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*外出先でスマホからの投稿となりました。
ふと見上げた桜の木の枝に、春を待ちきれないように、赤い花の蕾が今にも咲きそうに膨らんでいた。そしてこの冬最後の置き土産のように梅の花が満開に咲き誇っていた。暖かい陽射しがさす今日の公園はまるで春が訪れたかのような光景だった。
そんな春色に染められていく公園に、彩を添えるように今日も可愛い野鳥たちが元気に飛びまわっていたが、春の訪れとともに、遠くへ去っていく冬鳥たちのことを思えば、少し寂しい思いがしてきた今日の野鳥観察であった。
▼今日出会った野鳥たち
人生は別れと、出会いの繰り返しである。私もこうした経験を長年積み重ねてきた一人だ。だが、もうこの歳になるとあまり別れと、出会いに感傷的な気持ちは生まれてこなくなってきた。悲しい現実かも知れない。
最近も、長年付き合ってきた友人たちが退職と共に離れて行き、退職後に始めたボランティア活動でまた新しい出会いに恵まれるなど、そうしたことを未だに繰り返してる今日この頃であるが、そんな繰り返しのなかで最近、ふと気づいたことがひとつある。
それは、別れた人たちに対する執着心よりも、新しい出会いの喜びが大きくなっていることだ。
特に最近、退職後に出逢い、付き合いをさせてもらえた高齢の先輩たちの姿を見ながら、人生とは何かと考えさせられ、多くを学ぶことができ、新しく出会った後輩たちの優しさや思いやりが、心に沁みて本当にありがたく思えるようになった。
昨日も所用で広島まで出張してきたが、その時、久しぶりに再会した二人の後輩たちに対する気持ちもまた同じだ。
昨日、出張帰りだった彼らは、私が広島に来たことを知って、そのまま家に帰るのをやめて、わざわざ訪ねて来てくれたばかりか、夜遅くまで私を温かくもてなしてくれた。
久しぶりの再会を果たし、3人で楽しい会話をしていると、あっと言う間に時間が過ぎてしまったが、彼らは、ただの初老のおじさんに過ぎない私を精一杯もてなしてくれた。私はそんな彼らの厚意に甘えながら、おいしい料理やお酒よりも、なによりも私を大切に思ってくれる彼らの気持ちが本当にありがたくて唯々感謝するばかりであった。お蔭で昨日は、日帰りの予定が狂い、余分に一泊する羽目になってしまったが、嬉しいトラブルだった。
今さら、自分の人間性を変えることもできないが、今、昨日の出来事を想い浮かべながら思うことは、人の出会いが如何に大切であり、また、その出会いのなかで自分の新しい世界が広がっていくことに喜びを覚え、これからも今まで以上に感謝の気持ちをもって、大先輩や後輩たちと接し、永くお付き合いできるように自らの襟を正し、努力を重ねて行かなくてはならないということだ。
ささやかな日々の出来事だが、昨日の楽しい思い出をいつまでも忘れないようにしたいものだ。