細菌戦の系譜!!

2022-01-29 09:34:23 | Weblog

●日本政府は、731部隊の罪業を、公開せず、秘匿し、戦後全く無反省である!!最高責任者の昭和天皇も戦犯免責された!!

安倍晋三は何でこんな行動がとれるのだ??無反省のまま、ずっと生き延びられるのか??
安倍首相の731戦闘機試乗 「止まらない挑発」の非難

 

           

2013年5月12日、安倍晋三は宮城県東松島市の航空自衛隊基地を訪問して、機体番号が‘731’であるアクロバット飛行団訓練機の操縦席に座りサムズアップして写真に収まった。

           

731部隊全景(中国に於いて人体実験を繰り返し、細菌兵器を開発し、中国各地で細菌戦を行なった。)
旧満洲第731部隊軍医将校の学位授与の検証を求めます!

731部隊新発見公文書の中身とは 細菌研究を明記

 

 

 

 

 日本の中国東北侵略から90年

●『1931 満州鞍山守備兵 斉藤準太郎の日記』

 

 

「1931」斉藤準太郎の日記

四月三〇日

 

勿論その道の専門家もいたが 知りもしないことをいかにも知っている様に話し 争って面白い畑つくりであった。豆の名前も百姓に生まれたのに似合わず 少しも知らない。否、忘れたのだという人達を総称して 農に対する反逆児?でも仕方ないではないか 何分にも今年は少しもならないんだからな。昔は之でも随分とまではいかないが家の手伝い位はしたものだ。

 

冬の日に太陽の温かみを少しも逃さないように あの懐かしい僕の家の裏にある椿の垣根を すっかり藁で囲って臨時温床を作らへ一生懸命初物を作る兄のそばで 或いは水をやったり、陽の足早お冬の事 少しでも落ちればすぐ冷えないように幾枚も幾枚もフトンをかけて小さい芽を可愛がった事もあるが その時分は遊びたい盛りにて学校でテニスに日を暮らしたこともあったが 久し振りで土を掘り返して畑でも作ってみるとほんとーに昔が思い出されてならない どんな苦しい事でも想い出はよいと見える。

 

 

 

 

 

「ずっと父が嫌いだった」

 

 
 
 
軍都広島での物語

知られていない 8月5日までの 広島 バージョン2

原爆詩集
峠三吉
・・・一九四五年八月六日、広島に、九日、長崎に投下された原子爆弾によって命を奪われた人、また現在にいたるまで死の恐怖と苦痛にさいなまれつつある人、そして生きている限り憂悶と悲しみを消すよしもない人、さらに全世界の原子爆弾を憎悪する人々に捧ぐ。
墓標
 
AB広告社
CDスクーター商会
それにすごい看板の
広島平和都市建設株式会社
たちならんだてんぷら建築の裏が
みどりに塗った
マ杯テニスコートに通じる道の角
 
 
" target="_blank">原爆投下
 
" target="_blank">原子爆弾投下後の広島市内(1946年3月21日撮影)
 
" target="_blank">封印された原爆報告書
 
" target="_blank">原爆初動調査1
 
" target="_blank">原爆初動調査ー隠された真実2
 
原爆初動調査ー隠された真実3" target="_blank">原爆初動調査ー隠された真実3
 
 
" target="_blank">広島スピーチ
 
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細菌戦の系譜!!

2022-01-29 09:32:27 | Weblog

  日本は、日中戦争で国際法に違反して、細菌戦、毒ガス戦、無差別爆撃を行った。日本政府は、この事実をきちんと認めていない!!

 

●『細菌戦部隊』

731研究会編   1996年9月(核時代51年)初版発行

Ⅱ 関連部隊・支部

香港難民の大量虐殺

ゲルトネル菌を飲用湯に投入して・・・・

 

丸山茂

8604部隊

 

(経歴)

1917年生まれ

1938年 朝鮮・龍山の歩兵79連隊に教育召集

1939年 南支那派遣軍防疫給水部(波第8604部隊)に転属。細菌検索班に所属

1943年3月 除隊。帰国

1945年 再召集

1945年8月 朝鮮で除隊

1945年10月 帰国

■この証言は731研究会の学習会での発言(1993年11月)、『短歌草原』(1992年8・9・10月号)所収「いかなる美名でも戦争への道は悪だ」よりまとめられたもの。

 

解説ー波8604部隊について  越田稜
 沙東迅氏が記した『日本軍の広東に於ける細菌戦調査報告』(1994年10月第2稿)の「3、広東侵略日本軍細菌戦部隊の広州難民収容所における香港・広東難民の大領殺害」は、当時(42年)難民収容所にいた数名の人々からの貴重な証言を載せている。その一部を紹介しておこう(難民収容所で数年間過ごした馮慶章<当時は馮奇といった>の“証言”)。
 
・・・難民収容所は・・・条件が非常に悪く、1人1日に味付けガユが200㏄しかなかった。・・・その頃収容所で流行ったざれ歌にこういうのがありました。“カゴの鳥は高くは飛べない。味付けガユを食わなきゃ空きっ腹、食えば食ったで腹痛み、病気になっても薬はない、死んだら最後、骨まで溶かす池に放り込まれる”。(略)・・・
 
●証言

生体解剖(旧日本軍の戦争犯罪)

中央档案館

中国第2歴史档案館

吉林省社会科学院編

 

江田憲司

兒島俊郎

古川万太郎編訳

 

 

 

 

 

Ⅰ東北

 

2 華北

5  内蒙古

安達千代吉自筆供述書(1955年)

 1本の煙草がなかなか吸い終わらず、丸尾はもう耐えきれなくなって、「もうよせ」と大声で一喝し、日本刀を振りかぶって首めがけて切りつけた。「ガチャ」という音が聞こえて刀が止まった。刀は後頭部を切り傷口からだらだら鮮血が流れ、白い骨が恐ろし気に露出した。この時私は、「失敗した」と直感した。ほとんど同時に青年はひざまづいて、怒りを込めて丸尾を睨みつけていた。燃えるような憤怒と憎悪、そして身体中血だらけという形相が、丸尾をしてよろよろと後ずさりさせた。彼は再び刀を振り上げて頭を切り落とした。鮮血が1尺の高さにも噴き出し、それから穴の中に落ちた。

 

●毒ガス戦

・『日本軍の毒ガス兵器』  松野誠也著

第7章なぜ日本軍は毒ガス兵器に依存して戦いを行ったのか

4 日中戦争をめぐる陸軍中央の動向と毒ガス戦

日中戦争の戦略的持久戦から「好機南進」へ傾く中での毒ガス戦

 

 また、この頃陸軍中央では、修正軍備充実計画を実行して軍隊を刷新・強化するために、中国戦線の兵力を削減することによりその経費を捻出する必要性に迫られ、これに反対する支那派遣軍には2個師団を送る代わりに派遣軍の兵力約10万を削減することとした。更に陸軍省は、日中戦争の戦費を40年度から著しく節約したので、支那派遣軍は現地自活の強化と戦費節約が強いられ、その節約分は対ソ戦準備をすすめる関東軍の強化に回された(同前)。
 こうして支那派遣軍は、中国の民族を上げた抗戦の中で、兵力不足と戦費不足に悩まされることになった。

第1次世界大戦では、毒ガスが大量に使われた。

百年の悲劇は、ここから始まった1

 
 

 
 

・『日本の中国侵略と毒ガス兵器』 歩平著(山邊悠喜子、宮崎教四郎訳)明石書店 1995年発行)

 

第8章 無辜の被害者

山西定襄・上零山毒ガス殺戮事件

 敵の撤退後、無事だった村人が現場に駆け付け、中毒者を運び出して救急処置をしたが、45人が中毒のためにこと切れた。

 この毒ガスによる悲惨な殺戮が終わってから、張治才と張万歳の2人が撤退時に連れ去られ、身代金のたねにされたが、家が貧しく支払えなかったので無残にも殺された。

 また中毒症状が比較的軽かった張銀根は、現場から逃れ、村の南部に向かって走っていた時に銃撃を受け負傷。臀部に3発の弾を受けたが、幸い一命は取り留めた。

 全国が解放された後、上零山の人々は当事件で亡くなった人々を追悼し、日本軍が上零山で行った非道な行いを永遠に記憶に留めるため、1950、51の両年の「2・8」記念日に追悼行事を行った。(前掲書、132頁)

【注】

傀儡(かいらい)・・・操り人形。表向きには力がありそうだが実際は陰の人物の思い通りに操られている人。中国では、日本侵略軍の思い通りに使われている人を指し、漢奸(かんがん)と同じように使われる。後者は外国(日本侵略者)の利益のために中国を害する者で、最もさげすまれる売国奴。

SNSで人気「ウサギの島」が背負った〝毒ガスの歴史〟大久野島を歩く

加害の歴史」北九州市の毒ガス工場 第二次世界大戦で旧陸軍が使用



 



 
 
 

 

 

 

日本軍の毒ガス戦と遺棄毒ガス問題


 

 

 

 

 

 

 

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細菌戦の系譜!!

2022-01-29 09:31:05 | Weblog

●『三光』     中国帰還者連絡会編
日本鬼子(リーベンクイズ)

核時代39年(1984年)5月初版発行

 

善良な僧侶を警察の特務に
 
岡田袈裟二
吉林市警察庁保安科科員警尉補
 
<略歴>
本籍地 長野県小県郡
出身階級 富農
学歴 尋常高等小学校卒業
職業  小商人
所属部隊名
 旧新京2600部隊輜重37330部隊第1中隊第1小隊
被捕年月日場所
1945年9月12日 旧新京2600部隊(南領旧日本軍通信隊舎)
年齢 40歳
 
ところが、私たちが到着した夜から、毎晩のように抗日軍の反抗を受けました。編成したばかりの隊でもあり、隊員の名前さえ覚えていないのに、毎日命からがら夜明けを待つという有様でした。
 そこで私を交えた日本人幹部6名は、どうにかして抗日軍の情報を得ようと、八方手を尽くし、策略をめぐらしたのですが、どれもこれも皆失敗してしまいました。そのはずです。中国の土地で中国人民を捕らえて殺そうというのですから、中国人民が本当のことを話すはずもないし、ましてやまとまった情報など手に入らないのは当たり前のことでした。そこで私はあることを思いついて隊長に話したところ、隊長は2つ返事で許可してくれたのです。というのは、以前にも吉林省の樺田(かでん)県で、私はその手を使って抗日軍の“討伐”をやった経験があったのです。その時、ある村で私は思いがけぬことに出会いました。誰言うとなく、「今夜は襲撃がある」という噂が村中に伝わるのです。このことが警察隊員の耳に入り、警察隊は万端準備を整えていると、必ずその夜は“襲撃”があるのです。
 
 
 
 

2018年12月に、『留守名簿 関東軍防疫給水部 満州第659部隊』2冊が発売されました!!(不二出版)

 

 

 

    

 

 

    

●日米安保条約・自衛隊を問う!!
自衛隊は、防護のためと言って、旧日本軍の細菌兵器・毒ガス兵器使用の反省・謝罪もないまま新たな生物兵器・化学兵器を作っているのだろうか??憲法9条を持ち、生物兵器・化学兵器禁止条約を批准しているにも関わらず!!


日本の毒ガス


 

 

 

在日米海軍厚木基地(大和、綾瀬市)で米陸軍が化学、生物、放射線、核(CBRN)の対応訓練を予定していることに対し、厚木基地爆音防止期成同盟(爆同)など関連4団体が4日、同基地正門前で抗議集会を開き、訓練の中止を訴えた。

 訓練実施は1月28日に、日米合同委員会で合意。防衛省南関東防衛局が大和、綾瀬市に連絡した内容によると、訓練場所は、同基地を共同使用する海上自衛隊が管理する区域内にある滑走路南端の約2万平方メートル。今月5日から9月30日まで使用することで合意した。

 米側は訓練への参加部隊に関し米本土所属と説明しているが、参加人員や日程については知らせていない。危険物の持ち込みや騒音の発生はないなどの情報提供にとどまっている。

 CBRNへの対応訓練は同基地で過去に例がなく、周辺住民に不安が広がっている。

 今月4日には同基地正門前に爆同など住民団体から約60人が集まり「危険な訓練をやめろ」などと声を上げた。爆同の石郷岡忠男委員長は「昨秋には迎撃ミサイル訓練があった。米空母艦載機部隊の移駐後に空いた施設を使った新たな訓練場になることを危惧している」と強調。基地司令官宛てに、基地の機能強化につながる運用などに抗議する要請書を提出した。

 
*CBRNとはchemical weapon:化学兵器、biological weapon:生物兵器、radiation:放射能物質、nuclear weapon:核兵器を意味する。従来はCBRだけで用いられることが多かったが、近年は核兵器Nを加えてCBRN(日本語ではシーバーンと発音する)として用いることが多くなっている。
 

●情報公開裁判
なぜここまでして、国は衛生学校や化学学校で作っていた機関誌を公開しないのだろうか?

- 731 部隊関連資料の情報公開裁判の傍聴支援をお願いします ー 
 
 
 
 
(来年1月も証人調べが続きます)   
 
第33回:2022年1月14日(金)13時30分~  103号法廷 衛生学校図書室図書係2人の証人尋問予定
 
第34回:2022年1月24日(月)13時30分~    103号法廷 衛生学校彰古館担当者2人の証人尋問予定
 
 
 
日本の国家機密』(現代評論社刊 1972年初版発行)

            藤井治夫著

第2篇  自衛隊の機密

第1章 作戦用兵

2  統合戦略見積

統合長期戦略見積

  年度戦略見積のほかに随時作成される統合長期戦略見積というのは、軍事政策の転換点、防衛力整備5ヵ年計画の立案時期などにつくられるものである。長期戦略見積とは、「将来における防衛戦略(注ー軍事戦略のこと)を検討して整備すべき防衛力の質的方向を明らかにし、もって防衛諸施策の策定に資することを目的とした戦略的見積」をいう(『統合用語教範』)。軍事戦略とは、武力の行使、または武力による威嚇によって国家目標を達成するため、国の軍隊を運用する方策をいう。つまり、先に述べた軍事政策の一部をなすものであって、最高の作戦用兵計画にあたる。長期戦略見積は、将来の軍事戦略を決定するために関係ある諸要因を分析、評価、検討して結論を導き出したもので、これにより防衛力整備の方向が定められるのである。

1957(昭和32)年7月『衛生学校第1号』発刊

 

 

 

 


●『BC兵器』久保綾三著(1969年)

Ⅱ 自衛隊と生物・化学兵器―その思想と作戦

1、自衛隊の装備・訓練を探る

国会におけるBC兵器論争

 

〇楢崎委員 これは私がなぜそれを言うかというと、このCNというのは、長官、自衛隊のこのクロルアセトフェノンの呼称なんですよ。そのくらいなことを知ってもらっておかなければ困りますよ。いいですか。そうしてこれはアメリカで開発されたんです。だから、アメリカと自衛隊と警察の関係を私は明らかにしたいんです。これは毒ガスなんですよ。毒ガスでしょうが。かつて旧陸軍が、有名な広島の大久野島というのですが、毒ガス島、ここで作っておったんです。当時の旧陸軍の呼称は、緑1号と言っておったんです。毒ガスなんですよ、これは。毒ガスということをご承知ですか。

〇増田国務長官 政府委員がご答弁申し上げます。

〇蒲谷政府委員 現在使っております、持っておりますCNは、毒劇物取締法の対象外になっております。

 
 
 
 
 
 

 

 

 
 

 

 

 

 

 

 

 

 

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細菌戦の系譜!!

2022-01-29 09:26:32 | Weblog

●昭和天皇の戦争責任を問う!!


天皇万歳に浮かれる無責任国家  田中利幸より

重要なことは、アメリカが、日本占領支配のために、裕仁の戦争責任を隠蔽してまでも、彼の天皇としての「権威」を政治的に利用したことである。つまり、私たちが本当に問わなければならないのは、「絶対的権力を保持していた国家元首の戦争犯罪・責任の免罪・免罪の上に制定された民主憲法が、果たしてどこまで真に民主主義的であるのか?」ということである。

 

 

 

 

●昭和天皇(ハーバード・ピックス著『昭和天皇』より)

吉田裕監修 

 

2001年ピュリッツァー賞受賞

 ※昭和天皇は、平和主義者でもなんでもなかった。好戦的であり、常に軍部に色々と指示を出していた!!


戦後補償問題に国家無答責という天皇主権の明治憲法下の原則を適用するな!!
  

     



監修者あとがき    2002年10月  吉田裕

勿論、本書に対しては、日本人の日本史研究者からも、様々な異論があり得るだろう。私自身も、特に満州事変から日中戦争に至る時期の描き方に関しては、紙幅の関係があるにせよ、やや平板に過ぎるという印象を持つ。この時期は、英米との協調から、軍事力によるベルサイユ・ワシントン体制の打破という方向への路線転換に伴って、国内の諸政治勢力間で激しい対立が生じ、政局が揺れ動いた事で知られている。昭和天皇の場合でも、とりわけ、この時期は、遅疑と逡巡、不安と動揺の渦中にいたはずだが、その点の本書の分析は必ずしも充分なものではない。

 また、升味準之輔『昭和天皇とその時代』(山川出版社、1998年)の問題提起も忘れることができない。升味は、昭和天皇が、実際にも「政策決定過程の中枢」にいて、「政府を動かすことができ」るだけの「絶大な権威と権力を保持していた」ことを認めた上で、次の様に論じている。

 

 だが天皇は、平和主義者だったわけではない。絶対平和は、思想家や宗教家の信条である。帝国主義指導者は、平和を願うとしても、国益の増大と防衛のために、権謀術数を忘れることはない。天皇がその例外であるはずはない。帝国主義指導者の行為基準は、理念的な戦争か平和かではない。この戦争に勝てるか否かである。

日本国憲法9条

第9条【戦争の放棄、戦力及び交戦権の否認】

①、日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、
国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、
国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。

②.前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、
これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。

 

RENUNCIATION OF WAR Article 9.

Aspiring sincerely to an international peace based on justice and order, the Japanese people forever renounce war as a sovereign right of the nation
and the threat or use of force as means of settling international disputes.

In order to accomplish the aim of 
the preceding paragraph, land, sea, and air forces, as well as other war potential, will never be maintained.
The right of belligerency of the state will not be recognized.

 

小泉親彦と昭和天皇

 



731部隊員が戦犯免責され、ABCC(原爆傷害調査委員会)に協力した。その結果、アメリカの原爆投下を日本政府は問うことは無く、また被爆者は、ABCCに治療されることもなかった。そして日米安保条約の下、核兵器の廃絶に日本政府は後ろ向きである!

 

日本には多くの被爆者がいるのに、日本政府はなぜ核兵器禁止条約に署名しない?

●地球の異常気象の最大の原因は、今までの2000回以上の核実験や原発事故などの放射能汚染で地球が壊れてきているからではないのか??米の原爆投下責任と核実験をしてきた国の責任を問う!!


※私が考える、今の異常気象の要因は

1、1940年代から60年代にかけて大規模に行われた、核実験による環境破壊の影響

2、都市化したコンクリート(アスファルト)ジャングルによるヒート・アイランド現象

3、その結果による、交通機関(電車・バス・乗用車・航空機・船舶)やオフィス・住居などの冷暖房による排熱

4、自動車社会の排ガス

5、原子力発電による温排水の排出・・などに拠っているのではないか?

 

「日本が動かなければ」 核兵器禁止条約発効1年、各地で訴え

核実験

 

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

核兵器禁止条約

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

核兵器禁止条約(かくへいききんしじょうやく、英語: Treaty on the Prohibition of Nuclear Weapons、TPNW)は核兵器を禁止する国際条約である。略称・通称は核禁止条約、核禁条約、核廃絶条約(英語: Nuclear Weapons Ban Treaty、Nuclear Ban Treaty)など。

2017年7月7日に国際連合総会で採択され、2021年1月22日に発効。

歴史

2017年07月07日に国連本部で開催中の核兵器禁止条約交渉会議にて賛成122票、反対1票(オランダ)、棄権1票(シンガポール)の賛成多数により採択された。

核兵器保有国(NTP上のアメリカ合衆国・中国・イギリス・フランス・ロシア、およびインド・パキスタン・朝鮮民主主義人民共和国)は不参加。なお北朝鮮は前年の決議からこの条約の採択の間に不参加に転換した。

アメリカ軍の核の傘の下にあるカナダやドイツなどNATO加盟国(オランダのみ参加し反対票)や、アメリカ合衆国との軍事同盟を結ぶ日本・オーストラリア・大韓民国なども不参加。



 

 
 

 「北朝鮮の核実験の威力」と「史上最強の核兵器"ツァーリ・ボンバ"の破壊力」【核兵器】




●核なき世界へ!!Toward a Nuclear-Free Future




●核融合もすべきではない!!

核開発に反対する物理研究者の会通信
20170303 小出裕章先生にきいてみた!!〜土岐市核融合科学研究所 重水素実験について


なぜ、日本は広島・長崎・ビキニ・JCO臨界事故・福島と5度も被爆しているにに、日本医学界は「脱原発!!」と叫ばない!!

       

      

 

原爆投下された直後、日本は自らが原爆調査をして、731部隊(人体実験や細菌戦)の事もあるので、アメリカの心証を良くしようと考えた。そして科学者を総動員して原爆調査(被爆者を救済するための調査ではなく、原爆の威力調査)を181冊の調査書にまとめて、英訳し、アメリカに渡した。その後、731部隊員は、731で研究したデータを渡し、戦犯免責を受けた。原爆調査書は被爆者の治療には全く生かされず、日本の医学界は、原爆の放射能被害については、何も言及しなかった。そればかりか、その後のアメリカの原爆・水爆実験も批判せず、その被害を過小評価した。そして日本政府が、原子力の平和利用として原発を推進する政策にも、大きく加担している。

XII) 731部隊、広島長崎、チェルノブイリ、福島より

・・・第二次世界大戦中、日本軍は3000人もの医師たちが関わったとされる731部隊により、妊婦や子供まで含めた人体実験が行いました。極東裁判では捕虜虐待死の容疑で死刑に処された軍医幹部もいる中、731部隊関連者は訴追されませんでした。戦後、「研究データを米軍に提供すること」、さらにはなんと、「広島・長崎の研究に協力すること」を引き換えに免責されたのでした。

2010年のNHKの番組で、「(米国への研究データの提供のほかに)原爆調査への協力を731部隊の免責のカードとして使った」という元陸軍軍医の証言がありました。

封印された原爆報告書




水爆実験
水爆実験ブラボーで被爆したのは第5福竜丸1隻ではなく、延べ1000隻近くの漁船が被爆した。

 

 
 
 
 

           

JCOの臨界事故


福島第1原発事故

核兵器廃絶
徳仁・日本政府・日本医学界は、731部隊のことを謝罪し、戦争被害者の救済、戦争をしない政策にお金をかけるべきだ!

日本はなぜ戦争責任問題を解決できないのか
水俣病


731部隊(unit731)
昭和天皇の戦争責任を問う!!天皇制反対!

 
 

 

 
 
 

 

 
 
 
 

 

 

 

 
 
 

 

 
 
 

 

 

 

 
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細菌戦の系譜!!

2022-01-28 12:05:15 | Weblog

                 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

反原発!!

 

 

佐渡鉱山と朝鮮人労働者(1939~1945) 

 
大元帥・現人神・昭和天皇と皇族の戦争責任を問う。
日本は戦争を起こしたことを全く謝罪しなくていいのだろか??
 
12月17日は、南京入城式典が行われた。
虐殺は、その前後で行われた!!

 

川崎の徴用工 故・金景錫の闘い お話:梓澤和幸弁護士

映画「スパイの妻」と731部隊(2021 10 16加藤講演第2回)
絶望的な核開発!!
トラウマ
●毒ガスの歴史(フリッツ・ハーバー)

●2021 9 17 浅井基文講演
細菌(生物)戦争

731部隊 ペスト研究、攻撃用か(1988年朝日新聞)

防疫研究室と昭和天皇の関係
1940年と2020年の東京オリンピック
731部隊と国立感染症研究所の問題
ABC企画委員会
731部隊・100部隊展
記憶の継承を進める神奈川の会

20201107 UPLAN 西里扶甬子「生物戦部隊731研究の現在地~今を生きる日本人が知るべきこと」

 
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細菌戦の系譜!!

2022-01-28 12:03:22 | Weblog
今年のパネル展

 

 

2021年 パネル展「731部隊 戦前・戦後の医学」アンケート

11月16日(火)

加藤哲郎講演の感想

・内容がたくさん詰まった講演でした。ありがとうございました。現代の動きがその前からどう続いてきたのか詳しい御話でした。
(70代、?)

 
 
 


 
 
 

 

 

 





 



原告たちのあまりに理不尽な被害

『JUSTICE 中国人戦後補償裁判の記録』(中国人戦争被害賠償請求事件弁護団 編著、高文研)評者:根岸恵子

 

 

         昭和への挽歌   野崎忠郎
 

                



 
 

 

 

 

自衛隊における731部隊の記述

「部外秘 参考資料 CBR講習資料」11頁 作成日時不詳 陸上幕僚監部化学科より

d旧日本軍の細菌戦活動

旧日本軍の石井部隊は又の名を関東軍防疫、給水、731部隊、加茂部隊、特25204部隊と呼ばれた。細菌戦闘専門の特殊部隊であった。隊の設立は昭和6(1931)年で満州の研究所完成は昭和10(1935)年である。日本軍細菌戦部隊の本拠は満州ハルビン郊外濱江省(ひんこうしょう)双城県平房の4階建近代建築でその中で遮断隔離の生活をしていた。設備は爆撃機(細菌撒布用)10機、1000kwタービン発電機2台である。この本部の元に、孫呉、海拉爾(ハイラル)、牡丹江、林口、大連の5支部があり、大連のものは大連研究所または松林機関とも言われていた。他の部課は細菌の攻撃方法、容器散布方法、防疫問題を研究していた。最も力を入れたのはヒタツリ菌(注:脾脱疽菌)であった。この菌を粉末にして榴散弾の70g位の鉛製弾子に混ぜ、これを砲弾内に詰め、炸薬が爆発すると弾子が飛散して人馬に感染さすようになっている。実験場所は731部隊研究所から北に300(?)㎞ばかりのアンダ飛行場を使用した。そして砲弾が爆発しても菌の40%は生きていること及び培養器に飛ばされた菌は確実に付着する事、負傷者は発病することが確認されている。1938年中国廬山の戦闘で日本軍が毒ガス、ホスゲンを使用したという2,3の細菌記録がある。この記録を持つ731部隊は1945年8月9日午前6時ハルビンの工兵、歩兵、砲兵によって徹底的に破壊され付属設備は地上から姿を消した。ソ連の対日参戦による退却の結果である」

 

長岡大学 研究論叢 第16号より(2018年8月)

・・・731部隊に関する概要が正確に記述されており、更に1938年に毒ガスを作戦で使用したことまで記している。これは化学学校の教育部長が、特殊課程の学生に講義した内容である。内容は事実であると確認して行ったと考えるほかはない。戦後自衛隊は731部隊の実態とその活動を把握した上で、何ら反省することなく自衛官に「教育」してきたのである。また教科書裁判では日本政府は長きにわたり731部隊の活動の事実認定さえ回避してきたが、陸上自衛隊の内部教育資料にも明記されるほど、自衛隊幹部周知の事実だったのであり、日本政府は一貫して内外に虚偽の主張をしてきたと言える。

 

『日本医学百年史』1957年1月1日の731部隊の記述

 

日本医学界では731部隊の反省は戦後全くなされていないが、以下の書に731の記述が記されている。
『日本医学百年史』第4章 戦時体制下の医学 全体主義思想p236

 

「このようにして日本の医師の戦争政策への積極的な協力が行われていったのであるが、直接的な戦闘行為への協力の中で極めて非人道的な、目を覆わざるを得ないものに、細菌戦の準備があった。細菌戦の準備と実行を持った特殊部隊は、昭和10年(1935)夏、石井四郎を部隊長に満洲で編成され「関東軍防疫給水部」と称せられた。

昭和17年頃に「第731部隊」に昇格し、その研究、実験、製造は急に活発になった。(昭和14年のノモンハン事件に参加し、感状をもらっている)この部隊は細菌の製造、兵器としての細菌の利用、人体実験等を行い、施設として、常備爆撃機10機、1000kw発電機2台、隊員及び家族約6000名、年間研究費予算8000千円以上と言われている。

勿論、この部隊に多くの医学者が参加した。このことから、科学者としての責任の問題と同時に戦争責任が問題になってくる。

 

 細菌戦準備への医学者の参加は、戦争責任の最も極端な場合として提起したわけであるが、このことの深い反省の上に戦後の再建も始められる必要があったし、現在でもなお問題とされねばならない。」

 

 
第3章 生物戦の愚かな第1歩は、日本の731部隊からはじまった
 

 

 

 
 

731部隊の史実を語り継ぐ連続学習会第1回

 

731部隊と人権ー裁判から考える

731部隊の史実を語り継ぐ連続学習会第2回

731部隊の史実を語り継ぐ連続学習会第3回

731部隊の史実を語り継ぐ連続学習会第4回
731部隊被害者遺族を訪ねて(お話:大谷猛夫さん)

 
731部隊の史実を語り継ぐ連続学習会第5回
 

731部隊の史実を語り継ぐ連続学習会第6

「登戸研究所と731部隊」(お話:山田朗さん)

 

731部隊の史実を語り継ぐ連続学習会第7

「731部隊について」(お話:五井信治さん)

 

731部隊の史実を語り継ぐ連続学習会第7

 

731部隊と100部隊-人獣共通感染症への戦争動員―(お話:小河孝さん)

 
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細菌戦の系譜!!

2022-01-28 12:02:12 | Weblog

 
パネル展「731部隊 戦前・戦後の医学」
      医学と人権を考える―
 

 

ビキニを忘れない ~岡村啓佐さん~
2020/3/13
 
2019年_オーストラリア(第103回ピースボート)
 
投稿者: hibakushaglobal
 

1954ビキニ 被ばく漁船員の人生 岡村啓佐さんが写真集 過ち、繰り返させない

 つてを頼りにたどり着いた元漁船員の妻は「国が被ばくを隠さず早く検査していれば、夫を助けられたかもしれない…」と悔やんだ。夫は1976年に肝硬変と診断され、翌年にがんで死亡。40代だった。園児だった次男に、父親との思い出はない。被ばくとの因果関係は分からず、女性は「酒の飲ませ過ぎよ」という周囲の非難にも耐えた。岡村さんは「核がもたらした被害が闇に葬られたままでは、人の命をないがしろにする愚かな過ちが繰り返される」と確信した。

 ビキニ事件の国賠訴訟の一審判決は原告の請求を退けたものの、元乗組員らの被ばくの事実を認定した。訴訟は高裁で係争中で、12月に判決が出る見通しだ。

 レンズで捉えた被ばく者は全員80歳を超える。写真集の制作を始めた昨年1月以降、少なくとも5人が他界した。岡村さんは彼らに残された時間と闘いながら「NO NUKES(核は要らない)」と訴える。世界中の人に見てもらうため、学生ボランティアらの力を借り英訳も併記した。2200円。購入は平和資料館・草の家=088(875)1275。

 (国崎万智)

 
 
 

隠された毒ガス兵器

 
小津安二郎も毒ガス部隊だった
 

『従軍日記』 小津安二郎

森友・加計問題などで公文書改ざん、事実の隠蔽などが問題になっているが、敗戦時の証拠隠滅、文書焼却、事実の隠蔽は、その比ではない!今も
続く歴史改ざん!! 
    

※30年経過したら、すべての情報を公開せよ!!

 

「公文書管理を考える」(4) 磯田道史・国際日本文化研究センター准教授

 

  新宿・謎の人骨100体・731部隊【歴史解説】

1989年7月22日、新宿で謎の人骨が大量に発見された

歴史改ざん(「風を読む」)

 

     

 

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細菌戦の系譜!!

2022-01-28 12:00:54 | Weblog

 

●今の日本人は、まさかと思うかもしれない。


日本政府は、真摯に過去に向き合い、生物兵器を作ったことを謝罪し、今のこの難局に、立ち向かうべきだ!!

 

 

東大医学部を卒業、将来を期待される医学者でありながら、731部隊の恐ろしい体験から、そしてその731部隊に参加したという罪の意識から、戦後医学者の道を捨ててしまった男、秋元寿恵夫

元731部隊員(第十課 血清班班長)秋元寿恵夫の言葉

「もしもバイオテクノロジーが軍事研究の魔の手に捕らえられた時の行き先がどうなるのかの危険性は、「ひょっとしたら人間の知能などを変える」どころか、さらには人類にとって取り返しのつかない害悪をもたらす生物兵器の出現につながっていくかもしれないのである。」


1939年 731部隊 ノモンハン戦争にて細菌戦(チフス菌、コレラ菌、赤痢菌)を行う
*1940年は皇紀2600年(神武が即位して2600年??)東京オリンピックや万博が開催される予定であったが、戦争の為中止!!
1940年 6月4日  731部隊、農安大賚・農安で細菌戦(ペスト菌)を行う
10月 4日   731部隊、衢州で細菌戦(ペスト菌)を行う
10月27日  731部隊、寧波で細菌戦(ペスト菌)を行う
1941年11月4日  731部隊、湖南省常徳で細菌戦(ペスト菌)を行
1942年17月 100部隊は、ハイラルの北約120キロのソ連国境で行なった「三河演習」で鼻疽菌の生存期間を測定、炭疽菌の土壌への浸透力の調査した 
8月  731部隊、湖南省江山、常山、衢県、麗水、江西省広信、広豊、玉山で細菌戦(ペスト、コレラ、チフス)を行う
1943年12月  100部隊第2部に細菌戦準備の第6科を設置
 

 

 

 

 
 

黒い太陽731(1)

 

 

 
 

 

 

 

1929年11月7日昭和天皇陸軍軍医学校視察

 

 

731部隊は、石井四郎が、細菌戦の司令塔ではなかった。誰が裏で司令塔になっていたのだろうか?小泉親彦陸軍軍医総監、宮川米次第5代東大伝研所長、大元帥昭和天皇等がバックにいた。

 

 

NHKスペシャル 「731部隊の真実~エリート医学者と人体実験~」 2017年8月13日

 

 

●日本政府は、新宿戸山の軍医学校跡地(現国立感染症センター)から見つかった人骨の身元調査を早急にして、遺族に返還し、きちんと謝罪すべきだ!!

 

731部隊被害者遺族の訴え!!        

 

 

東大伝研とは戦前、どんなことをやっていた機関なのか?

1934年6月、宮川米次と阿部俊男は何をしに満洲国へ行ったのか?

満洲衛生技術廠とは、一体何をやっていたところなのか??

東大伝研は731部隊と連携を図っていなかったのか??

伝研で毒ガスの講演?毒ガスへの対処法も考えることになるのか??

 

実験医学雑誌第18巻雑報

 

18巻12号(1934年)

昭和9年11月中職員異動調

昭和9年11月4日 伝染病研究所

発令月日   異動事項         官職   氏名

11.1 寄生虫学原虫学部主任を命ず    教授    宮川米次

〃  寄生虫学原虫学部勤務を命ず    嘱託   石井信太郎

〃 獣疫学部主任を命ず            技師   城井尚義

〃 獣疫学部勤務を命ず            技手   安藤啓三郎

〃 同                    同    佐藤久蔵

〃 同                    嘱託   池田武夫

〃 同                    同    海老原鐵麿

〃 毒素精製作業部主任を命ず         助教授  細谷省吾

〃 毒素精製作業部兼勤を命ず         技手   川島四郎

〃 同                    同    進藤宙二

〃 小動物主任を命ず             技師   城井尚義

 

 

 

 
 
 
 

 

 

  伝染病研究所の写真は、『傳染病研究所』小高健著より 

 

   

この新型コロナウィルスがどこで作られたかは分からないが、細菌戦の系譜をたどると、日本は、戦時中、1925年のジュネーブ議定書を無視して、中国で細菌を製造し、細菌戦を行なった。戦後、731部隊での研究データをアメリカに渡し、731部隊員は全員戦犯免責され、アメリカは生物戦の研究を本格的に始めた。
日本政府は、中国で行った細菌戦や生体実験の事実を、(日本の裁判所は事実認定をしている)未だに隠し続け、その事実を認めていない。勿論謝罪もしない。日本軍が中国に遺棄してきた生物兵器は戦後、どのようになったのだろうか?
この新型コロナウィルスに影響しているのだろうか?
今、日本人は過去に犯した戦争犯罪を直視し、きちんと歴史事実に向き合う時ではないのか?

 

 

●細菌戦裁判資料集シリーズ・第8集(2002年10月31日)

「731細菌戦裁判・第1審判決特集号」の発行にあたって 

本書第8集は、細菌戦裁判の第1審判決(東京地方裁判所民事第18部)の後、開催された判決報告集会、記者会見、意見交換会等での発言を編集したものです。

 

 

第6部

資料・731部隊細菌戦裁判

第1審判決全文

原告らの主張 (別紙3)

第1部 日本軍による中国への細菌戦の実行(事実論)

第1 本件細菌戦被害の発生

2  各地における細菌戦被害の発生

(2)義烏(上記1⑤)

 浙江省義烏市市街地の細菌戦被害の死亡者は、1941年9月から1942年3月までの間に少なくとも230人に上る。そのうち、原告らの3親等内の親族の死亡者は、別紙「原告及び死亡親族一覧表」の原告番号15から58までの死亡者欄記載の124名である。さらに、ペスト流行地区の多くの死者・患者の家族や住民たちは、住居や生業を捨てて逃亡し、あるいは同地区の封鎖後はここに閉じ込められて感染の恐怖にされされるなどの被害を被った。

 

 
 
731部隊員が多く入った国立予防衛生研究所(現・国立感染症研究所)や自衛隊などでの生物兵器の開発・研究も行われているのではないか?

     731部隊の行なった細菌戦


 

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細菌戦の系譜!!

2022-01-28 11:58:56 | Weblog

●日本政府は、731部隊の罪業を、公開せず、秘匿し、戦後全く無反省である!!最高責任者の昭和天皇も戦犯免責された!!

安倍晋三は何でこんな行動がとれるのだ??無反省のまま、ずっと生き延びられるのか??
安倍首相の731戦闘機試乗 「止まらない挑発」の非難

 

           

2013年5月12日、安倍晋三は宮城県東松島市の航空自衛隊基地を訪問して、機体番号が‘731’であるアクロバット飛行団訓練機の操縦席に座りサムズアップして写真に収まった。

           

731部隊全景(中国に於いて人体実験を繰り返し、細菌兵器を開発し、中国各地で細菌戦を行なった。)
旧満洲第731部隊軍医将校の学位授与の検証を求めます!

731部隊新発見公文書の中身とは 細菌研究を明記

 

 

 

 

 日本の中国東北侵略から90年

●『1931 満州鞍山守備兵 斉藤準太郎の日記』

 

 

「1931」斉藤準太郎の日記

四月三〇日

 

午前十時久し振りにて号令かけて体操に又銃剣術をやる 非常に暖かい日 何年ぶりかで自ら土を掘って畑を作る 昔が 在学時代が懐かしく思い出される 土に親しみ兄の手伝いをした小さい時分が一番良いように感じた。

三月が終わっては書き 四月が終わっては又同じようなことを書き出した でも仕様がない。軍隊生活の最後の四月だもの。再び迎えることの出来ない月でもあり日でもある。やはり同じような事でも書かずにいられないね。土に親しむでもないが分遣の庭に一生懸命に畑を作った。

 

 

 

 

「ずっと父が嫌いだった」

 

 
 
 
軍都広島での物語

知られていない 8月5日までの 広島 バージョン2

原爆詩集
峠三吉
・・・一九四五年八月六日、広島に、九日、長崎に投下された原子爆弾によって命を奪われた人、また現在にいたるまで死の恐怖と苦痛にさいなまれつつある人、そして生きている限り憂悶と悲しみを消すよしもない人、さらに全世界の原子爆弾を憎悪する人々に捧ぐ。
墓標
 
斉美せいび小学校戦災児童の霊」

焼煉瓦で根本をかこみ
三尺たらずの木切れを立て
割れた竹筒が花もなくよりかかっている
 
 
" target="_blank">原爆投下
 
" target="_blank">原子爆弾投下後の広島市内(1946年3月21日撮影)
 
" target="_blank">封印された原爆報告書
 
" target="_blank">原爆初動調査1
 
" target="_blank">原爆初動調査ー隠された真実2
 
原爆初動調査ー隠された真実3" target="_blank">原爆初動調査ー隠された真実3
 
 
" target="_blank">広島スピーチ
 
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細菌戦の系譜!!

2022-01-28 11:56:33 | Weblog

 日本は、日中戦争で国際法に違反して、細菌戦、毒ガス戦、無差別爆撃を行った。日本政府は、この事実をきちんと認めていない!!

 ●『細菌戦部隊』

731研究会編   1996年9月(核時代51年)初版発行

Ⅱ 関連部隊・支部

香港難民の大量虐殺

ゲルトネル菌を飲用湯に投入して・・・・

 

丸山茂

8604部隊

 

(経歴)

1917年生まれ

1938年 朝鮮・龍山の歩兵79連隊に教育召集

1939年 南支那派遣軍防疫給水部(波第8604部隊)に転属。細菌検索班に所属

1943年3月 除隊。帰国

1945年 再召集

1945年8月 朝鮮で除隊

1945年10月 帰国

■この証言は731研究会の学習会での発言(1993年11月)、『短歌草原』(1992年8・9・10月号)所収「いかなる美名でも戦争への道は悪だ」よりまとめられたもの。

 

解説ー波8604部隊について  越田稜
 民間調査団と沙東迅氏の報告によれば、波8604部隊の本拠は広州市にある中山医科大学(旧中山大学医学部)に存在し、同部隊の防疫給水部門は広州市北郊外江村にあったとされている。また難民収容所は南石頭(珠江河畔)の懲戒場(のち懲教場)跡に「検疫所」と共に開設された(現在は広州自動車工場)。この調査報告書は、丸山証言とほぼ一致している(なお丸山氏は「南石頭」を「灘石頭」としている)。 
  
 

●証言

生体解剖(旧日本軍の戦争犯罪)

中央档案館

中国第2歴史档案館

吉林省社会科学院編

 

江田憲司

兒島俊郎

古川万太郎編訳

 

 

 

 

 

Ⅰ東北

 

2 華北

5  内蒙古

安達千代吉自筆供述書(1955年)

 しばらくして、部隊では将校と下士官が斬首の練習を始めた。最初は大隊長の丸尾が直接指揮を執った。この時馬占山軍の士官の1人で23歳くらいの青年が、穴の前に座っていた。丸尾がこの戦士に「何か望みはないか」と尋ねると、その見上げた両眼には激しい怒りと憎しみの炎が噴き出ていた。「ほかにはないが、煙草を1本くれ」。丸尾はやや惜しそうに、ちょうど吸っていた煙草を彼に渡した。1口、2口と吸っている間に、死が1分1秒と近づいてきた。周囲は一片の静寂に包まれ、咳1つ聞こえなかった。丸尾は鞘を払った日本刀を下げてそこで待っていた。青年は死に直面しながら少しも動揺することなく、正義と必勝の信念に満ちて泰然自若とした態度をとっていた。

 

●毒ガス戦

・『日本軍の毒ガス兵器』  松野誠也著

第7章なぜ日本軍は毒ガス兵器に依存して戦いを行ったのか

4 日中戦争をめぐる陸軍中央の動向と毒ガス戦

日中戦争の戦略的持久戦から「好機南進」へ傾く中での毒ガス戦

 

1940年4月に第11軍による宜昌作戦が実施されるのに前後して、参謀本部作戦課の幕僚は、40年度は軍事的解決に努めつつも中国国民政府と和平交渉を成立させ、41年初夏から武漢地区から撤退を始め、その後兵力を30万程度まで減らすという撤退案を作成した。
 その理由は、
①国家財政を無視した作戦はあり得ず、「事変の目的が不明なままでは多額の負担(国債既発行100億円、民間消化9.2%)を国民に甘受させられるものではない」、
②資源は今後数年間は米英に依存せざるを得ない、
③戦後当分の間は近代戦の遂行は困難なので、国力の建設に努力する必要がある
④日中戦争が終わらない理由は中国国民政府の態度と米英ソの支援だが、これは止まらないだろうから自主的に解決する必要がある、などである(同前)。
 
 作戦当局が、戦争目的が不明であり、日本に近代戦遂行能力は充分に存在せず、中国国民政府からの和平はあり得ないとしているのが注目される。既に泥沼化した日中戦争の影響は無地できないものになっていたが、結局、この案も陸軍省の反対で実現しなかった。
 

第1次世界大戦では、毒ガスが大量に使われた。

百年の悲劇は、ここから始まった1

 
 

 
 

・『日本の中国侵略と毒ガス兵器』 歩平著(山邊悠喜子、宮崎教四郎訳)明石書店 1995年発行)

 

第8章 無辜の被害者

山西定襄・上零山毒ガス殺戮事件

日本軍は、室内の群衆の余命いくばくもないことを確認すると、校舎の外へ引き上げ始めた。絶対絶命のまだ意識があった人々は、最後の力を振り絞って窓を打ち破り、屋外へ転がり出た。だが、既に毒に犯されていたため、外に出ても呼吸はほとんどできず、全身が業火で焼かれたようになり、ある者は着ている物をひきちぎり、ある者は地面にのたうち回った。だが、少しも楽にはならず、うめきもがきながら、生死の境をさまよい続けた。

SNSで人気「ウサギの島」が背負った〝毒ガスの歴史〟大久野島を歩く

 

加害の歴史」北九州市の毒ガス工場 第二次世界大戦で旧陸軍が使用



 



 
 
 

 

 

 

日本軍の毒ガス戦と遺棄毒ガス問題


 

 

 

 

 

 

 

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