父が病院に入院して2週間が経過しました。
母は病院でつきっきりで父の面倒をみています。
(父は母が家へ戻るとてもさびしがるそうなので)
父はまだ見ぬ孫の写真を見るたびに、とても喜んでいました。
入院して3週間が経過しようとした時期に、父の体調に回復の兆しが
みられるようになり、お医者さんから「明日にでも一旦退院しましょうか?」
との声がかかりました。
母は父が入院したからほとんど家に戻っていなく、常に病院にいた為か
体力も限界に達していたところでしたので、お医者さんの一声に一番に
喜んだのは母だったと思います。
その日は、偶然わたしが父の元へお見舞いに来ていたのですが、
父は家にいたときのようにニコニコした顔でこちらを向いていました。
その時が、わたしが見た父の最後の笑顔だったと思います
夜になって、家に病院から1本の電話がかかってきました。
昼ころにはあんなに元気だった父が夜になって再度悪化したそうです。
父の退院は見送られ、再度、病院で療養することになりました。
そして、、
いっきに坂を下るかのように、父の身体は悪化していったのでした。。
病院から電話が来て2日後、わたしは父の元で訪れたときには
あまりに変わり果てた父の姿に絶句しました。
もう、いままでの父ではありませんでした。
頬はこけ、身体ぜんたいは骨と皮のみにやせ細り、目だけがぎょろりと
してこっちを見つめていました。
お医者さんの話によると、いまはほとんど意識がない状態で、
「長く持っても数か月だ…」とのことでした。
わたしはお医者さんに呼ばれ、今後のことについて話しあいました。
点滴さえうまく入らないほど細くやせ細った身体にカテーテルを入れる
との医者からの提案でした。
わたしは、家の戻り残された家族(わたしと上の姉貴と遠くにいる姉)と
今後について話し合いましたが、結局折り合いがつかずにおわりました。
そして…
12月某日
お医者さんに父の今後を答える間もなく、父は遠くへ旅立たれました。
父は最後まで、じっとわたしたちの顔をみつめていたのでした。
この時期になると、毎年父のことを思い出します。
最後まで生きようとした偉大なる父の姿に…
母は病院でつきっきりで父の面倒をみています。
(父は母が家へ戻るとてもさびしがるそうなので)
父はまだ見ぬ孫の写真を見るたびに、とても喜んでいました。
入院して3週間が経過しようとした時期に、父の体調に回復の兆しが
みられるようになり、お医者さんから「明日にでも一旦退院しましょうか?」
との声がかかりました。
母は父が入院したからほとんど家に戻っていなく、常に病院にいた為か
体力も限界に達していたところでしたので、お医者さんの一声に一番に
喜んだのは母だったと思います。
その日は、偶然わたしが父の元へお見舞いに来ていたのですが、
父は家にいたときのようにニコニコした顔でこちらを向いていました。
その時が、わたしが見た父の最後の笑顔だったと思います
夜になって、家に病院から1本の電話がかかってきました。
昼ころにはあんなに元気だった父が夜になって再度悪化したそうです。
父の退院は見送られ、再度、病院で療養することになりました。
そして、、
いっきに坂を下るかのように、父の身体は悪化していったのでした。。
病院から電話が来て2日後、わたしは父の元で訪れたときには
あまりに変わり果てた父の姿に絶句しました。
もう、いままでの父ではありませんでした。
頬はこけ、身体ぜんたいは骨と皮のみにやせ細り、目だけがぎょろりと
してこっちを見つめていました。
お医者さんの話によると、いまはほとんど意識がない状態で、
「長く持っても数か月だ…」とのことでした。
わたしはお医者さんに呼ばれ、今後のことについて話しあいました。
点滴さえうまく入らないほど細くやせ細った身体にカテーテルを入れる
との医者からの提案でした。
わたしは、家の戻り残された家族(わたしと上の姉貴と遠くにいる姉)と
今後について話し合いましたが、結局折り合いがつかずにおわりました。
そして…
12月某日
お医者さんに父の今後を答える間もなく、父は遠くへ旅立たれました。
父は最後まで、じっとわたしたちの顔をみつめていたのでした。
この時期になると、毎年父のことを思い出します。
最後まで生きようとした偉大なる父の姿に…
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