イ・ビョンホン・・ラストシーン涙、本来は逃げるか捕えられるか
予想とは別にイ・ビョンホンは安らかで冷静に見えた。 まだ映画悪魔を見
たのスヒョンを抜け出すことができなかったという憂慮とは違い、彼は自分自身
に早く帰ってきていた。
だが、俳優の運命はその瞬間に感じられた。 「キャラクターに陥って憂鬱な感情
を感じる方ではない」と答えたイ・ビョンホンは妙なことにスヒョンの姿とそっく
り似ていた。 愛する女性を殺害した獣を火のような感情でない氷のような理性で
冷静だ。 ある刹那の瞬間、イ・ビョンホンの表面にはスヒョンの一部が浮び
上がった。
こうしたのが俳優の顔を眺める妙味であろうか りっぱな俳優はいつも自身が
引き受けたキャラクターどこかをそっくり似ているはずだ。 去る20日夕方東大門
メガボックス、観客との対話を控えた俳優イ・ビョンホンに会った。
悪魔を見たを包んだ各種論議と、撮影後所感などを彼に尋ねた。 次は一問
一答.
映画に対する反応が両極端だ
そうだ。 だが、深刻な問題ではないと考える。 人々が心配するのは暴力の程度
や模倣犯罪などなのにそのような多様な反応らは'悪魔を見た'が明らかな問題意
識を投げかけているためだ。
かえってそのような多様な反応らが私たちの社会が文化を健康に消費してい
るという証拠でないか
同じ映画を見て多様な声を出すことができるということが本当におもしろい。 当
然の話だが、人ごとに全部観点が違う。 だからこういう多様な反応らは論議と
いうよりは'人々ごとに他の考えを持つ'程度で考えた方が良いようだ。 解釈が多
様だということは肯定的である。 '悪魔を見た'が画一なった反応呼ぶ単純な作品
ではないという証拠だ。 この頃大衆は自分の意見を率直に話する。 監督と主演
俳優らが考えることができないのを話する時驚いたりする。
それでも相変らず模倣犯罪うんぬんする世論が多かったよ
その部分はキム・ジウン監督様が明確に話した。 観客がそのような指向を持っ
ているならばあえて映画を見なくても犯罪を犯すと思う。 事実映画より現実が
さらに恐ろしいのではないか 暴力は映画のビジュアル問題でなく社会の問題
だ。 私たちの社会に暴力が蔓延しているとのことをすでに人々がよく知っていて
映画の中にあらわれる暴力のメッセージを恐れるのではないだろうかという気も
する。
スヒョンは軽鉄に真に復讐したことだろうか? このゲームの勝者は誰か
この映画に勝者はない。 勝ってまける問題でないためだ。 '悪魔を見た'には善と
悪が別にない。 ある人々はスヒョンが軽鉄にさらに残忍に復讐すればという考え
たという。 私の周辺の人々は解消感を強く感じたと話した。 ところでそのような
感情自体が示唆することがあるのではないか もしかしたら'悪魔を見た'という
私の内面の悪魔を見たとのことではないか
複数を終えたスヒョンが涙を流すエンディングシーンが印象的だ。 余韻が長か
ったか
本来シナリオ上にはスヒョンの行方が具体的に出てくる。 だが、封切りバージョン
は気がかりなことを誘発するようにする開かれた結末で仕上げされた。 観客らが
多様な想像ができるようだ。 スヒョンが法の審判を受けたり本来シナリオのとお
り逃げたり。 ところで明らかなことは一つだ。 何もないということだ。 スヒョンはそ
のような状態のものすごい喪失感中にあるだろう。
目には目、歯には歯. 感情的な対応方式は個人的にどう思うのか
99%の人々がこらえながら生きていると考える。 この映画はそのような意味で
ファンタジー映画の感じもある。 私たちがすることはできない仕事をしているか
ら。 誰が競り合っただけ復讐して生きるのか? 現実はかえってそうでない。
私はスヒョンのようにできないようだ。
イ・ビョンホンとクローズアップは幻想の相棒だ。 キム・ジウン監督もそれを
よく知っているのでは
いつもクローズアップだけ撮影しなければならない。(笑い)事実クローズアップは
俳優らが負担に思う。 ものすごいスクリーンに顔全体が含まれること自体が負担
だ。 特に新人はクローズアップに対する負担感が大きい。 没入にならない状態
で俳優の顔がエクストリームでクローズアップされれば、どうすることも出来ない
おかしな煙が出てくる。 だからクローズアップ シニこそとても大きい責任感が感
じられるショットだ。
イ・ビョンホンはキム・ジウン監督に明らかに特別な俳優だ。 イ・ビョンホンに
キム・ジウン監督とは
(この時偶然にキム・ジウン監督がインタビュー場所に入ってきた)
キム監督にふざけて「ちょっと出て行ってくださいますか」と話した。) お互いを
本当によく知っていて順調な面が明確にある。 ところが慣れていることに監督も
私も満足する性格でない。 私はいつも監督に新しい演出を期待する。 監督はや
はり同じだ。 私のまた他の演技を希望される。 そのような欲と期待が良いよう
だ。 率直に話せばかえってさらに疲労するようにする関係だ。
説得されて理解されることができなければ延期(煙、演技)をできないタイプか?
当然だ。 私が理解できないのにどのように演技になるか そうしたのはにせ物
で偽りだ。 キム・ジウン監督様とも度々新しいものを探して対話をしようと努力
する。互いに'これはどうか'このような形で。 俳優が理解できなければその俳優
の演技は嘘だ。 互いに説得されて理解されなければならない。 カメラが道(ド)
はすべての瞬間は真実でなければならないから。
俳優として自身が最も光る時期があったか でなければ前により一層光ること
と考えるか
特別にそのような考えをしてみたようではないけれど、当然前にさらに光りたくて
そうなりたい。 こういう良い状況らをずっと引き続き行ったら良いだろう。 もちろ
ん運も伴うべきだが熱心にすれば光ることができることと考える。
ある詩人の言葉のようにイ・ビョンホンはキム・ジウン監督の花のように
ある瞬間光を放った俳優だ。 キム監督がイ・ビョンホンを呼べば彼はいつも
新しい香りと形を持った花になる。 キム監督やはりイ・ビョンホンのからだと
顔で話す時彼の映画は新しい花になった。 次の作品で二人が作ることができる
新しい花の香りと形は何だろうか