想い出の時を刻む

趣味を楽しみながら、今日の思いや出来事を綴り、想い出として残していく日記

暫くお休みさせていただきます。

2016年06月28日 | 日記

 何時もご愛読くださり本当にありがとうございます。
 

 誠に勝手なことで大変申し訳ございませんが、都合により7月10日頃までお休みとさせていただきます。

 また、直ぐに戻って来ますので、これからもよろしくお願いいたします。


身近な存在

2016年06月27日 | 野鳥観察

 セキレイはスズメの次に私たち人間にとって身近な野鳥ではないかと思います。それはセキレイが街中のどこへ行ってもよく見かけ、人にも慣れた野鳥だからであります。

 それだけに、私はセキレイがあまりにも身近すぎて正直、殆ど興味を持って観察をしたことがありません。

 そんな存在のセキレイでしたが昨日、私はそのセキレイの姿を写真に収めることになったのです。

 それは私が、溜池付近で野鳥観察をしている時でした。水鳥を探して水辺を見回している私の目の前に突然、独り立ちしたばかりの若いセキレイが、まるで「私の写真を撮ってください。」と言いたげに現れたのです・・・

 普段ならそのまま無視をしてしまうのですが、昨日は何故かこのセキレイが、あまりにも長く私の目に前をウロチョロするので、つい根負けしてしまい、パチリと写真を撮らされてしまったのです・・・。

 そんな事で撮らされた写真ですが、家に帰り撮り終えたセキレイの写真を見ていると、何気なく感じるものがあったのです。

 それは若いセキレイの魅力を改めて感じながら、身近な存在だけど殆ど無関心であったセキレイのことを考えながら、いったい身近な存在とはなんなのかな~と頭に浮かんだのです。

 そして反省を込めて、身近な存在とは、いつもそこに居て、親しみのある、ありがたい存在でありながら、それが当たり前になってしまい、いつの間にか無関心になってしっているの存在ではないかと思ったのです。そのため人は知らないうちに一番身近な人たちの良さや、魅力に気づかないまま、見過ごしてしまっているのではないかと気づかされたのです。

 小さな野鳥の存在をもって、こんな話をするのも大袈裟なように思われますが、セキレイの写真を撮った昨日の小さな出来事を通して、私は自分の周りにいる一番身近な存在の妻や家族、親戚たち、そして親友たちのことを改めて思い直し、それぞれの存在のありがたさや魅力を知り、みんなを大切にしていかなくてはならないことに気づかされたような思いになりました。

 


真夏のデート

2016年06月26日 | 花と野鳥

 二日ぶりの晴れた日を迎え、例のキジがどうしてるのか気になり、何時も場所へ出かけてみました。

 ほんの二、三日空けただけですが、広い田圃はすでに田植えが終わり、水を貯めた田んぼに小さな稲が太陽の陽射しをたっぷり浴びながら、風に揺られていました。長閑な初夏の風景が広がっていました。

 肝心のキジですが、いつもよく見かける縄張りへ行ってみましたが、今日は姿が見えません。どこへいったのかな?と思いながら暫くその場で待ってみましたが、なかなか見えないので、仕方なく広い田圃を歩きながら探してみることにしました。

 以前見つけたことのある場所を中心に、おおよそ30分ほど田圃の周辺を探していると、ある民家に近い畑で仲良く餌採りをしているキジの番をようやく発見することができました。

 丁度、正午前だったので、2羽はもう餌採りを終えてお腹がいっぱいになったのか、発見した時は、番でのんびり移動していて、その姿はさながら真夏のデートをしてるようでした。

 そして、そんなキジたちが戯れていた畑には、また不思議なことに秋を思わせるコスモスの花が咲き、赤いトンボまで飛んでいて、夏と秋が交錯するような光景が広がっていました。