市長選は勝てなかったけれど、住民運動の母体があちこちにできているから、
それを強固なものにして続けていけば、成果も少しずつ出てくるだろうと思います。
例えば、「芸大跡地を文化の殿堂みたいにする」運動とか、
「総合病院をなくさないで」という運動とか、いろいろ
がんばっていこうと思います。
雪の思い出
「地球の温暖化」とか「沸騰化」とかいう言葉がなかった頃、
故郷の富山県は雪がたくさん降る所だった。
幼少期を過ごしたのは山奥で、幼稚園や保育園はなく、友だち
と外で遊ぶのが日課だった。もっぱら「お宮さん」と呼んでいた
小さな神社の庭で遊んだが、池のあるお家の庭や、我が家の本家
の広い庭で遊ばせてもらうことも多かった。
五歳くらいの時だろうか。雪がたくさん降り、その池の面が覆
われて見えなくなった。長靴を履いた私たちは、雪の上に乗り
「おしくらまんじゅう」をしていた。すると、長靴がズボッと雪
の中に入り、私はバランスを崩した。長靴の中には水が入り込み、
足がどんどん冷えてくるのがわかる。足は抜けたけれど、長靴が
池の中に残り、手で引き上げるしかなかった。
雪道は人が歩く度に硬くなり、ツルツルになる。朝、小学校へ
行く時は、テカテカ光る坂道を長靴の裏で滑りながら降りていっ
たものだ。
本家の庭の雪を縦向きに、地面まで掘っていったことがあった。
3メートルほど掘ったと思う。側面に階段を作り、底の地面にビ
ニールの風呂敷を広げ、各自が家から持ってきたお菓子やみかん
を分け合って食べた。言わば縦型の「かまくら」、男の子も女の
子も一緒だった。
九歳で転居した所は、田んぼや畑が広がる平地。田畑の上に積
もった雪は、夜の間に表面が凍る。朝の登校の時は、その上をみ
んなで歩いた。たまに誰かが足を取られながら。宮沢賢治の「雪
わたり」は夜の野原だったが、私たちは朝、雪の上を歩いた。そ
れを「凍み渡り」と言って楽しんだ。
酷暑の夏と、厳寒の冬だけになりそうな日本。良い思い出ばか
りではないけれど、雪に親しみ、楽しめる気候が戻ってほしい。
きょうの潮流
大河ドラマ「光る君へ」が始まり、「源氏物語」がブームになっています。記者も冒頭を習った高校以来初めて現
代訳を参照しながら読んでみました。実に面白い。
▼帝(みかど)の寵愛(ちょうあい)をうけた桐壺更衣(きりつぼのこうい)を、他の女御(にょうご)たちは嫉妬
して、宮中を歩くのを通せんぼしたとか、なんとおとなげない。若き光源氏が初めて通った空蝉(うつせみ)は源氏
を振り、最初の恋はあえなく失恋におわるとか…。心情を描いた変化に富んだ話が続きます。
▼作者、紫式部の教養も随所に見え、こんな物語論もあります。「いいことでも悪いことでも、世間にある人の有様
で、見るにも見飽きず、聞いてもそのままにしておけない、後の世までも伝えさせたいことのふしぶし」を書き留め
たのが物語の始まり。「皆それぞれにほんとうのことで、この世のほかのことというのではありません」(谷崎潤一
郎訳)
▼時の権力者、藤原道長は「源氏物語」の評判に目を付けました。一条天皇の気を引くため、娘の中宮・彰子のサロ
ンに紫式部をスカウト。紫式部は宮中で物語を書き継ぎました。
▼「光る君へ」の脚本を担当した大石静さんは「『源氏物語』の行間には、紫式部の権力批判と深い人生哲学があ
る」と話しています。ドラマは、道長と紫式部(まひろ)が子どものときに出会っていたという設定です。
▼かつて母を道長の兄に殺され、苦しむまひろ。それを知って思い悩む道長。大石さんが「私の使命は何なのか、と
考える自我の強い女性」として描く現代の紫式部物語のゆくえも楽しみです。
(しんぶん赤旗より)
京都中心の地震は珍しいのでは?
2月後半突入よろしくお願いします。
雪に親しみ、
楽しめる気候が戻ってほしい。
いい言葉ですね☺️
…ハルくんも雪が大好き!
自分も♡笑
まだ寒い日が続きますが、
お互い体調には気をつけて
楽しく過ごしていきましょうね😄
ステキな一日を☆★☆
テル
きのうの地震は震度4、この家はかなり揺れたそうです。←夫の言葉
私は、映画館にいて鑑賞中に感じました。
椅子を掴んで「地震や……」と呟きましたが、そのまま最後まで見ました。
避難するほどの揺れではなかったということで。
きょうも震度3の揺れがありました。
もはや、いつどこでどうなるかわからないですね!
こちらこそ、よろしくお願いいたします。
きのう、きょうと暖かすぎます!
また寒くなるようで、気象予報士さんは「冬であることをお忘れなく」と仰っていましたね。
全く、その通りです。
「雪の思い出」、読んでくださりありがとうございます。
ハルくんと雪遊びを楽しまれていますね。
テルさんのお子さんは、3人ともとてもよい子に育ってて感心します。
寒さに負けないように、過ごします。