり明かした「本音」 「水俣病は終わらない」公式確認から60年―私たちに託されたメッセージ 松本元死刑囚らの死刑執行文書、ほぼ全て黒塗りで開示 “旧優生保護法”強制的な不妊手術 事業として推進(18/04/27) 真相を解明していないからこうなるのだろう!! オウム13人死刑で「上川陽子法相」一生SPつきの生活 ●昭和天皇の戦争責任を問う!!大嘗祭反対!! ●昭和天皇(ハーバード・ピックス著『昭和天皇』より) 第3部 陛下の戦争 1931(昭和6)年―1945 (昭和20)年 第7章 満州事変 30歳の天皇にとっていまや若槻内閣を支え、軍部を押さえ込み、そして事態の悪化を阻止する格好の機会だった。政治面では軍部はまだ弱く、満州をめぐり国論は二分されていたのである。天皇が専制君主ではなく、憲法にのっとったイギリス型の 「立憲君主」として統治することを望むのであればこれは良い機会であった。 9月22日、奈良侍従武官長の日記は、この重大な局面での天皇の行動をこう記している。 午后陛下の御召しに依り拝謁せしに、陛下は行動を拡大せざる様総長に注意したるやと御下間ありしを以て、注意も致したり、又注意を待たず総長は能く閣議の主旨も御意図も承知し夫々処置へを執り居れり、但し出先きの軍隊は騎虎の勢もあり脱線少からず、誠に遺憾且恐懼に堪へずと奉答し置きたり。・・・(その後)午后4時20分金谷参謀総長拝謁、朝鮮軍より混成旅団派遣の追認御允許を内奏し、陛下より此度は致方なきも将来充分注意せよとの御諚を拝す。 関東軍の前進部隊は中国軍に数で圧倒されているため増派が必要であると考え、天皇は事態を既成事実として容認した。天皇は臣下の軍隊が帝国の版図を拡大しようとすることに格別に反対しなかったのである。たとえ、統帥権干犯の事実があろうと、作戦の首尾が良ければ、よしとしたのだった。 ●小泉親彦と昭和天皇 ●近現代史を《憲法視点》から問う~「湘南社」の憲法論議~ ●近代天皇制の真髄は ●福沢諭吉 ●神武と戦争 ●日本国憲法第9条 1、日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。 2、前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。 憲法9条を生かそう!! |
●「731部隊と100部隊」の現在の課題(八王子) ●第10回『化学学校記事』情報公開裁判 ●帝銀事件と登戸研究所 ●第19回「衛生学校記事」情報公開裁判 ●シンガポールで、731部隊は何をやっていたのか? ●731部隊『留守名簿』(不二出版)2018年9月 ●京大 軍医博士論文の検証 ●731部隊『留守名簿』公開 ●ある元自衛官の回想 「化学学校の黒い霧」 ●第10回ビザ発給拒否・集会妨害国賠訴訟【9月21日(金)11:30~東京地裁415号室】 ●731部隊と「要塞」遺跡を訪ねる 元731部隊軍医と強制不妊手術 「明治150年」史観批判ー近現代日本の戦争・植民地支配と国民統制ー山田朗、他 中国の侵略被害者の証言を聞く集い2018 11.30 ●お知らせ ![]() ![]() 京大の「731部隊」論文疑惑(上) 勝間田秀樹(京都支局) 731部隊将校の学位取り消しを 人体実験疑い論文で京大に 「特殊部隊731」 秋山 浩著 (三一書房 1956年6月30日 発行) 職種不明の軍属 学徒動員に応じて私が渡満することになったのは、昭和20年の3月下旬であった。その頃の戦況は、日本がすでに、マニラ、硫黄島を失い、米軍が沖縄に進攻しつつあったのだが、中学4年の少年にすぎなかった私は、当時の一般的風潮をそのままに、日本の最後の勝利を信じていた。数人の学友は、少年飛行兵や特別幹部候補生を志願して学舎を去っていったあとでもあり、私もいずれは軍人となって祖国を大事に殉ずる心組みであった。 そんなある日、私は担任教師の呼び出しを受け、少年兵に準ずるものとして関東軍に入隊する気持ちはないか、と尋ねられた。 満蒙開拓団 ![]() 「元満州中川村開拓団 私の敗戦回顧録」 日本は、日中戦争で国際法に違反して、毒ガス戦、細菌戦、無差別爆撃を行った。日本政府は、この事実をきちんと認めていない!! ●『日本の中国侵略と毒ガス兵器』 歩平著(山邊悠喜子、宮崎教四郎訳)明石書店より 第2章 地図から消えた神秘の大久野島 村上初太郎先生は1925年生まれ。15歳で訓練所に入り、以後は毒ガス工場で仕事をしていた。1945年の敗戦時、彼は20歳だった。彼の記憶では、天皇が無条件降伏を宣言した次の日、工場長は彼らに島の北西部の長浦で、青酸ガスの工室を破壊するようにと命じた。その当時この作業場は最も先進的な技術を採用しており、島でも最高機密に属していた。作業員があまり行きたがらないので、工場長は作業員に倍の賃金を支払うといい、そして、「アメリカ占領軍は毒ガス生産問題の調査にやって来て、恐らく私たちを捕まえるだろう。そして責任を追及するだろう」といった。作業員たちはこれを聞くと怖くなり、自分が毒ガス製造に参加したという証明になるものを全部焼き捨てた。今、この事を考えると、とても残念に思うと村上先生は言われた。 日本鬼子のおきみやげ ●特集 軍拡に走る安倍政権と学術① 15年戦争中の「医学犯罪」に目を閉ざさず、繰り返さないために 1、戦争における医学者・医師たちの犯罪 西山勝夫さん(滋賀医科大学名誉教授)に聞く にしやま・かつお=滋賀医科大学名誉教授、 15年戦争と日本の医学医療研究会事務局長、「戦争と医の倫理」の検証を進める会代表世話人、軍学共同反対連絡会共同代表 4、ドイツではどのように向き合ったのか ■二ュルンぺルクにおける訴追 ―ところで、医学の戦争への加担ということでは、世界で、とりわけドイツではどのように向き合ったのでしょうか。 1947年米国主導で、ニュルンべルク国際軍事裁判における医師たちの訴追は「共同謀議」「戦争犯罪」「人道に反する罪」「犯罪組織への所属」の4点にわたって行われました。被告弁護側の抗弁・反論は、検察側のヒポクラテスの誓いなどを典拠にして断罪され、許容できる人体実験の条件が判決で示されました。これが「ニュルンべルク綱領」です。「ニュルンべルク綱領」は、前述のジュネーブ宣言や1949年10月にロンドンで開催された世界医師会第3回総会(1949年10月)で採択された国際医倫理綱領(2006年までに3回改訂、「医師の一般的な義務」の4項目には「医師は、患者や同僚医師を誠実に扱い、人格や能力に欠陥があったり、欺まん、またはごまかしをするような医師の摘発に努めるべきである」という規定がある)、1964年6月フィンランド、ヘルシンキで開催された第18回世界医師会総会で採択され、以後、人体実験に関する倫理規定の基本をなすヘルシンキ宣言(2013年までに9回改訂)の基礎となりました。 ●『人間の価値』 ―1918年から1945年までのドイツ医学 Ch.ブロス/G.アリ編 林 功三訳 ■肝炎の実験 ![]() ここに名前の記されている11人のユダヤ人の子どもと若者が1943年9月にドーレンの黄疸実験のためにアウシュヴィッツ強制収容所からザクセンハウゼン強制収容所へ移送された。1944年に、ユダヤ人の少年たちが収容されていた第2病舎のブロック古参として、毎日彼らの面倒を見る仕事をしており、日誌をつけていたブルーノ・マイヤーは、検事の報告書によれば、ザクセンハウゼンのドーレンの実験―その中には肝臓穿刺が含まれているーについて次のように供述している。 知ってるつもり「731部隊と医学者たち」 ●イタイイタイ病を究明した男 萩野昇 ●驚愕!御用医学者をさかのぼると、すぐに731部隊に行き着く 水俣病問題 ●小島三郎国立予防衛生研究所所長の過去 ●小泉親彦と宮川米次の絆 ●ヒロシマからフクシマへ ●宮川正 ●「想定外」 と日本の統治—ヒロシマからフクシマへ— ●ビキニ「死の灰」世界各地へ ●自衛隊とサリン ●相模海軍工廠・寒川と平塚にあった秘密毒ガス工場 ●日本の国家機密 ●兒嶋俊郎さんを偲ぶ ●ニュース 岩手医大など入試「不適切」=文科省が指摘 「外国人材拡大」法、8日未明にも成立へ 東京医科大、女子5人を再び不合格に 「定員に達した」 新天皇即位の「祝日」全国民に求めず 政府が答弁書 「水俣病は終わらない」公式確認から60年―私たちに託されたメッセージ 松本元死刑囚らの死刑執行文書、ほぼ全て黒塗りで開示 “旧優生保護法”強制的な不妊手術 事業として推進(18/04/27) 真相を解明していないからこうなるのだろう!! オウム13人死刑で「上川陽子法相」一生SPつきの生活 ●昭和天皇の戦争責任を問う!!大嘗祭反対!! ●昭和天皇(ハーバード・ピックス著『昭和天皇』より) 第3部 陛下の戦争 1931(昭和6)年―1945 (昭和20)年 第7章 満州事変 30歳の天皇にとっていまや若槻内閣を支え、軍部を押さえ込み、そして事態の悪化を阻止する格好の機会だった。政治面では軍部はまだ弱く、満州をめぐり国論は二分されていたのである。天皇が専制君主ではなく、憲法にのっとったイギリス型の 「立憲君主」として統治することを望むのであればこれは良い機会であった。 9月22日、奈良侍従武官長の日記は、この重大な局面での天皇の行動をこう記している。 ●小泉親彦と昭和天皇 ●近現代史を《憲法視点》から問う~「湘南社」の憲法論議~ ●近代天皇制の真髄は ●福沢諭吉 ●神武と戦争 ●日本国憲法第9条 1、日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。 2、前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。 憲法9条を生かそう!! |
●第10回『化学学校記事』情報公開裁判
●帝銀事件と登戸研究所 ●第19回「衛生学校記事」情報公開裁判 ●シンガポールで、731部隊は何をやっていたのか? ●peace8(八王子)「731部隊と100部隊の現在の課題」(アミダステーション) ●731部隊『留守名簿』(不二出版)2018年9月 ●京大 軍医博士論文の検証 ●731部隊『留守名簿』公開 ●ある元自衛官の回想 「化学学校の黒い霧」 ●第10回ビザ発給拒否・集会妨害国賠訴訟【9月21日(金)11:30~東京地裁415号室】 ●731部隊と「要塞」遺跡を訪ねる 元731部隊軍医と強制不妊手術 「明治150年」史観批判ー近現代日本の戦争・植民地支配と国民統制ー山田朗、他 中国の侵略被害者の証言を聞く集い2018 11.30 ●お知らせ ![]() ![]() ●「731部隊 人体実験はこうして拡大した/隊員たちの素顔」 ●NHKスペシャル「731部隊の真実~エリート医学者と人体実験~」 京大の「731部隊」論文疑惑(上) 勝間田秀樹(京都支局) 731部隊将校の学位取り消しを 人体実験疑い論文で京大に 『731部隊の真実~エリート医学者と人体実験~』の起こし 『満洲天理村「生琉里(ふるさと)」の記憶 第5章 ソ連参戦と731部隊の撤退 2、石井部隊長の動向 石井による撤収案は、①731の秘密保持こそが最大の問題である、②そのために、ソ連軍の進撃途上にある海拉爾、林口、孫呉、牡丹江各支部の731隊員には既に派遣している西中佐(教育部長)らを通じ証拠隠滅と全員自決を命じている、③これにならい、東郷村官舎に入居している隊員家族にも全員自決を命じたい、④現在収容中のマルタは一人残らず殺害するとともにロ号棟建物は「完全」に破壊し、部隊施設は工兵隊の手により爆破する、⑤しかるのち少年隊を集め、本隊は完全な統率のもとに南下し、通化に至る―というものである。もっとも、これらの案がすべて朝枝の「厳命」に含まれてたとは考えにくい。 菊池は隊員及び家族の自決強要に激しく反発し、大激論となった。菊池は「731には有能な研究者が多く、いたずらに自決を押し付けるよりも、支部の救出方策を練ることが先決である」と主張、「隊員の家族は部隊長が率先して内地へ生還させる努力を払うべきである」と激怒したという。最後は石井が折れた。 満蒙開拓団 ![]() 「元満州中川村開拓団 私の敗戦回顧録」 日本は、日中戦争で国際法に違反して、毒ガス戦、細菌戦、無差別爆撃を行った。日本政府は、この事実をきちんと認めていない!! ●『日本の中国侵略と毒ガス兵器』 歩平著(山邊悠喜子、宮崎教四郎訳)明石書店より 第2章 地図から消えた神秘の大久野島 彼女はその画集の前言の中で、「この画集は、私達戦争世代の体験による資料である。私はこれを次の世代に永久に残したい。私はこの画集を通して日本の侵略を受けた国々の人民に謝罪したい。特に、かの風船爆弾によって被害を受けた人々に謝罪の意味を込めてこの画集を彼(彼女)らに贈る」と、記している。 日本鬼子のおきみやげ ●特集 軍拡に走る安倍政権と学術① 15年戦争中の「医学犯罪」に目を閉ざさず、繰り返さないために 1、戦争における医学者・医師たちの犯罪 西山勝夫さん(滋賀医科大学名誉教授)に聞く にしやま・かつお=滋賀医科大学名誉教授、 15年戦争と日本の医学医療研究会事務局長、「戦争と医の倫理」の検証を進める会代表世話人、軍学共同反対連絡会共同代表 4、ドイツではどのように向き合ったのか ■二ュルンぺルクにおける訴追 ―ところで、医学の戦争への加担ということでは、世界で、とりわけドイツではどのように向き合ったのでしょうか。 ナチス・ドイツ政権下における医学者・医師の非人道人体実験には、超高度(標高20000mに相当する低気圧)、低体温、マラリア、毒ガス、サルファ剤等の薬品、骨・筋肉・神経の再生および骨移植、海水飲用、流行性黄だん(肝炎)、断種、発疹チフスなど、毒物、焼夷弾治療、障害者の「安楽死」、仮病対策、電気ショック、子宮癌の早期診断法、双子の利用、肝臓移植、血液確定、敗血病などに関する実験がありました。これらがドイツでは裁かれました。 ●『人間の価値』 ―1918年から1945年までのドイツ医学 Ch.ブロス/G.アリ編 林 功三訳 ■肝炎の実験 クゥルト・グートツァイト(1893-1957)は1934年からブレスラウ大学内科医学の正教授で、1939年にベルリンの軍事医学アカデミーに「軍衛生局総監督部内科顧問医科」をつくった。1934年からはSSのメンバーで、最後の位はSS大尉だった。1937年5月1日、彼はナチス党員になっている。戦後。彼はバイロイトのヘルツォークヘーエ・サナトリウムの所長となり、1954年、ハインリヒ・タイトゲとの共著で教科書『胃カメラ撮影』第2版を出版している。 ![]() 知ってるつもり「731部隊と医学者たち」 ●イタイイタイ病を究明した男 萩野昇 ●驚愕!御用医学者をさかのぼると、すぐに731部隊に行き着く 水俣病問題 ●小島三郎国立予防衛生研究所所長の過去 ●小泉親彦と宮川米次の絆 ●ヒロシマからフクシマへ ●宮川正 ●「想定外」 と日本の統治—ヒロシマからフクシマへ— ●ビキニ「死の灰」世界各地へ ●自衛隊とサリン ●相模海軍工廠・寒川と平塚にあった秘密毒ガス工場 ●日本の国家機密 ●兒嶋俊郎さんを偲ぶ ●ニュース 脱安保!! 「自分の漁場に落ちるとは」米機墜落、漁業関係者も不安 【水道法】民営化、欧米でも失敗続きー安倍政権が水道事業を売り飛ばす暴挙、海外企業とも癒着 被爆者サーローさん、安倍首相と面会できず=「違う意見の人とも語って」 「水俣病は終わらない」公式確認から60年―私たちに託されたメッセージ 松本元死刑囚らの死刑執行文書、ほぼ全て黒塗りで開示 “旧優生保護法”強制的な不妊手術 事業として推進(18/04/27) 真相を解明していないからこうなるのだろう!! オウム13人死刑で「上川陽子法相」一生SPつきの生活 ●昭和天皇の戦争責任を問う!!大嘗祭反対!! ●昭和天皇(ハーバード・ピックス著『昭和天皇』より) 第3部 陛下の戦争 1931(昭和6)年―1945 (昭和20)年 第7章 満州事変 実際、原田の私邸で合意されたことは、天皇は軍部の行動を肯定すべきだということ、そして西園寺と宮中官吏は統帥権干犯の追及をすべきではなく、また軍部を刺激するようなことはいっさいすべきではない、というものだった。宮廷グループはこのような態度を取ることで、満州事変の全過程にわたり軍部に毅然とした立場を取ることはけっしてなかったのである。 9月21日、若槻は6時間に及ぶ閣議で次のことを決定した。内地、朝鮮のいずれからも増派を認めない、満州の戦闘を「事変」と見なすことで宣戦布告を避ける。他方、関東軍は鴨緑江を越え満州に増援部隊を送ることを林朝鮮軍司令官に許可するよう、参謀本部に3日間にわたり圧力をかけ続けた。9月21日午後1時、閣議のさなか、林は独断で部隊に越境を命じた。その直後、金谷〔範三〕参謀総長は、警戒態勢で待機との命令にもいかわらず、現地司令官の独断専行により朝鮮軍の混成旅団が「既に越境、奉天に進出せる旨」を天皇に上奏した。もちろん、この場合、金谷は作戦行動の裁量について林の独断専行を正当化できる原則などないことをよくわかっていた。 ●小泉親彦と昭和天皇 ●近現代史を《憲法視点》から問う~「湘南社」の憲法論議~ ●近代天皇制の真髄は ●福沢諭吉 ●神武と戦争 ●日本国憲法第9条 1、日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。 2、前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。 憲法9条を生かそう!! |
●第10回『化学学校記事』情報公開裁判
●帝銀事件と登戸研究所 ●第19回「衛生学校記事」情報公開裁判 ●シンガポールで、731部隊は何をやっていたのか? ●peace8(八王子)「731部隊と100部隊の現在の課題」(アミダステーション) ●731部隊『留守名簿』(不二出版)2018年9月 ●京大 軍医博士論文の検証 ●731部隊『留守名簿』公開 ●ある元自衛官の回想 「化学学校の黒い霧」 ●第10回ビザ発給拒否・集会妨害国賠訴訟【9月21日(金)11:30~東京地裁415号室】 ●731部隊と「要塞」遺跡を訪ねる 元731部隊軍医と強制不妊手術 「明治150年」史観批判ー近現代日本の戦争・植民地支配と国民統制ー山田朗、他 中国の侵略被害者の証言を聞く集い2018 11.30 ●お知らせ ![]() ![]() ●「731部隊 人体実験はこうして拡大した/隊員たちの素顔」 ●NHKスペシャル「731部隊の真実~エリート医学者と人体実験~」 京大の「731部隊」論文疑惑(上) 勝間田秀樹(京都支局) 731部隊将校の学位取り消しを 人体実験疑い論文で京大に 『731部隊の真実~エリート医学者と人体実験~』の起こし 『満洲天理村「生琉里(ふるさと)」の記憶 第5章 ソ連参戦と731部隊の撤退 2、石井部隊長の動向 ≪関東軍司令部から石井部隊長宛に「命令受領に出頭せよ」の連絡が入った。 だが、この時点で石井部隊長は不在であり、行き先は極秘で誰も知らない。部隊幹部は急遽、N副官を航空機で新京に派遣した。(中略)既に山田乙三関東軍司令官以下各参謀は各地に飛び(中略)石井部隊長に代わって、出頭したN副官に「ソ連軍の進撃速度は大、関東軍各部隊とも南下し転戦を開始している。731においても独断進行してよし」≫(森村、276頁) 石井隊長にかわって受けたN副官に対する司令官からの命令は、関東軍司令官による全施設の破壊であった。文中にある≪転戦とは、逃亡退却≫(森村、277頁)のことである。森村によれば、N副官が平房の731部隊に引き返したのは≪8月10日正午≫との記述もある。繰り返すがこの時刻は、新京の飛行場で石井が大本営参謀(作戦課)朝枝中佐と向き合っていたころである。N副官が平房に戻ったのが正午で、以後、施設内は大混乱の極みとなっていく。 満蒙開拓団 ![]() 「元満州中川村開拓団 私の敗戦回顧録」 日本は、日中戦争で国際法に違反して、毒ガス戦、細菌戦、無差別爆撃を行った。日本政府は、この事実をきちんと認めていない!! ●『日本の中国侵略と毒ガス兵器』 歩平著(山邊悠喜子、宮崎教四郎訳)明石書店より 第2章 地図から消えた神秘の大久野島 彼女は風船爆弾製造のグループに入ったが、ずっと不安を感じていたという。日本で作った風船爆弾が285個もアメリカの領土で爆発したと聞いており、オレゴン州では子どもたちが爆死したと聞いたからだ。何の自覚のないままにそれらの殺人行為を行った事を思うと、彼女はいつも心が疼いた。戦後、岡田さんは京都芸大を卒業してから、中学校で美術を教えた。1985年、彼女は病気で退職したが、いつも思い出すのは少女期の体験であった。彼女は多方面から資料を探したが、多くは既に失われたり、焼却されたりしていた。自分は絵が描けるのに、どうして自分の絵筆で当時の情景を描かないのかと自分に問いかけ、彼女は当時の記憶を頼りに、一枚一枚と描いて行った。1981年、遂に画集を描き上げると、自費で出版した。この画集には31枚の絵が収められており、当時の大久野島の様子を生々しく再現し、他に類を見ない貴重な資料になっている。 日本鬼子のおきみやげ ●特集 軍拡に走る安倍政権と学術① 15年戦争中の「医学犯罪」に目を閉ざさず、繰り返さないために 1、戦争における医学者・医師たちの犯罪 西山勝夫さん(滋賀医科大学名誉教授)に聞く にしやま・かつお=滋賀医科大学名誉教授、 15年戦争と日本の医学医療研究会事務局長、「戦争と医の倫理」の検証を進める会代表世話人、軍学共同反対連絡会共同代表 3、戦後、日本の戦争医学犯罪は裁かれなかったのか ■発足当時の学術会議における戦争医学犯罪の検証 ―731部隊に属していた医師・医学者自身の特徴的な証言はあるのでしょうか。 敗戦直後から医学界・医療界の民主化に奔走した秋元寿恵夫医師は「これまで、40年近くになる長い間、第731部隊が犯した戦争犯罪については、問われれば答えるが、 あえて自分から何もいうまいという態度を取り続けてきた」としながら、1982年に自著『医の倫理を問う第731部隊の経験から』において、「血清学者として石井部隊に勤務した者が、今なお深い罪の意識を背負いながら、戦争と癒着した医学研究の恐ろしさを告発し、医の倫理とは何かを問う」ています。 湯浅謙医師による、中国太原の陸軍病院で行った生体解剖の証言は、極悪非道な医師の行為が731部隊だけではなかったことを明らかにしました。 ●『人間の価値』 ―1918年から1945年までのドイツ医学 Ch.ブロス/G.アリ編 林 功三訳 ■肝炎の実験 腹を立てたグートツァイトは、彼を「彼を動物実験の惰眠」から呼び覚まそうとして、「動物から人間までの1歩がそんなに困難だというのはおかしなことだ」と言っている。結局ドーレンは幾人かのユダヤ人の子どもを感染させ、その1人には肝臓穿刺を実行した。だが今度も黄疸を起こすことができず、グートツァイトは彼に、肝炎の臨床結果を明らかにするためさらに「大量の」感染実験を要求した。この実験予定を挫折させたのは、医師の抵抗ではなく連合軍の勝利だった。 ニュルンベルグ裁判で、グートツァイトは自身の責任を否認し、終戦直前に自殺したグラーヴィッツこそドーレンに圧力をかけたのであり、ザクセンハウゼンの自分の実験はグラーヴィッツをなだめるための見せかけだった、と言っている。 知ってるつもり「731部隊と医学者たち」 ●イタイイタイ病を究明した男 萩野昇 ●驚愕!御用医学者をさかのぼると、すぐに731部隊に行き着く 水俣病問題 ●小島三郎国立予防衛生研究所所長の過去 ●小泉親彦と宮川米次の絆 ●ヒロシマからフクシマへ ●宮川正 ●「想定外」 と日本の統治—ヒロシマからフクシマへ— ●ビキニ「死の灰」世界各地へ ●自衛隊とサリン ●相模海軍工廠・寒川と平塚にあった秘密毒ガス工場 ●日本の国家機密 ●兒嶋俊郎さんを偲ぶ ●ニュース 脱安保!! 米軍機2機が室戸沖に墜落 救助された1名の容態は安定 岩屋防衛大臣 米海兵隊2機が日本近海で事故、7人行方不明=米当局者 今治市民らが詐欺容疑で告発状 室井佑月「昭恵さん、これでいいの?」 「水俣病は終わらない」公式確認から60年―私たちに託されたメッセージ 松本元死刑囚らの死刑執行文書、ほぼ全て黒塗りで開示 “旧優生保護法”強制的な不妊手術 事業として推進(18/04/27) 真相を解明していないからこうなるのだろう!! オウム13人死刑で「上川陽子法相」一生SPつきの生活 ●昭和天皇の戦争責任を問う!!大嘗祭反対!! ●昭和天皇(ハーバード・ピックス著『昭和天皇』より) 第3部 陛下の戦争 1931(昭和6)年―1945 (昭和20)年 第7章 満州事変 その晩、宮中グループは原田の私邸に集まった。出席者は木戸(『木戸日記』は利用価値の高い資料である)、近衛、貴族院議員岡部長景に、華族がもうひとりいた。そろって40代の彼らは西園寺や牧野には批判的で、満州問題を武力で解決しようとする軍部に同調するところがあった。彼らは、上級司令部の命令がまったく遵守されていない状態にあること、そして事態の悪化を防止し、これ以上国際世論を損なわないようにするとの当初の内閣の要望に天皇が同意していることを確認した。木戸によると、問題は2つあった。軍部は、天皇の意思表示に影響を与える宮中の側近と、彼らが敵視していた西園寺に怒りの鉾先を向けていた。それゆえ、「今後は不得止(やむをえざる)場合の外は御諚等はなき方よろしかるべく」、そして「状況に変化なき限り」西園寺が東京に来るのを思い留まらせるべきであるというのだ。 ●小泉親彦と昭和天皇 ●近現代史を《憲法視点》から問う~「湘南社」の憲法論議~ ●近代天皇制の真髄は ●福沢諭吉 ●神武と戦争 ●日本国憲法第9条 1、日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。 2、前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。 憲法9条を生かそう!! |
●帝銀事件と登戸研究所
●第19回「衛生学校記事」情報公開裁判
●シンガポールで、731部隊は何をやっていたのか?
●peace8(八王子)「731部隊と100部隊の現在の課題」(アミダステーション)
●731部隊『留守名簿』(不二出版)2018年9月
●京大 軍医博士論文の検証
●731部隊『留守名簿』公開
●ある元自衛官の回想 「化学学校の黒い霧」
●第9回『化学学校記事』情報公開裁判 9月26日 16:00~東京地裁522号法廷
●第10回ビザ発給拒否・集会妨害国賠訴訟【9月21日(金)11:30~東京地裁415号室】
●731部隊と「要塞」遺跡を訪ねる
元731部隊軍医と強制不妊手術
「明治150年」史観批判ー近現代日本の戦争・植民地支配と国民統制ー山田朗、他
中国の侵略被害者の証言を聞く集い2018 11.30
●お知らせ
●「731部隊 人体実験はこうして拡大した/隊員たちの素顔」
●NHKスペシャル「731部隊の真実~エリート医学者と人体実験~」
京大の「731部隊」論文疑惑(上) 勝間田秀樹(京都支局)
731部隊将校の学位取り消しを 人体実験疑い論文で京大に
『731部隊の真実~エリート医学者と人体実験~』の起こし
『満洲天理村「生琉里(ふるさと)」の記憶
第5章 ソ連参戦と731部隊の撤退
2、石井部隊長の動向
石井はソ連参戦のニュースをいつ、どこで知ったのだろうか。石井は来るべきソ連との最終戦は細菌戦しかないと、この年の春には細菌兵器の研究を終了させていた。特使の命を受けた彼が、どのように平房本部に破壊命令を出そうとしたのか明確になっていない。そもそも、朝枝からの電報もどこで受け、誰によって渡されたのが。大混乱となった10日、早朝に関東軍から平房本部の石井にも出頭命令が届いていたのにもかかわらず、先述したように石井は新京の飛行場に赴き不在で、代理として副官の1人が関東軍本部に出向いた。
満蒙開拓団
「元満州中川村開拓団 私の敗戦回顧録」
日本は、日中戦争で国際法に違反して、毒ガス戦、細菌戦、無差別爆撃を行った。日本政府は、この事実をきちんと認めていない!!
●『日本の中国侵略と毒ガス兵器』 歩平著(山邊悠喜子、宮崎教四郎訳)明石書店より
第2章 地図から消えた神秘の大久野島
1929年に生まれた岡田藜子さんは、1944年忠海高等女学校に通っていた時徴用されて島で働かされた。彼女は毒ガス工場の工室で、発煙筒や防毒マスクの製造等の工室を見ており、今でもはっきりと発煙筒の工室で火事が起きた時のことを覚えていた。爆風が作業場の屋根をまくり上げ工室全体が火の海になった。彼女はまた、同級生と一緒に海辺の試験場で発煙筒の発煙実験を見た。それに彼女は多くの同級生が火薬と毒剤の粉塵を吸って食堂や気管支、それに手や顔を火傷したことなどを記憶していた。
日本鬼子のおきみやげ
●特集 軍拡に走る安倍政権と学術①
15年戦争中の「医学犯罪」に目を閉ざさず、繰り返さないために
1、戦争における医学者・医師たちの犯罪
西山勝夫さん(滋賀医科大学名誉教授)に聞く
にしやま・かつお=滋賀医科大学名誉教授、 15年戦争と日本の医学医療研究会事務局長、「戦争と医の倫理」の検証を進める会代表世話人、軍学共同反対連絡会共同代表
3、戦後、日本の戦争医学犯罪は裁かれなかったのか
■発足当時の学術会議における戦争医学犯罪の検証
―731部隊に属していた医師・医学者自身の特徴的な証言はあるのでしょうか。
731部隊に属していた医師で、当時のことを自著で表している者は少数です。吉村寿人元731部隊技師(京大医学部卒、戦後京都府立医大学長などを務める)は「私が属していた部隊に戦犯事項があったことが最近、森村誠一氏の『悪魔の飽食』に記載され、それがべストセラーになった為に国内の批判を浴びる様になった。<中略>個人の自由意志でその良心に従つて軍隊内で行動が出来ると考える事自体が間違つている。<中略>個人の良心によって行動の出来る様な軍隊が何処にあるだろうか。<中略>私が戦時中に属していた部隊において戦犯行為があったからとて、直接の指揮官でもない私が何故マスコミによって責められねばならないのか、全くのお門違い」などと弁明しています(『喜寿回顧』吉村先生喜寿記念行事会、1984年)。これは、ニュルンべルク裁判では退けられた、被告の弁明「医師たちは人体実験を行わなければ生命の危険にさらされたかもしれない」 「医師たちは命令に従っただけである」と同類にほかなりません。
●『人間の価値』
―1918年から1945年までのドイツ医学
Ch.ブロス/G.アリ編
林 功三訳
■肝炎の実験
マイターラーは1941年9月、捕虜たちをクレタ島に移した。しかし黄疸を発生させることはできなかった。1941年10月、グートツァイトはブレスラウにいる助手のハンス・フェークトに命じて6人の精神病患者を人工的に感染させようとした。グートツァイトは、1943年の夏、ギーセンのかれの協力者アルノルト・ドーレンに、捕虜と強制収容所の囚人に対する実験を強要した。ドーレンは、動物実験の段階を経た後、自分でも人体実験を行うことを考えていた。「SS並びに警察全国医師」のエルンスト・ローバート・グラーヴィッツとの打ち合わせの後、ドーレンは人体実験のために11人のユダヤ人の子どもと若者をアウシュヴィッツからザクセンハウゼンへ移送した。だがドーレンは良心の呵責に陥り、実験計画を約1年後に中止した。
知ってるつもり「731部隊と医学者たち」
●イタイイタイ病を究明した男 萩野昇
●驚愕!御用医学者をさかのぼると、すぐに731部隊に行き着く
水俣病問題
●小島三郎国立予防衛生研究所所長の過去
●小泉親彦と宮川米次の絆
●ヒロシマからフクシマへ
●宮川正
●「想定外」 と日本の統治—ヒロシマからフクシマへ—
●ビキニ「死の灰」世界各地へ
●自衛隊とサリン
●相模海軍工廠・寒川と平塚にあった秘密毒ガス工場
●日本の国家機密
●兒嶋俊郎さんを偲ぶ
●ニュース
脱安保!!
最新鋭ステルス戦闘機導入の方針 「防衛計画の大綱」骨格案
強制不妊手術被害者家族の会結成 旧優生保護法、国の謝罪求める
元徴用工訴訟の原告側弁護団「24日までに回答なければ差し押さえ」
韓国外交部 日本の「対抗措置」言及に失望=強制徴用判決で
県が“違法指摘”土砂運搬作業を一時中止に
「水俣病は終わらない」公式確認から60年―私たちに託されたメッセージ
松本元死刑囚らの死刑執行文書、ほぼ全て黒塗りで開示
“旧優生保護法”強制的な不妊手術 事業として推進(18/04/27)
真相を解明していないからこうなるのだろう!!
オウム13人死刑で「上川陽子法相」一生SPつきの生活
●昭和天皇の戦争責任を問う!!大嘗祭反対!!
●昭和天皇(ハーバード・ピックス著『昭和天皇』より)
第3部 陛下の戦争
1931(昭和6)年―1945 (昭和20)年
第7章 満州事変
外務省の報告も陸軍省の報告も、自分の手許に来ない・・・しかし川崎書記官長を以ていま注意させておいた・・・・また満蒙における支那の現兵力は20万以上もあるのに、日本軍は1万余りであるから、「現在の兵力であまりに傍若無人に振舞つて、もし万一のことが起つたらどうするか」といふことを陸軍大臣にきくと、「朝鮮から兵を出す」或は「既に出したらしい」との答なので、「政府の命令なしに、朝鮮から兵を出すとはけしからんぢやないか」となじつたところが、「田中内閣(1927-29)の時に、御裁可なしに出兵した事実がある」とのことで、これは後に問題を残さないと思つたらしい。・・・・かういふ情勢であつてみると、自分の力では軍部を抑へることはできない。荀くも陛下の軍隊が御裁可なしに出動するといふのは言語道断な話であるが、この場合一体どうすればいゝのか、こんなことを、貴下に話す筋でないかもしらんけれども、なんとかならないか、・・・・実に困つたものだ。
●小泉親彦と昭和天皇
●近現代史を《憲法視点》から問う~「湘南社」の憲法論議~
●近代天皇制の真髄は
●福沢諭吉
●神武と戦争
●日本国憲法第9条
1、日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
2、前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。
憲法9条を生かそう!!
●帝銀事件と登戸研究所
●第19回「衛生学校記事」情報公開裁判 ●シンガポールで、731部隊は何をやっていたのか? ●peace8(八王子)「731部隊と100部隊の現在の課題」(アミダステーション) ●731部隊『留守名簿』(不二出版)2018年9月 ●京大 軍医博士論文の検証 ●731部隊『留守名簿』公開 ●ある元自衛官の回想 「化学学校の黒い霧」 ●第9回『化学学校記事』情報公開裁判 9月26日 16:00~東京地裁522号法廷 ●第10回ビザ発給拒否・集会妨害国賠訴訟【9月21日(金)11:30~東京地裁415号室】 ●731部隊と「要塞」遺跡を訪ねる 元731部隊軍医と強制不妊手術 「明治150年」史観批判ー近現代日本の戦争・植民地支配と国民統制ー山田朗、他 中国の侵略被害者の証言を聞く集い2018 11.30 ●お知らせ ![]() ![]() ●「731部隊 人体実験はこうして拡大した/隊員たちの素顔」 ●NHKスペシャル「731部隊の真実~エリート医学者と人体実験~」 京大の「731部隊」論文疑惑(上) 勝間田秀樹(京都支局) 731部隊将校の学位取り消しを 人体実験疑い論文で京大に 『731部隊の真実~エリート医学者と人体実験~』の起こし 『満洲天理村「生琉里(ふるさと)」の記憶 第5章 ソ連参戦と731部隊の撤退 敗戦を迎えた日、彼に731部隊の上官から指令が下がった。 「≪『731部隊は建物と資料と焼却し、関係者は朝鮮半島を通って日本に帰国するため列車に乗り込んでいる。お前もそれを追っかけろ。決して捕虜になるな。捕まった時はこれを飲め』そう言って、青酸カリの入った小さな包みが渡されたのです≫」(同上、106頁) 満蒙開拓団 ![]() 「元満州中川村開拓団 私の敗戦回顧録」 日本は、日中戦争で国際法に違反して、毒ガス戦、細菌戦、無差別爆撃を行った。日本政府は、この事実をきちんと認めていない!! ●『日本の中国侵略と毒ガス兵器』 歩平著(山邊悠喜子、宮崎教四郎訳)明石書店より 第2章 地図から消えた神秘の大久野島 既に世を去った、家寿田幸江さんと松井さんと一緒に住んでいたが、彼女は1978年に訪れた記者に対して「私は島では、毒ガス缶の運搬と風船爆弾の製造に従事した。どこに行っても息が詰まるようないやな臭いが立ち込めていた。憲兵は私たちに、便所へ行くほかには休憩の時間はないといった。私は、まるで監獄の中に入れられて強制労働されているようだと思った。19歳で結婚し、子どもを産むときは気管支炎で、寝たきり起きられなかった」と語った。 日本鬼子のおきみやげ ●特集 軍拡に走る安倍政権と学術① 15年戦争中の「医学犯罪」に目を閉ざさず、繰り返さないために 1、戦争における医学者・医師たちの犯罪 西山勝夫さん(滋賀医科大学名誉教授)に聞く にしやま・かつお=滋賀医科大学名誉教授、 15年戦争と日本の医学医療研究会事務局長、「戦争と医の倫理」の検証を進める会代表世話人、軍学共同反対連絡会共同代表 3、戦後、日本の戦争医学犯罪は裁かれなかったのか ■発足当時の学術会議における戦争医学犯罪の検証 ―世界でも類例のない公選制で選ばれた日本の科学者の議会ともいわれる日本学術会議は1949年の「日本学術会議の発足にあたって科学者としての決意表明(声明)」で「これまでのわが国の科学者がとりきたった態度について強く反省し、今後は、 科学が文化国家ないし平和国家の基礎であるという確信の下に、わが国の平和的復興と人類の福祉増進のために貢献せんことを誓う」と述べています。そこでは、戦争医学犯罪についてはどのような反省がなされたのでしょうか。 1950年4月28日の第6回総会では「戦争を目的とする科学の研究には絶対従わない決意の表明」が採択されました。その時も「日本の科学者も戦争を感知せざるを得ない情勢に立ち至つている」という中段の提案は、彼らの口火で、「戦争が非常に近いと言うことはいったいどういう根拠があって言っておるのか」などの議論となり、削除されました。その2ヵ月後に朝鮮戦争が起こりました。 また、1952年の第13回総会では、「細菌兵器使用禁止に関するジュネーブ条約の批准を国会に申入れる」提案に対して、「現在日本では戦争を放棄しているのだから、戦時に問題になる条約を批准するのは筋違い」「4,50年も前に解決している問題でありまして、今日ほとんど実用になりません」などと反対し、賛成わずかで否決されています。 ●『人間の価値』 ―1918年から1945年までのドイツ医学 Ch.ブロス/G.アリ編 林 功三訳 ■肝炎の実験 第2次大戦中に黄疸がヨーロッパの大部分の地に疫病のように蔓延したとき、これまでは、たぶんこの病気は伝染により発生するものではあるまいと思われていたが、伝染病であることに疑いの余地がなくなった。新しい医学的認識と軍隊の中での肝炎の発生から、多数の民間医と軍医にたいし、この病気の病原体を究めることが求められた。 「軍衛生局総監督部内科顧問医」のクゥルト・グートツァイトは、様々な部隊の研究から、1941年流行性肝炎と黄疸が同じものであることを知った。1941年の夏、肝炎研究の組織者だったグートツァイトはアテネで第12師団の内科顧問医のフリードリヒ・マイターラーと、イギリスの捕虜にこの病気を感染させることを打ち合わせた。 知ってるつもり「731部隊と医学者たち」 ●イタイイタイ病を究明した男 萩野昇 ●驚愕!御用医学者をさかのぼると、すぐに731部隊に行き着く 水俣病問題 ●小島三郎国立予防衛生研究所所長の過去 ●小泉親彦と宮川米次の絆 ●ヒロシマからフクシマへ ●宮川正 ●「想定外」 と日本の統治—ヒロシマからフクシマへ— ●ビキニ「死の灰」世界各地へ ●自衛隊とサリン ●相模海軍工廠・寒川と平塚にあった秘密毒ガス工場 ●日本の国家機密 ●兒嶋俊郎さんを偲ぶ ●ニュース 森友の証人隠し 疑惑暴いた地元議員が「早く裁判に出てきて」 徴用工訴訟の判決を先送りか 韓国の元裁判官2人の逮捕状を請求 玉城デニー知事、土砂搬出を違法として停止を要求 赤土流出防止条例の届け出も指導 「水俣病は終わらない」公式確認から60年―私たちに託されたメッセージ 松本元死刑囚らの死刑執行文書、ほぼ全て黒塗りで開示 “旧優生保護法”強制的な不妊手術 事業として推進(18/04/27) 真相を解明していないからこうなるのだろう!! オウム13人死刑で「上川陽子法相」一生SPつきの生活 ●昭和天皇の戦争責任を問う!!大嘗祭反対!! ●昭和天皇(ハーバード・ピックス著『昭和天皇』より) 第3部 陛下の戦争 1931(昭和6)年―1945 (昭和20)年 第7章 満州事変 一度、勃発すると満州事変は国内外の危機がたがいにからみ合う連鎖反応の端緒となり、国家の発展の軌道全体を根本的に変えてしまった。中国は直ちに国際連盟に原状復帰を求め、関東軍は部隊の増派を求めた。林銑十郎中将は、東京の参謀本部に鴨緑江を越え満州に部隊を派遣する許可を求めた。9月19日、政府は依然、無力で情報に乏しかった。若槻首相は元老西園寺の秘書原田熊雄に助言を求めていた。 ●小泉親彦と昭和天皇 ●近現代史を《憲法視点》から問う~「湘南社」の憲法論議~ ●近代天皇制の真髄は ●福沢諭吉 ●神武と戦争 ●日本国憲法第9条 1、日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。 2、前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。 憲法9条を生かそう!! |
●帝銀事件と登戸研究所
●第19回「衛生学校記事」情報公開裁判 ●シンガポールで、731部隊は何をやっていたのか? ●peace8(八王子)「731部隊と100部隊の現在の課題」(アミダステーション) ●731部隊『留守名簿』(不二出版)2018年9月 ●京大 軍医博士論文の検証 ●731部隊『留守名簿』公開 ●ある元自衛官の回想 「化学学校の黒い霧」 ●第9回『化学学校記事』情報公開裁判 9月26日 16:00~東京地裁522号法廷 ●第10回ビザ発給拒否・集会妨害国賠訴訟【9月21日(金)11:30~東京地裁415号室】 ●731部隊と「要塞」遺跡を訪ねる 元731部隊軍医と強制不妊手術 「明治150年」史観批判ー近現代日本の戦争・植民地支配と国民統制ー山田朗、他 中国の侵略被害者の証言を聞く集い2018 11.30 ●お知らせ ![]() ![]() ●「731部隊 人体実験はこうして拡大した/隊員たちの素顔」 ●NHKスペシャル「731部隊の真実~エリート医学者と人体実験~」 京大の「731部隊」論文疑惑(上) 勝間田秀樹(京都支局) 731部隊将校の学位取り消しを 人体実験疑い論文で京大に 『731部隊の真実~エリート医学者と人体実験~』の起こし 『満洲天理村「生琉里(ふるさと)」の記憶 第5章 ソ連参戦と731部隊の撤退 ところで、“すべての痕跡は残すなかれ”という参謀総長の厳命に対し、石井は最後まで、研究データの持ち帰りに食い下がった。そして、後述するように密かにその一部を日本に持ち帰ることに成功した。 「破壊命令」は記録においてもまちまちであるが、それだけ大混乱に陥っていたということであろう。≪一説によれば、既に731の幹部は各支部に飛び通化移転指揮を行っていた≫(森村、275頁)と言われるが、それを物語る証言がある。731部隊に少年兵として志願し、戦後は八路軍(紅軍の一組織で、中国国民革命軍第八路軍の略称。1937年から1947年まで存続)に捕らえられ、731部隊の悪行を告白して中国戦犯として撫順戦犯収容所に収容されてのちに帰国した元731部隊員だ。 ≪敗戦まであと2ヵ月という45年6月、私は、通化へ移動していた125部隊軍医部に帰隊するよう命じられました≫(篠塚良雄『日本にも戦争があった―731部隊元少年隊員の告白』、新日本出版社、2004年8月発行、105頁) 満蒙開拓団 ![]() 「元満州中川村開拓団 私の敗戦回顧録」 日本は、日中戦争で国際法に違反して、毒ガス戦、細菌戦、無差別爆撃を行った。日本政府は、この事実をきちんと認めていない!! ●『日本の中国侵略と毒ガス兵器』 歩平著(山邊悠喜子、宮崎教四郎訳)明石書店より 第2章 地図から消えた神秘の大久野島 当時徴用された学生たちは、現在もう60過ぎの老人になっている。彼らは当時のことをどの様に見ているのだろうか? 豊田郡瀬戸田町に住んでいる、松井忠子さんは『当時の私達小学生を鼓舞するためのスローガンは、『戦争のために!勝つために!お国のために!』。毎朝5時半には家を出て、帰宅の時にはすっかり暗くなっていた。冬は寒くて足が痛いほどだった。島では休む間もなく働いて、便所に行くにも午前と午後に一回ずつだけだった。まさに発育過程にある子どもたちにとってこれは何と残酷なことだったろう」と、話している。 日本鬼子のおきみやげ ●特集 軍拡に走る安倍政権と学術① 15年戦争中の「医学犯罪」に目を閉ざさず、繰り返さないために 1、戦争における医学者・医師たちの犯罪 西山勝夫さん(滋賀医科大学名誉教授)に聞く にしやま・かつお=滋賀医科大学名誉教授、 15年戦争と日本の医学医療研究会事務局長、「戦争と医の倫理」の検証を進める会代表世話人、軍学共同反対連絡会共同代表 2、戦争医学犯罪に医学界・大学医学部はどうかかわったのか 3、戦後、日本の戦争医学犯罪は裁かれなかったのか ■発足当時の学術会議における戦争医学犯罪の検証 ―世界でも類例のない公選制で選ばれた日本の科学者の議会ともいわれる日本学術会議は1949年の「日本学術会議の発足にあたって科学者としての決意表明(声明)」で「これまでのわが国の科学者がとりきたった態度について強く反省し、今後は、 科学が文化国家ないし平和国家の基礎であるという確信の下に、わが国の平和的復興と人類の福祉増進のために貢献せんことを誓う」と述べています。そこでは、戦争医学犯罪についてはどのような反省がなされたのでしょうか。 学術会議総会議事速記録を閲覧したところ、第1回総会で、国会議事録のような議事録を作成するという提案が否決され、以降の長きにわたって学術会議総会の公式の議事録が作成されていないこと、当初議事概要が作成されていたものの第8回以降途絶えたことが明らかになりました。 第1回総会の「日本学術会議の発足にあたって科学者としての決意表明(声明)」の審議経過では、731部隊関係の会員らが「これまでわが国の科学者がとりきたった態度について強く反省し」のくだりに「戦争中」あるいは「戦時中」を入れる提案に対し、「すでに国家が戦争になってしまったならば戦争に協力し、 科学者が国家のために尽くすということは、一面から言うと当然のことであります」「憲法によってすでに戦争を放棄し、将来戦争というものは、 われわれ国民にとっては全然問題外のことであって、将来戦争ということを考えてこういう声明をする必要はない」などと猛反対し、賛成少数で否決にいたっています。 ●『人間の価値』 ―1918年から1945年までのドイツ医学 Ch.ブロス/G.アリ編 林 功三訳 ■「疫病に対する戦い」 ヴィルヘルム・ハーゲン 1943年に彼は免職になった。ヒトラーに宛ててかれはこう書いた。「発疹チフスに関するある会議で、7万人の老人や子どもを、ユダヤ人と同じように扱えと要求されています。つまり、彼らを殺害せよというのです。」この要求にハーゲンは次のような理由から反対だというのであった。「外国人労働者の中では民族的にポーランド人がわたしたちに最も近い存在であると思われます。ポーランドの住民は、わたしたちが長い間にはわたしたち自身の力では抗しきれない南東ヨーロッパの民族に比べれば、はるかに危険の度合いが少ない人々です。」ハーゲンは、戦後、彼の保健政治的知識のための新しい活動領域を見つけた。 先ず彼は本省勤めの官僚になり、ついで1956年から1958年までは連邦保健局の局長を勤めた。 ![]() 知ってるつもり「731部隊と医学者たち」 ●イタイイタイ病を究明した男 萩野昇 ●驚愕!御用医学者をさかのぼると、すぐに731部隊に行き着く 水俣病問題 ●小島三郎国立予防衛生研究所所長の過去 ●小泉親彦と宮川米次の絆 ●ヒロシマからフクシマへ ●宮川正 ●「想定外」 と日本の統治—ヒロシマからフクシマへ— ●ビキニ「死の灰」世界各地へ ●自衛隊とサリン ●相模海軍工廠・寒川と平塚にあった秘密毒ガス工場 ●日本の国家機密 ●兒嶋俊郎さんを偲ぶ ●ニュース 政府、辺野古に土砂投入へ 民間桟橋を使ってでも年内に <徴用工問題>「日本相手には時効は存在しない」という判決が示すもの サウジ皇太子、記者殺害前後に側近と連絡か 米報道 「水俣病は終わらない」公式確認から60年―私たちに託されたメッセージ 松本元死刑囚らの死刑執行文書、ほぼ全て黒塗りで開示 “旧優生保護法”強制的な不妊手術 事業として推進(18/04/27) 真相を解明していないからこうなるのだろう!! オウム13人死刑で「上川陽子法相」一生SPつきの生活 ●昭和天皇の戦争責任を問う!!大嘗祭反対!! ●昭和天皇(ハーバード・ピックス著『昭和天皇』より) 第3部 陛下の戦争 1931(昭和6)年―1945 (昭和20)年 第7章 満州事変 翌19日、関東軍発表を伝える新聞報道により、宮中は満州の戦闘について知ることとなった。軍の声明によると責任は中国側にあった。奈良武次侍従武官長は、すみやかに天皇に報告し、「事件の余り拡張せざるべきを信ずる旨」を言上した。また奈良はそのとき、あるいは数時間後に、事態を収拾するため御前会議を召集するよう、天皇に提案したようである。それは、もし御前会議の決定が実行できないことが明らかになった場合、「陛下の徳」を「汚す」ことになりかねないとして、牧野や西園寺が言下に否定した考えだった。 ●小泉親彦と昭和天皇 ●近現代史を《憲法視点》から問う~「湘南社」の憲法論議~ ●近代天皇制の真髄は ●福沢諭吉 ●神武と戦争 ●日本国憲法第9条 1、日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。 2、前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。 憲法9条を生かそう!! |
●帝銀事件と登戸研究所
●第19回「衛生学校記事」情報公開裁判
●シンガポールで、731部隊は何をやっていたのか?
●peace8(八王子)「731部隊と100部隊の現在の課題」(アミダステーション)
●731部隊『留守名簿』(不二出版)2018年9月
●京大 軍医博士論文の検証
●731部隊『留守名簿』公開
●ある元自衛官の回想 「化学学校の黒い霧」
●第9回『化学学校記事』情報公開裁判 9月26日 16:00~東京地裁522号法廷
●第10回ビザ発給拒否・集会妨害国賠訴訟【9月21日(金)11:30~東京地裁415号室】
●731部隊と「要塞」遺跡を訪ねる
元731部隊軍医と強制不妊手術
「明治150年」史観批判ー近現代日本の戦争・植民地支配と国民統制ー山田朗、他
中国の侵略被害者の証言を聞く集い2018 11.30
●お知らせ
「731問題に取り組む中国の市民たち
―大連・衢州・義烏からの報告」
日時:12月2日(日曜)午後1時から5時まで
場所:「なかのZERO・ 西館学習室B」中野区中野2-9-7
交通:「JR中野駅」南口下車徒歩10分
参加費:資料代500円
発言者
① 孫波さん(遼寧省大連市)「大連衛生研究所と731部隊の関係」
② 韓強さん(浙江省衢州市)「衢州細菌戦被害の記念館の活動状況」
③ 王選さん(浙江省義烏市)「義烏市に開設される細菌戦罪証記念館」
主催: NPO法人731部隊・細菌戦資料センター
協賛:ABC企画委員会
連絡先:港区西新橋1-21-5 一瀬法律事務所
(担当・もとなが)
電話03-3501-5558
携帯080-5861-5509
又は080-5655-3354(ABC企画・和田)
◎会場は「731部隊展中野実行委員会」名表示
●「731部隊 人体実験はこうして拡大した/隊員たちの素顔」
●NHKスペシャル「731部隊の真実~エリート医学者と人体実験~」
京大の「731部隊」論文疑惑(上) 勝間田秀樹(京都支局)
731部隊将校の学位取り消しを 人体実験疑い論文で京大に
『731部隊の真実~エリート医学者と人体実験~』の起こし
『満洲天理村「生琉里(ふるさと)」の記憶
第5章 ソ連参戦と731部隊の撤退
≪2人の毒ガス部隊員は、最初の独房の前で立ち止まり、“のぞき窓”から独房内部をうかがった。狭い部屋に4人の男「丸太」が押し込められていた。夏場のことで上半身裸体に近い「丸太」もいた。彼らは独房床の上にすわり、密談を交わしている気配であった。2名の516部隊員は、開閉自由の“のぞき窓”からその様子を見て取るや、袋の中から青酸液化ガスの入った三角フラスコを手早く取り出し、独房の中へ投げ入れた。三角フラスコの割れる音と同時に「ガスだ!逃げろ」と叫ぶ「丸太」たちの大声で、独房内は騒然となった。516隊員たちは、長靴を鳴らしながら、独房から独房へ駆け巡り“のぞき窓”を開き、次々と三角フラスコを投げ入れた≫(森村『続』59頁)
囚われた人々は力尽き、次々に絶命していった。
満蒙開拓団
「元満州中川村開拓団 私の敗戦回顧録」
日本は、日中戦争で国際法に違反して、毒ガス戦、細菌戦、無差別爆撃を行った。日本政府は、この事実をきちんと認めていない!!
●『日本の中国侵略と毒ガス兵器』 歩平著(山邊悠喜子、宮崎教四郎訳)明石書店より
第2章 地図から消えた神秘の大久野島
風船の原料は和紙であり、工程はとても多い。第1段階は厚さ1㎜の紙を5層に貼り合わせる、第2段階は合わせた厚い紙を何回も検査し、補修し、空気が漏れないようにする。第3段階では、1枚1枚の厚紙をつなげて8mの長さにし、長い三角形に裁断する。第4段階はこの三角形の紙をつなげて球形に合わせる。第5段階では基本的な形の整った風船に空気を入れ、台に架けて満球テストを行う。風船は空気を入れると体積がとても大きくなるので、学生たちはまるで群がる蟻のように風船のまわりで働いた。1945年、日本が最後のあがきともいえる抵抗を試みていたとき、全国で製造した風船爆弾は9000個にもなるのだが、大久野島での生産は200個であった。
日本鬼子のおきみやげ
●特集 軍拡に走る安倍政権と学術①
15年戦争中の「医学犯罪」に目を閉ざさず、繰り返さないために
1、戦争における医学者・医師たちの犯罪
西山勝夫さん(滋賀医科大学名誉教授)に聞く
にしやま・かつお=滋賀医科大学名誉教授、 15年戦争と日本の医学医療研究会事務局長、「戦争と医の倫理」の検証を進める会代表世話人、軍学共同反対連絡会共同代表
2、戦争医学犯罪に医学界・大学医学部はどうかかわったのか
3、戦後、日本の戦争医学犯罪は裁かれなかったのか
■発足当時の学術会議における戦争医学犯罪の検証
―世界でも類例のない公選制で選ばれた日本の科学者の議会ともいわれる日本学術会議は1949年の「日本学術会議の発足にあたって科学者としての決意表明(声明)」で「これまでのわが国の科学者がとりきたった態度について強く反省し、今後は、 科学が文化国家ないし平和国家の基礎であるという確信の下に、わが国の平和的復興と人類の福祉増進のために貢献せんことを誓う」と述べています。そこでは、戦争医学犯罪についてはどのような反省がなされたのでしょうか。
日本学術会議は日本の科学者の内外に対する代表機関として、新たに7分野に分類された全国の科学者の分野ごとの無記名投票により選出される210 人の会員で構成されることなどが日本学術会議法(1949年7月10日制定)で規定されていました。
昨年着手した創立の頃の日本学術会議に関わる調査では、敗戦後の平和と民主主義を希求する情勢のなかで、日本学術会議でも学術体制の平和的・民主的改革を求める努力がなされたのですが、それに対して731部隊関係者らが異議を強硬に主張していたことが見えてきました。
●『人間の価値』
―1918年から1945年までのドイツ医学
Ch.ブロス/G.アリ編
林 功三訳
■「疫病に対する戦い」
ヴィルヘルム・ハーゲン
99.占領地総督府で開かれた医師会議に社会衛生学者のヴィルヘルム・ハーゲン(1893-1982)の参加した。彼は1933年に「政治的に信頼がおけない」としてフランクフルトの公的な衛生業務から排除されたが、その後アウクスブルグで開業医として働き、1941年にワルシャワ市の医師に招聘された。衛生問題に関する限り、彼はワルシャワ・ゲットーの医学的治療を無視したことに責任があった。この問題について、ワルシャワユダヤ人会議の議長であったアダム・チェルニアコワはこう記している。「アーリア人の側にチフスが蔓延した。ハーゲンらは、チフスはゲットーから伝染していると主張し、ゲットーの住民に風呂に入れと要求している。しかしわたしの考えでは、チフスは貧窮と栄養失調から蔓延しているのだ。」ハーゲンはこの論拠を重要視したが、同時に、ユダヤ人が発疹チフスの主たる媒介者であるという考えを捨てなかった。これは「医学統計の問題であり、政治とは関係ない」と彼は1973年になっても書いている。
知ってるつもり「731部隊と医学者たち」
●イタイイタイ病を究明した男 萩野昇
●驚愕!御用医学者をさかのぼると、すぐに731部隊に行き着く
水俣病問題
●小島三郎国立予防衛生研究所所長の過去
●小泉親彦と宮川米次の絆
●ヒロシマからフクシマへ
●宮川正
●「想定外」 と日本の統治—ヒロシマからフクシマへ—
●ビキニ「死の灰」世界各地へ
●自衛隊とサリン
●相模海軍工廠・寒川と平塚にあった秘密毒ガス工場
●日本の国家機密
●兒嶋俊郎さんを偲ぶ
●ニュース
トランプ氏、首相に「感謝」…F35購入方針で
韓国の元駐日大使が説く「3者基金案」 元徴用工問題
「水俣病は終わらない」公式確認から60年―私たちに託されたメッセージ
松本元死刑囚らの死刑執行文書、ほぼ全て黒塗りで開示
“旧優生保護法”強制的な不妊手術 事業として推進(18/04/27)
真相を解明していないからこうなるのだろう!!
オウム13人死刑で「上川陽子法相」一生SPつきの生活
●昭和天皇の戦争責任を問う!!大嘗祭反対!!
●昭和天皇(ハーバード・ピックス著『昭和天皇』より)
第3部 陛下の戦争
1931(昭和6)年―1945 (昭和20)年
第7章 満州事変
1931年9月18日夜、関東軍将校は、柳条湖付近(藩陽北部)にある南満州鉄道の線路を爆破し、これを張学良の兵士と武装した「匪賊」の暴挙であるとした。線路に損害はなかったが自作自演のこの事件を口実に、関東軍参謀板垣征四郎大佐は独立守備隊と歩兵第29連隊に、奉天〔現、藩陽〕城内に駐留する東北辺防軍の兵舎への攻撃を命じた。虚を衝かれた中国兵は逃亡し、あるいは降伏した。一時間後、旅順に駐在していた板垣の共謀者、石原莞爾中佐は本庄繁関東軍司令官に事件が中国軍の仕業であるとの虚偽の報告をした。本庄は直ちに攻撃命令を出したが、それはかなり以前から石原が周到に用意しておいたものだった。関東軍は24時間以内に租借地を越えて進駐し、満鉄沿いにある戦略拠点の支配権を掌握すると、南満州主要部への進駐に備えた。
●小泉親彦と昭和天皇
●近現代史を《憲法視点》から問う~「湘南社」の憲法論議~
●近代天皇制の真髄は
●福沢諭吉
●神武と戦争
●日本国憲法第9条
1、日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
2、前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。
憲法9条を生かそう!!