細菌戦の系譜!!

2022-01-30 10:51:14 | Weblog
 

 
パネル展「731部隊 戦前・戦後の医学」
      医学と人権を考える―
「原爆マグロ」は京都市の中央市場にも入荷しました。
   京都市の衛生研究所の技師がガイガーカウンターを当てて測定する。ガガガァーッと鳴って、野次馬のように見てた全員が跳んで逃げた。
水爆実験は五月まで続いたからね。五月になると、海の魚どころやない、雨が降ると日本の各地で放射能雨が測定されるようになった。「雨にあたると放射能で髪が抜ける」とか「雨にあたるとアタマがはげる」なんていわれていたのを覚えてる世代は、まだまだ多いと思うよ。(池本周三『魚仲卸を天職にした男』2017年、ふたば書房)
 
 
『民医連医療』誌 2019年3月号に、元民医連の診療所事務長の岡村啓佐さん(太平洋核被災支援センター副代表)が寄稿された「《ビキニ事件》は、終わっていない!!」を読んで、驚くこと・知らなかったことがたくさんありました。いくつか挙げておきますので、ぜひこの記事を読んでください。
・1954年3月1日に始まったビキニ環礁での実験は5月まで続けられたこと
・ビキニ事件が報道されるや、政府は「原爆症調査研究協議会」にアメリカとの協議に当たらせたが、日本側の担当者は「731部隊」関係者ばかりで、アメリカの保護・管理の下で戦犯免責された人物たちばかりであったこと。(小林六造、小島三郎、宮川正ら)
・小林六造は原爆傷害調査委員会(ABCC)の意向に沿って原爆被爆者の解剖や調査に協力した日本側の責任者であった
・「アメリカとの接触は小林六造(原爆症調査研究協議会委員長)を通じて行うものとし、個々の接触は避ける」としたこと

 
 
 

隠された毒ガス兵器

 
小津安二郎も毒ガス部隊だった
 

『従軍日記』 小津安二郎

森友・加計問題などで公文書改ざん、事実の隠蔽などが問題になっているが、敗戦時の証拠隠滅、文書焼却、事実の隠蔽は、その比ではない!今も
続く歴史改ざん!! 
    

※30年経過したら、すべての情報を公開せよ!!

 

「公文書管理を考える」(4) 磯田道史・国際日本文化研究センター准教授

 

  新宿・謎の人骨100体・731部隊【歴史解説】

1989年7月22日、新宿で謎の人骨が大量に発見された

歴史改ざん(「風を読む」)

 

     

 

 

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細菌戦の系譜!!

2022-01-30 10:50:22 | Weblog

 

●今の日本人は、まさかと思うかもしれない。


日本政府は、真摯に過去に向き合い、生物兵器を作ったことを謝罪し、今のこの難局に、立ち向かうべきだ!!

 

 

東大医学部を卒業、将来を期待される医学者でありながら、731部隊の恐ろしい体験から、そしてその731部隊に参加したという罪の意識から、戦後医学者の道を捨ててしまった男、秋元寿恵夫

元731部隊員(第十課 血清班班長)秋元寿恵夫の言葉

「もしもバイオテクノロジーが軍事研究の魔の手に捕らえられた時の行き先がどうなるのかの危険性は、「ひょっとしたら人間の知能などを変える」どころか、さらには人類にとって取り返しのつかない害悪をもたらす生物兵器の出現につながっていくかもしれないのである。」


1939年 731部隊 ノモンハン戦争にて細菌戦(チフス菌、コレラ菌、赤痢菌)を行う
*1940年は皇紀2600年(神武が即位して2600年??)東京オリンピックや万博が開催される予定であったが、戦争の為中止!!
1940年 6月4日  731部隊、農安大賚・農安で細菌戦(ペスト菌)を行う
10月 4日   731部隊、衢州で細菌戦(ペスト菌)を行う
10月27日  731部隊、寧波で細菌戦(ペスト菌)を行う
1941年11月4日  731部隊、湖南省常徳で細菌戦(ペスト菌)を行
1942年17月 100部隊は、ハイラルの北約120キロのソ連国境で行なった「三河演習」で鼻疽菌の生存期間を測定、炭疽菌の土壌への浸透力の調査した 
8月  731部隊、湖南省江山、常山、衢県、麗水、江西省広信、広豊、玉山で細菌戦(ペスト、コレラ、チフス)を行う
1943年12月  100部隊第2部に細菌戦準備の第6科を設置
 

 

 

 

 

 

 

 

 
 

黒い太陽731(1)

 

 

 
 

 

 

 

1929年11月7日昭和天皇陸軍軍医学校視察

 

 

731部隊は、石井四郎が、細菌戦の司令塔ではなかった。誰が裏で司令塔になっていたのだろうか?小泉親彦陸軍軍医総監、宮川米次第5代東大伝研所長、大元帥昭和天皇等がバックにいた。

 

 

NHKスペシャル 「731部隊の真実~エリート医学者と人体実験~」 2017年8月13日

 

 

●日本政府は、新宿戸山の軍医学校跡地(現国立感染症センター)から見つかった人骨の身元調査を早急にして、遺族に返還し、きちんと謝罪すべきだ!!

 

731部隊被害者遺族の訴え!!        

 

 

東大伝研とは戦前、どんなことをやっていた機関なのか?

1934年6月、宮川米次と阿部俊男は何をしに満洲国へ行ったのか?

満洲衛生技術廠とは、一体何をやっていたところなのか??

東大伝研は731部隊と連携を図っていなかったのか??

伝研で毒ガスの講演?毒ガスへの対処法も考えることになるのか??

 

実験医学雑誌第18巻雑報

 

18巻12号(1934年)

昭和9年11月中職員異動調

昭和9年11月4日 伝染病研究所

発令月日    異動事項            官職   氏名

11.1  記念室兼勤を命ず                     嘱託  淺田順一

〃  記念室物品取扱主任を命ず               同   淺田順一

〃  昭和9年7月27日付願研究生入学の件許可す    三田村鋭志郎

11.2 静岡県下へ出張を命ず                 教授   宮川米次

〃  台湾へ出張を命ず                   助教授  矢追秀武

11.5 青森、岩手の2県下へ出張を命ず          嘱託     中村二三郎

〃  石川県下へ出張を命ず                同   島崎正雄

11.8 埼玉県下へ出張を命ず                技手  山岸精實

〃  同                         同   宮本正治

〃  第5細菌血清学部勤務を免し

   第6細菌血清学部勤務を命ず              嘱託  江藤眞平

 

 

 

 
 
 
 

 

 

  伝染病研究所の写真は、『傳染病研究所』小高健著より 

 

   

この新型コロナウィルスがどこで作られたかは分からないが、細菌戦の系譜をたどると、日本は、戦時中、1925年のジュネーブ議定書を無視して、中国で細菌を製造し、細菌戦を行なった。戦後、731部隊での研究データをアメリカに渡し、731部隊員は全員戦犯免責され、アメリカは生物戦の研究を本格的に始めた。
日本政府は、中国で行った細菌戦や生体実験の事実を、(日本の裁判所は事実認定をしている)未だに隠し続け、その事実を認めていない。勿論謝罪もしない。日本軍が中国に遺棄してきた生物兵器は戦後、どのようになったのだろうか?
この新型コロナウィルスに影響しているのだろうか?
今、日本人は過去に犯した戦争犯罪を直視し、きちんと歴史事実に向き合う時ではないのか?

 

 

●細菌戦裁判資料集シリーズ・第8集(2002年10月31日)

「731細菌戦裁判・第1審判決特集号」の発行にあたって 

本書第8集は、細菌戦裁判の第1審判決(東京地方裁判所民事第18部)の後、開催された判決報告集会、記者会見、意見交換会等での発言を編集したものです。

 

 

第6部

資料・731部隊細菌戦裁判

第1審判決全文

原告らの主張 (別紙3)

第1部 日本軍による中国への細菌戦の実行(事実論)

第1 本件細菌戦被害の発生

2  各地における細菌戦被害の発生

(4)   崇山村(上記1⑦)

 浙江省義烏市崇山村の細菌戦被害の死亡者は、1942年10月から12月までの間に少なくとも396名に上るが、そのうち、原告(又は傍線を付した原告の被相続人)の3親等内の親族である死亡者は、別紙「原告及び死亡親族一覧表」の原告番号61~90までの70名である。更に、村の約半数の家屋は日本軍によって焼燬され、患者の一部は日本軍細菌戦部隊の人体実験の犠牲者となるなどの被害を被った。

 
 
731部隊員が多く入った国立予防衛生研究所(現・国立感染症研究所)や自衛隊などでの生物兵器の開発・研究も行われているのではないか?

     731部隊の行なった細菌戦


 

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細菌戦の系譜!!

2022-01-30 10:49:24 | Weblog

●日本政府は、731部隊の罪業を、公開せず、秘匿し、戦後全く無反省である!!最高責任者の昭和天皇も戦犯免責された!!

安倍晋三は何でこんな行動がとれるのだ??無反省のまま、ずっと生き延びられるのか??
安倍首相の731戦闘機試乗 「止まらない挑発」の非難

 

           

2013年5月12日、安倍晋三は宮城県東松島市の航空自衛隊基地を訪問して、機体番号が‘731’であるアクロバット飛行団訓練機の操縦席に座りサムズアップして写真に収まった。

           

731部隊全景(中国に於いて人体実験を繰り返し、細菌兵器を開発し、中国各地で細菌戦を行なった。)
旧満洲第731部隊軍医将校の学位授与の検証を求めます!

731部隊新発見公文書の中身とは 細菌研究を明記

 

 

 

 

 日本の中国東北侵略から90年

●『1931 満州鞍山守備兵 斉藤準太郎の日記』

 

 

「1931」斉藤準太郎の日記

五月一日

 

午前六時起床晴 風少し 巡察あり 張台子遼陽十五列車にて 明日は又炭坑第三集目也。

今度の分遣では本当にこりごりした。何分司令が初めてなんで、 規定式だからやりきれない。毎日必ず体操がある 各個教練がある 内務はうるさいうるさい 矢張り分権の味を知らないものは困ったものだ。今日午後十一時巡察から帰って来た所 救われたような又やりきれないような風に感じた。何分清原軍曹のもとを離れるのはいいが、三週間も続けての勤務では本当にやりきれない。一回の衛兵と二回の巡察と一回の構内巡察で五日の分遣は終ったものの、中々楽ではなかった 何分あの通り何だからね。

 

 

 

 

 

「ずっと父が嫌いだった」

 

 
 
 
軍都広島での物語

知られていない 8月5日までの 広島 バージョン2

原爆詩集
峠三吉
・・・一九四五年八月六日、広島に、九日、長崎に投下された原子爆弾によって命を奪われた人、また現在にいたるまで死の恐怖と苦痛にさいなまれつつある人、そして生きている限り憂悶と悲しみを消すよしもない人、さらに全世界の原子爆弾を憎悪する人々に捧ぐ。
墓標
 
積み捨てられた瓦とセメント屑
学校の倒れた門柱が半ばうずもれ
雨が降れば泥沼となるそのあたり
もう使えそうもない市営バラック住宅から
赤ン坊のなきごえが絶えぬその角に
 
 
" target="_blank">原爆投下
 
" target="_blank">原子爆弾投下後の広島市内(1946年3月21日撮影)
 
" target="_blank">封印された原爆報告書
 
" target="_blank">原爆初動調査1
 
" target="_blank">原爆初動調査ー隠された真実2
 
原爆初動調査ー隠された真実3" target="_blank">原爆初動調査ー隠された真実3
 
 
" target="_blank">広島スピーチ
 
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細菌戦の系譜!!

2022-01-30 10:47:52 | Weblog

日本は、日中戦争で国際法に違反して、細菌戦、毒ガス戦、無差別爆撃を行った。日本政府は、この事実をきちんと認めていない!!

 ●『細菌戦部隊』

731研究会編   1996年9月(核時代51年)初版発行

Ⅱ 関連部隊・支部

香港難民の大量虐殺

ゲルトネル菌を飲用湯に投入して・・・・

 

丸山茂

8604部隊

 

(経歴)

1917年生まれ

1938年 朝鮮・龍山の歩兵79連隊に教育召集

1939年 南支那派遣軍防疫給水部(波第8604部隊)に転属。細菌検索班に所属

1943年3月 除隊。帰国

1945年 再召集

1945年8月 朝鮮で除隊

1945年10月 帰国

■この証言は731研究会の学習会での発言(1993年11月)、『短歌草原』(1992年8・9・10月号)所収「いかなる美名でも戦争への道は悪だ」よりまとめられたもの。

 

解説ー波8604部隊について  越田稜
 沙東迅氏が記した『日本軍の広東に於ける細菌戦調査報告』(1994年10月第2稿)の「3、広東侵略日本軍細菌戦部隊の広州難民収容所における香港・広東難民の大領殺害」は、当時(42年)難民収容所にいた数名の人々からの貴重な証言を載せている。その一部を紹介しておこう(難民収容所で数年間過ごした馮慶章<当時は馮奇といった>の“証言”)。
 
1942年の春と夏は、香港が陥落した後、香港の難民が大勢、船で次々と収容所に運ばれてきました。3000人から4000人ぐらいいました。・・・・・地元の難民とは別々にされました。・・・・日本人は難民に強制的に予防注射を打ちましたが、打たれた後、高い熱を出し、痙攣をおこし、・・・・何日も起きられませんでした。この時はもう、死体を溶かす池が2つできていて、死んだ人やもうすぐ死にそうな人はみんなこの池に放り込まれました。池は深さ4mぐらいで、正方形でした。・・・(略)(馮慶章の第1信より)
 

●証言

生体解剖(旧日本軍の戦争犯罪)

中央档案館

中国第2歴史档案館

吉林省社会科学院編

 

江田憲司

兒島俊郎

古川万太郎編訳

 

 

 

 

 

Ⅰ東北

 

2 華北

5  内蒙古

安達千代吉自筆供述書(1955年)

 血生臭く、恐ろしい雰囲気があたりに漂った・・・・。また2人目を穴の前へ座らせた。私は大隊長の失敗を眼のあたりにした後だったので、いささかためらいがあった。しかし思った。「以前、人を斬るにも体面を保て、といったことがある。それに成功すれば、隊長の自分を見る眼も変わるに違いない。兵士は勿論将校の前でも鼻が高いだろう」。私はすぐさま刀を抜き、姿勢を定め精神を集中すると、「えい」の一声と共に刀を振り下ろした。「ガチャ」という恐ろしい音と共に首が3分の2切れて、頭が胸の前にがっくりと垂れた。あっという間に鮮血が1尺の高さに噴き出し、熱い血の臭いが鼻を突き、男は「バタン」と穴の中に落ちた。瞬く間に、穴の中は鮮血で赤く染まっていった。こうした情況を見て私は「何はともあれ准尉の面子は保てたようだ」とほっとしたのだった。こうして残りの3人も、将校と下士官に殺された。

 

●毒ガス戦

・『日本軍の毒ガス兵器』  松野誠也著

第7章なぜ日本軍は毒ガス兵器に依存して戦いを行ったのか

4 日中戦争をめぐる陸軍中央の動向と毒ガス戦

日中戦争の戦略的持久戦から「好機南進」へ傾く中での毒ガス戦

 

 
 この頃ヨーロッパ情勢は急変し、ドイツ軍は40年4月北欧へ侵攻、5月には西方攻撃を開始してベルギー・オランダ・ルクセンブルグ・フランスに侵攻した。陸軍中央は、泥沼化した日中戦争を早く解決して国力を回復し、世界情勢の変化に対応できる態勢を整える必要があると判断し、5月18日に参謀本部と陸軍省は、40年末に至っても中国国民政府が屈服しない場合は、軍は自主的に戦線の縮小を決意し、41年秋までにはこの態勢を概成するが、この場合でも、治安地域の他に漢口、広東地区は保持すると決定した(陸軍省・参謀本部「昭和15、6年を目標とする対支処理方策」前掲『現代史資料』第9巻<日中戦争2>)。ようやく中国戦線からの戦線縮小・部分的自主撤退案が採用されるに至ったのである。
 

 

第1次世界大戦では、毒ガスが大量に使われた。

百年の悲劇は、ここから始まった1

 
 

 
 

・『日本の中国侵略と毒ガス兵器』 歩平著(山邊悠喜子、宮崎教四郎訳)明石書店 1995年発行)

 

第9章 戦犯の証言

 

「中国帰還者連絡会」

 

 

私たちは多くの事実から、日本侵略者が中国の戦地で、また一般民衆に対して化学兵器を使い、毒ガスによってほしいままに殺戮を行ってきた事例を挙げたが、ここで、より直接的により有力な証拠となるものを展示したい。それは当時、日本軍の一員として自ら毒ガスを扱い、中国人を手にかけた戦犯の証言である。

 

SNSで人気「ウサギの島」が背負った〝毒ガスの歴史〟大久野島を歩く

 

加害の歴史」北九州市の毒ガス工場 第二次世界大戦で旧陸軍が使用



 



 
 
 

 

 

 

日本軍の毒ガス戦と遺棄毒ガス問題


 

 

 

 

 

 

 

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細菌戦の系譜!!

2022-01-30 10:46:58 | Weblog

●『三光』     中国帰還者連絡会編
日本鬼子(リーベンクイズ)

核時代39年(1984年)5月初版発行

 

善良な僧侶を警察の特務に
 
岡田袈裟二
吉林市警察庁保安科科員警尉補
 
<略歴>
本籍地 長野県小県郡
出身階級 富農
学歴 尋常高等小学校卒業
職業  小商人
所属部隊名
 旧新京2600部隊輜重37330部隊第1中隊第1小隊
被捕年月日場所
1945年9月12日 旧新京2600部隊(南領旧日本軍通信隊舎)
年齢 40歳
 
 そこで私は隊員に命じて、出所を内偵させました。そこで意外なことに、この村の僧侶が占いをしたのだということが分かりました。ところが、別の隊員の1人が、「隊長(私に)、あれはこの村の村長で大地主の奴が、抗日軍が入ってくるとひどい目に合うので。だから奴は僧侶に占いをさせて襲撃があると宣伝するのですよ」と報告してきました。
 私はこのことを思い出したのです。私はそれまで≪どうでもいいさ、情報さえ早い所手に入れれば、なんでもかまいやしない≫という考えでした。この頃の私は警察経験も浅く、それ以上利用することなどは考えも及ばなかったのですが、こう毎日やられだすと気が気でなくなりました。
そこで私は、この村にも村人の信望の熱い1人の僧侶がおり、この人が易も立てるし、おとなしい人だということを知ったので、1案を企んだわけです。私はこの計画には相当うぬぼれた自信を持っていたのです。
 
 
 
 

2018年12月に、『留守名簿 関東軍防疫給水部 満州第659部隊』2冊が発売されました!!(不二出版)

 

 

 

    

 

 

    

●日米安保条約・自衛隊を問う!!
自衛隊は、防護のためと言って、旧日本軍の細菌兵器・毒ガス兵器使用の反省・謝罪もないまま新たな生物兵器・化学兵器を作っているのだろうか??憲法9条を持ち、生物兵器・化学兵器禁止条約を批准しているにも関わらず!!


日本の毒ガス


 

 

 

在日米海軍厚木基地(大和、綾瀬市)で米陸軍が化学、生物、放射線、核(CBRN)の対応訓練を予定していることに対し、厚木基地爆音防止期成同盟(爆同)など関連4団体が4日、同基地正門前で抗議集会を開き、訓練の中止を訴えた。

 訓練実施は1月28日に、日米合同委員会で合意。防衛省南関東防衛局が大和、綾瀬市に連絡した内容によると、訓練場所は、同基地を共同使用する海上自衛隊が管理する区域内にある滑走路南端の約2万平方メートル。今月5日から9月30日まで使用することで合意した。

 米側は訓練への参加部隊に関し米本土所属と説明しているが、参加人員や日程については知らせていない。危険物の持ち込みや騒音の発生はないなどの情報提供にとどまっている。

 CBRNへの対応訓練は同基地で過去に例がなく、周辺住民に不安が広がっている。

 今月4日には同基地正門前に爆同など住民団体から約60人が集まり「危険な訓練をやめろ」などと声を上げた。爆同の石郷岡忠男委員長は「昨秋には迎撃ミサイル訓練があった。米空母艦載機部隊の移駐後に空いた施設を使った新たな訓練場になることを危惧している」と強調。基地司令官宛てに、基地の機能強化につながる運用などに抗議する要請書を提出した。

 
*CBRNとはchemical weapon:化学兵器、biological weapon:生物兵器、radiation:放射能物質、nuclear weapon:核兵器を意味する。従来はCBRだけで用いられることが多かったが、近年は核兵器Nを加えてCBRN(日本語ではシーバーンと発音する)として用いることが多くなっている。
 

●情報公開裁判
なぜここまでして、国は衛生学校や化学学校で作っていた機関誌を公開しないのだろうか?

- 731 部隊関連資料の情報公開裁判の傍聴支援をお願いします ー 
 
 
 
 
(来年1月も証人調べが続きます)   
 
第33回:2022年1月14日(金)13時30分~  103号法廷 衛生学校図書室図書係2人の証人尋問予定
 
第34回:2022年1月24日(月)13時30分~    103号法廷 衛生学校彰古館担当者2人の証人尋問予定
 
 
 
日本の国家機密』(現代評論社刊 1972年初版発行)

            藤井治夫著

第2篇  自衛隊の機密

第1章 作戦用兵

2  統合戦略見積

統合長期戦略見積

 戦略見積の構成について69年6月24日、宍戸防衛局長は、
①内外の脅威の客観的見積、
②わが能力の見積、
③安保条約にもとづく米軍の能力、対日支援の期待度の見積
からなると答弁している(衆院内閣委員会)。年度戦略見積については57年3月25日の衆院内閣委員会で、飛鳥田一雄議員(社会党) が次のように政府を追及したことがある。当時は戦略見積を情勢見積と言っていた。戦車が特車と呼ばれていた時期である。

1957(昭和32)年7月『衛生学校第1号』発刊

 

 

 

 


●『BC兵器』久保綾三著(1969年)

Ⅱ 自衛隊と生物・化学兵器―その思想と作戦

1、自衛隊の装備・訓練を探る

国会におけるBC兵器論争

 

〇増田国務大臣 お答え申し上げます。

クロルアセトフェノンは、日本の法律の毒劇物取締法には入っておりません。したがって毒ガスではないし、催涙ガスである、こう考えております。

〇楢崎委員 それじゃ外務大臣にお尋ねします。国際法との関係についてちょっとお伺いしておきます。非常にこれは重大です。このCNをベトナムでアメリカが使っただけで、全世界の反響を、起こしたのですよ。それを日本の自衛隊なり、警察が持っておるし、警察は既に使っておるんですよ。戦争で人殺しに使っておるやつを、警察はデモに使っておるんですよ。だから、私はこれは重大だから、今問題にしておるのです。外務大臣、この毒ガス類に関する国際法は幾つありますか。

 
 
 
 
 
 

 

 

 
 

 

 

 

 

 

 

 

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細菌戦の系譜!!

2022-01-30 10:45:11 | Weblog

●昭和天皇の戦争責任を問う!!


天皇万歳に浮かれる無責任国家  田中利幸より

重要なことは、アメリカが、日本占領支配のために、裕仁の戦争責任を隠蔽してまでも、彼の天皇としての「権威」を政治的に利用したことである。つまり、私たちが本当に問わなければならないのは、「絶対的権力を保持していた国家元首の戦争犯罪・責任の免罪・免罪の上に制定された民主憲法が、果たしてどこまで真に民主主義的であるのか?」ということである。

 



●昭和天皇(ハーバード・ピックス著『昭和天皇』より)

吉田裕監修 

 

2001年ピュリッツァー賞受賞

 

 

※昭和天皇は、平和主義者でもなんでもなかった。好戦的であり、常に軍部に色々と指示を出していた!!


戦後補償問題に国家無答責という天皇主権の明治憲法下の原則を適用するな!!
  

     



監修者あとがき    2002年10月  吉田裕

日本は、戦争の放棄を規定したパリ不戦条約や中国の主権の尊重を規定した9か国条約の締結国である。その国の元首が、ビックスが強調しているように、これ等の条約を「行為基準」としていないのは、確かに大きな問題である。しかし、升味の問題提起を積極的に受け止めるならば、昭和天皇のこうした思想様式が、当時の「帝国主義指導者」の中でどこまで普遍的なものであったのか、あるいは、どこまでが昭和天皇に固有のものであったのか、という問題が検討されなければならないだろう。いわば、「帝国主義指導者」の国際比較ということになるが、この点の解明も今後の大きな課題として残されている事を指摘しておきたい。

日本国憲法9条

第9条【戦争の放棄、戦力及び交戦権の否認】

①、日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、
国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、
国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。

②.前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、
これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。

 

RENUNCIATION OF WAR Article 9.

Aspiring sincerely to an international peace based on justice and order, the Japanese people forever renounce war as a sovereign right of the nation
and the threat or use of force as means of settling international disputes.

In order to accomplish the aim of 
the preceding paragraph, land, sea, and air forces, as well as other war potential, will never be maintained.
The right of belligerency of the state will not be recognized.

 

 

 

 

 

 

 



731部隊員が戦犯免責され、ABCC(原爆傷害調査委員会)に協力した。その結果、アメリカの原爆投下を日本政府は問うことは無く、また被爆者は、ABCCに治療されることもなかった。そして日米安保条約の下、核兵器の廃絶に日本政府は後ろ向きである!

 

日本には多くの被爆者がいるのに、日本政府はなぜ核兵器禁止条約に署名しない?

●地球の異常気象の最大の原因は、今までの2000回以上の核実験や原発事故などの放射能汚染で地球が壊れてきているからではないのか??米の原爆投下責任と核実験をしてきた国の責任を問う!!


※私が考える、今の異常気象の要因は

1、1940年代から60年代にかけて大規模に行われた、核実験による環境破壊の影響

2、都市化したコンクリート(アスファルト)ジャングルによるヒート・アイランド現象

3、その結果による、交通機関(電車・バス・乗用車・航空機・船舶)やオフィス・住居などの冷暖房による排熱

4、自動車社会の排ガス

5、原子力発電による温排水の排出・・などに拠っているのではないか?

 

 

「日本が動かなければ」 核兵器禁止条約発効1年、各地で訴え

核実験

 

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

核兵器禁止条約

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核兵器禁止条約(かくへいききんしじょうやく、英語: Treaty on the Prohibition of Nuclear Weapons、TPNW)は核兵器を禁止する国際条約である。略称・通称は核禁止条約、核禁条約、核廃絶条約(英語: Nuclear Weapons Ban Treaty、Nuclear Ban Treaty)など。

2017年7月7日に国際連合総会で採択され、2021年1月22日に発効。

歴史

MNNA諸国の多く、東南アジア諸国連合(棄権のシンガポール以外)、ヨーロッパではNATO非加盟のスウェーデン・スイス・オーストリア・アイルランドなどは賛成した

2017年09月20日より各国で批准が行われ、2020年10月24日に発効に必要な50か国に達した。

2017年9月20日にガイアナ、タイ王国、バチカン市国が批准。

2018年1月16日にはメキシコが、2018年9月28日までにキューバ、パレスチナ国、ベネズエラ、パラオ、オーストリア、ベトナム、コスタリカ、ニカラグア、ウルグアイ、ニュージーランド、クック諸島、ガンビア、サモア、サンマリノ、バヌアツを含む合計19か国が、この条約に批准した。

2020年6月、レソトが38か国目の批准国になった。



 

 
 

 「北朝鮮の核実験の威力」と「史上最強の核兵器"ツァーリ・ボンバ"の破壊力」【核兵器】




●核なき世界へ!!Toward a Nuclear-Free Future




●核融合もすべきではない!!

核開発に反対する物理研究者の会通信
20170303 小出裕章先生にきいてみた!!〜土岐市核融合科学研究所 重水素実験について


なぜ、日本は広島・長崎・ビキニ・JCO臨界事故・福島と5度も被爆しているにに、日本医学界は「脱原発!!」と叫ばない!!

       

      

 

原爆投下された直後、日本は自らが原爆調査をして、731部隊(人体実験や細菌戦)の事もあるので、アメリカの心証を良くしようと考えた。そして科学者を総動員して原爆調査(被爆者を救済するための調査ではなく、原爆の威力調査)を181冊の調査書にまとめて、英訳し、アメリカに渡した。その後、731部隊員は、731で研究したデータを渡し、戦犯免責を受けた。原爆調査書は被爆者の治療には全く生かされず、日本の医学界は、原爆の放射能被害については、何も言及しなかった。そればかりか、その後のアメリカの原爆・水爆実験も批判せず、その被害を過小評価した。そして日本政府が、原子力の平和利用として原発を推進する政策にも、大きく加担している。

XII) 731部隊、広島長崎、チェルノブイリ、福島より

・・・第二次世界大戦中、日本軍は3000人もの医師たちが関わったとされる731部隊により、妊婦や子供まで含めた人体実験が行いました。極東裁判では捕虜虐待死の容疑で死刑に処された軍医幹部もいる中、731部隊関連者は訴追されませんでした。戦後、「研究データを米軍に提供すること」、さらにはなんと、「広島・長崎の研究に協力すること」を引き換えに免責されたのでした。

2010年のNHKの番組で、「(米国への研究データの提供のほかに)原爆調査への協力を731部隊の免責のカードとして使った」という元陸軍軍医の証言がありました。

封印された原爆報告書




水爆実験
水爆実験ブラボーで被爆したのは第5福竜丸1隻ではなく、延べ1000隻近くの漁船が被爆した。

 

 

 
 
 
 

           

JCOの臨界事故


福島第1原発事故

核兵器廃絶
徳仁・日本政府・日本医学界は、731部隊のことを謝罪し、戦争被害者の救済、戦争をしない政策にお金をかけるべきだ!

日本はなぜ戦争責任問題を解決できないのか
水俣病


731部隊(unit731)
昭和天皇の戦争責任を問う!!天皇制反対!

 
 

 

 
 
 

 

 
 
 
 

 

 

 

 
 
 

 

 
 
 

 

 

 

 
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細菌戦の系譜!!

2022-01-29 09:40:57 | Weblog

                 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

反原発!!

 

 

佐渡鉱山と朝鮮人労働者(1939~1945) 

 
大元帥・現人神・昭和天皇と皇族の戦争責任を問う。
日本は戦争を起こしたことを全く謝罪しなくていいのだろか??
 
12月17日は、南京入城式典が行われた。
虐殺は、その前後で行われた!!

 

川崎の徴用工 故・金景錫の闘い お話:梓澤和幸弁護士

映画「スパイの妻」と731部隊(2021 10 16加藤講演第2回)
絶望的な核開発!!
トラウマ
●毒ガスの歴史(フリッツ・ハーバー)

●2021 9 17 浅井基文講演
細菌(生物)戦争

731部隊 ペスト研究、攻撃用か(1988年朝日新聞)

防疫研究室と昭和天皇の関係
1940年と2020年の東京オリンピック
731部隊と国立感染症研究所の問題
ABC企画委員会
731部隊・100部隊展
記憶の継承を進める神奈川の会

20201107 UPLAN 西里扶甬子「生物戦部隊731研究の現在地~今を生きる日本人が知るべきこと」

 
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細菌戦の系譜!!

2022-01-29 09:39:57 | Weblog

 

 

2021年 パネル展「731部隊 戦前・戦後の医学」アンケート

11月16日(火)

加藤哲郎講演の感想

・ワクチン村、アベノマスクとの関わり、永寿総合、731部隊脱出の3ルート、獣医の関わりなど、特に興味深く思いました。ありがとうございます。
(50代、市内)

 
 


 
 
 

 

 

 





 



原告たちのあまりに理不尽な被害

『JUSTICE 中国人戦後補償裁判の記録』(中国人戦争被害賠償請求事件弁護団 編著、高文研)評者:根岸恵子

 

 

         昭和への挽歌   野崎忠郎
 

                



 
 

 

 

 

自衛隊における731部隊の記述

「部外秘 参考資料 CBR講習資料」11頁 作成日時不詳 陸上幕僚監部化学科より

d旧日本軍の細菌戦活動

旧日本軍の石井部隊は又の名を関東軍防疫、給水、731部隊、加茂部隊、特25204部隊と呼ばれた。細菌戦闘専門の特殊部隊であった。隊の設立は昭和6(1931)年で満州の研究所完成は昭和10(1935)年である。日本軍細菌戦部隊の本拠は満州ハルビン郊外濱江省(ひんこうしょう)双城県平房の4階建近代建築でその中で遮断隔離の生活をしていた。設備は爆撃機(細菌撒布用)10機、1000kwタービン発電機2台である。この本部の元に、孫呉、海拉爾(ハイラル)、牡丹江、林口、大連の5支部があり、大連のものは大連研究所または松林機関とも言われていた。他の部課は細菌の攻撃方法、容器散布方法、防疫問題を研究していた。最も力を入れたのはヒタツリ菌(注:脾脱疽菌)であった。この菌を粉末にして榴散弾の70g位の鉛製弾子に混ぜ、これを砲弾内に詰め、炸薬が爆発すると弾子が飛散して人馬に感染さすようになっている。実験場所は731部隊研究所から北に300(?)㎞ばかりのアンダ飛行場を使用した。そして砲弾が爆発しても菌の40%は生きていること及び培養器に飛ばされた菌は確実に付着する事、負傷者は発病することが確認されている。1938年中国廬山の戦闘で日本軍が毒ガス、ホスゲンを使用したという2,3の細菌記録がある。この記録を持つ731部隊は1945年8月9日午前6時ハルビンの工兵、歩兵、砲兵によって徹底的に破壊され付属設備は地上から姿を消した。ソ連の対日参戦による退却の結果である」

 

長岡大学 研究論叢 第16号より(2018年8月)

・・・731部隊に関する概要が正確に記述されており、更に1938年に毒ガスを作戦で使用したことまで記している。これは化学学校の教育部長が、特殊課程の学生に講義した内容である。内容は事実であると確認して行ったと考えるほかはない。戦後自衛隊は731部隊の実態とその活動を把握した上で、何ら反省することなく自衛官に「教育」してきたのである。また教科書裁判では日本政府は長きにわたり731部隊の活動の事実認定さえ回避してきたが、陸上自衛隊の内部教育資料にも明記されるほど、自衛隊幹部周知の事実だったのであり、日本政府は一貫して内外に虚偽の主張をしてきたと言える。

 

『日本医学百年史』1957年1月1日の731部隊の記述

 

日本医学界では731部隊の反省は戦後全くなされていないが、以下の書に731の記述が記されている。
『日本医学百年史』第4章 戦時体制下の医学 全体主義思想p236

 

「このようにして日本の医師の戦争政策への積極的な協力が行われていったのであるが、直接的な戦闘行為への協力の中で極めて非人道的な、目を覆わざるを得ないものに、細菌戦の準備があった。細菌戦の準備と実行を持った特殊部隊は、昭和10年(1935)夏、石井四郎を部隊長に満洲で編成され「関東軍防疫給水部」と称せられた。

昭和17年頃に「第731部隊」に昇格し、その研究、実験、製造は急に活発になった。(昭和14年のノモンハン事件に参加し、感状をもらっている)この部隊は細菌の製造、兵器としての細菌の利用、人体実験等を行い、施設として、常備爆撃機10機、1000kw発電機2台、隊員及び家族約6000名、年間研究費予算8000千円以上と言われている。

勿論、この部隊に多くの医学者が参加した。このことから、科学者としての責任の問題と同時に戦争責任が問題になってくる。

 

 細菌戦準備への医学者の参加は、戦争責任の最も極端な場合として提起したわけであるが、このことの深い反省の上に戦後の再建も始められる必要があったし、現在でもなお問題とされねばならない。」

 

 
第3章 生物戦の愚かな第1歩は、日本の731部隊からはじまった
 

 

 

 
 

731部隊の史実を語り継ぐ連続学習会第1回

 

731部隊と人権ー裁判から考える

731部隊の史実を語り継ぐ連続学習会第2回

731部隊の史実を語り継ぐ連続学習会第3回

731部隊の史実を語り継ぐ連続学習会第4回
731部隊被害者遺族を訪ねて(お話:大谷猛夫さん)

 
731部隊の史実を語り継ぐ連続学習会第5回
 

731部隊の史実を語り継ぐ連続学習会第6

「登戸研究所と731部隊」(お話:山田朗さん)

 

731部隊の史実を語り継ぐ連続学習会第7

「731部隊について」(お話:五井信治さん)

 

731部隊の史実を語り継ぐ連続学習会第7

 

731部隊と100部隊-人獣共通感染症への戦争動員―(お話:小河孝さん)

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細菌戦の系譜!!

2022-01-29 09:37:58 | Weblog
 

 
パネル展「731部隊 戦前・戦後の医学」
      医学と人権を考える―
 

 

知らなかった「ビキニ事件」 本部のTです。 「ビキニ事件」とは1954年、アメリカが太平洋のマーシャル諸島ビキニ環礁で実施した水爆実験に端を発する漁船やマグロの被爆事件です。あの「ゴジラ」も水爆実験の影響で生まれたことになっています。 「ビキニ事件」と言えば「第五福竜丸」、「第五福竜丸」といえば乗組員の「久保山愛吉さんが死亡」という【「ビキニ事件」「水爆実験」「第五福竜丸」「久保山愛吉さん」】というセットを残して、頭の中で風化してしまっている方も少なくないのではないでしょうか。あるいは「原爆マグロ」「原子マグロ」をそのセットに加える程度の方もおられるかもしれません。
 


 
 
 

隠された毒ガス兵器

 
小津安二郎も毒ガス部隊だった
 

『従軍日記』 小津安二郎

森友・加計問題などで公文書改ざん、事実の隠蔽などが問題になっているが、敗戦時の証拠隠滅、文書焼却、事実の隠蔽は、その比ではない!今も
続く歴史改ざん!! 
    

※30年経過したら、すべての情報を公開せよ!!

 

「公文書管理を考える」(4) 磯田道史・国際日本文化研究センター准教授

 

  新宿・謎の人骨100体・731部隊【歴史解説】

1989年7月22日、新宿で謎の人骨が大量に発見された

歴史改ざん(「風を読む」)

 

     

 

 

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細菌戦の系譜!!

2022-01-29 09:37:09 | Weblog

 

●今の日本人は、まさかと思うかもしれない。


日本政府は、真摯に過去に向き合い、生物兵器を作ったことを謝罪し、今のこの難局に、立ち向かうべきだ!!

 

 

東大医学部を卒業、将来を期待される医学者でありながら、731部隊の恐ろしい体験から、そしてその731部隊に参加したという罪の意識から、戦後医学者の道を捨ててしまった男、秋元寿恵夫

元731部隊員(第十課 血清班班長)秋元寿恵夫の言葉

「もしもバイオテクノロジーが軍事研究の魔の手に捕らえられた時の行き先がどうなるのかの危険性は、「ひょっとしたら人間の知能などを変える」どころか、さらには人類にとって取り返しのつかない害悪をもたらす生物兵器の出現につながっていくかもしれないのである。」


1939年 731部隊 ノモンハン戦争にて細菌戦(チフス菌、コレラ菌、赤痢菌)を行う
*1940年は皇紀2600年(神武が即位して2600年??)東京オリンピックや万博が開催される予定であったが、戦争の為中止!!
1940年 6月4日  731部隊、農安大賚・農安で細菌戦(ペスト菌)を行う
10月 4日   731部隊、衢州で細菌戦(ペスト菌)を行う
10月27日  731部隊、寧波で細菌戦(ペスト菌)を行う
1941年11月4日  731部隊、湖南省常徳で細菌戦(ペスト菌)を行
1942年17月 100部隊は、ハイラルの北約120キロのソ連国境で行なった「三河演習」で鼻疽菌の生存期間を測定、炭疽菌の土壌への浸透力の調査した 
8月  731部隊、湖南省江山、常山、衢県、麗水、江西省広信、広豊、玉山で細菌戦(ペスト、コレラ、チフス)を行う
1943年12月  100部隊第2部に細菌戦準備の第6科を設置
 

 

 

 

 

 

 
 

黒い太陽731(1)

 

 

 
 

 

 

 

1929年11月7日昭和天皇陸軍軍医学校視察

 

 

731部隊は、石井四郎が、細菌戦の司令塔ではなかった。誰が裏で司令塔になっていたのだろうか?小泉親彦陸軍軍医総監、宮川米次第5代東大伝研所長、大元帥昭和天皇等がバックにいた。

 

 

NHKスペシャル 「731部隊の真実~エリート医学者と人体実験~」 2017年8月13日

 

 

●日本政府は、新宿戸山の軍医学校跡地(現国立感染症センター)から見つかった人骨の身元調査を早急にして、遺族に返還し、きちんと謝罪すべきだ!!

 

731部隊被害者遺族の訴え!!        

 

 

東大伝研とは戦前、どんなことをやっていた機関なのか?

1934年6月、宮川米次と阿部俊男は何をしに満洲国へ行ったのか?

満洲衛生技術廠とは、一体何をやっていたところなのか??

東大伝研は731部隊と連携を図っていなかったのか??

伝研で毒ガスの講演?毒ガスへの対処法も考えることになるのか??

 

実験医学雑誌第18巻雑報

 

18巻12号(1934年)

昭和9年11月中職員異動調

昭和9年11月4日 伝染病研究所

発令月日    異動事項                       官職  氏名

11.1  第8細菌血清学部物品取扱主任を免し    

   第3細菌血清学部物品取扱主任を命ず    技手  小栗一好

〃  第6細菌血清学部物品取扱主任を免ず    嘱託  田中芳雄

〃  第6細菌血清学部物品取扱主任を命ず    嘱託  金澤謙一

〃  第4細菌血清学部物品取扱主任を免し

   第8血清学部物品取扱主任を命ず      技手  工藤正四郎

〃  病理学部物品取扱主任を命ず        同   天神智

〃  寄生虫学原虫学部部物品取扱主任を命ず   嘱託  石井信太郎

〃  獣疫学部部物品取扱主任を命ず       技手  佐藤久蔵

〃  毒素精製作業部物品取扱主任を命ず     技手  川島四郎

〃  第7細菌血清学部物品取扱主任を免す     技手  柳澤謙

 

 

 

 
 
 
 

 

 

  伝染病研究所の写真は、『傳染病研究所』小高健著より 

 

   

この新型コロナウィルスがどこで作られたかは分からないが、細菌戦の系譜をたどると、日本は、戦時中、1925年のジュネーブ議定書を無視して、中国で細菌を製造し、細菌戦を行なった。戦後、731部隊での研究データをアメリカに渡し、731部隊員は全員戦犯免責され、アメリカは生物戦の研究を本格的に始めた。
日本政府は、中国で行った細菌戦や生体実験の事実を、(日本の裁判所は事実認定をしている)未だに隠し続け、その事実を認めていない。勿論謝罪もしない。日本軍が中国に遺棄してきた生物兵器は戦後、どのようになったのだろうか?
この新型コロナウィルスに影響しているのだろうか?
今、日本人は過去に犯した戦争犯罪を直視し、きちんと歴史事実に向き合う時ではないのか?

 

 

●細菌戦裁判資料集シリーズ・第8集(2002年10月31日)

「731細菌戦裁判・第1審判決特集号」の発行にあたって 

本書第8集は、細菌戦裁判の第1審判決(東京地方裁判所民事第18部)の後、開催された判決報告集会、記者会見、意見交換会等での発言を編集したものです。

 

 

第6部

資料・731部隊細菌戦裁判

第1審判決全文

原告らの主張 (別紙3)

第1部 日本軍による中国への細菌戦の実行(事実論)

第1 本件細菌戦被害の発生

2  各地における細菌戦被害の発生

(3)東陽市(上記1⑥)

 浙江省東陽市の細菌戦被害の死亡者は、194110月から1942年4月までの間に少なくとも113名に上る。そのうち、原告ららの3親等内の親族の死亡者は、別紙『原告及び死亡親族一覧表』の原告番号59,60の死亡欄記載の9名である。更に、多くの住民が同地区の封鎖後はここに閉じ込められて感染の恐怖にされされるなどの被害を被った。

 
 
731部隊員が多く入った国立予防衛生研究所(現・国立感染症研究所)や自衛隊などでの生物兵器の開発・研究も行われているのではないか?

     731部隊の行なった細菌戦


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